2013年2月28日 第127回「今月の映画」
監督:キャスリン・ビグロー 主演:ジェシカ・チャステイン ジェイソン・クラーク ジョエル・エドガートン
●(1)今回の映画「ZERO DARK THIRTY(ゼロ・ダーク・サーティー)」は、「午前0時30分を意味する軍の専門用語で、ビンラディンの潜伏先にネイビーシールズが踏み込んだ時刻」を意味します。
アメリカの「9・11」の首謀者とされた「ビンラディン」の(居宅とされる)邸宅をネイビーシールズが襲う衝撃の映画です。襲撃の瞬間は、ホワイトハウスでオバマ大統領も衛星通信で見ていて、成功の瞬間、拍手する映像をテレビで見た記憶が、私(藤森)はあります。 <<<<スクリーンに映し出される生きている歴史・リビング・ヒストリー>(小西未来・映画ライター) と言われるほどの事件ですので、詳細を知ることは重要だと思ったことと、これほどの重大事件、危険な襲撃を果敢に決断し、上司、さらにはオサマ・ビンラディンの邸宅である確率を100%だと進言するわずか20代の若き女性分析官の根性に驚いたことなどが、今回、掲載する理由です。 「驚愕の真実・戦犯とは何か(第86回「トピックス」ご参照)」で詳細に紹介した開戦直前の日本の政治家や軍人の決断力の無さを考えると、開戦の決断に匹敵する「巨大な決断」を、ノンキャリだという高卒の28歳くらいの女性が進言する姿勢は強烈です。他の幹部は、みな、60%くらいだと弱腰を見せる中で、この若い女性分析官が「百パーセント」と絶対の自信を見せる姿と、開戦前の日本の政治家・軍人の情けなさとはあまりにも対照的です。 さて、戦後の多くの日本人は、私(藤森)も含めて、多分、軍隊に反対し、お人好し的に戦争は当然反対、自衛隊が活躍する姿も拒否してきたように思います。 しかし、そういう奇麗事だけでは世の中は済まない状況が進行しています。この映画のようなことが良いとか悪いとか言う前に、残念ながら、こういう事件を真剣に考えないといけない状況に日本は追い込まれてきているように思います。 そういう意味でも、この映画は注目に値するように思えます。 |
●(2)平成25年3月2日、夕刊フジ
<中国船に追い回された船長が怒りの激白> 沖縄県・尖閣諸島周辺の日本領海で2月中旬、機関砲などで武装した中国の海洋監視船が、同県・石垣島の漁船「第11善幸丸」を1時間半も追い回す“事件”が発生した。日本の主権を無視した暴挙であり、最近、同様のケースが相次いでいる。同船の名嘉全正船長は夕刊フジの取材に応じ、「(中国は)あそこまでやるのか」と怒りをあらわにした。 中国海監が急接近してきたのは2月18日午前10時ごろ。第11善幸丸が、尖閣諸島・北小島の近くで一本釣り漁をしようとしたところ、海上保安庁の巡視船から「中国公船が近づいている。注意してほしい」と無線で連絡を受けた。 第11善幸丸は島影で一時待機していたが、中国海監は3隻で挟み撃ちするなど挑発を続けた。海も荒れていたため、漁をあきらめて港に帰ることにした。ところが、中国海監が追いかけてきたという。 <挑発し海保ともめ事起こす狙いか> 「一番近づいたのは約70メートルで、海上では目と鼻の先だ。海監の『66』という数字もハッキリ見えた。海保の巡視船数隻が海監の間に入って守ってくれた。24年間も漁師をしているが、あんなことは初めて。『どうして、日本領海で追われないとならないのか』と腹が立った」(名嘉船長) 中国海監が追跡を止めたのは、第11善幸丸が北小島近くを出発してから1時間半もたっていた。石垣島に戻って報告すると、漁師仲間は怒り心頭で「中国公船を追い出しに行こう」という者もいたという。 今年に入って、沖縄本島や石垣島、与那国島、鹿児島県・指宿などの漁船が、中国公船に追い回されているといい、「最低5件はあるはずだ」(名嘉船長) 尖閣問題を長期取材しているフォトジャーナリストの山本皓一氏は「中国公船の狙いとしては、日本漁船を拿捕して、世界に向けて『魚釣島(尖閣諸島の中国名)は中国のものだ』とアピールする可能性が1つ。また、漁船を挑発することで、助けに入った海保との間でもめ事を起こし、中国海軍を展開するきっかけを探っている可能性もある。ともかく、海保は厳しい勤務状況の中で、挑発に乗らず、冷静に守りに徹している」という。 中国の暴挙を伝えるため、名嘉船長は自腹で上京。先月27日に新藤義孝総務相や自民党の高市早苗政調会長、超党派の「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の山谷えり子会長(自民党)らと面会し、証拠写真やデータを示したうえで、尖閣近海で安全操業ができるよう陳情した。 激化する中国の挑発に屈してはならない。 |
●(3)平成24年7月26日、夕刊フジ「天下の暴論」(花田紀凱)
<自衛隊の災害訓練を邪魔する度し難い連中> 全く度し難い連中だ。16日から東京がM8クラスの直下型地震に見舞われたことを想定した自衛隊の統合防災訓練が始まった。 ところが、隊の正門前には自衛隊員が迷彩服で都内を歩くことに反対という労組関係者ら数十人が駆けつけ、「自衛隊の災害派遣は戦争への道」などとシュプレヒコールを繰り返したという。 区役所側も、通信訓練については自衛隊の立ち入りを認めたが「休日で人がいない」などの理由で隊員の宿泊を断ったという。休日に地震は起こらないのか。 東日本大震災で自衛隊の活動にどれだけ助けられたか。救助活動、遺体捜索、救援物資の輸送・・・・・いずれも自衛隊の活躍なしにはできなかったろう。 食うのも食わず、不眠不休で活動した自衛隊員に被災者はどれほど感謝したことか。被災した誰もが自衛隊員に頭を下げたはずだ。感謝したはずだ。天皇陛下も「お言葉」の中でまず、自衛隊への感謝を伝えていた。 「戦闘作戦と同様の手順で市街地の訓練が行なわれる」からケシカランと言うが、直下型はまさに市街地を巻き込むのだ。隊員が背広を着て救援活動ができるか。 ならば、今回、正門前でシュプレヒコールした連中は、一度でも被災地に行って「自衛隊の活動反対」「制服反対」を叫んだのか。もしそんなことをしたら、被災者たちから袋叩きに合っただろう。 自らは安全なところに居て、反論できない立場の隊員に罵声を浴びせる。 22日午後、岩国市役所前の公園には1000人近い市民が集まり、オスプレイにバツ印をつけた紙を掲げて、「岩国にも沖縄にもいらない!」などと声を上げていた。 そもそも日米安保、日米地位協定から言っても、米軍のオスプレイ配備については日本はあれこれ言える立場にはない。 10万飛行時間あたりの事故件数を示す事故率で比較すると、海兵隊所有のヘリを含む航空機の事故率は2・45。 だいたい、アメリカくらい自国の兵を大切にする国はない。遺骨収集ひとつとっても、日本との差は歴然としている。 |
○(4)<パンフレットより><INTRODUCTION>
ビンラディンを追い詰めたのは、ひとりの女性だった――― 『ハート・ロッカー』のアカデミー賞監督キャスリン・ビグロー最新作 9.11から10年、全世界を震撼させたビンラディン殺害。 その瞬間、唐突かつセンセーショナルなニュースが、全世界を駆け巡った。2011年5月1日、ネイビーシールズによって、アメリカ同時多発テロ事件の首謀者ビンラディンが殺害されたのだ。人々は息をのみ、そして続報を待った。だが、全てが国家機密の極秘ミッションであり、その詳細が語られることは無かった。 9.11勃発から10年、誰がどんな方法で、ビンラディンの居場所を突き止めたのか?作戦当日、隠れ家への突入から撤退まで、本当は何が行われていたのか?誰もが知りたいトップ・シークレットに独自のルートで迫り、当事者たちから念入りに取材することに成功したのは、『ハート・ロッカー』の監督キャスリン・ビグローと、脚本化マーク・ボール。同作でアカデミー賞を受賞した二人が、封印された真実を初めて白日の下に晒す、サスペンス超大作を完成させた。 ビグローとボールは、CIAのビンラディン追跡チームの中心人物が、若き女性分析官だったという驚愕の事実を掴む。だが、それは作戦の全貌への入り口に過ぎなかった。その先には、最先端技術による情報収集、過酷な拷問、頭脳で闘うスパイ活動、法外な賄賂、そしてシールズ隊員による作戦が隠されていた。 完成まで数々の妨害が入り、米政府も先の大統領選への影響を恐れたという衝撃作が、いよいよ世界へ発信される――! 史上最大の包囲網に投入された、CIA情報分析官マヤ。 ビンラディン捜索に巨額の予算をつぎ込みながら、一向に手掛かりをつかめないCIAは、パキスタンの追跡チームに機体の星を投入する。華奢で青白く澄んだ瞳が印象的な20代半ばの女性、マヤ。とてもCIA分析官には見えないが、情報収集と分析に天才的な感覚を持っていた。 <真実>を最高のエンターテインメントに昇華させた、 マヤには、『ヘルプ~心がつなぐストーリー~』でアカデミー賞にノミネートされ、『ツリー・オブ・ライフ』でも高く評価されたジェシカ・チャステイン。孤独な分析官からチームを引っ張る責任者へとステップアップしていく姿を演じ、作品に女性なら共感できるに違いない、普遍的で見応えのある成長物語の一面を与えた。 世代のギャップから、マヤと最初は反目し合うが、やがて使命をひとつにした友情で結ばれていくジェシカに『英国王のスピーチ』のジェニファー・イーリー。その他、過激な拷問をするパキスタン支局のリーダー・ダニエルに、『パブリック・エネミーズ』のジェイソン・クラーク、『シャーロック・ホームズ』『裏切りのサーカス』のマーク・ストロング、そして、『ザ・ソプラノズ/哀愁のマフィア』のジェームズ・ガンドルフィーニがパネッタCIA長官を演じた。 実在のモデルが特定されないように細心の注意を払いながら、実話に基づくCIA内の人間ドラマに迫った。 “ゼロ・ダーク・サーティ”とは、午前0時30分を意味する軍の専門用語で、ビンラディンの潜伏先にネイビーシールズが踏み込んだ時刻のこと。と同時に、闇夜も意味する。マヤの魂が伝えてくれる――どんな闇夜にも屈しなければ、朝日は必ず輝くことを――。 |
○(5)<STORY>
9.11から数カ月後、忽然と姿を消したビンラディン。 尋問――ビンラディンに繋がる者全てを吐かせろ 分析――ビンラディンの連絡員<アブ・アフメド>を捜し出せ 膨大な量の情報と映像を分析したマヤは、<アブ・アフメド>と思われる男の写真を手に、ポーランドへ渡る。捕虜20名に見せ、彼がビンラディンとアルカイダNo.3のアブ・ファラジとの連絡員だという証言を得る。だが、ブラッドリーから本名も居場所もわからなければ、役立たずの情報だと一蹴される。 挫折――アルカイダNo.3逮捕、尋問で心が壊れるリーダー、2005年7月7日、ロンドンで地下鉄・バス爆破テロ勃発。マヤはパキスタンの情報局ISIの捕虜からも、<アブ・アフメド>がビンラディンの連絡員だという証言を得る。まもなくアブ・ファラジが逮捕され、チームは活気づく。だが、彼はダニエルの容赦ない拷問に屈することなく、尋問をかわしていく。やがてダニエルの方が異常な日々に心が折れ、ワシントンDCの本部へ帰ってしまう。 ダニエルが去った後、憑かれたように尋問と分析にのめり込み、ボロボロになっていくマヤ。2008年9月20日、心配したチームのジェシカが、マヤをイスラマバードのマリオット・ホテルに食事に誘い出すが、二人はそこで爆破テロ事件に巻き込まれる。 失敗――アルカイダ幹部の自爆テロでCIA局員7名死亡 2009年12月30日、アフガニスタンのチャップマンにあるCIA基地でバラウィを待つジェシカから、「彼が来た」という喜びのメールを受け取るマヤ。だが、「やったね!返事待ってる」というマヤのメールに二度と返信は無かった。車から降り立ったバラウィの自爆テロでCIA局員7名が即死した。 絶望で動けないマヤに追い打ちをかけるように、「<アブ・アフメド>は俺が埋葬した」と語る捕虜の映像が届く。慰める同僚に「関係者を全員見つけてビンラディンを殺す」と宣言するマヤ。殺気に満ちた瞳には使命を超えた執念が宿っていた。 好機――<アブ・アフメド>の本名を入手 発見――<アブ・アフメド>が出入りする豪邸を特定 2010年5月1日、ニューヨークで爆破テロ未遂。ビンラディンよりも、目の前のテロ対策を重視するブラッドリーと激しく対立するマヤは、「狂ったのか」とブラッドリーが唖然とするほどの迫力で、「今すぐ私にチームをくれ」と詰め寄る。そのブラッドリーは、アルカイダ殺害を名目としたアメリカの空爆に起こったISIにスパイだとリークされ、被害者からの脅迫を受けて帰国することになる。 一方でマヤの情熱に動かされたラリーのチームは、危険地域での無謀なまでの追跡を重ね、<アブ・アフメド>の車を特定する。さらに粘り強い監視を続け、遂に<アブ・アフメド>が出入りする、アボッターバードの豪邸を突き止める。 待機――ビンラディン潜伏の証拠を入手せよ 無人偵察機が撮影した屋敷の画像の解析が続けられるが、証拠は何も挙がらない。屋敷発見から21日目、ジョージの個室のガラスに赤のサインペンで「21」と殴り書きするマヤ、その日からマヤは毎日、苛立ちを叩きつけるように数字を書き変える。 突入――ネイビーシールズ隠密作戦の全貌 129日目が過ぎ、大統領への直訴を決めたパネッタ長官は、ビンラディン潜伏の確率をチームに尋ねる。大半が60%と答えるなか、「100%確実」と言い切るマヤ、今や冷徹な長官ですら、マヤの気迫に打たれていた。 2011年5月1日、シールズが待機するアフガニスタンの前線作戦基地に乗り込むマヤ。疑う隊員にリーダーのパトリックは、マヤの“自信”を信じると断言する。微笑むマヤの携帯電話が鳴る。ジョージだ。「真っ先に知らせたかった。今夜だ」 マヤがコマンドセンターで見守るなか2機のステルスが飛び立つ。 |
○(6)<REVIEW>
<スクリーンに映し出される生きている歴史・リビング・ヒストリー>(小西未来・映画ライター) 近年アメリカで報道されたニュースのなかで、オサマ・ビンラディン殺害の報道ほど驚きをもって迎えられたものはないかもしれない。2001年9月11日の米同時多発テロをきっかけに、アメリカはテロとの戦いに突入。しかし、諜報機関が総力を挙げても、首謀者とされるビンラディンの消息はまるで掴めない。イラクやアフガニスタンでの戦争が長引くにつれて、いつしか身柄拘束は不可能と諦めてしまった人も少なくない。だからこそ、2011年5月1日(米東海岸時間)に世界を駆け巡ったニュースはサプライズだったのだ。 突如として、ビンラディンの殺害はエンターテイメント業界にとってホットな題材となった。2012年9月には、襲撃作戦を行った米海軍特殊部隊の兵士が執筆した手記『No Easy Day』が発売され、1週間で100万部を突破するベストセラーとなる。また、同年11月には米海軍特殊部隊の活躍を描くテレビ映画「Seal Team Six:The Raid on Osama Bin Laden」が放送された。 しかし、いずれもビンラディン邸襲撃に焦点が置かれ、ビンラディンの発見に至ったプロセスは描いていない。9・11からCIAはいったいなにをしていたのか?その長い空白を埋める映画作品が、この『ゼロ・ダーク・サーティ』である。 実際、長い製作期間と大量の資金を要する劇場公開映画が、これだけ短い期間で完成したこと自体が驚きだ。同作のマスコミ向け試写がスタートしたのは2012年11月であり、ビンラディン殺害からわずか1年半しか経っていない。ハリウッドでは企画開発だけに5年以上の年月を費やす作品が少なくないなか、ここまで複雑でスケールの大きな作品をこの期間で完成させたことだけでも称賛に値する。完成作のクオリティを考慮すれば、奇跡といっても過言ではない。 ただし、キャスリン・ビグロー監督にはひとつ大きなアドバンテージがあった。『ハート・ロッカー』の次作としても、もともとビンラディン捜索に関する映画企画を準備していたのである。2001年12月、米軍はアフガニスタンのトラボラでビンラディンを取り逃がす失態を犯している。ビグロー監督は『ハート・ロッカー』の脚本家マーク・ボールとともに、トラボラ作戦を題材にした映画を企画。徹底したリサーチを経て、ようやく脚本の決定稿が仕上がろうとしていたとき、2011年5月1日のニュースが飛び込んできたのだ。ビンラディンが発見・殺害されたため、ビグロー監督は方向転換を余儀なくされる。脚本を一から書き直すことになったが、それまでの長い準備期間に得た大量の取材ノートと関連人物の連絡先は残っていた。そのおかげで、素早いスタートダッシュを切ることができたのである。 <リアリズムへの徹底的なこだわり> 『ゼロ・ダーク・サーティ』は、すべての発端となった米同時多発テロで幕を開ける。しかし、キャスリン・ビグロー監督は、画面にはまったくなにも映さず、ワールド・トレード・センターに残された人々の最後の通話だけで描く選択をした。例のショッキングな映像を見せずに、ビンラディン捜索のきっかけを描く見事な演出だが、数分間ものあいだ観客は真っ暗闇のなかに取り残されるため、想像力を激しく刺激される。映画史上、もっとも印象的なオープニングといえるかもしれない。 その後、CIA新人アナリストのマヤの視点で、ビンラディン捜索のプロセスが描かれる。証拠を集め、容疑者を尋問し、推論を立てていく。あたかも、犯罪捜査ドラマのような緻密さで詳細が描かれていくが、彼らが探しているのは並みの犯罪者ではない。9・11の首謀者であり、世界でもっとも危険な男である。捜査は複雑で困難を極めるうえに、彼らは危険に身をさらさなくてはならないため、テレビの刑事ドラマとは比較にならないほどの緊張感に満ちている。 元ジャーナリストの脚本家マーク・ボールが行った大量の独自取材をもとにしているだけあって、『ゼロ・ダーク・サーティ』は関係者でしか知り得ない情報が満載だ。このシナリオを映画化するにあたり、キャスリン・ビグロー監督はリアリズムに徹底的にこだわった。芸達者な無名の役者を大量に起用し、常に複数のカメラを回すことで、ドキュメンタリー映画のような臨場感を生み出すことに成功。白眉はやはりビンラディン邸の襲撃場面だろう。本物の邸宅そっくりに建築したセットで展開する襲撃シーンは、実際の作戦とほぼ同じ時間で再現されているほどのこだわりようだ。ビグロー監督は、ドキュメンタリーでもない、フィクションでもない、まったく新しいジャンルを開拓。目の前で起きている<リビング・ヒストリー>(生きている歴史)をそのままスクリーンに映し出すという監督の試みは、見事に結実している。 同作を先行試写で観たマスコミは一様に絶賛。NYやシカゴなどの批評家協会賞で作品賞を受賞するほか、多くの批評家がベストワンに選んでいる。しかしながら、一般公開がスタートすると政治論争が巻き起こった。とくに問題となっているのは、劇中での拷問の扱いと、機密情報を入手した経緯についてだ。全米配給を手がけるコロンビア・ピクチャーズは、政争の具となることを避けるために、同作の劇場公開を米大統領選後に延期していたが、皮肉にも作品の質が高すぎるがゆえに、アカデミー賞前に他スタジオが展開するネガティブキャンペーンの標的になってしまったのだ。『ゼロ・ダーク・サーティ』の価値が正当に評価されるには、もしかすると数年の時間を要するかもしれない。 <プロフィール・・・西未来(こにし・みらい)・・・ロサンゼルス在住の映画ライター。南カリフォルニア大学映画芸術学部卒。2011年、ゴールデン・グローブ賞を主催するハリウッド外国人記者クラブ(Hollywood Foreign Press Association)に入会。ハリウッド映画とアメリカドラマの取材を精力的にこなしている。> |
○(7)<OSAMA BIN LADEN オサマ・ビンラディン―――謎につつまれた男>(保坂修司・日本エネルギー経済研究所中東研究センター研究理事)
1998年8月、ケニアとタンザニアでアメリカ大使館が同時に爆破された。死者数は200人以上、負傷者は4000人を超えた。2000年にはイエメンでアメリカの駆逐艦コールが爆破され、17人が死亡。そして2001年9月11日のアメリカ本土同時多発テロ、いわゆる9.11事件では約3000人が犠牲になった。このなかには24人の日本人が含まれている。 これら3つの事件の背後には国際テロ組織、アルカイダがいたとされる。そのリーダーこそが本映画の影の主役、オサマ・ビンラディンであった。これだけの世界史的大事件の主犯でありながら、この人物はつねに謎につつまれている。生年もはっきりしなければ、そもそもメディアでは名前の表記すら一致しない。日本では、その名はオサマ、ウサマ、オサーマ等、また姓に相当する部分もビンラディンのほか、ビン・ラーデン、ビン・ラーディンというぐあいにバラバラである。本編でCIAのエージェントたちは、頭文字をとって彼をUBLと呼んでいるが、インテリジェンスの世界ではこの呼びかたが一般的だ。 <アフガニスタンのために> しかし、だからといって、その素性があやしいわけではない。彼の父、ムハンマドは、サウジアラビアを拠点とする中東最大のゼネコン、ビンラディン・グループの創業者であった。オサマ自身はその父の50人以上いる子どものうちの10何番目かの子といわれている。父ムハンマドはサウジの隣国、イエメンからの移民で、極貧から身を起こし、一代で巨万の富を築いた立身出世中の人物であった。 オサマは1957年か8年ごろ、その父とシリア人の母のあいだにサウジアラビアで生まれたとされる。ちょうど彼が大学を卒業するかしないかの1979年、イスラーム世界を揺るがす大事件が続発した。イランではホメイニー師率いるシーア派イスラーム革命が勃発、つづいてサウジアラビアでは石油地帯の東部州でイランと同じシーア派信徒が暴動を起こした。11月にはイスラーム最大の聖地、マッカ(メッカ)でイスラーム過激派がガァバ神殿のあるハラーム・モスクを占拠するという事件が発生した。そして、年末にはソ連軍がアフガニスタンに侵攻。まさに激動の年であった。 若きオサマはこうしたイスラーム世界の危機に鋭敏に反応、アフガニスタンを解放するため、橋頭堡たるパキスタンに向かった。ここでの彼の役割は財閥の御曹司らしく、もっぱら対ソ戦を戦う義勇兵たち(ムジャーヒディーン)の後方支援、つまり彼らに宿舎を提供したり、施設を建設したりすることであった。しかし、やがてアフガニスタンでの実際の戦闘に加わることになる。このとき、彼の周囲に集まった義勇兵たちがのちにアルカイダの中核になっていく。ここで、彼らは、イスラーム世界の占領する異教徒・無神論者と戦うことがイスラームの聖なる戦い、すなわちジハードであり、全ムスリムの義務であるという理論を構築する。 <アルカイダの変容> ソ連軍は1989年、尾羽打ちからしてアフガニスタンから撤退、その2年後にはソ連そのものが崩壊してしまう。これは、アメリカにとっても、またムジャーヒディーンにとっても大きな勝利であった。重要なのはこの時点では、オサマもその仲間たちも、アフガニスタンを解放し、イスラームの敵であるソ連を打倒した英雄だったということだ。 ところが、彼らを送り出したイスラームの国ぐにには、彼らを英雄として処遇する余裕はなかった。それどころか、彼らはやっかいものですらあった。そこでオサマらはアフガニスタンに参集した無数の若者たちに、各国政府に代わって、仕事や生きがいを提供しなければならなかった。 もちろん、大財閥の御曹司だからといって、打ち出の小槌のように金や仕事をばらまくことができるわけではない。若者たちのなかには祖国に帰りながら、そこでの生活に幻滅し、アフガニスタンに戻っていくものも少なくなかった。 1990年8月、サッダーム・フセインのイラクが隣国クウェートを占領した。湾岸危機である。これをきっかけにアメリカはクウェート解放とサウジアラビア防衛のためと称し、サウジアラビアに軍を駐留させることになった。翌年、多国籍軍がイラク軍をクウェートから駆逐することに成功、これが湾岸戦争である。 このとき、オサマたちは、母国サウジアラビアを守るためにやってきたアメリカ軍を、イスラームの敵とみなす論理を打ち出した。異教徒であるアメリカ軍のイスラームの二大聖地マッカ(メッカ)とマディーナ(メディナ)を擁するサウジアラビアに軍を駐留させたのは、千年前にキリスト教徒の十字軍が聖地エルサレムを占領したのと同じだと考え、アメリカを攻撃し、聖地から駆逐するのは聖戦(=ジハード)であり、すべてのイスラーム教徒の義務だと主張するようになったのである。オサマとアルカイダはソ連に代わる新たな、より強大な敵をみつけだしたのだ。 <対米宣戦布告> 過激な言動や行動のためサウジ国籍を剥奪されたオサマはやがてアフガニスタンに戻っていく。当時アフガニスタンは、バーミヤーンの磨崖仏を爆破するなど奇矯な信仰で知られるターリバーンという政権が支配していた。このターリバーンの庇護下、オサマは1996年、アメリカに対し宣戦布告、つぎつぎと反米テロを起こしていく。そのハイライトが9.11事件であった。その後、アメリカは「テロとの戦い」としてアフガニスタン攻撃を開始、ターリバーン政権を壊滅させた。 しかし、オサマを含む幹部たちの多くはアフガニスタンやパキスタンに潜伏、メンバーたちも世界に四散、各地で反米テロを引き起こしていった。その間、オサマは衛星放送やインターネットで声明を発表、宣伝活動や要員のリクルートにつとめていた。 9.11からオサマが殺害されるまでほぼ10年。そのあいだにアルカイダはアフガニスタンやパキスタンだけでなく、イラク、アルジェリア、ソマリアにまで拠点を広げている。アメリカ軍は今もアフガニスタンに駐留したままである。 |
○(8)<KYATHRYN BIGELOW キャスリン・ビグロー―――“道無き道”を歩む越境者>(大森さわこ・映画評論家)
自分のボーダーにチャレンジすることを好む人物がいる。きれいに整った道ではなく、他の者がが選択しない“道なき道”を選ぶ。得体のしれない危険が、そこに潜んでいるかもしれない。しかし、あえてそこを通る。“道なき道”の中にこそ、歩くことの醍醐味が隠されているから。 キャスリン・ビグローとは、そんな選択をする監督ではないだろうか。最新作『ゼロ・ダーク・サーティ』を観て、改めて彼女の気質について考えた。 今回の新作はアメリカの同時多発テロの首謀者オサマ・ビンラディンの殺害までの道のりを描いた作品で、題材としては“超危険物”。扱い方を間違えると、非難ごうごうとなったはずだ。しかし、ビグローは知的で見ごたえのある作品に仕上げている(全米では数々の賞も受賞している)。自身のボーダーに挑戦することを好む監督だからこそ、撮ることができたパワフルな野心作だ。 まず、驚かされるのが冒頭部分。大画面にテレビの走査線が写り、ただならぬ緊張感をたたえた声が聞こえてくる。「飛行機がビルに突っ込んだ」「ビルに火が拡がった」。それは9・11の音声だが、画面は真っ暗なまま。映像を映さず、音だけを重ねることで、それぞれの観客の記憶の向こうにある“歴史を変えた1日”を思い起こさせる。この導入部があることで、虚構と現実の境界線はくずれ、まさに現実の延長としてこの映画に入っていくことができる。 その後はヒロインであるCIAの分析官、マヤの行動が描かれていくが、人物に対する(いかにもドラマ的な)説明がないため、(逆に)リアリティが高まっている。彼女は若いが、有能な分析官で、残酷な捕虜の尋問にも動揺しないようだ。途中で黒髪のカツラをかぶり、別の外見を獲得することで尋問の仕事を続けるマヤ。実は尋問にめげているのかもしれないが、描写への説明はなく、淡々と日常の行動が積み重ねられるだけ。それぞれの場面を見て、心の動きを観客が推測することになる。ただ、これだけは分かる。彼女は仕事のプロフェッショナルで、自分がビンラディン捜査に決着をつけたいと考えている。同僚たちの死を悼み、時にはまわりから孤立し、命を危険にさらされても、自分の信じる道を歩む。“道なき道”を行く人物で、このヒロインにビグロー監督は共感している。 思えば監督はそんな人物たちを好んで描いてきた。オスカー受賞作となった08年の前作『ハート・ロッカー』のイラク戦争の爆弾処理のプロ、ジェームズ軍曹(ジェレミー・レナー)も、生と死の間に立ちながら任務を続け、800個以上の爆弾を処理した。あまりにも危険すぎる仕事だが、彼が命の燃焼感を感じられるのはそんな戦場だけで、平和な街のスーパーマーケットで買い物をしていても違和感がある。死が近くにあるからこそ、(逆説的に)生の醍醐味を得ることができる。そんな人物はビグロー監督の91年の代表作『ハートブルー』でも描かれていて、サーフィンや銀行強盗など瞬間的なスリルを体験できるものに自分を賭ける男が登場し、若い捜査官(キアヌ・リーヴス)はそんな彼の危険な生き方に次第に同化していく。また、ビグローが描いた女性の捜査官として忘れることができないのが89年に撮った『ブルースチール』のヒロイン(ジェイミー・リー・カーティス)で、新米刑事の彼女は任務初日に起きた発砲事件のせいで精神のバランスを崩し、銃をめぐる危ない世界へと踏み込んでいく。 危険な賭けに出る人物を好んで描いてきたビグロー監督であるが、『ハート・ロッカー』以降は作風の変化も見られる。イラクの戦場やパキスタンの混乱した街などを舞台にした2本の近作では現実的な色合いが強まり、実際にいそうな人物が描かれるようになった。こうした変化はジャーナリスト出身の脚本家マーク・ボールとの出会いに引き起こされたものなのか?それとも9・11とイラク戦争という21世紀の大事件を通過した変化なのか?ボールと組んだ2作は関係者へのインタビューをもとにして作られたそうで、現実の人生や事件を下敷きにすることでビグローの演出の感触が変わってきたように思う。『ブルースチール』や『ハートブルー』、バーチャルな世界を舞台にした95年の『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』の頃は監督の美意識が投影された虚構性の強い映像だったが、ボールとのコンビ作では観客に戦場を体験させるような生々しい画面構成になっている。 『ハート・ロッカー』ではあらゆるアングルから戦場の緊張感をとらえた映像が印象的で、まるで現実の戦場のような映像が実現していた。今回の映画でも(アメリカで議論を呼んだ)捕虜の尋問、マリオット・ホテルでの爆破事件、CIA基地での爆破テロなど、生々しい映像が多いが、なんといっても衝撃的なのが後半の30分近いネイビー・シールズの襲撃の場面だろう。グリーンの映像を使って、隊のメンバーたちが見たであろう光景が緻密に再現される。それは映画として作られた映像なのに、観客としてはまるで現実の襲撃の現場に立ち合っているかのような錯覚に陥るはずだ。映画の作り手は、この21世紀の歴史を変えたテロリストへの奇襲を観客たちに体感させたかったのだろうか? 目撃した人間としては複雑な気持ちになるが、監督はあえてモラル的な判断は下さない。 映画の中でマヤは“道なき道”を歩み、自らを“マザーファッカー(クソッタレ)”と呼び、確信犯的に自身の境界線を越えようとする。『ハート・ロッカー』のジェームズ軍曹も、ひたすら自分の直感を信じて突き進む人物だったが、監督はそんな彼らに興味を抱きつつも、どこか引いた眼差しで彼らをとらえ、観客たちに最後の判断をゆだねる。その突き放した感覚が(逆に)魅力的で、観終わると、砕け散った世界(=混沌)の破片のようなものが体の奥に残る。 アレクサンドル・デスプラ(『アルゴ』)の中近東風のダークな音楽も印象的で、心の階段をひとつずつ下りていくようなスリルを体験できる。この映画のサントラでデスプラは「これまで私が足を踏み入れたことのないエネルギッシュで卓越した音楽世界へと私を導いてくれたキャスリンに感謝したい」と謝辞を寄せている。ビグローは“道なき道”が広がる荒野へと人を駆り立てる監督でもあるのだろう。彼女は前作では無名だったジェレミー・レナーを一躍有名にしたが、今回は期待の演技派ジェシカ・チャステインのひとまわり大きくなった演技が堪能できる。チャレンジャー=ビグローは未来の才能のよき発見者でもある。 <プロフィール・・・大森さわこ(おおもり・さわこ)・・・映画評論家。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)、「映画/眠れぬ夜のために」(フィルムアート社)等がある。訳書は「ウディ・オン・アレン」(キネマ旬報社)他。芸術新聞社刊の4冊の「アメリカ映画100」シリーズ(70年代~00年代)にも寄稿。また、同社のHPでミニシアターに関する連載取材「ミニシアター再訪(リビジット)」を開始。http://bit.ly/WlBmi8。雑誌は「ミュージック・マガジン」(コラム連載中)、「週刊女性」等に寄稿。> |
<文責:藤森弘司>
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