2012年8月31日 第121回「今月の映画」
風と共に去りぬ
製作年度:1939年  日本公開:1952年9月4日  上演時間:3時間53分(途中休憩あり)
原作:マーガレット・ミッチェル
アメリカ国内歴代興行収入:<第1位>
日本国内年間興行成績:1952年<1位>、61年<6位>、67年<4位>、72年<4位>
監督:ヴィクター・フレミング
主演:ヴィヴィアン・リー(スカーレット・オハラ)  クラーク・ゲーブル(レット・バトラー)
オリヴィア・デ・ハヴィランド(メラニー)  レスリー・ハワード(アシュリー)

●(1)映画の途中で休憩がある映画はこれで4作目です。

最初が、昔のソ連が制作した「戦争と平和」です。次に「アラビアのロレンス」「ドクトル・ジバゴ」、そして「風と共に去りぬ」です。上演時間の長さからいっても、この映画は歴史的な映画です。

その他にこの映画を取り上げた理由は、「南北戦争」・・・・・つまり、戦争の悲惨さです。私たちは一般に気分が高揚すると、戦争何するものぞという「蛮勇」を振るいたくなりますが、弾丸が一発当たれば、それでもう終わり。どんなに「根性」があろうとも、「勇気」や「能力」があろうとも、個人の能力ではいかんともしがたいのが戦争です。
さらには、医者も薬も不足する中、麻酔無しで足を切断する場面があります。戦死者も、痛さで唸っている傷病者も、皆、駅前の広場を埋め尽くすほど並べ置かれています。

そういう戦争の悲惨さを目の当たりにできるのがこの映画です。

●(2)さらに、主演のスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)が引き立っていますが、私(藤森)の立場、ここのホームページの性質からは、メラニー(オリヴィア・デ・ハヴィランド)の存在が絶対です。私は若いときに小説を読みましたが、不思議とメラニーの存在を強烈に感じました。

南部の富裕層から軽蔑されている売春宿の女性が、戦争のための「募金」に応募しようとしても受け付けてもらえない中、当然のごとく受け取るメラニーに、その女性は心から感謝します。
メラニーは、わざわざ自宅まで寄付金を持参したその女性を家に招きいれようとします。その女性は、募金を受け取ってもらえただけでも感謝しているのに、家にまで招き入れようとするメラニーを心から尊敬します。

メラニーの姿は「人道的」というレベルを超えて「崇高さ」を私(藤森)は感じました。今回、改めて映画を見ても、若いときの印象が全く変わらない嬉しさがありました。
映画の流れからみても、「小説・孫悟空」の中の「三蔵法師」のような存在と言えるかもしれません。とにかく素晴しい女性です。

●(3)しかし、私が今回この映画を取り上げた最大の理由は、この映画のストーリーが、「交流分析」「ゲーム」理論にピッタリだからです。特に、主演のレット・バトラーとスカーレット・オハラ2人の関係は、典型的な「ゲーム」です。まさに、「ゲーム」の解説書を読んでいるようです。

お互いに変わり者なんですね。その変わり者のレット・バトラーは、同じく変わり者のスカーレット・オハラを好きになります。徹頭徹尾、バトラーを嫌うスカーレットも、やがて好きになりますが、徹頭徹尾、ひねくれ、わがままを通します。
バトラーはそういう美人だがひねくれたり、わがままを通すスカーレットを幼稚園児をあやすように、むしろ、ほほえましく思いながら、ビジネスで成功したお金を、妻となったスカーレットに注ぎ込みます。

しかし、最後に悲劇が訪れます。絶望的な中で、でも逞しく立ち上がろうとするスカーレットに多くの人が魅力を感じるのがこの映画(小説)の人気なのでしょうか。

●(4)もう一つ。

この映画は、同じく「交流分析」「脚本」を証明してくれます。スカーレットの父親が乗馬を楽しんでいる時、柵越えに失敗して亡くなりますが、スカーレットの一人娘も、やはり父親の時と同様、目の前で柵越えに失敗して亡くなります。

悲惨、凄惨な戦争を生き抜いた逞しさは本当に素晴しい・・・・・私(藤森)には全く無い逞しさですが、それにしても余りにも失うものが多い映画です。
有り余る財産を注いでくれた夫・バトラーに去られ、最愛の一人娘は亡くなり、妹やバトラーの前に結婚した2人の夫も戦死、メラニーも産後の肥立ちが悪くて亡くなり、全財産も失い、荒れた農地で土まみれになりながら再起を期する最後の場面は、ただ、ただ、唸る以外にはありません。

戦争は、絶対にやってはいけないですね。
太平洋戦争を生き抜いた私よりも上の世代の日本人は、多分、スカーレットのような悲惨な体験をしたものと思います。そういう方々の魂や血のお陰で、今の私たちが平和に暮らせていることを忘れてはいけないと改めて思いました。

○(5)<パンフレットより>(立川のシネマシティでは、毎週1本、名画を上映しています)

<ストーリー>

 南北戦争が始まろうとする直前の1861年。ジョージア州の農場タラに住む大地主の長女スカーレットは、激しい気性と美しさを持ち合わせ、地元青年達の憧れの的となっていた。幼馴染のアシュリーとの結婚を固く決意していたスカーレットだったが、彼が従妹メラニーと婚約すると聞かされ傷つく。婚約発表の場でレット・バトラーに出会ったスカーレットは、彼の臆面のない態度に激しい憎しみを感じながらも、同時に何か惹きつけられるものを感じてしまう・・・・・。

<解説>

 マーガレット・ミッチェルのベストセラー小説を映画化した大作。3時間42分という上映時間、当時画期的だったテクニカラーの長編、莫大な製作費と宣伝費、理想のキャスティングに、128日で撮影されたという驚愕の事実(しかも一切ロケーション撮影されていない!)、どれをとっても伝説となりうる永遠の名作に相応しい風格を備えた作品である。

本作でいきなりアカデミー賞主演女優賞を受賞したヴィヴィアン・リーの存在感が作品を支配しているといって過言ではない。スカーレット役のオーデションには当時の名子役シャーリー・テンプル以外全ての女優が臨んだといわれるほど難航し、通説ではローレンス・オリヴィエを追いかけてイギリスからやってきたリーが、撮影現場を見学しているところをスカウトされたとも言われている(現在では別説が有力)。

その撮影現場がアトランタの大火災場面だったといわれているのだから、その伝説もただものではない(つまりスカーレット役が決まらぬまま撮影が始まった)。助演女優賞受賞したハティ・マクダニエルの存在も見逃せない。アカデミー賞では計8部門を受賞したが、その割を食ったのが西部劇の名作「駅馬車」(39)。こちらは2部門の受賞に留まってしまった。

マーガレット・ミッチェルは二度の結婚を経て、アトランタに自宅を購入。そこで6年の歳月をかけて『風と共に去りぬ』を書き上げた。タイトルには「南北戦争によって白人文化主義も終焉を迎える」という意味も込められているが、彼女は「明日はまた明日の陽が照る」という最後の一節から書き始めたといわれている。彼女が「ぼろ家」と呼んで愛した自宅は現在廃屋となり、アトランタの繁華街の外れにひっそりと残っている。

スカーレットがそうであったように“明日を生きる為に過去を捨てる”という精神は今もアメリカ南部の人々に根付いているのかも知れない。

<こぼれ話>

 2010年9月、スカーレット・オハラの娘ボニーを演じたカミー・キング・コロンが76歳で他界した。出演当時5歳だった彼女は、「時がたつにつれ、どれほど光栄な事かを理解した」と語っていた。撮影から70年以上が経過し、今や作品の関係者はほとんどが世を去っている。そのことがまた、いくつもの“伝説”を生む理由なのかも知れない。

<文責:藤森弘司>

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