2012年4月30日 第117回「今月の映画」
スーパー・チューズデー
監督:ジョージ・クルーニー   主演:ライアン・ゴズリング  ジョージ・クルーニー  エヴァン・レイチェル・ウッド

●(1)『スーパー・チューズデー~正義を売った日~』

スーパー・チューズデーとは・・・・・アメリカ大統領候補を決める最大の山場。大統領選挙年の2月、3月初旬の火曜日を示し、もっとも多くの州で同時に予備選挙や党員集会が行われ、一日で最大の代議員を獲得できる日のこと。年度によって、時期、規模ともに異なる。

さて、実録的なこの映画、実に意味深長です。政治とは何か、政治の裏を知る上で、非常に貴重な映画です。
パンフレットの解説が非常に素晴しい。例えば・・・・・

<<<“権力を手にしなくては、世の中を変えることはできない。どんなに素晴らしい信条があっても、政治の場で力を得なければ実現はできない”――アメリカ政治の実情とそのモラル>>>

また、例えば・・・・・

<<<アメリカに続いて西欧はこの民主主義を東洋より先に採用した――有名な古代アテナイの民主主義は、マディスンらの憲法起草者らが懸命に参考にした。東洋が、中国の聖人皇帝たち、堯舜やわが国の天皇など有徳の名君を信仰する政治文化に遅くまで固執したのは、「性善説」による。従って、東洋人はこの映画の権謀術数に容易に嫌悪感を抱く。民主政治ですら、日本人は性善説に固執するため、小沢一郎を嫌悪する。>>>

アメリカ大統領選の実態や日本の政治を理解する上でも、非常に優れた解説が盛りだくさんです。少々長いですが、教養書を読むつもりでジックリとお楽しみいただければ幸いです。映画よりも解説のほうが面白いです。

まずその前に、フランス大統領選挙が行なわれていますが、役人天国は日本よりも酷いのかもしれません。「前菜」として最初にご覧ください。

●(2)平成24年4月19日、読売新聞「悩めるフランス、2012年大統領選」

<財政再建阻む「役人天国」>

<略>

大統領選の最大の争点は財政再建だ。とりわけ、国家予算の4割近くを占める公務員の人件費は国民的関心事となっている。サルコジ氏は何とか公務員の削減を進めようとしてきたが、オランド氏は「教育分野で6万人雇用」を公約に掲げ、保革は真向から対立する。

人口約6500万人のフランスで公務員数(公社職員は除く)530万人。欧州連合(EU)で最多で、就労者の20%以上を占める。政府支出は国内総生産(GDP)の約57%に達し、過去10年間で5ポイントも増えた。世界屈指の役人天国だ。

サルコジ氏は2007年の就任後、公務員削減を「保守改革」の柱に据えた。「国の役人を10年までに13万人減らした」とPRするが、その間、自治体や病院職員は23万人増え、公務員の総数は逆に10万人増えた。

<略>

公務員家庭に育った彼女は何の疑問もなく進路を決め、5年前に幹部試験に合格。最初の業務命令に驚いた。
「どう見ても1時間で出来る仕事を『1週間かけてやれ』と言われました」
人が多くて、仕事がない。秘書に会議資料のコピーを頼むと、部数も考えずに何百枚も刷ってきた。目につく限りの出来事を「役所バカ」としてブログに連載し、2年前に出版したら、35万部も売れた。
厚遇も目立つ。09年の統計で平均給与は民間より16%高かった。年金も民間より手厚く、職種によっては50代で退職できる。

<略>

公務員が増え続けるのは、経済悪化のたびに雇用対策でカネをつぎ込んできたきたからだ。景気回復しても、民間雇用は伸びず、公共部門が膨張する。その財源は税金と借金だ。経済協力開発機構(OECD)は、政府支出の増大が「成長を阻害する」として、人件費削減を勧告した。

だが、国民の本音は財政再建より、「寄らば大樹」だ。サルコジ氏の公務員削減には国民の71%が反対し、オランド氏は支持率で一貫してリードする。ある世論調査では15~30歳の75%が、「できれば公務員になりたい」と答えた。

ブログのオレリー・ブレさんは身元がばれて約1年間停職になったが、昨年、職場復帰した。「公務員をやめるなんて考えたこともないわ」と、あっけらかん。公務員天国は変わりそうにない。

●(3)(パンフレットより)<STORY>
Winning is everything in this world of no morality. Who’s the one to betray “righteousness” in the end. 
栄えあるアメリカ合衆国大統領の座を目指し、民主党予備選に出馬したマイク・モリス(ジョージ・クルーニー)は、選挙ツアー最大の正念場を迎えようとしていた。ペンシルヴェニア州知事として政治家の実績を積んだモリスは、ハンサムで弁舌に優れ、カリスマ性も十分。そのうえ清廉潔白な人柄と揺るぎない政治信条で多くの有権者を魅了し、ライバル候補のブルマン上院議員をじわじわと引き離しつつある。来る3月15日のオハイオ州予備選に勝利すれば、その勢いに乗って共和党候補をも打ち破り、ホワイトハウスの主になることはほぼ確実。マスコミも「オハイオを制す者は国を制す!」と煽り立て、いよいよ一週間後に迫った予備選に全米の注目が集まっていた。モリスの快進撃を支えるのは、ベテランのキャンペーン責任者、ポール・ザラ(フィリップ・シーモア・ホフマン)と二人三脚で選挙参謀の大役を担う広報官スティーヴン・マイヤーズ(ライアン・ゴズリング)だ。弱冠30歳にして誰もがその辣腕ぶりを認めるスティーヴンは、討論会場のスピーカーの音量や演壇の高さにまで気を配り、大手メディアへの対応はもちろん、ブログや動画サイトの投稿にもくまなく目を光らせる。モリスの絶大な信頼を得ている彼は、今後の政界での輝かしいキャリアが約束されていた。

そんなエネルギッシュに激務をこなすスティーヴンのもとに、プルマン陣営の選挙参謀トム・ダフィ(ポール・ジアマッティ)が父親と偽って電話をかけてくる。極秘の面会を求められ、一度は拒んだスティーヴンだが、何らかの情報提供をちらつかせるダフィの言葉巧みな誘いに負けてしまう。それはデリケートな選挙戦のさなかに、敵対陣営の関係者と接触するのは御法度という禁を犯す行為だった。

「我々の仲間にならないか」。驚いたことにダフィの目的は、スティーヴンを自陣営に引き抜くことだった。国に真の変革をもたらす正義の政治家としてモリスに心酔しているスティーヴンは、その申し出を即座に拒絶。しかしプルマン陣営が予備選の勝敗の鍵を握る大物上院議員トンプソン(ジェフリー・ライト)の支持を取りつけたことを示唆され、動揺を隠せない。その夜、スティーヴンは選挙スタッフのインターンである若く美しい女性モリー・スターンズ(エヴァン・レイチェル・ウッド)とホテルで親密な一夜を過ごす。

翌日、遅ればせながらスティーヴンはダフィとの密会の件を上司であるポールに打ち明け、うかつな振る舞いを率直に謝罪するが、何より忠誠心を重んじるポールの怒りは想像以上だった。ふたりの間には決定的な亀裂が生じ、ダフィとの密会はスクープ探しに余念がない新聞記者アイダ・ホロウィッチ(マリサ・トメイ)にも嗅ぎつけられてしまう。圧倒的優勢を見込んでいた予備選の雲行きも怪しくなり、スティーヴンを取り巻く状況はまたたく間に悪化していった。

さらに追い打ちをかけたのは、モリーの口から発せられたある衝撃的な告白だった。それが明るみに出れば全米を震撼させ、モリスの政治生命そのものが絶たれるほどの一大スキャンダル。そのショックも覚めやらぬうちにポールからクビを宣告されたスティーヴンは、プルマン陣営への寝返りを決意するが、態度を豹変させたダフィにすげなく門前払いされてしまう。

かくして孤立無援となり、すべてを失ったスティーヴンは、非情にも自分を切り捨てたモリスとポールへの復讐の道を突き進むのか。そしてスティーヴンのみぞ知るモリスの“スキャンダル”とは、いったい何なのか。怒涛の嵐が吹き荒れる予備選前夜、正義を売る者たちの最後の壮絶な駆け引きがはじまる……!

●(4)<INTRODUCTION>

With sharp, quick-witted dialogue and set against the spectacle of modern world power and politics, The Ides of March is an intense tale of sex, ambition, loyalty, betrayal and revenge.

アメリカ大統領選の驚愕の真実を暴く!
ジョージ・クルーニー、入魂の最新監督作

ハリウッドのトップスターとして揺るぎない名声を確立し、スティーヴン・ソダーバーグ、コーエン兄弟、アレクサンダー・ペインといった当代随一の名監督とのコラボレーションを次々と実現。『コンフェッション』(02)で監督デビューし、続く第2作『グッドナイト&グッドラック』(05)でアカデミー賞6部門にノミネートされたジョージ・クルーニーは、今や彼自身がもっとも新作が待たれるフィルムメーカーのひとりとなった。政治&社会活動にも熱心で、業界人からも厚いリスペクトを寄せられるクルーニーの“次の一手”は、つねに世界中の注目の的になっている。

藤森注・・・・・2006年5月31日「今月の映画」第46回で「グッドナイト&グッドラック」を紹介しています>

そんなクルーニーが世に送り出す最新監督作『スーパー・チューズデー~正義を売った日~』は、彼が「ジャンルで言えば政治サスペンスだが、政治そのものがテーマではない」と語る意欲作だ。アカデミー賞最優秀脚色賞にノミネートを果たし、レオナルド・ディカプリオが製作総指揮に名を連ねたことも話題の本作は、アメリカ大統領選挙を題材にしたこのうえなくスリリングで濃密な人間ドラマである。

正義感あふれる若き野心家スティーヴン・マイヤーズは、民主党の有力候補マイク・モリスの選挙キャンペーンを牽引する広報官。天下分け目のオハイオ州予備選が一週間後に迫る中、彼はライバル陣営の選挙参謀トム・ダフィから極秘面会を持ちかけられる。とき同じくしてスティーヴンは、選挙スタッフの美しく聡明なインターン、モリー・スターンズと親密な関係に。やがてこのふたつのできごとは、輝かしい未来が約束されたスティーヴンのキャリアを脅かし、想像を絶する事態へと選挙戦をねじ曲げていくのだった・・・・・・。

 勝つために手段を選ばぬモラルなき世界
最後に“正義”という魂を売るのは誰だ!

アメリカ、フランス、ロシア、韓国で大統領選挙が行われ、中国でも指導者が交代する2012年は、国際情勢の“激動の年”と言われている。もっとも注目されるアメリカ大統領選挙は1年がかりの熾烈な長丁場で、とりわけ多くの州で予備選が同時開催される“スーパー・チューズデー”が天王山。

候補者たちは政策はもちろん、信仰心から離婚歴までありとあらゆる資質をメディアや有権者にチェックされる。知力、体力、気力を総動員する資金集めや中傷合戦、陰謀めいた裏取引も当たり前。元選挙公報マンの劇作家ボー・ウィリモンが実体験をベースに執筆した戯曲を映画化した本作は、大統領選の舞台裏に渦巻く驚愕の真実をスキャンダラスに暴き出す。

オハイオ州予備選前夜を背景に、主人公スティーヴンが転がり落ちる予測不可能な運命を描く物語は、まさに想像を絶する衝撃の連続。ほんのわずかなリスクさえ致命傷になりかねず、敵味方が入り乱れて刻一刻と選挙情勢や人間関係が激変するストーリー展開は、一瞬たりとも目が離せない。これぞ極上の脚本、演出、演技の三拍子が揃った超一級エンターテインメントと言えよう。

また、これは現実と理想、美徳と欺瞞、忠誠と裏切りの狭間で引き裂かれ、重大な選択&決断を迫られる人々のドラマでもある。人間の弱さ、哀しさ、しぶとさを丸ごとあぶり出すその物語は、政治の世界にとどまらず、あらゆる人生の局面に置き換えられる普遍的な問いかけをはらみ、すべての観客を感嘆させるに違いない。

 クルーニー監督のもとに結集した
豪華キャストが魅せる究極の
心理戦!

クルーニーは本作に取り組むにあたり『候補者ビル・マッケイ』(72)、『大統領の陰謀』(76)といったい1970年代の骨太な社会派映画に影響を受けたという。観る者を虚々実々の心理戦に引き込みつつ、複雑なテーマをさらりと提示してみせる手並みは、もはや堂々たる名匠の域。監督・制作・脚本に演出も兼ねた本作は、クルーニーの映画作りへの尽きせぬ情熱と探究心が結実した一作なのだ。

クルーニーとの初のコラボを出演理由に挙げる主演俳優は、『きみに読む物語』(04)で脚光を浴び、『ブルーバレンタイン』(10)、『ドライヴ』(11)などの話題作が相次ぐライアン・ゴズリング。クルーニー扮する“理想の大統領候補”モリスに心酔し、変革と正義を追い求めるスティーヴンの内なる葛藤を迫真の演技で表現する。

モリスとその敵対候補を支えるふたりの選挙参謀役は、『カポーティ』(05)のフィリップ・シーモア・ホフマン、『サイドウェイ』(04)のポール・ジアマッティというハリウッド屈指の実力派&曲者俳優たち。さらに『レスラー』(08)でアカデミー賞助演女優賞候補になったマリサ・トメイ、いまもっとも輝いている若手女優のひとり、エヴァン・レイチェル・ウッドも加わった豪華キャストが、念願の企画に挑んだクルーニー監督を抜群のアンサンブルで盛り立てている。

ちなみに本作の英題The Ides of March(ジ・アイズ・オブ・マーチ)』は、ジュリアス・シーザーことカエサルが暗殺されたローマ暦の3月15日を意味し、劇中のオハイオ州予備選も同日に設定されている。クルーニーが原作戯曲「ファラガット・ノース(Farragut North)」をあえて変更し、シェイクスピア劇にも通じる寓意を含ませたタイトルである。

●(5)<CRITIQUE>

3月15日に気をつけろ 『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』と「ジュリアス・シーザー」(TEXT│町山智浩(映画評論家))

『スーパー・チューズデー ~正義を売った日~』はボー・ウィリモンの戯曲「ファラガット・ノース(Farragut North)」を原作にしている。ウィリモンは2004年の大統領選挙で、民主党のハワード・ディーンのスタッフだった自分の経験を基にこれを書いた。

バーモント州知事だったディーンはブッシュ政権の起こしたイラク戦争を激しく攻撃して、若者たちから絶大な人気があった。04年1月、アイオワ州で候補者を決める予備選が行われ、ディーンはジョン・ケリー、ジョン・エドワーズに続く3位に終わったが、勢いのあるディーンには逆転が可能だった。
「ニューハンプシャーの予備選では勝つぞ!」。選挙事務所でディーンがスタッフを励ます姿がテレビでも放送された。「サウス・カロライナでもノース・ダコタでも……」。ディーンは各州の名前を挙げ、最後に「そして我々は首都ワシントンに行き、ホワイトハウスに入るのだ!イエーーーッ!」

この最後の「イエーーーッ!」でディーンの声は裏返り、珍妙な悲鳴になってしまった。ルパート・マードック率いるFOXニュース・チャンネルなどの保守系メディアは面白がってディーン絶叫のビデオを何度もしつこく放送した。ディーンの支持率は下がり、候補選から脱落した。政策でもスキャンダルでもなく、ただ「イエーーーッ!」だけでディーンの政治生命は絶たれたのだ。これがメディア時代の選挙の恐ろしさだ。

「ファラガット・ノース」という題名は、主人公たちが目指す首都ワシントンの地下鉄の駅名だが、映画では『The Ides of March』(原題)に改題された。“Ides”とは古代ローマ暦で月の中日を意味し、3月の場合は15日になる。紀元前44年のこの日にシーザー(カエサル)は暗殺された。

シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」の冒頭、政敵ポンペイウスを倒してローマに凱旋したシーザーに、預言者が「3月15日に気をつけろ」と囁く。改題した理由を、ジョージ・クルーニーと共同で脚本を書いたグラント・ヘスロヴは、「物語に『ジュリアス・シーザー』的なものを感じたからだ」と説明している。

クルーニーはシーザーのイメージでスターになった。32歳になるまで俳優として芽が出ずに苦しんだ彼は、テレビドラマ「ER 緊急救命室」(94~09)で小児科医役を得た時、髪型を「シーザー・カット」にして人気が出たのだ。シーザーは若ハゲだったので、後退した生え際を隠すため、前髪を伸ばして眉のちょっと上で切り揃えていた。その独特の髪型を「シーザー・カット」と呼ぶ。

この『スーパー・チューズデー』はジョージ・クルーニー4本目の監督作になる。彼が演じるのは、民主党の大統領予備選に出馬したペンシルヴェニア州知事マイク・モリス。髪型こそ違うが、シーザーを連想させるカリスマだ。で、大企業を恐れず、変革を厭わない理想主義者で、たとえば任期中にすべてのガソリン自動車を水素燃料か電気自動車に進化させると公約する。

しかし、モリスは劇中にほとんど登場しない。「ジュリアス・シーザー」のシーザーと同じだ。その題名に反して「ジュリアス・シーザー」の主人公はシーザーの盟友ブルータスである。そして『スーパー・チューズデー』の主人公も、モリスの若き選挙スタッフ、スティーヴン・マイヤーズ(ライアン・ゴズリング)だ。スティーヴンは広報担当で、30歳で若くハンサムで、メディア関係者から人気がある。そして、ブルータスがシーザーに心酔していたように、モリスを心底尊敬していた。

そんなモリスを、ライバル候補の選対主任ダフィ(ポール・ジアマッティ)は密かに引き抜こうとする。スティーヴンにはモリスを裏切る気はないのだが、敵からも評価されたことが嬉しくて、迂闊にもダフィと会ってしまう。「ジュリアス・シーザー」のブルータスも、反シーザー派の政治家カシアスから密かに誘われる。シーザー暗殺計画に。

エジプトまで支配し、異民族ガリア人をも平定したシーザーは、その圧倒的な人気を背景に、自ら終身独裁官に就任した。次は皇帝になるだろう。ならばローマの共和制は終わってしまう。シーザーを何としてでも止めなければ。カシアスは訴える。
「ブルータス君、過ちは我々の運命ではなく、我々自身の責任だ」
運命に流されるのではなく、自らの意志でシーザーを阻止しよう、という意味だ。

このセリフは、ヘスロヴ脚本、クルーニー監督の『グッドナイト&グッドラック』(05)にも登場する。『グッドナイト&グッドラック』はマッカーシー上院議員による「赤狩り」に抵抗したCBSテレビのキャスター、エド・マローを描く実録ドラマ。ニュースキャスターを父に持ち、自らもテレビジャーナリスト志望だったクルーニーは、ブッシュ政権のイラク攻撃を批判しなかった2003~4年のアメリカのマスコミに反省を促すため、この映画を自ら制作した。マローは1954年3月の放送でマッカーシーの暴虐ぶりを映像で見せた後、「これは誰のせいでしょう?」と視聴者に問いかけた。「マッカーシーではありません。彼は共産主義への恐怖を作り上げたわけではなく、利用しただけです。非情に成功しましたが。カシアスは正しかったのです。『過ちは我々の運命ではなく、我々自身の責任だ』。では、おやすみなさい。そしてグッドラック」

面白いことにクルーニーは同じセリフを『ディボース・ショウ』(03/監督:ジョエル・コーエン)というコメディでも引用している。クルーニー扮する離婚専門の弁護士は、金持ち夫の財産をふんだくろうとする依頼人キャサリン・ゼタ・ジョーンズが婚前契約で財産分割について取り決めてしまったことを知ると、肩をすくめる代わりに「過ちは我々の運命ではなく、我々自身の責任だ」とつぶやく。

ブルータスは最初、カシアスの誘いを拒否する。『スーパー・チューズデー』のスティーヴンもダフィの誘いを断る。「モリス候補の理想を信じているから」と。「まだ若いな」ダフィは笑い、「そんな理想は続かない。モリスも他の政治家と同じく堕落する」と予言する。それは的中する。スティーヴンは選対で研修中の女子大生モリー(エヴァン・レイチェル・ウッド)をモリスが妊娠させたことを知ってしまうのだ。

この展開を見たアメリカ人がまず連想するのは、民主党の大統領候補だったジョン・エドワーズのスキャンダルだ。08年の大統領選挙ではオバマとヒラリーが白熱した戦いを繰り広げたが、三番手につけていたのは04年の副大統領候補だったエドワーズだ。エドワーズは若くハンサムな人権派弁護士で、癌を病んだ妻とのおしどり夫婦ぶりは有名だった。しかし彼は選挙戦の途中で突然、出馬を辞退した。後に、選挙宣伝用ビデオの監督だった女性との間に婚外子を持っていたことが発覚した。「単なる偶然だ。この映画の制作がはじまったのはエドワーズのスキャンダル発覚よりも前だった」。ヘスロヴは苦笑いする。

モリスに忠誠を誓うスティーヴンはモリーの妊娠をもみ消そうと孤軍奮闘するが、それは最悪な結果に終わる。スティーヴンは裏切られ、裏切り、また裏切られ、また裏切り、夢も理想もない政治の現実という地獄に落ちて行く。
あれほどシーザーを尊敬していたブルータスも結局、シーザー暗殺に加担する。彼に刺されたシーザーの驚きの叫び「ブルータス、お前もか!」はあまりに有名だが、それに相当するセリフは『スーパー・チューズデー』にはない。代わりにスティーヴンは痛烈な言葉をモリスにぶつける。「アメリカの大統領は必要のない戦争をはじめることもできる。国を破産させることもできる。でも、研修生とファックすることだけは許されない!」(字幕では字数の制約上、「大統領は戦争をはじめ、嘘をつき、国を破綻させられる。でもインターンを犯してはいけない」としている)

不必要なイラク戦争をはじめたブッシュを国民は04年に再選した。08年に起こった金融崩壊でもブッシュは責められなかった。しかし政治的になんのミスも犯さなかったクリントン大統領は、研修生のモニカ・ルインスキーと「不適切な行為」をしただけで弾劾され、大統領の座を失いかけた。戦争や経済よりも下半身スキャンダルが大統領の支持率を決める奇妙な国、アメリカ。

スティーヴンのセリフはエド・マローがマッカーシズムを批判した言葉に似ている。「我々はアメリカの遺産を拒否することもできる。歴史を否認することもできる。だが、自分がしたことの責任からは逃れられないのです」

「ジュリアス・シーザー」でブルータスは民主主義を守るため、暗殺というもっとも民主主義から遠い手段を選んだ。その結果、ローマは内乱に突入し、ブルータスは敗れて自害した。内乱を制したのはシーザーの養子オクタヴアヌスだった。彼は自ら皇帝になり、共和政は終わった。結果的にはブルータスがそのきっかけを作ってしまった。やはりカシアスは正しかった。「過ちの責任は我らに」あったのだ。
ブルータスと違って『スーパー・チューズデー』のスティーヴンはすべての敵を倒し、戦いに勝利する。しかし、政治に対する夢も理想も失った彼の心は空っぽだった。

●(6)<CROSS TALK>ボー・ウィリモン(脚本/原作)×越智道雄(明治大学名誉教授) 進行│石津文子(映画評論家)

“権力を手にしなくては、世の中を変えることはできない。
どんなに素晴らしい信条があっても、
政治の場で力を得なければ実現はできない”
――アメリカ政治の実情とそのモラル
石津文子(以下、石津)・・・・・ウィリモンさんは若くして政治の世界に飛びこまれましたね。
ボー・ウィリモン(以下、BW)・・・・・わたしがはじめて選挙運動に関わったのは、まだ学生だった1998年、ニューヨークの上院議員選で民主党のチャック・シューマー現議員の選対入りが最初です。次が2000年に、ヒラリー・クリントンの上院選とビル・ブラッドリーの大統領予備選、そして04年にハワード・ディーンの大統領予備選に参加しました。どれも民主党の選対です。これらの経験が、戯曲「ファラガット・ノース(Farragut North)」、その映画化である『スーパー・チューズデー』の元になっています。越智道雄(以下、越智)・・・・・映画では民主主義に対して、懐疑的な面が描かれていますね。日本は敗戦と同時に、軍国主義を捨て、まわれ右して、民主主義を受け入れました。そのせいか、果たして我々はどこまで民主主義を理解しているのだろうか、という想いがあります。アメリカにおいて民主主義は、他によい政治システムがないから皆、受け入れているのでしょうか?

BW・・・・・民主主義は、理想的だと思いますが、完璧に遂行することは現実には難しいと考えています。人間そのものが完璧ではないですしね。でも、完璧な理想を政府が掲げてることは重要なんです。民主主義では、すべての人間が平等な権利、そして力を有している。現実には、大企業や超富裕層が献金によって政治家を動かすことは否めないけれども、同時にあらゆる個人が平等な投票権を持ってもいる。もちろんそこには、メディアなどの影響もあるし、不完全ではある。それでもあらゆる政治制度の中で、民主主義がいちばんだとわたしは思っています。どんな犠牲を払っても、守らなくてはならないものだと。

わたしは世界を変えたいという理想に燃えた、楽天的な若者だった(笑)。確かに青臭かったけれども、そうした理想主義と情熱を持った青臭い若者がいなくては、なかなか世界は変わらないですからね。ただし、政治の裏舞台では、汚い取引などを目撃することにもなる。駆け引きや、足の引っ張りあいをして、理想を実現しようと、選挙に勝つためには何でもやる。ここにパラドックスがあるんです。権力を手にしなくては、世の中を変えることはできません。どんなに素晴らしい信条があっても、政治の場で力を得なければ実現はできない。ところが権力を手に入れるには、倫理的に正しくないことをする必要も出てくる。この矛盾にスティーヴンは直面するわけです。

越智・・・・・ハワード・ディーンの選挙戦に参加していかがでしたか?そのときの経験がこの映画には生きていますね。

BW・・・・・経験は元にしているけれど、映画はフィクションなので、マイク・モリスとハワード・ディーンは単純に比較できませんよ。ただ、両者ともリベラルで、非常に人気があり、政治的にはラジカルな姿勢をとっている、という点では似てますね。でも、映画の後半で見せるモリスのようなことは、ディーンにはありませんでした。ただ、ここで問題にしたかったのは、我々が抱える矛盾です。アメリカ人はまず、政治家に清廉潔白な人間を求めようとします。その一方で、よきリーダーも求める。しかし、よきリーダーはときとして、正しいことだけをやるわけにはいかない。泥仕事もあるわけです。そして清廉潔白な政治家に指導力がない場合、人々は罰しようとする。オバマ大統領がいい例ですね。彼は倫理的には人々に良い影響も与えているけれど、多くの問題が改善されないので、指導力に疑問を持つ人も増えてきた。一方で、リーダーとしての能力は素晴らしくてモラルのない人も、やはり罰せられる。ニクソンがその最たる例です。指導力はあったが、人間性に問題があった。完璧な政治家などいないんです。

越智・・・・・映画の中でトンプソン上院議員が、365の代議員をモリスに投票させると公言しますね。あれは倫理的に問題ではないんでしょうか?

BW・・・・・アメリカでは普通のことなんです。たとえば予備選で敗退した候補者は、自分の代議員を、支持する別の候補に譲るのが通例です。もちろん絶対的な強制力はないんですが、投票するように要請するわけです。映画では、トンプソン議員がその見返りとしてモリスが当選した際の副大統領の座を約束させますが、これは彼が強い影響力を持っているからできること。アメリカの大統領選、予備選はすごく複雑なので、変だと思うのは当然ですよ(笑)。民主党の予備選では、さらにスーパー代議員という自由に投票できる人たちがいるんです。アイオワとニューハンプシャーが小さい州の割に重要視されるのは、予備選の最初だから。他州への影響力が大きいんです。

越智・・・・・ディーン候補のスタッフだった当時、あなたはスティーヴンと同じ役職にいたのでしょうか?

BW・・・・・私はもっと下っ端で、映画の中のベンに近かったんですが、大学の同級生だったジェイ・カースンが、スティーヴンと同じ立場でした。我々は1998年にシューマー上院議員の選挙活動に参加したんですが、そこから彼は政治の世界で輝かしい経歴を築きました。24歳でトム・ダッシェル上院議員の報道官になり、26歳でハワード・ディーンの、28歳でビル・クリントンの主席報道官になり、ヒラリーの選挙でも報道官をつとめました。そして32歳でロサンゼルス副市長になり、今は、ブルームバーグNY市長の顧問です。ジェイの人物像はスティーヴンとは違いますが、戯曲を書くにあたってジェイの仕事ぶりを非常に参考にしましたし、彼から聞いた話を下敷きにしました。

政治の中枢にいる人たちが直面するドラマ、彼らが取る選択といったね。その中でもとくに興味深いのは、パワー、野心、欲望、権力の誘惑です。若い青年が、重責を担い、権力の中枢に近づき、自分の倍の年齢の人々ですら手こずるような大きな判断をするわけです。もちろん人生経験も少なく、成熟していない。そんな彼らは、権力の誘惑に惑わされやすい。これは偶然ではなく、歴史を振り返ってみても、暴君や帝王と呼ばれる人は20代ですでに世界を征服しようとしている。アレクサンダー大王も、ナポレオンもそうですね。今は民主主義社会ですが、現代の選挙キャンペーンでは、メディアを制する者が世界を制するわけで、征服者は若くて当然なんですよ(笑)。

石津・・・・・もし、あなたが今スティーヴンの立場にいたら、モリス候補を支持し続けますか?

BW・・・・・どんなに理想的な政策も、権力がないと机上の論理でしかない。政治はアクションですから、実行しなくては意味がない。そのためには権力が必要になる。スティーヴンがモリスに対して取る行動の是非を問われるとすれば、モリスが今後、公約した政策を実行して社会を変えることができれば、スティーヴンの選択は間違ってなかった、と言える。彼はその理想を叶えるために、権力が必要だったわけですから。傷ひとつない、完璧な候補者なんていないでしょうね。ヒーローと呼ばれたケネディも、ローズヴェルトも、大統領の座に就くために多少の違反は犯したでしょうから。

越智・・・・・スティーヴンが最後に見せるポーカーフェイスに、どんな意味を持たせたかったのでしょうか?

BW・・・・・多くの人はゾッとするんじゃないでしょうか。彼がモンスターに変身する最後のステップだから。いわば殺人者になったかのような。本当に人殺しになる必要はないけれど、最高の権力を手に入れるには、無慈悲にならねばならない。彼のあのポーカーフェイスは、「鎧」なんです。

越智・・・・・日本人は性善説を取る人が多いから、彼がそこまで悪人になってしまうのか、というのが信じられないという人もいるでしょうね。

石津・・・・・日本の観客の中には、スティーヴンがこの後にテレビで暴露するのでは、と期待する人がいるかもしれません。

BW・・・・・それは興味深いですね。確かにその答えは出ていません。その前に映画はカットになりますから。スティーヴンがこれから何をしようとしているのか、映画を観終わってから、みんなで語り合ってもらえたらいいですね。ただ、現実的に考えると、彼は選挙に勝ち、権力の座を得ようとしている、と見るのが妥当でしょう。でも、まだ彼に選択の余地はある。映画は選挙の裏側を追っていますが、わたしたちが映画の最後に見るスティーヴンの顔は、あくまで表の顔です。彼は仮面をつけて、何事もなかったようにしている。

越智・・・・・あなたがこの作品を書こうと思った直接的なきっかけは何ですか?

BW・・・・・ハワード・ディーンが予備選から撤退し、ニューヨークに戻ったわたしは、何もすることがなくなってしまったんです。そこで、選挙での経験を元に戯曲を書こうかと思い立ったわけです。以前にも戯曲を書いたことはありましたが、その時点では、まだ上演されてはなかったものの、とにかく何かをしなくては、と書きはじめました。

越智・・・・・書くことで、自分の中から政治の毒を出したかったのではないですか?

BW・・・・・そうした面もあったでしょうね。学術的な視点で政治を分析してみよう、なんてことではなく、自分の血の中から湧き出るような感覚で書いていました。ずっとこの作品に出てくるような人たちに囲まれ、どっぷり政治の世界に浸かっていたわけですから。もうひとつ書きたかったのは、理想に燃えた、未来ある情熱的な若者たちが、いかに政治の世界で毒されていくのか、ということでした。

越智・・・・・「血の中から湧き出るような感覚」で書かれたというお言葉で、この映画の重心がはっきりしてきました。ありがとうございました。

TEXT│石津文子

<PROFILE>
ボー・ウィリモン
・・・・・2000年に大統領選を戦ったビル・ブラッドリーや上院議員に立候補したヒラリー・クリントン、大統領選に出馬したハワード・ディーンなど政治家の選挙運動にスタッフとして参加した経歴を経て、本作の元となった戯曲「ファラガット・ノース(Farragut North)」で劇作家デビュー。劇作家としてのみならず、映画やテレビドラマの脚本家としても活躍。現在は、デヴィッド・フィンチャー演出、ケヴィン・スペイシー主演が決定している、「野望の階段」(90)のリメイクテレビシリーズ「House of Cards」(13)の脚本を執筆している。

越智道雄・・・・・1936年11月3日神奈川県生まれ。アメリカ政治を文化として研究する草分け的存在。翻訳家、明治大学名誉教授。「ワスプ(WASP)――アメリカン・エリートはどうつくられるか」(中公新書刊)、「アメリカ合衆国の異端児たち」(日本経済新聞社刊)など、著作多数

 ●(7)<INTERVIEW>エヴァン・レイチェル・ウッド

“モリーはこの映画でもっとも正直な人だと思うの”
わたしはモリーというキャラクターを気に入っているの。自信に満ち溢れていて、歯に衣着せずに発言するところも好き。モリーっていうのは、この映画の中でもっとも正直な人だと思うの。モリーは何かを得ようとしたり、誰かを操作しようとは思っていない。楽しいことが大好きな素直な女の子で、大人たちに囲まれて育ったから、政界の大物たちの中でも、臆せず自分らしく振る舞うことができる。自信満々な男たちをはぐらかし、人生を謳歌しているわけだけれど、そんな彼女の性格が災いとなってしまう。
でも、彼女が素晴らしいのは、トラブルに巻き込まれたときも、それを脅しの材料に使うことすら考えなかったことだと思う。彼女は政治家との情事をメディアに告白したり、あるいは、強迫の材料にしてお金を儲けることができた。なのに、彼女は何もしなかった。それはモリーが善良な心を持った女の子であり、同時に死ぬほど怖がっていたからだと思うの。
この映画に出演したことで、政治に幻滅したんじゃないかと質問されることが多いんだけど、わたしは正直な政治家は存在し得ると思うし、人間は基本的には善だと思っている。ただ問題は、いまある選挙のシステムだと、政治家や候補者は政治ゲームに興じなくてはならない。嘘をついたり、騙したり、足を引っ張りあわなくてはいけない。つまり、システムこそが問題だと思うの。
この映画は必ずしも政治映画じゃない。むしろ、モラルのジレンマを描いていると思うの。善い行いをするために、悪魔に魂を売り渡すべきかどうか、という。この映画はその答えを編み出さなくてはならないの。この点が、とても気に入っているわ。

<藤森注・・・・・キリスト教の世界は「性悪説」で、日本は「性善説」です。しかし、ヒロイン役の若いエヴァン・レイチェル・ウッドが「人間は基本的には善だと思っている」と述べているので、彼女のインタビューのみ掲載しました。>

●(8)<CRITIQUE>

<民主主義の「裏工房」を活写した大統領選映画>

<雇われガンマン>

選挙参謀を主人公にした映画は珍しく、ドキュドラマで『クリントンを大統領にした男』(93/監督:クリス・ヘジダス、D・A・ペネベイカー)が浮かぶ程度だ。「問題は経済だ、ドアホ!」の奇抜なスローガンでブッシュ父を撃破した参謀ジェームズ・カーヴィルを描いたものである。

筆者は「大統領選からアメリカを知るための52章」(明石書店刊)を書き終えたところだが、執筆の際にアメリカ大統領選の実態学習教材に使ってきたこの映画を改めて見直し、相変わらずキレのよさに感銘を受けた。ルイジアナ州育ちのケイジャン(仏系)という、主人公のあくの強い性格が、虚構では太刀打ちできない迫力を持っている。この映画と合わせてご覧のほどを。

日本ではプロの選挙屋が専業化していないと思われる。おそらく、各政治家の選挙地盤に構築された選挙マシーンが、選挙戦を仕切るはずだ。
ところが、アメリカにはこの映画のスティーヴンやポールのようなプロの「政治コンサルタント」(俗称“ポル”)がいる。候補者の選挙区マシーンが忠臣集団なのに比べて、ポルは「雇われガンマン」だ。過去に大統領を生み出した実績を背負えば、選挙の度に新候補の選対を高額の契約金と給与をもらって渡り歩く。

しかし映画でもわかるように、候補の忠臣集団をさし置いて、若手のインターンやヴォランテイアらを駆使して大変な羽振りだ(若者たちにとっても、政治の世界への重要な登竜門。この映画の原作戯曲の著者で、それを脚本化もしたボー・ウィリモン自身、上院立候補時点のヒラリー・クリントンの選対、2004年の大統領予備選で挫折したハワード・ディーンの選対などを体験。そのときの友人ジェイ・カースンは出色のポルで、なにがしかはこの映画の主人公に投影されている)。前述のカーヴィルなどは、ヨーロッパその他、海外の選挙にまで雇われ、ポルは入超のアメリカ産業では出超の部類に入る。

「チャーチル、チャーチル!」

さて、この映画『スーパー・チューズデー』を、「政治は汚い」と忌避するシニシズムを描いたと勘違いしないでいただきたい。ここに描かれたのは、民主主義の具体的な手順であり、それはほぼつねに権謀術数の過程として進行する。肝心なのは、民主主義の根幹で、それは「性悪説」が基本だ。「人間が天使であれば政治は要らない」(第4代合衆国大統領ジェームズ・マディスン)。マディスンは、国民投票での大統領その他の代表選出を民主主義の根幹とする合衆国憲法の草案担当者にして、憲法制定会議の実質的進行担当者でもあった。アメリカ民主主義の特異性は、「人間性悪説」をしっかりと踏まえ、その上に可能なかぎりの理念を構築した点にこそ見いだされるべきだ。

この映画で真先に思い浮かべていただきたい言葉は、マディスンの上述の言葉の他に、チャーチルの発言がある。「民主主義は最悪の制度だ――ただし、これ以外のあらゆる制度を消去した場合の話だがね」。「最悪」の中には、この映画に描かれた選対同士が撃ち放すネガティヴ・キャンペーンその他の権謀術数も入る。

もうひとつ、「人間の、正義を実践する能力ゆえに、民主主義は可能となる。しかし、人間の不正を行う傾向ゆえに、民主主義は不可欠となる」(米のプロテスタント神学者ラインホルド・ニーバー)。後半は、<かりに君主制で君主が不正を行えば、暗殺以外に彼を排除できないが、民主制ならば落選罷免で排除できる>という意味である。

ニーバーはつねに最悪の事態を想定、しかしシニシズムへの転落を断固拒否、逆に希望や理念の高みへと飛翔を図ろうとする。彼の神学の強靭さゆえに、ヒラリー・クリントンは彼の信条の帰依者である。ニーバーは、歴代大統領では前記のマディスンを高く評価した。

アメリカに続いて西欧はこの民主主義を東洋より先に採用した――有名な古代アテナイの民主主義は、マディスンらの憲法起草者らが懸命に参考にした。東洋が、中国の聖人皇帝たち、堯舜やわが国の天皇など有徳の名君を信仰する政治文化に遅くまで固執したのは、「性善説」による。従って、東洋人はこの映画の権謀術数に容易に嫌悪感を抱く。民主政治ですら、日本人は性善説に固執するため、小沢一郎を嫌悪する。

だからこそ日本人自身は選挙に興奮しないわけだが、アメリカ人は大の選挙好きで、大統領選があれほど盛り上がるのは国民の熱狂が原因である。1830年代のアメリカ探訪を書き残した仏貴族アレクシ・ド・トクヴィルは、ズバリこう指摘した。「階級制度から自由なアメリカ人は、平等過ぎて、隣人が何を考えているかわからない。他方、階級制度の強いヨーロッパ人は、主人と召使はおたがいの肚がわかってはじめて社会生活が成り立つ。アメリカ人がはじめて隣人の肚がわかるのは、世論を通してで、とくに選挙のときだ」

世論調査がアメリカで最初に産業として成立した所以である。民主主義では世論を通してしか、隣人の考えはわからないのだ。
しかしトクヴィルは、「アメリカにとってもっとも危険なのは『多数の横暴』だ」と警鐘を鳴らした。民主主義は多数決で物事を決めるから、多数決は階級社会の絶対君主の専制権に匹敵する。そこで、世論操作が常態となり、ネガティヴ・キャンペーンの花盛りとなる。この映画のような選挙参謀の出番だ。

それでも君主の専制権より民主制下での多数決の方がましである。選挙に勝てた候補は、「民衆が声を上げた」と国民を持ち上げる。そこでこういうことになるのだ。「民主主義は最悪の政治形態だ――他の政治形態を消去してしまえばの話だがね」
この映画は、チャーチルの至言をこそ噛みしめながら見るべきであり、単純にシニシズムに落ち込んではならない。つまり、理念に燃えた若手参謀が、あの手この手でタフな参謀に豹変していく様をシニシズムと捉えるべきではない。そんな気がしてくれば、「チャーチル、チャーチル!」と呪文を唱えてほしい。

ゴアは54万票弱差をつけたブッシュになぜ敗れたのか?>

性悪説が出発点だから、「アメリカ建国の父たち」は、最高権力を認める大統領の暴君化と君主制への逆行を恐れたばかりか、主権を認める国民大衆をも恐れた(「人民は巨大な野獣だ」初代財務長官アレグザンダー・ハミルトン)。大統領へのブレーキは、立法(議会)・行政(ホワイトハウス)・司法を競り合わせて政治を動かす「抑制と均衡」。「野獣」である国民へのブレーキが下記の「アメリカ大統領選の仕組み」の、予備選の「代議員」と本選挙での「選挙人」だった。

つまり、選挙を政治に素人の国民の投票(一般投票)1本で決めるのを恐れて、政治に詳しいプロ(代議員・選挙人)らによる「裏投票」の2本立てにしたのである(裏投票の方が決定権あり)。もっとも、交通通信網が未発達な18世紀、大統領候補者が人口の多い州や都市しか回らない傾向を抑制すべく、小州にも選挙人を割り振ったのだが。
選挙人総数=連邦下院議席数+連邦上院議席数(100)+首都3名。最多はカリフォルニア州の55名。

代議員と選挙人は、各州の最小基礎選挙区にはじまるピラミッド型選挙機構に関与する。このふたつは、地方自治の関係者(多くは前述の「忠臣集団」)が立候補、一般投票とは別途に選出される。選挙人の方が地方自治の上部構造から選出され、たとえば若き日のリンカーン、あるいはキング牧師の未亡人がつとめた。代議員は予備選と同時進行で選ばれ、一般には候補者の一般投票での得票数の按分比例で獲得代議員数が決まる。

要するに、大統領選候補が勝てるのは、一般投票数ではなく、代議員と選挙人なのだ。2008年の民主党予備選では、ヒラリー・クリントンが一般投票ではオバマに30万票弱勝っていたのだが、代議員票では333票差で敗れた。オバマ陣営は、代議員数を勘定に入れつつ、緻密な選挙運動を展開、他方、クリントン陣営は代議員計算が杜撰だった。2000年、アル・ゴアは一般投票ではブッシュより54万3895票多かったのに、選挙人数では5票差で敗れたのである!

また1960年、リチャード・ニクソンジョン・F・ケネディより多い26州で勝ちながら、一般投票の票差わずか11万2827票で敗れた。ところが、獲得選挙人数はケネディ303、ニクソン219と大差になるのだ(24州でしか勝てなかったケネディは、選挙人数が多く割り振られた大州を押さえたのである。つまり、それらの州の一般投票で勝てた候補が、割当選挙人を丸取りできる)。

ピラミッドは選挙人制度より代議員制度の方が複雑で、基礎選挙区代議員、議会選挙区代議員、州代議員と順次選ばれ、最後の代議員が全国党大会で大統領候補の指名権を持つ。基本的には一般投票での得票数の按分比例で州代議員の獲得数が決まるが、計算方法は州ごとに異なる(アメリカでは「州権」が強い)。また共和党は、一般投票で勝てた候補が州割当代議員を丸取りできる州が多い(今年は、ロムニー候補が勝ったフロリダなど)。ところが今年は、民主党に倣って得票数の按分比例型が増えた。

一般投票と代議員選挙のギャップは要注意。たとえば、今年2月7日、共和党候補サントーラムが一般投票で勝ったコロラド他2州は基礎選挙区代議員選出段階なので、州代議員獲得は先の話、糠喜びに終わる場合もある。

予備選は、①一般投票と代議員選挙が平行する「プライマリー」、②一般投票を縮小、投票所への集合時間を設定、以後の投票を断ち切り、囲い込んだ有権者を各候補選対が奪い合う「党員集会」がある(代議員選挙は平行)。

大統領予備選の最初は②のタイプのアイオワで、半ば密室化した党員集会こそ、初期の大統領選挙の名残だ。しかし、参加した「素人投票者」は「生きて動く政治」の醍醐味を味わえ、「もうワクワクしちゃう!」。つまり、膨大な有権者が漫然と投票する一般投票より、有権者の一部を締め出して「密室化」するという非民主的なやり方でこそ、「直接参加型民主主義」を体感できるとする逆説的手法だ。なお、大統領選挙候補が党大会で指名を獲得するのに必要な最低代議員数は、今年の共和党が1144名、2008年の民主党は2117名だった。

<民主主義の「メビウスの輪」>

さて、この映画では民主党の予備選が描かれている。ノース・キャロライナ基盤のトンプソン上院議員が握っている代議員356名を、競り合っているモリス候補とプルマン候補いずれかが獲得すれば、党大会での指名をものにできる設定だ。356名は「誓約代議員」と呼ばれる。

煩雑ながら、州政治の大物やトンプソンのような連邦議員などは別個に「スーパー代議員」として、誓約代議員より辣腕を振るえる。映画の最後でトンプソンが、聴衆を前に公然と「356名にモリス候補の支持を訴える」と言い切る光景は、日本人ならずとも「政治の私物化」としか見えない。トンプソンは、スティーヴンに365名と副大統領候補職の交換という裏条件を呑ませているのだ。

とはいえ、ここが「チャーチル、チャーチル!」である。君主制だろうと民主制だろうと、権力を握らなくては政治はやれない。権力掌握のための権謀術数は避けて通れない(「人間が天使であれば政治は要らない」)。スティーヴンのようなポルこそ、民主主義の権謀術数の最先端を担う。トンプソンが356名を掌握しているのも、州政治での出世を願う代議員らに裏で恩を施していればこそだ。彼は彼で、356名を梃子に使って「副大統領候補」の金的を射止めたのである。

読者諸氏が眉をひそめる様子が手にとるようにわかるので、大急ぎでもうひとつのお祓い用呪文、「ニーバー、ニーバー!」を担ぎ出そう。「人間の不正を行う傾向ゆえに、民主主義は不可欠となる」である。以上の裏取引が露顕すれば、元も子もない。裏取引を暴くのが新聞記者の仕事だ(映画ではニューヨーク・タイムズ紙の女性記者アイダ)。

他方、選対をクビにされたスティーヴンが、みごとカムバックを遂げる離れ業も、モリス候補と選対インターンの娘モリーとの情事暴露の脅しが機軸になっている。モリーは「民主党全国委員長」(日本だと幹事長の権限を総選挙や大統領選の差配に限定した機能)の娘だ。モリスも連日の選挙運動疲れのせいか、ついモリーに手を出してしまった(ビル・クリントンは、共和党多数の議会に予算案通過を阻止された極限状況でモニカ・ルインスキーとついついいちゃついてしまった!)。モリーの父親の地位に加えて、この父娘はカトリックで、彼女がモリスの子を中絶したことは、露顕すればモリスは大統領どころか政治家廃業となる。

スティーヴンはこの「下半身機密」を武器に、みごと選対指揮権をポールからもぎ取るのだが、その鮮やかさにポールもかつての部下をほめざるをえない。この離れ業こそ、ニーバーの言葉が基礎になっている――どこが?「人間の不正を行う能力ゆえに、民主主義は不可欠となる」とは、「不正」が露顕すれば「世論」(映画ではアイダ記者)がそれを指弾、この映画の主役たちは全員が政治の表舞台から追い出されてしまうからだ。民主主義における「世論」の重要性。

だからこそ、映画の最後近く、裏取引暴露に逸るアイダ記者を突き放すスティーヴンのポーカーフェイスは、民主主義下での権謀術数を、複雑な意味合いで表現した、一片の肖像画となる。あれは、民主主義の究極の不条理を突き詰めた、絶体絶命のポーカーフェイスなのである。脚本を書いたウィリモンは、筆者に「あの顔は『鎧』だ」と言った。また彼は、ポルが選挙民向けの「天使」風の表の顔と泥沼の選挙戦での悪鬼の形相を使い分けて綱渡りを演じていく光景にも触れた。「二河白道という仏教語を俗化して使えば、大衆の執着と怒りの二河の間をくねり走る「白道」こそ、ポルと候補が駆け抜ける、民主主義の裏街道から表街道へと突き抜ける「メビウスの輪」なのだ。

つまり、選挙で勝てて、不正が表沙汰にならずにすめば、裏街道はいつの間にか摩訶不思議な異次元転換で表街道へとつながっているのである。

最後に一言。この映画では描かれないが、「恋と戦争は手段を選ばない」から、選対の末端は候補の敗退でつい行き過ぎてしまう。2012年の共和党予備選では、ニュート・ギングリッチ候補がフロリダで敗れると、彼の選対末端は「ロムニーがホロコースト生き残りの票をかっさらった!」と流した(この州にはユダヤ系高齢者が多い)。これは確実にギングリッチ候補の評判を傷つける自殺行為だが、選対末端の悔しさは尋常ではない。同時進行の議会選挙で、民主党候補の選対トップが帰宅すると、愛猫が殺され、死体の横腹に「リベラルめ!」と書き殴られていた。クリントンの地盤、アーカンソー州での話である。むろん、敗れた対立候補の選対末端の暴走だった。

人間の本性に根ざした泥仕合から、その悪の本性を「浄化」した表舞台への「メビウスの輪」的変換こそ、実態としての民主主義への、マディスン、チャーチル、ニーバーらの切なる願いを具現している。

<<THE ELECTION PROCESS>>

(A) 各候補の選挙運動開始・・・・・候補の遊説と世論調査開始。現職大統領の正当(2012年は民主党)は大統領以外は泡沫候補だけの場合が多い。野党は有力候補が乱立。

(B) 予備選挙(一般投票/党員集会)・・・・・民主・共和両党で、各州ごとに大統領候補を決める「予備選」。同時に基礎選挙区、議会選挙区、郡大会、州大会の各レベルで順次、代議員を選出していく

*スーパー・チューズデー・・・・・3月初旬の火曜日に、両党の予備選挙や党員集会が集中する日。年度で時期も規模も異なる。2008年は2月初旬の火曜。

(C) 全国党大会・・・・・州大会で選ばれた最終代議員が党の統一大統領候補を選出。今年は、民主党が9月3日~6日シャーロット(ノース・キャロライナ州)、共和党が8月27日~30日タンパ(フロリダ州)で開催される。

(D) 本選挙・・・・・各州で一般投票(勝者が各州割当選挙人丸取り)。各州で割り当てられた人数の選挙人の選出。

(E) 選挙人による投票・・・・・2012年は12月17日。

(F) 開票・・・・・連邦上院で選挙人投票封筒を開票し、新大統領選出。2013年1月6日。

(G) 新大統領の就任式・・・・・2013年1月20日。

<文責:藤森弘司>

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