2012年2月29日 第115回「今月の映画」
ALWAYS三丁目の夕日’64

●(1)2005年11月に公開され、その2年後に「続」が公開されましたが、私(藤森)にとって今回の映画が一番ハートに響きました。

当然、この映画は見る予定でしたが、さらに絶対に見逃せない理由がありました。今年、ある方からいただいた年賀状に、友人に誘われ、好奇心でエキストラを始め、「ALWAYS三丁目の夕日’64」にも出ていると書かれていました。

これはもう絶対に見るぞと、満を持して、見に行きました。年賀状には「・・・・・今回も背景の一隅・雑貨屋の隠居役です」とありましたので、目を凝らして見ましたが、残念ながら発見できませんでした。

最後の最後の場面で、主人公の後ろで縁台に座っている後ろ姿と、エンディングロール中に、主人公の後ろを通り過ぎて、すぐに店の中に入っていた人物がそうだと思い、その旨、手紙を書きました。

すると、その方から返信があり、撮影の場面の写真をお送りくださいました。
なんと、かなり立派な場面に登場していらしゃるではありませんか。初めから、注意に注意をして見ていながら、これほどの場面を逃していたのかと悔しくてなりません・・・・・と思いましたが、どうやら、この写真は、2005年11月、最初に公開された映画のシーンのようです。
そのことはともかく、まずはその写真(消えてしまいました)をご覧ください。

●(2)その方は「吉田弘一氏」とおっしゃり、私が若いころ、死に物狂いで自己成長に取り組んでいましたが、その頃から知り合いの方です。
知り合いというより、吉田様は東京セルフ研究会という、日本の草分け的な市民団体の勉強会で、スタート時点(昭和48年頃)から活躍され、長く世話人をされた方です。そこで私(藤森)は知り合い、自己成長に取り組む恥知らずな私を温かく応援してくださった大先輩であり、命の恩人です。映画を見た後に、最後の場面以外に発見できなかった旨、ご連絡申し上げると、大会社の幹部も経験された吉田様は、上記の写真と共に、次の手紙をくださいました。<<<ご無沙汰しています。藤森さんのご活躍ぶり、敬服の一語です(藤森注・吉田様はお世辞が上手い方でもあります)。「ALWAYS三丁目の夕日’64」をご覧いただき有難うございます。人前で演技をするのが大の苦手の私が、友人の強力な誘いに抗しきれず、未知の世界を覗いてみたいという好奇心の隙を突かれ、始めてしまいました。エキストラや端役で映画やコマーシャルの撮影現場に数々参加。初めて目にする光景に驚くことばかり。様々な人たちと、様々に汗しています。この映画では毎回、画面の背景の一隅に鎮座しているだけですが、チームの一員としての参加を楽しんでいます。同封の写真で小生の参加ぶりをご想像いただけると幸いです。>>>
●(3)映画の撮影現場は凄いのでしょうね。何が凄いのか、私(藤森)には正直よく分かりませんが、とにかく凄いのだろうなと思われます。準備やら、種々様々な道具類、関わる人数の多さ、多彩さ、物珍しさ・・・・・。

さて、いつものように、「今月の映画」に載せるために映画館でパンフレットを購入しました。パンフレットをつぶさに読んで、またまた、驚きました。

パンフレットの中の<Production Note-3><TOPIC④>で「こんな住人さん&動物たちも再び登場!」に吉田様も紹介されていました。
ご覧ください。

○(4)<パンフレットより>

<昭和39年(1964年)はこんな年>

*4月1日・・・日本人の海外渡航が自由化される。

*4月6日・・・「ひょっこりひょうたん島」放映開始

*9月8日・・・道路交通に関するジュネーブ条約に加盟、日本人の国際運転免許証の利用が可能に。

*9月17日・・東京モノレール開業。

*10月1日・・東海道新幹線開通。東京⇔新大阪間を「ひかり」が約4時間で結ぶ。

*10月3日・・日本武道館開館式。

*10月10日・東京オリンピック開催。アジア初のオリンピックで、史上最高の93の国と地域が参加。

<他にもこんなことがありました>

*「かっぱえびせん」発売。

*「平凡パンチ」創刊。

*「ホテルニューオータニ」「ホテル高輪」「東京プリンスホテル」などが開業。

*王貞治がホームラン55号を放ち日本新記録を樹立。

*青山和子「愛と死をみつめて」が日本レコード大賞。

*アイビールック流行。

*「みゆき族」登場。

*柴田翔「されどわれらが日々ーーー」が芥川賞を、永井路子「炎環」、安西篤子「張少子の話」が直木賞を受賞。

○(5)<TOPIC②:東京オリンピック

昭和39年、日本が開催した東京オリンピックは、当時の世界最大のイベント。オリンピックに向けて日本では、新幹線、地下鉄、モノレール、ホテル、首都高速道路などが急ピッチで建設されることとなった。

山崎監督は語る。
「東京オリンピックは、日本の復興を世界に知らしめた一大イベント。世界の人々が東京に集まってきたことは、相当大きな出来事だったはず。昭和30年代に復興に向かってきたエネルギーのひとつの到達点であり、人々の価値観が変わる節目だったのではないでしょうか。今回はオリンピックを感じている人たちを描くことで、その時代の気分を出せればと思いました」。

また、東京オリンピックを実際に体験した阿部プロデューサーは言う。
「僕は一平くんと同い年ですので、1964年は高校1年生でした。10月10日、東京オリンピックの開会式の日の記憶は、今でも鮮明に残っています。当時五反田に住んでいたのですが、ブルーインパルスの描く五輪マークをテレビ中継で見て、『もしや』と思い外に飛び出しました。すると、雲ひとつない真っ青な空に、大きな五輪マークがあったんです。僕はものすごく晴れがましい気持ちになりました。

戦後19年でオリンピックを開催し、世界のひのき舞台に出た。やっぱり日本ってすごいんだ、と改めて実感する出来事だったんです。3作目を作るときには、その五輪のマークが描かれた空を僕自身どうしてももう一回見たかったし、ぜひご覧いただきたいと思っていました」

【東京オリンピック】

*会期・・・1964年10月10日~24日(15日間)

*参加国・・・93の国と地域(当時の過去最高)

*実施競技・・・種目数:20競技、163種目

*日本が獲得したメダル:金メダル16個、銀メダル5個、銅メダル8個(計29個)

○(6)<TOPIC③:東京タワーと東京スカイツリー

昭和33年に完成し、当時の世界一の電波塔となり、戦後の復興に力を注ぐ人々を勇気づけ、前向きなパワー与えた東京タワー。現在は、東京スカイツリーに次ぐ、日本で2番目に高い建物である。

世界一の電波塔・スカイツリーは、2012年に完成予定。第1作で則文が言った「完成すれば、世界一になる」という言葉が、この時代に再び当てはまることに。昭和33年の人々が建設中の東京タワーに抱いた思いも、現代の、東京スカイツリーに重ねられるのではないだろうか。

「のちにランドマークになるものができあがっていく期間は本当に短いですが、その短い時間の価値というのは、僕が『ALWAYS』を作って教えてもらったことです。今、東京スカイツリーという、昭和30年代の東京タワーに匹敵するものができあがっていて、その時代に居合わせることができた幸せはありますよね。建設中の東京スカイツリーも、それぞれの家族の思い出とリンクして、記憶に残っていくのかもしれませんね」(山崎監督)

<文責:藤森弘司>

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