2012年12月31日 第125回「今月の映画」
人生、いろどり
監督:御法川修  主演:吉行和子  富司純子   中尾ミエ   藤竜也

●(1)理屈抜きに楽しめる映画です。「007」もそうでしたが、大作は理屈が多すぎてストーリーを理解するのに疲れます。この映画は大作とは真逆のほんのりする映画で、写真も素晴しいでしょう。

 

○(2)(パンフレットより)<解説>

<四国いち小さな町で起こった「奇跡」の実話

徳島県の山間にある上勝町(かみかつちょう)。
四国で最も人口が少なく、高齢化の進んだこの町は、希望という言葉とは無縁の典型的な過疎地だった。しかし、あるとき奇跡が起こる。ひとりの農協職員が、山で採れる葉っぱを料理の「つまもの」として販売することを発案。70代、80代の女性たちを主戦力に事業を起こした結果、年商2億円以上を稼ぎ出すビッグビジネスに成長。町はうるおいを取り戻し、人口増加を記録するまでに変貌を遂げたのだ。

本作は、その実話から生まれた物語。つまものビジネスの立ち上げに関わった女性たちが、自分を変え、町を蘇らせ、生きる喜びを未来につなげていく姿を、オール上勝町ロケで描いた心温まる感動作だ。

主人公は、上勝町で生まれ育った3人の女性だち。ミカン農家に嫁いで以来、夫に従って黙々と働いてきた薫。都会で暮らす息子一家に冷たくあしらわれ、老いと孤独を意識するようになった未亡人の花恵。自分を偽って生きてきたせいで、本当にやりたかったことを見失ってしまった路子。

3人は、いずれも長い人生の中で一度も主役になったことがない女性たちだ。そんな彼女たちが、料理の脇役であるつまものの仕事を通じて、自分が主役になる新しい人生を獲得していく。薫は夫に依存しない生き方にめざめ、花恵は孫の尊敬と新しい恋を勝ち取り、路子は仕事のやり甲斐と亡き父との失われた絆を取り戻す。

そのいきいきと輝き出す姿を捉えたドラマは、何歳になっても夢は見られるし、何を始めるにも遅すぎることはないと優しく語りかけてくる。さらに、夫婦と親子の情愛、年輪を重ねた女性同士の友情、そしてコニュニティの絆を見つめた物語には、世代や性別に関わりなく、誰もが共感を覚えずにいられないだろう。

キャストには、日本を代表する実力派の俳優が顔を揃えた。主人公の薫に、吉行和子。薫の親友の花恵には、富司純子。久々に上勝町に戻って来る路子には、中尾エミ。ミカン農家を営む薫の夫・輝雄には、藤竜也。また、つまものビジネスを発案する農協職員の江田には平岡祐太、市場の美人仲買人・裕香に村川絵梨が扮し、さわやかな魅力を光らせている。

心の琴線に何重にも触れる脚本は、本作のプロデューサーでもある西口典子が執筆。監督は、柴咲コウ、真木よう子、寺島しのぶを主演に迎えた新作『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』でも注目を集める御法川修が務めた。さらに、映画のラストを彩る主題歌「ヘヴン」を、サザンオールスターズの原由子がソロで担当していることも、本作をめぐる大きな話題のひとつだ。

○(3)<物語>

<当たり前の毎日が、“葉っぱ”との出会いで色付き出す!>

徳島県の上勝町は、四国の中で最も人口が少なく、半数近くが高齢者の町。この冬は、基幹産業のミカンが全滅。わずかな畑から採れる野菜を細々と売る生活を強いられた住民たちは、将来への希望も持てず、どん底で喘いでいた。その苦境をなんとか打開しようと試行錯誤を重ねていた農協職員の江田晴彦は、居酒屋で目撃した光景をヒントに新しい事業を思い立つ。その事業とは、料理の彩りに使う<つまもの>と呼ばれる葉っぱを商品として売ることだった。

さっそく町民たちを集め、説明会を催す江田。しかし、彼の意気込みとは裏腹に、新事業の提案に賛同したのは、小さな雑貨店を営む未亡人の石本花恵だけだった。彼女は、つまものの仕事を始めることで、都会暮らしの息子が勧める老人ホーム行きを免れようと考えたのだ。そんな花恵の強引な誘いを断り切れず、親友の徳本薫も事業に参加する。ただし薫は、農家のプライドを重んじる夫の輝雄には、このことを秘密にした。

江田、花恵、薫の3人は、徳本家の山で葉っぱを収穫。それを青果市場へ売りに行くが、仲買人の石立裕香から「ごみ」と言われ、大きなショックを受ける。やはり葉っぱは売り物にならないのか?

答えを求めて3人が向かったのは、尾関路子の家だった。路子は、花恵や薫たち幼なじみの出世頭。都会で中学校の教師になり、定年後も都会で暮らしていたが、腰を痛めた母を介護するため一時的に帰郷していた。そんな路子に薫たちが頼ったのは、彼女の亡き父が花木農家を営んでいたからだった。

その路子に、葉っぱの使われ方も知らず商売を始めた無謀さを指摘された薫たちは、市内の料亭の視察に出かける。料亭の女将は、料理に手をつけずにつまものばかり眺めている薫たちを不審に思うが、「とんな葉っぱが欲しいか教えてください」と懇願する薫と花恵の熱意に負け、器に合ったサイズが重要であることを教える。結果、大きさを揃えてパック詰めにした上勝町のつまものは、次第に市場で売れるようになっていった。

そんなある日、徳本家に騒動がもちあがる。薫がつまもののビジネスに参加していることを、輝雄が知ってしまったのだ。輝雄に「出て行け」と言われて家を飛び出したものの、行くあてのないことに気づいた薫の胸には、夫にさからったことへの後悔が渦巻いていた。そんな彼女に、路子がある真実を打ち明ける。教師をしていたというのは嘘で、本当は用務員だった……と。「自分にも人にも正直になれない人生を送ってきたせいで、父親と一緒に花木の仕事をするチャンスまで逸してしまった」

路子の告白に胸打たれた薫は、今では生き甲斐になっている葉っぱの仕事を続けようと決意。季節を先取りした花木を育てるために、尾関家の土地を借りてビニールハウスを建てる。やがてそのビニールハウスは、上勝町の女性たちの笑い声が響きあう、活気あふれる職場になっていった。

つまものビジネスを通じて、新しい人生を歩み出した3人。路子は、園芸の知識とリーダーシップを発揮して花木栽培の指導者に、手先が器用な花恵は、葉っぱを使った細工物の才能を開花させる。そして薫は、夫に協力はしても依存しない生き方を手に入れた。しかし、平穏な時も束の間、つまものビジネスの存続を危うくする大事件が勃発する……。

○(4)<アンチ“アンチエイジング”の輝き>(内海陽子)

とある地方都市でJA主催の宴に招かれた折り、多くの人に酒を勧められ、話しかけられた。最も押しが強かったのが米作り農家のご主人で、女房がいかに自分に尽くすかという話から女の話に移ったのには閉口し、「離婚されないように奥さんを大事にしてください」と返すのが精いっぱいだった。『人生、いろどり』で農家の主人・輝雄を演じる藤竜也とは似ても似つかない男性だったが、心理にはかなり近いものがありそうだ。

女房の薫が“葉っぱビジネス”に乗り出すことに反対する輝雄は、なによりも自分の面子が立たなくなることを恐れている。失敗したら俺が恥をかくからと言うが、本音は、成功したら駄目亭主としてますます立場がなくなるから、である。たとえ亭主関白に見えようとも、彼は女房に甘え放題で生きて来たのではないだろうか。

そんな亭主の思惑を気にしながらも、薫は幼なじみの花恵に煽られ、上勝町に帰郷した路子を巻き込んで“葉っぱビジネス”に挑む。地元JAの青年・晴彦のへっぴり腰ながら誠意ある応援を得て、彼女たちのビジネスは少しずつ前進する。市場で最初のワンパックが300円で売れたときの歓声は、農家の事情に疎い観客の胸をも温かくするはずだ。

それが実話の底力というものだろうが、それをしっかり支えるのは女優たちの力である。年を重ねてさらに優しい面立ちになってきた吉行和子が、善良さの中に強い意思を秘めた女を演じれば、いくつになってもえくぼの可愛い富司純子が、頑固でやんちゃな女をガニ股歩きも辞さずに演じる。そして、あか抜けたイメージの残る中尾エミが、都会暮らしを経験した女としてさらりと加わる。過疎地域の高齢女性とは一口には言いきれない個性が弾け、そのうち、3人が歌い踊り出すのではないかと思うくらいの熱気がある。

さりげなく楽しませるのは、女房のビジネスが成功し始めて不機嫌な輝雄に、花恵がしばしば憎まれ口を利くところだ。彼はその都度「ほんま、腹立つおなごやなあ」とぼやくのだが、決して「腹立つばばあだなあ」とは言わない。このあたりに、若いころの二人の関係が垣間見える。輝雄は従順そうな薫を妻に選んだが、ひょっとしたら花恵に恋した時期があり、活発な彼女に振り回され、いまも頭が上がらないのではないだろうか。そんな気配が品よく心地よく漂うのも、演じるのが藤竜也と富司純子だからである。

世は“アンチエイジング”とやらがブームで、老いは目の敵にされている。だが“アンチエイジング”志向は精神の老いの証拠だ。一見若くてもそう見えるだけのことで、もはや本当の若さはない。自分の過去に執着し、自分を過去に引き戻そうと必死になる姿は見苦しい。それは生きることから逃げている姿だからだ。人はどう老いるか、後に何を残していくかを考えることが大事なのである。そういう意味で、この映画の魂はアンチ“アンチエイジング”と言うべきものだ。前に進むためには後ろを見ている暇はない。そういう姿勢からこそ人の輝きは生まれる。その輝きは死によって奪われるものではない。

大事なものを残して突然去った花恵の葬儀を終え、「悲しいはずなのに羨ましい」と薫はつぶやく。大事なものを託された者は、また立ちあがって闘いを続けなければならないからだ。そんな女房を励まそうと、輝雄は焼け落ちた薫のビニールハウスの再建に取りかかる。彼がようやく男気を見せる。藤竜也の見せ場が来たことに安堵するとともに、ここにこそすがすがしい真の希望があると思う。

エンディングにふさわしい晴彦の婚礼が感動的なのは、それが新たな希望の象徴だからだ。そして婚礼の行列に撒かれる桜の花びらが感動的なのは、それが花恵そのものだからだ。人は生まれて、老い、散っていく。だがきっと忘れがたい大事なものを残していく。できることなら精神を健康に保ち、そういう希望を強く持ち続けたいものである。

(映画評論家)

○(5)<葉っぱ春夏秋冬>

(写真が消えてしまいました) 

<文責:藤森弘司>

映画TOPへ