2011年8月31日 第109回「今月の映画」
監督:中江功 主演:佐藤隆太 麻生久美子 土師野(はしの)隆之介 原田美枝子 賠償美津子
●(1)今回の映画「ロック・わんこの島」を取り上げる理由は、次の二つです。
①三宅島村長が体験した3つの噴火の最初は1962年で、私は偶然、その2年後に三宅島を旅行していました。姉が高校の卒業旅行に行かせてくれたのです。 到着したその日、村会議員が運営している民宿に泊まりました。他に宿泊客がまったくいないシーズンオフに、高校生の私が一人で宿泊するのが珍しかったのでしょう。夕食後、雑談もかねてお茶に招いてくれ、お茶菓子にお汁粉をだしてくれました。 今もそうですが、当時はもっと気が小さく世間慣れしていなかった私は、断っているつもりなんですが、それが通じないんです。確か、3杯以上、4杯くらいご馳走になり、もどしそうになった記憶があります。 翌日は、島を歩いて一周し、翌日は、噴火した直後の雄山を一人で登りました。民宿のおばちゃんが「雄山は危ないから止めろ」としきりに止めるの振りきって無謀にも登ってはみたが、途中、誰とも会わず、しかも噴火後の殺伐とした光景に、粋がったはいいが、不気味な気持ちになり、途中から下山したこと思い出しました。50年近い昔の話です。 ②もう一つの理由は、東日本大震災です。 しかし、東日本大震災の悲惨な状況を目の当たりにして、生まれて初めて被災者への援助(ユニセフなどの例外はありますが)をすることになりました。第105回の「今月の言葉」でも述べましたが、毎月、「貧者の一灯」を送金しています。しかし、日本赤十字社の義捐金分配があまりにも遅いので、3月、4月以後は、他に振り分けることにしました。 例えば、「東日本大震災の足長おじさん」や「カキの養殖の応援」などにわずかではありますが応援をしてみますと、この映画の中に出てくる三宅島からの避難者たちへのボランティア活動が、今までとはまったく違って見えました。 この映画でもっとも惹きつけられたことでした。 |
○(2)2000年8月 三宅島大噴火。 噴火を生き抜いた復興のシンボル犬 ロック。 実話から生まれた奇跡と感動の物語。 2000年8月の大噴火により、全島民が避難することになった伊豆諸島の三宅島。 その時、飼い主の家族と離れ離れになってしまった一匹の犬がいた。 三宅島で民宿「たいよう」を営む野山一家のわんこ、ロック。 そのロックを生まれた時からずっと育ててきた少年・芯と父ちゃん・松男、母ちゃん・貴子、おばあちゃん・房子の家族。 噴火時の離散・・・・・、避難後の慣れない都会での生活、そしてロックとの苦渋の別れ。 様々な苦悩や困難に直面しつつも、いつかみんなで故郷・三宅島に帰って、ロックとまた一緒に暮らすことを決してあきらめなかった芯と家族たち。あの歴史的な大噴火から11年。 三宅島の雄大な自然を舞台に、ひとりの少年と一匹の犬の目を通して、心と心のつながり、家族の在り方、故郷への想い、そして生きていく力を描く、実話から生まれた涙と希望あふれる感動の物語が、スクリーンに登場する。 原案は、フジテレビ朝の情報番組「めざましテレビ」で、1994年の番組開始当初から続く大人気コーナー「きょうのわんこ」。災害に負けずたくましく暮らした三宅島の一匹のわんこ、ロックのエピソードは2007年6月に「きょうのわんこスペシャル」で紹介され、大きな反響を呼んだ。 観光客を出迎えたり、ひとりで港付近を散歩するその自由きままな愛くるしいキャラクターで、復興のシンボルともなっていた島のアイドル犬、ロックのエピソードをベースに、今回のオリジナル脚本を製作。監督は、映画『冷静と情熱のあいだ』やTVドラマ『Dr.コトー診療所』など、感動ドラマの名匠・中江功。ロックと芯の温かくもたくましい家族を演じるのは、佐藤隆太、麻生久美子や賠償美津子といった映画界を代表する超実力派俳優人。
いつの日か、必ず三宅島に帰れると信じ、あきらめなかった家族たち。 |
○(3)<STORY>
これは、ぼくと、ぼくの家族と、ロックの物語。 「母ちゃんは言った。この島は、生きている。 東京から船で6時間半。太平洋に浮かぶ小さな島、三宅島。 いつからか「ロックと一緒にいることが当たり前になった。 毎日がドタバタながらも、楽しく生活する芯とその家族に囲まれ、ロックはすくすくと成長していく。しかし、あの夏の日、それは起きた。 「島は・・・・・ぼくの生まれた三宅島は、あの夏。変わってしまった」 「いやだ!!一緒にいる!!一緒にいたい!! それからすぐに、全島民に避難指示が出され、松男たちも島外避難をすることになった。ロックやハナも、東京都内の三宅島噴火災害動物救護センターに運ばれることが決まったその矢先、 房子の看病も虚しく、老犬であるハナは島で静かに息を引き取る。そして、母犬のハナの死を知らず、ハナが心配で、ハナに逢いたくて、ケージに入れられ港に運ばれたはずのロックは・・・・・いなくなった。 「あの夜父ちゃんは、ぼくにバカ正直に話した。 この年の噴火は、今までに誰も経験したことのない噴火だった。島は無人島と化し、いつ帰れるかもわからない絶望的な状況の中、慣れない東京での避難生活が始まった芯と家族たち。必ず島に帰る、ロックは生きている、という希望を胸に、涙をこらえ、励まし合いながら毎日を懸命に生きていく。 「俺らがもたなきゃいけない武器は、ひとつ。落ち込まないこと。 そんなある日、噴火災害動物救護センターに、奇跡的に島で生き延びていた一匹の犬が保護されてくる。噴火の灰にまみれ、呼びかけても反応がなく、かなり弱っている。その知らせを聞いた芯と家族は、急いで駆け出し、噴火災害動物救護センターへと向かう。 「ロック・・・・・?ロックだ・・・・・。父ちゃん、ロックだ!」 ロックと奇跡の再会を果たした芯たち。ロックの生きる力は、東京での長引く避難生活を送る野山一家、そして全島民を励ました。ばあちゃん・房子は都内の三宅島災害ボランティアで、島民のための電話相談を引き受け、島の年寄りを励まし続けた。 「あんたねえ、うちのロックはひとりで生き延びたんだよ! しかしロックと再会を果たすも、避難住宅で犬は飼えない。芯は噴火災害動物救護センターに通うが、そこでの生活がストレスになりロックはどんどん体調を崩して弱っていく。センターの獣医師・真希佐代子(原田美枝子)に、ロックを手放し新しい飼い主へ里子に出すことを勧められる芯。 「帰りたい。島に、帰りたい。ロックを連れて、帰りたい・・・・・」 噴火による火山ガスの影響で、まだまだいつ島に帰れるかもわからない。小学生の芯は考える。ずぅーっとずぅーっと先のこと。ロックのこと。生きていくこと。様々な不安と葛藤の中、芯はある決意をする――。 |
○(4)<三宅島村長が語る>
<いつまでも感謝の気持ちを忘れない> 私自身も三宅島で生まれ育ち、3度の噴火を経験していますが、それぞれ噴火の種類が違うんですよ。1962年の、私が中学3年生だった頃に遭遇した噴火は、雄山の山腹で起こったもの。この時は群発地震が活発でしたが、噴火はすぐに終息しました。 次の1983年の噴火では、溶岩流が流れてきて、島で一番賑やかだった集落を一瞬にして飲みこんでしまって約340戸の家が埋没、思い出の品も土地もなくなり、私の実家も埋まってしまいました。 そして2000年の噴火では、火山ガスという厄介なものが出てしまい、全島民が避難することに。4年5ヵ月の間避難して苦しい思いをし続けることになったのですが、島民の中には、「いっそ溶岩流で埋まってしまった方がすぐに復興にとりかかれて良かった」と言う人もいるぐらいで、それほど島を離れたことは辛いことでした。 『ロック ~わんこの島~』を拝見して、2000年の噴火を鮮明に思い起こしました。映画でもっとも印象に残っているシーンは、芯君が親元を離れて、一人で東京に行くところ。改めて、当時子供たちには本当にさびしい思いをさせてしまったなという気持ちになりました。 私はその頃、村長ではなく、行政側の防災関係者でした。8月18日の大噴火の後、子供たちを東京に疎開させたのは、島の宝物を大切にしなければいけないという断腸の思いからです。その後私は島民を避難させ、自分は数週間島に残り、火山ガスの推移を見てから東京に避難したんですが、故郷を愛していましたから、なぜ島を離れなければならないのかと悔しい思いをしたのを覚えています。 もちろん自然災害によって、ライフラインはだいぶ破壊されていましたが、どうにか生活できるんじゃないかと。でも、結局、避難は長期間に及ぶことになりました。 この作品はリサーチが効いていますね。噴火が起こった時の島の様子は、まさに映画で描かれているとおり。地震が頻発し、貴子さんのように震度が体感でわかるほどでした。 後半の東京に行ってからのパートも、我々行政関係者が知らない、島民の避難生活の実情も捉えていて良かったです。私自身、避難生活がこれほど長い期間になるとは思いもよらなかったとはいえ、時々島に戻ってライフラインが復旧していく様子を目にしていましたから、辛い中でも希望が持てたんです。 でも島民はそれを見られず、いつ帰れるか望みが全く持てない生活だったのですから、この映画で描かれているように本当に辛い思いをされただろうと改めて感じました。 「目に見えないものを信じろ。どんなに離れていてもつながっている」という台詞に、とても共感します。そう信じて頑張っていれば、いつかは故郷に帰れる。我々も長い避難生活の間、全国の人にお世話になって、故郷に帰ることを信じて、励ましてつながって、三宅島に帰りました。 今は復興に頑張っています。三宅島は、きれいな海と山、そして池があり、すごく野鳥の多い島なんですよ。海と山と鳥、そしていつまでも感謝の気持ちを忘れない“人の心”もこの島の魅力です。 <取材・文/森 裕美子><東京都三宅島三宅村長 平野祐康氏> |
○(5)<TRUE STORY>
<復興のシンボル犬、三宅島のロック> 「めざましテレビ」の人気コーナー、「きょうのわんこ」宛てに、三宅島で民宿を営む沖山勝彦さんから一通の手紙が届いたのは2007年のこと。そこに書かれていたのは、三宅島で生まれ育ち、アイドル的存在となった犬、ロック(雑種・オス)のエピソードだった。 2000年8月、雄山大噴火発生。噴煙は上空およそ1万4000mにも達し、三宅島は火山灰に飲み込まれ火砕流が発生。大量の火山ガスが放出されていることもわかり、およそ1ヵ月後には全島民に避難指示が出された。 当時、ロックは沖山さんが役場の職員として働く島の避難所の前をトコトコと動き回っていたが、避難するときになって行方不明に。混乱の最中、誰かがロックを避難する船に乗せてくれていたことがわかった。そのロックの情報が入ったのは、島のレストランの人のところ。 レストランのオーナーは、ロックが船に乗っているという電話をうけ、引取り人不明で連れていかれるのを避けるため竹芝桟橋まで迎えにいく。こうして、大災害の中、たくさんの島民の支えによって、ロックは飼い主・沖山さんと離ればなれになりながらも、奇跡的な再会を果たしたのだ。 その感動のエピソードを伝える新聞記事は、避難生活を続ける三宅島の人たちに大きな希望を与えた。避難先の東京では、島で一緒に暮らしていたおばあちゃんに頻繁に会いに行っていたロック。おばあちゃんに会うと何よりも喜んでいた。 そして――避難が解除されたのは噴火から4年5ヵ月後のこと。 なじみのレストランや商店で一休みすると、みんなが声をかけてくれる。青い海と青い空を眺めながら大好きな島を自由に歩き回り、その人懐っこいキャラクターで、島の人たち、そして観光客に可愛がられ、穏やかな日々を送っていた。 そんなロックを紹介した「きょうのわんこスペシャル」は、2007年6月に放映された。大きな反響を呼び、以来、ロック目当ての観光客も現れるほどに。「めざましテレビ」の角谷公英プロデューサーが、三宅島の“復興のシンボル”ともいえるロックのエピソードを、ぜひ映画にしたいと考えたのはこの頃のことだった。 2008年にロックのエピソードを映画化しようとプロジェクトがスタートし、スタッフはもちろん、中江監督自身も何度も三宅島を訪れた。しかし、2010年春先から体調を崩していたロックに悪性の腫瘍が見つかり、2010年7月15日、全島民から愛され、災害に負けず穏やかにたくましく生きたロックは、映画のクランクインを待たずに、まるで眠っているかのように静かに息を引き取った。 三宅島に生まれ、三宅島で育ち、自由気ままな愛くるしいキャラクターで、復興のシンボルともなっていた島のアイドル犬・ロック。 ロックは今日も三宅島の人々の心の中に生きている。 |
<文責:藤森弘司>
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