2011年5月31日 第106回「今月の映画」
ベン・ハー
監督:ウイリアム・ワイラー  主演:チャールトン・ヘストン  ジャック・ホーキンス  ヒュー・グリフィス  スティーヴン・ボイド

●(1)今月は2つの映画の紹介で、2つ目は名画「ベン・ハー」です。
今、立川のシネマシティでは、名画を50本、上映中です。もう10本くらい見ましたが、不思議と、今までどこかで見たことがあるのです。今回の「ベン・ハー」もどこかで見ていました。
特に記憶があるのが、戦車の競技の場面と、ハンセン氏病で業谷と呼ばれる隔離された場所に食料を運ぶ場面、キリストが磔になるところなどが鮮明に覚えていました。私(藤森)が少しは成長したからか、今までで一番感動した映画になりました。そのために、今月は2本目も紹介したくなりました。ユダヤ人の豪族の息子であるベン・ハーとローマ人のメッセーラは幼馴染の親友でした。やがてメッセーラは、ユダヤ人の都・エルサレムからローマに移ったが、出世して、再び、ローマ帝国が支配するエルサレムの司令官として赴任してきて、ベン・ハーと旧交を温めます。
しかし、チョットしたことから冤罪ではあったが、「反逆罪」に問われてしまう。ベン・ハーが無罪の口添えを依頼するが、出世主義になっていたメッセーラはこれを拒否する。
それから、ベン・ハーは奴隷になり、ガレー船の過酷な漕ぎ手になり、母親と妹は地下牢に入れられてしまう。ベン・ハーは復讐を近い、数奇な運命により、メッセーラに復讐するのですが、キリストの恨みから「愛」・・・適切に表現できないのですが、多分、「許す」こと・・・それがつまり「愛」だというのがキリスト教的なのだと思います。キリストがヨロヨロしながら十字架を背負って歩く姿の中にも満ち足りた雰囲気があり、それを見たベン・ハーが心打たれます。

人間、誰でも分かっていることですが、恨みを愛によって中和と言ったらいいでしょうか、「許す」ことは大変なことです。ベン・ハーも絶対許せない心境だったが、「恨み」が「愛(許す)」に変わる・・・その境地に至ったときに、母親と妹のハンセン氏病が快癒していました。多分、この映画は、キリスト教世界の極致を描いているように思えます。

「恨み」は「束縛」で、「愛」や「許す」ことは「解放」です。まさに自分自身を束縛していて、不自由な人生を送るのは「恨み」です。自由で開放的な人生が「愛」であり、「許す」ことです(日本的、仏教的極致は「許す」というのではなく、「許されている」境地らしいですが、私のレベルでは理屈になるだけですので、今はこれには触れません)。

○(2)<パンフレットより>

日本公開:1960年、上映時間:3時間43分(序曲6分・インターミッションあり)

ゴールデン・グローブ賞・作品賞・監督賞・助演男優賞(スティーヴン・ボイド)・特別賞(戦車競技場面の演出に対して)
アカデミー賞・作品賞・監督賞・主演男優賞・助演男優賞(ヒュー・グリフィス)・音響賞・・・・・

アメリカ国内歴代興行収入:第9位
日本での興行記録:1960年度外国映画ヒット・ランキング1位。テアトル東京で469日間上映され、観客動員953,000人。「ウエストサイド物語」に破られるまでの単館興行記録だった。

○(3)<ストーリー>

西暦一世紀の初め、ユダヤがローマ帝国の支配下にあった時代、ユダヤの都エルサレムにローマ駐屯軍の新将校メッサーラが着任した。彼はこの地の豪族の息子ベン・ハーと幼馴染みだった。しかし、メッサーラは立身出世主義者で、ベン・ハーとは相反する意志の持ち主となっていた。

ある日、ベン・ハーの一家がローマへの反逆罪に問われたが、メッサーラは無罪の口添えを拒否。ベン・ハーの母と妹は地下牢に入れられ、ベン・ハー自身は奴隷としてローマ軍のガレー船へ送られてしまう・・・・・。

○(4)<解説>

ルー・ウオレス将軍のベストセラー小説をカール・タンバークが脚色した一代スペクタクル・ドラマ。「ローマの休日」のウイリアム・ワイラーが監督し、アカデミー賞では「タイタニック」と並ぶ歴代最多タイ11部門で受賞を果たした。ゴールデン・グローブ賞の特別賞は、“戦車競技場面”に対して与えられている。

1年をかけてイタリアのチネチッタ撮影所に建設された古代ローマの巨大セットは、今見ても圧巻。広大なエリアに300ものセットをつくり、建設にはのべ数千人が携わったと言われている(このセットは、再利用を嫌ったスタジオ側が、撮影後まもなく解体した)。

また本作に加わった俳優やエキストラの数は5万人以上、とこちらも驚異的。本作の最大の見せ場である戦車競技の場面では、カットごとにシャッタースピードを落としたりレンズを特殊なものに交換するなどしてスピード感を演出。総製作費は1500万ドル、製作期間は6年半。公開されるや大ヒットを記録し、8000万ドルの収益を得て製作費は難なく回収された。

『ベン・ハー』の最初の映画化は1907年で、15分の短編だった。1925年には、当時としては破格の390万ドルもの製作費をかけて再映画化されており、本作は3度目の映画化に当たる。

○(5)<こぼれ話>

ベン・ハー役には当初「銀の盃」で古代劇を演じた経験のあるポール・ニューマンがキャスティングされていたが、「銀の盃」が酷評されたこともあり辞退。その後マーロン・ブランド、カーク・ダグラス、バート・ランカスターが候補に挙がるが決まらず、公開オーディションも行なっている。

後にマカロニ・ウエスタンのスターとなる無名時代のジュリアーノ・ジェンマがエキストラとして参加している。映画の前半脱獄したベン・ハーがメッサーラの部屋に押し入る場面で、彼の横で身構えている台詞のない副官がジェンマである。また、第二班監督には、後に「荒野の用心棒」を監督する、若き日のセルジオ・レオーネが就いている。

<文責:藤森弘司>

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