2011年12月31日 第113回「今月の映画」
●(1)今回の映画「レイルウエイズ・愛を伝えられない大人たちへ」は、サブタイトルがいいです。
人間は誰でも十分に「愛情」を持っているにもかかわらず、上手な伝え方を知らないがために、私たちはいつも人間関係、特に夫婦の関係をこじらせています。そういう困難さを感じている方々に、是非、ご覧になっていただきたい映画です。 人間というものは、まさに「人間関係」がすべてです。山奥に一人で生活するならばともかく、常に、誰かと「関係性」を持ちながら、私たちは人生を生きています。しかし、世の中では一番身近で、一番大切なことをおろそかにしながら、遠くをみつめて必死に生きています。 |
○(2)<パンフレットより>
<INTRODUCTION> 人生は鉄道に乗った長い旅―― 第2の人生、あなたは誰と生きたいですか―― 鉄道運転士の滝島徹は、仕事一筋の日々を過ごし、気がつけば59歳。ずっと専業主婦として彼を支えてきた妻の佐和子は55歳。徹の定年退職を1ヵ月後に控え、夫婦は第2の人生を迎えようとしていた。そんなある日、佐和子は出産を機に辞めた看護師の仕事を再開すると言い放つが、徹は妻の申し出を理解しようとしない。ふたりは口論になり、佐和子は家を飛び出してしまう。1度できた溝は深まる一方で、ついに佐和子は徹に離婚届を手渡す――。 これからの人生は、妻のためにと思っていた夫。これからは自分の人生を生きたいと願った妻。妻には夫の知らない“ある理由”があった。そばにいるのが当たり前すぎて、本当の気持ちを言葉にできないふたり。すれ違う夫婦の想いに、ひとり娘とその夫、徹の同僚や部下、佐和子が担当する患者一家の人生が交錯する。果たして夫婦がたどり着いた第2の人生の、思ってもみなかった出発地点とは――? シリーズ第2弾の舞台は、富山県の富山地方鉄道。雄大な北アルプスを背景に、どこまでも広がる田園風景が、あらためて日本の風土の美しさと豊かさを伝えてくれる。人生の節目に直面し、これからの生き方を模索する主人公の夫婦ふたり。その夫役には、主役から味わい深い脇役まで様々なジャンルの作品に出演し、日本映画界には欠かせない存在となった三浦友和。妻には、親しみやすさと凛とした美しさをあわせもち、同性から圧倒的な支持を集める余貴美子。 また、演技力が高く評価されている小池栄子、フレッシュな魅力をスクリーンに吹き込む中尾明慶、日本を代表する演技派女優である吉行和子ら、実力派キャストが集結した。監督は、本作が第1回監督作となる蔵方政俊。脚本はシリーズ前作に引き続き、小林弘利とブラジリィー・アン・山田。そして主題歌も前作同様、松任谷由実が手がけ、大人の愛を綴っている。 人生という旅のなかには、歳月を重ねてこそ感じる迷いや焦りがある。シリーズ第2弾では、立ち止まったり、寄り道したり、ときには後戻りしたり――そうやって自分の人生を見つめ直す夫婦とその周りの人々が、喜びと幸せを分かちあってきた、かけがえのない存在に気づくまでを描く。 いま、こんな時代だからこそ、人と人との絆を確かめたい――大切な人の手を離さずに、これからの人生を輝いて生きたいと願うすべての大人たちへ、勇気と希望を贈ります。 |
○(3)<STORY> 一番近くにいるのに、一番わからないあなた。 「まもなく終点、電鉄富山駅です」。今日も1日の勤めを終えた、鉄道運転士の滝島徹(三浦友和)。入社して42年、35年間無事故無違反で勤めあげ、あと1ヵ月で定年を迎える59歳。そんな徹に、毎日弁当をつくり続けた妻の佐和子(余貴美子)は55歳、ふたりは第2の人生を目の前にしていた。「話があるんだ」。ほぼ同時に、パンフレットを取り出して相手に見せる徹と佐和子。夫の手には国内旅行の、妻の手には在宅緩和ケアセンターのパンフレットがあった。「ここで働くことに決めました」と、先に話し出す佐和子。ひとり娘の麻衣の出産を機に辞めた看護師の仕事を再開したいと、以前も夫に話していたのだ。「とっくに終わった話だ」と不機嫌になる徹。自分のために時間を使いたいという佐和子は、「何が不満だ!」と一喝される。言い争いの最中に同僚が倒れたという知らせを受け、再び駅に戻る徹。乗務を終えて帰宅すると、佐和子の姿はなかった。 翌朝、麻衣(小池栄子)や、夫の片山光太(塚本高史)に電話をし、佐和子を探すが、連絡が取れないまま出社することに。そんななか、徹は入院した同僚の代わりに、新人運転士小田友彦(中尾明慶)の研修指導を頼まれる。緊張感のない小田に、いきなり「お前はこの仕事に向いてない」と厳しく接する徹。一方、佐和子は緩和ケアセンターで医師の冴木俊也(西村雅彦)から患者について説明を受ける。患者だけでなく、家族の力にもなってほしいと話す冴木に深く頷く佐和子。 その夜、母から事情を聞いた麻衣が、実家を訪ねる。勉強して頑張ろうとしている母を、なぜ応援しないのだと責める娘に、「家のことは誰がやるんだ」と、自分のことしか考えない徹。お腹の大きな麻衣は、もうすぐ孫が生まれるのにと、両親のまさかの別居に心を痛める。 担当することになった井上信子(吉行和子)の家を訪れる佐和子。末期癌の彼女は、残された時間を自宅で、娘と孫に囲まれて過ごすことを強く希望していた。信子にこの仕事を選んだ理由を聞かれた佐和子は、癌に罹った母が病院で苦しみながら亡くなり、後悔していることを話す。しかし信子に、母親の代わりだと思っているのかと不快感を示され、佐和子は悩んでしまう。 元上司の吉原満(米倉斉加年)と同僚の島村洋二(岩松了)と、定年祝いに温泉に出かけた徹は、再就職先を決めない理由を聞かれて、本当は運転士を続けたいのかもしれないと答える。吉原に「長いぞ、これからの時間は……」と言われた徹は、この先の人生について改めて思いを馳せる。佐和子の方も、看護師時代の友人である沢田良子(清水ミチコ)と会っていた。良子に復帰の理由を聞かれた佐和子は、徹には秘密にしている自分を変えたある出来事を打ち明ける。 徹が帰宅すると佐和子が待っていた。仕事はやればいいという徹の言葉を、うれしく思う佐和子。だが、徹は少し働けば気が済んで辞めるだろうと思っていた。「この仕事は、ずっと続けるつもりだから」「だったら出て行け!」徹の怒声への佐和子の返事は、自分の名前を書き込んだ離婚届だった。 美しく雄大な北アルプスも目に入らない沈んだ表情で、ただ黙々と運転を続ける徹。佐和子の誠実さに心を開き始めた信子を、心を込めて介護する佐和子。別々の人生を歩き始めたふたりだが、夕食のときなどふと相手のことを想うと、独りの寂しさが沁みた。 ところが、突然降りかかった事件が、再びふたりを引き寄せる。徹が運転する電車が落雷のため崖のうえに緊急停車。そこには黙ってひとりで外出した信子が乗っていた。信子の容体は急変するが、救急車は近寄れない。知らせを聞いて駆けつけ、崖をよじ登る佐和子に手を差し出す徹。そこには、夫が始めて見る妻の姿があった――。 |
○(4)<COLUMN>
<再出発へ出発進行>(文・川本三郎・評論家) カーヴしてきた電車がゆっくりと画面にあらわれ横切ってゆく。電車はさらに田園を走る。鉄橋を渡る。そしてゆっくりと町のなかへと入ってゆく。鉄道好きにはわくわくするような出だし。 前作は島根県の宍道湖のほとりを走る一畑電車の運転士を描いていたが、今回登場するのは富山県を走る富山地方鉄道(地鉄)。新幹線やJRの本線ではなく、地方の私鉄を取り上げる。この2作のいいところ。一畑電車も地鉄も車社会になり鉄道離れが進む地方で健闘している。その姿が50歳を間近に控え一大決心をして運転士になる男や、40年以上鉄道ひと筋で生きてきてもうじき定年を迎えようとする男の姿と重なり合う。 この映画の三浦友和演じる主人公は地鉄の運転士。妻(余貴美子)と娘(小池栄子)がいる。職人肌の男で、仕事に打ち込んできた。そのためか家庭をあまりかえり見なかったようで、妻が夫の定年退職を機に若い頃にしていた看護師の仕事をもう一度してみたいという気持ちを理解出来ないでいる。 夫婦の大事な話のさなかに会社から急に仕事の電話が入ると、そちらを優先してしまう。仕事人間である。といっても妻に感謝の気持がないというのではない。妻を思いやっていないというのではない。気持ちを妻に素直に伝えるのが下手なのである。 職場では35年間、無事故ということで同僚たちからは尊敬されている。真面目なので少し煙ったがられているようでもある。退職目前にして若い運転士(中尾明慶)の教育をまかされる。 「運転士は乗客の生命を預かっている」。だからもっと緊張して仕事をしろと。このベテラン運転士がいつも仕事第一に生きてきたのは、鉄道で働く人間は乗客の生命を預かっているという強い責任感だったからだと分かる。 鉄道ファンはつい忘れてしまうが鉄道はつねに事故と隣り合わせにある。事故が起きたら惨事になりかねない。安全に走っていて当たり前で、事故が起きると責任を問われる。運転士という仕事がいかに大変な仕事であるかが分かってくる。「子どもの時から運転士になるのが夢でした」と無邪気にいうだけでは運転士の仕事は務まらない。 この映画の三浦友和はほとんど笑顔を見せない。妻や娘の前でも厳しい表情をしている。ときには不機嫌そうにも見える。それはこの運転士が責任ある仕事を果たすために、いつも自分を律しているからだろう。 ただ、妻への配慮が足りなかったことは否定出来ない。昔の日本の男のように、妻は家庭にいるものという考えにとらわれていて、妻がもう一度、看護師の仕事をしたい、社会に出て働きたい、人の役に立ちたい、と思っていることが理解出来ない。妻だって、運転士という夫の大事な仕事に匹敵する仕事をしたいのだが、彼はそこに思い至らない。 妻が家を出て行き、ひとり残された彼は、妻の行動が理解できず、呆然とする。仕事は立派にこなしてきたのに夫としては何かが足りなかった。仕事から帰って来てひとり、コンビニの惣菜を食べる姿がわびしい。さらに決定的なことが起きる。妻が癌の検査でひっかかった事実を、彼は嫁婿(塚本高史)から知らされる。いちばん大事なことを妻は自分にいわなかった。長年連れ添った妻が夫を頼ってくれなかった。無論、妻は夫に無謀な心配をかけたくなかったからいわなかったのだろうが、夫としてはこたえる。 彼ははじめて酒を飲んで酔いつぶれる。河原に寝そべりひとり、考え込む。自分のどこが悪かったのか。このあたりの三浦友和の演技が素晴らしい。無骨な男の悲しみがよく出ている。 事故が起こる。鉄道に事故はつきもので、それが無事故を続けてきた彼の身にも起こる。雷が落ち、運転中の電車がとまってしまう。不可抗力の事故だが、運転士は船の船長のようなもので電車のなかのことに責任を持たなければならない。車内に末期癌の患者(吉行和子)が乗っている。 そこに看護師をしている妻が救急車で駆けつける。夫と妻は思いもよらないことから共に助け合って、患者を無事に病院に搬送する。人の命を救うという共同の仕事がふたりをもう一度結びつけた。彼は、事故を経験することで、仕事をしたいという妻の気持をはじめて理解する。事故のおかげというのが面白い。 鉄道の映画だから、やはり電車が走る姿がさまざまにとらえられている。富山地方鉄道は現在、4つの路線があるが、そのほとんどが白い雪をかぶった立山連山を背景に走る。雪山と鉄道の組合せが素晴らしい。定年の日を迎えた彼は、最後の仕事に向かう。乗るのは、若者が子どもの頃に憧れたといっていたレッドアロー号。西武鉄道のものだが引退後、地鉄に譲り受けられた。こういうことはよくある。一畑電車にも京王や西武の電車が走っている。 彼の運転するレッドアロー号が走る。ここを丁寧に描いている。地鉄の本線、宇奈月温泉から電鉄富山までの約50キロを走る。途中の駅では先輩が、同僚が手を振る。挙手する。線路の保守の仕事をしている作業員も電車に向かって手を振る。 走る電車を追う、学校に行くランドセルを背負った子どもたちの姿もいい。どこか懐かしい。その姿を見て、運転する三浦友和の顔にはじめて笑顔が浮かぶ。運転士のいちばんうれしい時間かもしれない。田園のなかの野良踏切のところでは娘が手を振る。時速何百キロもの鉄道ではこんなに皆が手を振る余裕はない。ローカル鉄道ならばこその良さだろう。 終点の電鉄富山では妻が待っているのはいうまでもない。 ※「レッドアロー」は西武鉄道株式会社の登録商標です。 |
<文責:藤森弘司>
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