2011年10月31日 第111回「今月の映画」
僕たちは世界を変えることができない
監督:深作健太   主演:向井 理   松坂桃李   柄本 佑   窪田正孝   阿部 寛

●(1)この映画「僕たちは世界を変えることができない」は、力みがないのが良かった。

主演の向井理は、NHKの大河ドラマ「江」で活躍していますが、淡々とした雰囲気が好感持てます。カンボジアに学校を建てようとする力みというか、何かいいことをしようという愛情物語的でないのがいい。

愛とか平和とかはよくわからないけれど、“みんなが笑顔になると自分も幸せだ”と気づいた大学生の真っすぐな気持ち、ここに魅かれました。
募金活動もいろいろな運営も下手くそだが、ただ一生懸命に取り組んでいる姿が良かった。単純に好感が持てる映画でした。
と同時に、ポル・ポト政権の残酷政策には驚きました。人間という生き物は、状況によっては何でもやってしまう生き物だと改めて思いました。

悲惨な場面もありますが、爽やかに楽しむにはいい映画のように思います。

マザー・テレサ

 私たちは、この世で大きいことはできません。
小さなことを大きな愛をもって行うだけです。

 ○(2)<パンフレットより>

<introduction>

向井理、はじめての映画主演作。
現役大学生の実話をもとに描いた、
“笑顔のチカラ”に心ふるえる物語。

2005年、当時医大生だった葉田甲太は、カンボジアに小学校をたてるために募金プロジェクトを立ち上げた。ノリで始めたこの活動の中で、恋や友情、社会の問題に直面し、自分自身を見つめなおしていく姿をリアルに綴った『僕たちは世界を変えることができない。But, we wanna build a school in Cambodia.』(小学館文庫)。

08年に自費出版された彼の体験記は、カンボジアという国に出会い、愛とか平和とかはよくわからないけれど、“みんなが笑顔になると自分も幸せだ”と気づいた大学生の真っすぐな気持ちが書かれ、それが読者の心にストレートに届き、ネットなどで大反響を呼んだ。そして今回、最高のキャスト&スタッフが結集、このノンフィクションをもとにした感動的なストーリーが映画化された!

主人公の医大生・田中甲太(コータ)を演じるのは、現在若手俳優陣の中でも最も注目を集める俳優・向井理。カンボジアを“大切な第2の家族の国”と呼ぶ彼が、本作品と運命的に出会い映画初主演を果たす。共演は、一見華やかな学生生活を送りながらも物足りなさを感じプロジェクトに参加するイケメン大学生・本田充に松坂桃李。コータとともに活動に励む大学の友人・芝山匡史に柄本佑、矢野雅之に窪田正孝。また、コータが想いを寄せる看護学生・久保かおりに川村絵梨、バーのマスターに独特の個性が光るリリー・フランキー、大学の解剖学教授・近藤に実力派俳優の阿部寛が扮する。

監督は、『バトル・ロワイアルII[鎮魂歌]』(03年)の深作健太。カンボジアの活気あふれる街並み潜む内戦の爪痕や子供たちのピュアな笑顔を映像美でとらえ、フィクションとドキュメンタリーが溶け合った演出で新たな《真実の物語(トゥルーストーリー)》を描き出している。

○(3)<STORY>

150万円で小学校を建てる! 地雷の眠るこの国で、
僕たちはキラキラした笑顔と、自分たちの知らない世界に出会った――。

バイトして、コンパに行って、ベンキョーして……不満はないけど、なんだか物足りない。これが医大に通う大学2年生・田中甲太(コータ)の現実。そんなある日、ありきたりな毎日を変える、あるモノに出会った。郵便局に置かれた海外支援案内のパンフレット。そこには、「あなたの150万円の寄付で、カンボジアに屋根のある小学校が建ちます」という文字が……。

頭の中で何かが弾けたコータは、知り合い全員にメールを送信。「カンボジアに小学校を建てよう!」ところがコータのもとに集まったのは、たったの3人。いつもの仲間の芝山と矢野、そして合コンで知り合った本田だ。それでもコータは学生サークル“そらまめプロジェクト”を立ち上げ、チャリティーイベント開催!早速、人集めのために馴れないナンパをしてみたり、地味にビラを配ったり……。本田のおかげで1回目のイベントはなんとか成功するが、そういえばカンボジアってどんな国? コータたちは、スタディツアーと称して、カンボジアへと飛んだ。

ところが、到着したのは東南アジアの最貧国。地雷の眠る村で生活する人たち、HIV感染者の現実、そして学校に行けない子供たち……想像もできないような世界や現実を目の当たりにし、うなだれるコータたち。さらに日本に戻ると、思わぬ災難が待っていた。イベントに協力してくれていたIT企業の社長が違法取引の容疑で逮捕され、サークルの評判はガタ落ち。せっかく集まった仲間たちもボランティアに疑問を持ちはじめ、ついには仲間割れ。しかも、大学の単位もギリギリアウト……!?「ほんとうは何がやりたかったんだろう?」絶望の中、カンボジアの子供たちのピュアな笑顔を思い出すコータ。果たして、子供たちの笑顔は、コータをどこへ導くのか?そして、子供たちのために小学校を建てることができるのか?

○(4)<カンボジア・ロケ>

 2010年11月8日(月)~11月25日(木) プノンペン/シャムリアップ

誰もが思わず絶句したポル・ポト政権時代の深い傷跡
首都プノンペンに主要スタッフ、キャストが集合したのは11月8日のこと。葉田甲太も実際に宿泊したという「アジア・ホテル」を拠点に、撮影隊一行は11月12日、ツールスレン博物館、キリング・フィールドというプノンペンでの二大撮影地へと向かった。

ポル・ポト政権下で数百万人もの民衆が虐殺されたというカンボジア。その暗黒の時代に収容所だったツールスレン博物館は、非道な政治の犠牲者の記録を今に残す場所だ。撮影では、俳優たちが収容所跡を順次見学し、反応する様子をリハーサルなしで、そのまま写し取るという方法がとられた。深作監督のモットーがここでも貫かれたわけである。案内役のコー・ブティは実際に葉田甲太の現地ガイドを務めた人物であり、幼少の頃、政府の弾圧で家族を失っている被害者の一人でもあった。今回「少しでもカンボジアの実情が伝われば」との思いで出演を決意したという。

同じくブティの案内で訪れたキリング・フィールドもまた、その名の通り、あまりにもむごい殺戮の原野だった。もはや俳優たちに語る言葉はない。撮影後、山のように遺骨が積まれた慰霊塔を前に、膝を折って拝礼した向井、松坂、柄本、窪田の姿が印象的であった。

<エイズ患者役ネアリーの輝きと象に乗っての世界遺産周遊>

11月15日、撮影隊はシャムリアップへとロケ地を移動した。陸路を車で約7時間。着いた先はプノンペンとは打って変わり、観光地として整備された街だった。その一角にあるシャムリアップ州立病院では、エイズ病棟を訪ね、入院患者の一人ソッピアに出会うというシーンが撮影された。

ソッピア役のネアリー・チャンは、ブティの推薦によって選ばれた一般女性。貿易会社に勤務し、日本語も堪能な彼女は学生時代のわずかな演技経験しかなかったが、「エイズ問題を訴えることができれば」との動機で映画出演を決めている。矢野(窪田正孝)の心を動かすほどの澄んだ存在感は、映画を見ての通りだ。そして実際のエイズ病棟でも、ドキュメンタリー手法で撮影は敢行された。

また、シャムリアップといえば、何といっても世界遺産にも登録されているアンコール遺跡が有名。撮影隊もアンコール・トム周辺で象に乗って観光に興じるコータたちの姿や、タ・プロームを歩き回るコータの夢のシーンをカメラに収めている。なお、シャムリアップ入りしてからというもの、ほとんど4人で行動していた向井、松坂、柄本、窪田たちは宿泊先のホテルのプールで一緒に遊ぶことが日課になり、人気繁華街のパブ・ストリートへそろって繰り出すなど、急速に絆を深めていったのだった。

<子供たちの笑顔がまぶしい開講式
万感の思いで迎えたクランクアップ
「生きる希望をありがとう!」

開校式のシーンが収められたチャラス村は、シャムリアップの中心街から40分ほど車で行った場所にある。201世帯、1,247人の村人が暮らす同村には、1998年に建築された小学校があり、それを改修する形で今回の映画は使用している。開校式の場面では実際に小学校に通う児童332人が集められ、向かいを始めとするサークル・メンバーの俳優たちと屈託なく遊んだ。

ちなみに、撮影当時のカンボジアの平均気温は33~34℃。直射日光に当たると体感温度で37~38℃くらいまで上がるため、子供たちと走り回った向井たちが汗まみれになるのは当然のことだった。しかし、本当にアツかったのは現地の人々の温もりだった。本当にまぶしかったのは子供たちの笑顔だった。ここに郵便局で見た笑顔があった。この笑顔にたどり着くまでの旅だった。児童を前にしたスピーチで「生きる希望をありがとう!」と向井は謝辞を述べた。そんな言葉、脚本にはない。まさに心の底からにじみ出た、素直な感謝の気持ちの表れだった。

11月25日、向井理、クランクアップの日。仲間の俳優は既に全員帰国していた。主演俳優はただ一人、荒れ地に鍬を打ちつけていた。その姿をブティが優しく見守っている。やがて深作監督から「OK!」の声が響くと、夕暮れ間近のオーチュンロンの大地で、向井はスイット少年と共に万感の思いを胸に立ち尽くしていた。
笑顔が最も映える大地で、向井理の初主演映画の撮影はこうして終わった。

○(5)<LOCATION MAP・ロケ地MAP>

[正式国名]・・・カンボジア王国
[面積]・・・18.1万平方メートル(日本の約50%)
[人口]・・・1,340万人
[首都]・・・プノンペン
[政体]・・・立憲君主制
[民族構成]・・・クメール人90%/ベトナム人5%/華人1%/その他民族4%
[宗教]・・・約90%が仏教徒(一部少数民族はイスラム教徒)
[言語]・・・公用語:クメール語
[通過]・・・リエル
[世界遺産]・・・アンコールワット/プレア・ヴィヒア寺院
※2011年4月現在

<Phnom Penh プノンペン>

■ツースレン博物館・・・・・コー・ブティの案内でポル・ポト政権時代の収容所跡を巡回するシーンで登場。A~Dの4棟に分かれており、それぞれ拷問部屋跡、記録写真館、独房跡、イラスト&遺骨展示館となっている。元々は高校だった場所で、従業員は100人程度。年間数千人の観光客が訪れているという。

■キリング・フィールド・・・・・ツールスレン同様、ポル・ポト政権時代に残虐行為が行われた場所。埋められた遺体を掘り起こした窪みが点在するが、全ての犠牲者が確認されたわけではない。敷地中央の慰霊塔には彫り出された遺骨の一部が年齢別にガラスケースの中に収容されている。同地の歴史や遺品を並べた小展示館も敷地内にある。

<Siem Reap シェムリアップ>

■チャラス村・・・・・ワゴン車が水たまりにハマる場面、そこから這い出たコータたちが小学校へ向けて歩いて行く場面、小学校建設予定地をコータたちが訪ねて授業風景を見る場面、校庭でコータたちが子供たちに将来の夢を尋ねる場面、開校式の場面などを撮影。草木でつくられた青空学校同然の小学校は美術スタッフの手による撮影用のオープンセットで、撮影後にスタッフ全員の手で解体された。

■シェムリアップ空港・・・・・ガイドのブティが、スタディツアーに訪れたコータたちを迎える場面、日本に帰るコータたちを見送る場面、開校式のためにやってきたサークルメンバーを出迎える場面などを撮影。見送りの場面では、空港にやってくる送迎バスが後を絶たず、その人混みと喧噪で、なかなか撮影が進まなかった。

■シェムリアップ州立病院・・・・・コータたちがエイズ病棟を見学し、患者の一人ソッピアと面会する場面、担当医からソッピアの死を知らされる場面などを撮影。歓楽街と隣接する病院の中庭は狭く、窓ガラスの映り込みもあるため、できるだけ少ない人数で撮影が進められた。またエイズ病棟もデリケートな場所柄、最少人数での撮影となった。

■アンコール・トム/タ・プローム/アンコール・ワット・・・・・カンボジア随一の観光地。コータたちが象に乗って周遊する場面はアンコール・トムのバイヨンで撮影、コータが夢の中で彷徨う場面は主にタ・プロームで撮影された。アンコール・ワットの寺院も実景として早朝時の姿が劇中に登場している。

■オーチュンロン・・・・・シャムリアップ市街から車で1時間ほどの、タイとの国境近くにある場所。スイット少年の住む村と家、地雷で体に傷を負った3人組ミュージシャンの演奏、コータが鍬で必死の開墾をする荒れ地の場面などを撮影。スイットの家は美術スタッフによってつくられたもの。

■パブ・ストリート・・・・・シャムリアップの繁華街にある観光客に人気の通り。「テンプル・クラブ」と呼ばれるお店では、コータたち4人がご飯をかき込むように食べる場面が撮影された。

<文責:藤森弘司>

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