2010年7月31日 第95回「今月の映画」
原作:永瀬隼介<閃光>(角川文庫)
監督:伊藤俊也 主演:渡辺大 奥田瑛二 かたせ梨乃 川村ゆきえ
●(1)この映画「ロストクライム」は、42年前の「三億円事件」がテーマです。あまりにも鮮やかであり、そして誰も傷つけずに成し遂げた事件。遺留品もたくさんあり、犯人はすぐにも逮捕されそうでありながら、現在まで未解決の事件です。 それを、「未解決なのはこのような事情があるからであろう」と推理した映画が「ロストクライム」です。かなり真相に近そうなストーリーで、原作者も監督もそのように感じているから書いたのであり、映画化したのでしょう。私自身、若い頃、このモンタージュ写真をみたことがあり、大変身近な事件でもありますが、今回取り上げたのは、次の3つの理由によります。①「検察審査会についての一考察」でもたびたび触れましたが、警察の取り調べのきつさです。「小沢事件」での石川知裕議員は、かなり厳しい取り調べがあったように推測されています。元福島県知事の佐藤栄佐久氏の「冤罪の汚職事件」もそうです。佐藤氏は次のように語っています(「トピックス」第20回より)。 <<<「私の事件では、特捜部の過酷な取り調べによって、弟の会社の総務部長と私の支援者、そして東急建設の支店長2人が自殺を図りました。総務部長は一命を取り留めましたが、今も意識は戻らないまま。ベッドの上で男性の声を聞くと、検事の声を思い出すのか、険しい表情を浮かべ、顔を背けるのです。よほど取り調べがツラかったのでしょう・・・・・」 東京地検に出頭した佐藤氏の後援会の幹部たちは「栄佐久の悪口を何でもいいから言ってくれ」「15分以内に言え」「想像でいいから言え」「もう図は完成していて、変えられないんだ」と執拗に迫られたという。 「いま、『取り調べ可視化』が取り沙汰されていますが、検察の恫喝には抜け道がある。弟は拘置所に向かう車中で『中学生の娘が卒業するまで出さない』と脅されました。相手は今から取り調べを受ける検事ですよ。あまりに卑劣です」 一方で検察は有利な証言をした人物を手厚くもてなすようだ。 東大法卒、参院議員を経て知事5期。「改革派知事」として霞ヶ関と戦ってきた佐藤氏には、今の検察の動きこそ、「霞が関官僚の行動原理の縮図」と映る。 ②<<<東大法卒、参院議員を経て知事5期。「改革派知事」として霞ヶ関と戦ってきた佐藤氏>>>でさえ、このような心境になってしまうのですから、私(藤森)など、アッサリ、検察のストーリーに合わせて何でも言ってしまいそうな気がします。有力な政治家を抹殺し、自殺者が出ても平気の平左、自分の立場しか考えない人間ほど恐ろしい人間はいません。そういう恐ろしい人間が「権力」を持っていると・・・・・??? さて、取り上げた二つ目の理由は、このホームページのテーマの一つである「親子関係」のあり方に参考になると思ったからです。親子関係の問題を抱えていらっしゃる方の参考になる部分があるように思えます。 ③映画「踊る大捜査線」での有名な言葉に、「事件は現場で起きている」というのがあります。全ての場合に言えますが、まさに事件は現場で起きています。上層部が「現場」の意見を重視せず、上層部の、例えば「政治的立場」や「出世」や「プライド」などが優先されるとき、案外「冤罪事件」が起きるのではないかと思いました。 さて、それはともかく、現場の刑事さんたちは本当に大変だなと思いました。現場の大変さ、足で稼ぐ刑事さんの大変さをご紹介したいと思いました。多分、家庭でも同じでしょう。いくら食事の仕度をしても、誰からも感謝されずに、黙々と、何十年も作り続ける奥さんの大変さ!!! |
○(1)<プログラムより> <真実は、封印されていた!> <“3億円事件”の裏に浮かび上がる衝撃の真実とは・・・・・> <事件史上最大のタブーに挑み、世紀の完全犯罪がついに解決> <世紀の大事件> 高度成長の只中に、若者たちが持て余したエネルギーを反体制運動に注ぎ、世界の矛盾をラディカルに問うた時代に、その事件は起こった。 <組織に抗い事件を追う刑事たちの奔走、生きながらえてしまった犯人たちの数奇な運命、悲哀に満ちた親子の葛藤・・・・・。事件の裏側に繰り広げられる人間の業(罪と欲)に迫る堂々たるサスペンス大作!> 現代において発生した1件の殺人事件から、次第に三億円事件という大きな闇に呑み込まれる二人の刑事。かつて世紀の完全犯罪と謳われた事件の犯人たちは、その後どのような人生を送り、今何を思うのか? ジャーナリスト出身の作家・永瀬隼介が「三億円事件」という題材に真っ向から取り組み、緻密な文体と重層的なプロットで迫った原作を元に、本作は事件の表層から最深部へと迫る。当時ヒーローともてはやされた犯人たちの真の動機、目的とは何だったのか? 犯行後、彼らがたどった数奇な人生と、待ち受けていた苛酷な運命、さらには実行犯と言われ事件直後に謎の自殺を遂げた少年と、警察官である父の悲哀に満ちた葛藤・・・・・三億円事件に翻弄された人間たちの底知れない業<罪と欲>の深さと、彼らが生きた激動の時代を余すところなく描き尽くし、単なる“事件解決ドラマ”ではない、魂を揺さぶる人間ドラマを骨格に据えた、堂々たるサスペンス超大作に仕上がった。 <若手実力派からヴェテランまで 豪華で多彩なキャストが競演!> 事件を追う二人の刑事に扮するのは、スケール感溢れる若手実力派として注目を集める渡辺大と、近年では監督として国内外での評価も高いヴェテラン・奥田瑛二。始めは出世という野心から捜査にのめり込みながらも、次第に正義感が芽生える若輩刑事と、事件発生当時、犯人逮捕を目前にしながらも、組織の壁にぶち当たり挫折、しかし「この足に時効はない」と定年まで執念で事件を追う老刑事をそれぞれ好演。さらに川村ゆきえ、武田真治、かたせ梨乃、宅麻伸、中田喜子、烏丸せつこ、熊谷真実、原田芳雄、夏八木勲といった豪華で多彩な顔ぶれが並ぶ。 |
○(2)<STORY>
<始まりは、ありふれた殺人事件だった> 隅田川で絞殺死体が発見された。野心溢れる所轄署の若手刑事・片桐慎次郎は、定年間近のヴェテラン刑事・滝口政利とコンビを組まされる。自ら捜査メンバーへ名乗りを上げた滝口は、上層部の指示も聞かず独自の捜査を開始。その振る舞いに苛立つ片桐だったが、滝口から、殺された男・葛木勝が“三億円強奪事件”の最重要容疑者の一人であったと聞かされ震撼する。 1968年12月10日、まるで警察権力をあざ笑うかのように、見事な手口で現金輸送車から三億円を強奪し、多数の遺留品を残しながら、逮捕に至らずついに時効を迎え、「戦後最大のミステリー」といわれた世紀の大事件。滝口はその当時犯人を追っていた捜査員の一人だったのだ。滝口の家で当時の資料を読み漁る片桐。そこには、葛木の他に数人の顔写真があった。 「本ボシは複数ってことですか?」 <34年前、警察が“三億円事件”の犯人グループをほぼ特定しながら、なぜ事件を解決できなかったのか・・・・・> 宮本の怪しい警告を受けて、翌朝片桐は滝口の元に駆け込む。三億円事件の裏側には、いったいどんな真実が隠されているのか?なぜ警察はその真実を明かせないのか?滝口は重い口を開き始めた。 それは、事件の主犯格と目された男・緒方純の父親・耕三が警察官であり、そのことを隠蔽しようとした警察が事件自体を闇に葬り去ったという事実だった。 上司である捜査第一課の管理官・藤原に呼び出された滝口は、ある名前を口にする。「その名前を出してはいけません。それは劇薬です。あなたが出してもいい名前は、緒方までです」冷酷に言い放つ藤原。そして滝口は捜査から外される。 そこで二人は宮本から、葛木が殺されたのは、三億円事件の真相をマスコミに売ろうとしたのがばれ、仲間から口封じにあったためだと知らされる。さらに宮本は二人に極秘資料をちらつかせ、滝口にトップシークレットを開示するよう迫る。滝口かの口から出たのは、とんでもない事実だった。 <ついに明かされる驚愕の真実とは?そして事件の闇にたどり着いた人間の運命とは・・・・・> |
○(3)<戦後最大のミステリー「三億円事件」とは・・・>
<1968年12月10日、約3億円もの現金が、白バイ警官を装った男によって鮮やかに強奪された・・・・・!当時、その真相を巡って日本中が揺れたこの事件は、未だ解決をみず、戦後最大のミステリーと呼ばれている> <犯行のシナリオ> 犯行が行なわれたのは、強い雨が降っていた、午前9時30分ごろのことだった。東京・府中刑務所北の外壁沿いの道を走っていた日本信託銀行国分寺支店んおセドリックが、後方から近づいてきた白バイ警官に車を止められ、「この車に爆薬が仕掛けてある」と告げられる。 <犯人の足取り> <謎の犯人像> いったい犯人はどんな男なのか?事件発生後、困難を極めた警察の捜査は、さまざまな仮説をもとに複数の犯人像を打ち立てた。中でも、日本中から注目を集めたのが、モンタージュ写真が公開された「白バイの男」である。事件発生後から11日後に、犯人と接触したセドリックに乗っていた4人の証言を元に作成されたその写真は、新聞に大きく掲載されたほか、現場付近の飲食店や一般家庭にも配布された。 さらに、事件発生から5日後に自殺を遂げた白バイ警官の息子説、学生運動家や過激派説、さらに警察関係者説などの犯人像が浮かび上がったほか、その犯行の“計画性”といった部分から、複数犯ではないかという説もあったようだ。だが、いずれにしても確証は得られなかった。 <昭和の名刑事・平塚八兵衛の奔走> 捜査がなかなか進展しなかった1969年4月,“捜査の神様”とうたわれた名刑事・平塚八兵衛が参加。「帝銀事件」「下山事件」、そして「吉展ちゃん誘拐事件」など、数々の難事件で独自の鋭い視点を貫き、貢献してきた存在だっただけに、周囲からも大きな期待が寄せられたようだ。平塚は捜査を一から洗い直し、単独犯行説を唱えて、引退を延長するほどまでに心血を注いだが、結局、事件は解決を見ることはなかった。 <別事件との接点> 「巣鴨の支店長の家が爆破されました!」犯行当時、白バイ警官を装った犯人が、現金輸送車を止める際に告げたのがこの言葉。実は事件発生の5日前、日本信託銀行国分寺支店長あてに脅迫状が届くという事件が発生していた。 |
○(4)<1968年、みんな「反抗」し、「造反」していた>(粉川哲夫・評論家)
ある時代を理解するには、年表を見てもわからない。この映画が描く「三億円事件」が起こった1968年は、ベトナムで米国の敗色がはっきりと見え始める一方、米国内ではキング牧師の暗殺、ヨーロッパではパリの「五月革命」、東欧ではソ連が率いるワルシャワ条約機構軍によるチェコに侵入など、世界中が激動の渦にもまれた。 日本でも、原子力空母エンタープライズ号が佐世保に入港し、反対・反戦のデモが高まった。東大紛争、日大紛争、成田空港の開港を阻止する闘争があらわになったのもこの年だ。 思想などより、むしろ、柳田國男が言った「世相」をとらえる方が、手っ取り早い。映画が時代を描くことに成功するのも、映像や音は、個々の事物に注視させ、世相つまりは時代の雰囲気・気分をまるごととらえるのに向いているからだ。 1964年の東京オリンピックで街からゴミ箱が消え、ゴミ回収車が走るようになり、「アメリカ的生活様式」が徐々に広まった。しかし、1968年には、まだ「マクドナルド」は存在しなかった。その第1号店が銀座に登場するのが1971年である。各家庭にシャワーが付くのも、だいぶ後のことである。ラジカセがやっと登場したが、まだ高価だったので、誰もが持っているわけではなかった。その10年後に登場するウォークマンにくらべると、若者の音楽生活やライフスタイルを決定的に変えるメディア機器はまだ見当たらなかった。 1968年は、「政治の季節」と言われるが、誰もが政治運動に関わったわけではない。日々の生活に追われている者が大半であり、反戦デモに参加したり、大学で当局とにらみあっているのは、人口比率としては少数だった。 しかし、この時代には、大部分の人が、反抗したり「造反」したりする気分は旺盛で、とりわけ国家権力の顔であるような役所や組織に対しては、些細なことでも異議を申し立てた。とりわけ警察を肯定的に見る者は少なく、政治運動の活動家ではなくても、警察官や刑事というと、まず警戒するのが普通だった。いまの時代にたとえれば、夜中に自転車を転がしている高校生の気分が一般的だったのだ。まだこの時代には、「おいこら警察」(何か不審な行動をしていると「おい」とか「こら」とか恫喝する)という言葉も死んではいなかった。その点、いまの警官や刑事は(この映画の渡辺大のように)ずいぶんスマートである。 大学でも、学校当局の管理強化や学費値上げに反対して抗議のビラを貼ったり、タテカンを立てたり、さらには校舎を封鎖するというようなアクションが日常的だったが、教壇に立つ教師の言ったことに反論するとか、態度が反動的だとして抗議する学生はごく普通にいた。いまこういうことをやったら、完全に浮き上がってしまうし、「・・・・・症候群」というようなレッテルを貼られて、病院行きを勧められるかもしれない。 ところで、「三億円事件」は、1968年という時代を象徴する事件ではなかった。というのは、この時代は「武闘」(ゲバ)志向が強く、それがますますエスカレートして「武装蜂起」の方向に進んだが、この事件は全く逆のやり方をしたからだ。 「三億円事件」そのものは、誰が何を意図してやったのか不明なわけだが、腕力よりも「知力」を駆使して「騙し」と「偽装」の手口で権力の裏をかくという方法は、1980年代以後のヨーロッパの海賊テレビや、アメリカの衛星ジャック、さらにはネットハッキングなどで世間に知られるようになる。 が、2010年のいま、そうしたものも含め、「パイラシー」のカルチャー自体が終わりつつある。それは、権力自身が、ストレートには抑圧的な態度を見せなくなったからであり、「危機管理」というコンセプトがあたりまえのものになって、あなたやわたしが反抗的態度をあらわにすることが危険になってしまったからである。 <1968年を物語るトピックス> ■全共闘・・・・・・・・・(略) ■ソンミ村の虐殺・・(略) ■五月革命・・・・・・・フランスのパリ(略) ■プラハの春・・・・・(略) ■新宿騒乱事件・・・(略) ■メキシコオリンピック・(略) ■川端康成がノーベル文学賞受賞・(略) |
<文責:藤森弘司>
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