2010年3月31日 第91回「今月の映画」
おとうと
監督:山田洋次   主演:吉永小百合   笑福亭鶴瓶   蒼井優   加瀬亮

 ○(1)<プログラムより>

<家族という厄介な絆>

骨肉の争いという言葉があるが、肉親同士が時として、他人以上に憎しみ合ったりするのは、誰にでも思いあたることだろう。映画やテレビの“ホームドラマ”は家族があのようにありたい、という観客のあこがれを描くのだろう。
ぼくには、タイトルもそのものずばりの『家族』という作品があるし、『寅さんシリーズ』48作を通して描きたかったのは、寅さんをめぐる家族の絆、その苦しみと悩みと喜びについてだった。
さて、寅さんシリーズが、愚かな兄と賢い妹の滑稽譚だったとすれば、今度の『おとうと』は、賢い姉と弟の、可笑しくて哀しい物語である。
1960年に市川崑監督によって製作された名作『おとうと』と、あえて同じタイトルをつけ、この作品を敬愛する市川崑さんに捧げたい。

2009年4月28日  山田洋次

 ○(2)<物語>

<みんな、どうしようもないあなたが、好きでした・・・・・>

東京の私鉄沿線、商店街の一角にある高野薬局。夫を早くに亡くした高野吟子(吉永小百合)は、女でひとつで一人娘の小春(蒼井優)を育てながら、義母の絹代と三人で暮らしている。小春とエリート医師の結婚が決まり、一家は幸せの頂点にあった。

結婚式の前日、吟子は宛先人不明で戻ってきた招待状を受け取る。大阪で役者をしているはずの弟・丹野鉄郎(笑福亭鶴瓶)だ。酒を飲んで大暴れした吟子の夫の十三回忌を最後に、音信不通になっていた。鉄郎が来ないと分かった絹代は「ああ良かった」と安堵の表情を浮かべるのだった。

式の当日、吟子の兄・庄平は、「お世話になりました」と吟子に頭を下げる小春を見ただけで涙ぐむ始末。ところが、和やかに始まった披露宴に暗雲が・・・・・。羽織袴姿の鉄郎が、汗だくになって駆けつけて来たのだ。庄平に、酒を飲むなと強く釘を刺されるが、我慢できたのは最初の数十分だけ。若者に交じって酒を一気飲み、頼まれてもいないスピーチでマイクを独占、ディナーショーさながらに会場を歩きまわって浪曲の披露、あげくはひっくり返し・・・・・と大暴れ。新郎の両親にさんざん文句を言われた庄平は、鉄郎と縁を切ると宣言する。

一方の吟子は、思えば、ずっと鉄郎をかばってきた。鉄郎が学校でタバコを吸えば謝りに行き、万引きしては警察に引き取りにも行った。「いい歳した弟のために謝りに行くの、うんざりよ」そう言いながらも、翌朝、大阪に帰る鉄郎に電車賃をそっと渡すのだった。

小春の結婚生活は長くは続かなかった。育った環境の違い、夫の多忙、そしておそらくは鉄郎の件も。やがて離婚が成立し、再び高野家で三人の暮らしが始まった。
ある夏の日のこと、鉄郎の恋人だという女性が、借金を返してほしいと高野薬局にやって来た。鉄郎直筆の借用書を見せ、鉄郎と連絡が取れないので、いくらかでも返してもらえないかと。申し訳なさそうにする彼女を哀れに思い、吟子はなけなしの預金を引き出すと、借金全額を手渡すのだった。

ほどなく、鉄郎が東京に現れる。吟子の様子からすべてを察した鉄郎は言い訳をするが、その不誠実な言動に、「もうこれきりにして、お姉ちゃんなんて呼ぶのは」と、吟子は鉄郎に絶縁を言い渡す。「わいみたいな、どないにもならんごんたくれの惨めな気持ちなんか分かってもらえへんのや」と鉄郎。その後、消息はぷっつりと途絶えてしまった。
穏やかな日々が過ぎ、高野家では、鉄郎のことが話題に上ることはなくなっていった。

小春をひそかに想い続けていた幼なじみで大工の長田亨(加瀬亮)が、何かと高野薬局に顔を出すようになり、小春の表情にも明るさが戻ってきた。しかし、吟子だけは、最後に会った時の顔色の悪い鉄郎の姿が忘れられず、心配で大阪の警察に捜索願を出していたのだった。
吟子の心配は的中。消息不明だった鉄郎が、救急車で病院に運ばれたという連絡が入った。反対する小春を諭して大阪に向かう吟子。駆けつけた施設で、吟子の恐れは現実となる。鉄郎の身体中にガンが移転、あと何ヶ月も生きられないというのだ。
吟子は去来する想いを胸に、鉄郎と再会を果たすが・・・・・。

 ○(3)<特別寄稿>

<「幸せな死に方」をお膳立てする舞台>
<「みどりのいえ」とその源流>(中村智志・・・朝日新聞出版「週刊朝日」副編集長)

『おとうと』で鉄郎を演じた笑福亭鶴瓶さんが、2009年11月9日に開かれた完成報告会見で、繰り返しこう話していた。
「鉄郎はむちゃくちゃな男ですわ。救いのないような男が、なんでこんな幸せな死に方ができるのや。すごいなあと思うて」

たしかに鉄郎は人なつこいけれども奔放で酒癖も悪くだらしない。姉の吟子をはじめ家族に迷惑をかけ続けて姿を消す。孤独死してもおかしくないのに、吟子や姪の小春らに看取られて旅立つ。
そんな「幸せな死」のお膳立てをしたのが、大阪市西成区にあるという設定の「みどりのいえ」だ。簡単に言えば、身寄りのない人たちを受け入れる民間のホスピス。行き倒れ状態で病院に担ぎ込まれた鉄郎を引き取り、「鉄ちゃん」と呼んで家族のように接している。映画を観終わったあとにも、じんわりと心に残る舞台である。
こんな奇特な施設なんて、映画の中の話と思われるかもしれない。しかし、モデルとなったホスピスが実在しているのである。

東京都台東区の「きぼうのいえ」。みどりのいえが大阪の簡易旅館が並ぶいわゆるドヤ街いあるのに対し、東京のドヤ街、通称・山谷(山谷という地名は1966年に消えた)にある。
私は04年の夏から、このきぼうのいえをたびたび取材で訪ねてきた。
ここには、末期がんなど重い病気の患者から比較的元気な高齢者まで約30人が暮らしている。共通するのは、行き場がなくて生活保護を受けていること。公的な補助金はゼロで、運営は厳しい。スタッフも試行錯誤で、施設長の山本雅基さんは40代後半だというのに髪が真っ白になっている。かかりつけの医師や看護師がいるものの国が定めてホスピスの基準は満たしていない。だが、「死にゆく人々に安息の場を提供する」という19世紀のアイルランドで誕生した近代ホスピスの理念が、しっかりと息づいている。

入居者は、鉄郎のように、一筋縄ではいかない。スタッフが親身に、本音で向き合っても心を開こうとしない人もいれば、「どうせ金儲けしてるんだろ」と食ってかかる人もいる。
やくざ、事業家、そば屋、看護師、商社マン、職人、炭鉱夫、子守、賄い、雀士、蒸気機関車の運転士、捕鯨船の乗組員など職業も雑多で、甲子園球児だったり、シベリア抑留や731部隊に所属した経験を持つ人もいた。きぼうのいえはどんな人でも区別なく受け入れており、昭和史のエキスが凝縮されたような空間になっている。

私は当初彼らの人生に耳を傾け、その波瀾万丈な物語に惹かれていた。だが、やがて、あることに気づいた。誰もがきらめいているのだ。
料亭の板前は、がんの治療で使ったステロイドで一時的に元気になると、小さな台所で料理をつくりみんなに振る舞った。筆耕の会社の元社長は、スタッフたちの名札を筆で書いてあげた。お気に入りの訪問看護士と東京タワーまでデートを楽しんだ男性は、七夕の短冊に「俺の輝く生命永遠に!」と願った。ひそかに梅干をいくつか入れて焼酎を飲んでいた糖尿病患者もいた。栄養を摂取するために胃につないだチューブに日本酒を流し込んでいた人は、北陸への一泊里帰りを果たした。私に戦争体験を懸命に語った人もいれば、玄人はだしの俳句づくりに精を出す女性もいる。

医学的な見地からは好ましくない事例もあるだろう。しかし、たとえ寿命を多少縮めたとしても、目いっぱい生きられるほうが「幸せ」なのではないだろうか。いやそれどころか、きぼうのいえでは、余命を大幅に超える人はもちろん、無理なはずだった食事をとれるようになるなど、「小さな奇跡」がたくさん起きている。映画『おとうと』にも入居者が4人、ほかにボランティアでハープを弾きに来るアメリカ人女性らが出演している。入居者の出番は、みどりのいえの談話室で「寅さん」を見る場面だ。流れ着いてホスピスに入ったことで映画出演を果たす。これもまた「小さな奇跡」といえるかもしれない。

マザー・テレサがインドのコルカタ(カルカッタ)につくった「死を待つ人の家」を目指したという施設長の山本さんはこんなふうに語っている。
「きぼうのいえは、生きる場です。残りの時間に、その人らしく生き直すのをお手伝いできればと思っています。優しい人は優しく、怒りっぽかった人は怒りっぽく。自分の生涯を振り返り、和解をしてゆく空間にすることが大事なんです」

ゴールを目前によく生きることで、心おきなく死ねる。みどりのいえの自室に大衆演劇の花形だった時代の古いポスターを貼った鉄郎もまた、最後に自分の人生と和解できたのだろう。だからこそ、姉の思いを受け入れられた。

政府の国税調査によると、ひとり暮らしのお年寄りは、90年に162万人だったが、05年には386万人に増えている。この何割かは、家族と離れて人生を閉じるはずだ。他人に看取られることがあたりまえになる時代がすぐそこまで来ている。そう考えると、きぼうのいえ(みどりのいえ)は、決して特殊な存在ではない。むしろ、日本の社会がこれから迎えるであろう「幸せな死に方」のひとつを提示している。

<なかむら さとし・・・・・1964年生まれ、東京都出身。上智大学文学部卒業後、朝日新聞社入社。「アサヒグラフ」「アサヒパソコン」編集部、東京本社社会部などを経て「週刊朝日」編集部。きぼうのいえを描いたノンフィクションに「大いなる看取り・・・山谷のホスピスで生きる人びと!」(新潮文庫、620円)がある。その他の著書に「ダンボールハウスで見る夢・・・新宿ホームレス物語」(草思社/講談社ノンフィクション賞受賞)、聞き書きに「新宿ホームレスの歌」(朝日新聞出版)>

<「山谷でホスピスやっています。『きぼうのいえ』、涙と笑いの8年間」(山本雅基著・きぼうのいえ施設長)、じっぴコンパクト新書、800円>

 ○(4)<特別寄稿>(吉村英夫・映画評論家)

<家族ドラマのなかの愛と怒り>

山田洋次は、室生犀星の短編小説「あにいもうと」を『男はつらいよ』シリーズ(69~95)が軌道に乗り始めた1972年、単発のテレビドラマ用にシナリオとしている。兄を渥美清、妹を倍賞千恵子が演じ、2人が険しい表情で取っ組み合いの喧嘩をする山場シーンが印象的だった。当然、『男はつらいよ』の線上での兄弟愛を念頭に置いたものであるが、山田は、成瀬巳喜男がかつて映画化した『あにいもうと』(53)を見て、もっと兄と妹を厳しく対立させた方が深い愛が浮き彫りになるのではと考え、あえて名作映画に挑戦する脚本を書いたと語っている。『おとうと』にも、姉の吟子が弟の鉄郎を愛すればこそ、憎悪の眼差しで殴打する激しいシーンがあるが、愚兄賢妹から賢姉愚弟に形を変えたとはいえ『男はつらいよ』あっての作品に違いない。ことほどさように『男はつらいよ』は山田映画の大きな核(コア)であり源泉なのだと痛感する。ただし本作は市川艮崑の『おとうと』(60)に触発されての作品である。市川版のラストで、死んでいく弟(川口浩)と、看取る姉(岸恵子)との間に漂う情感には、市川には珍しく「濡れ」があり、醸し出されるリリシズムは超一級であった。この叙情性が山田の心をとらえたのだろう。鉄郎がホスピスのベッドで、夜中が寂しいと訴え、吟子との間にリボンを結びつけて姉弟の絆を確かめ合うが、リボンの色を市川作品のピンクに揃えたりして、山田は市川へのオマージュとしている。さらに「姉弟の愛と死」の物語を、小津安二郎と島津保次郎に始まる「家族・親子・兄弟」を描く松竹ホームドラマの伝統を山田流に継承するものとしても意識していよう。だが2つの『おとうと』は、市川と山田の作家性や資質の違いも明らかにしている。市川作品には、画面構図や渋い色彩効果の実験等、技法の駆使には目を見張るものがあったが、日米安保条約の是非を巡ってこの国が大きく揺れた1960年作品であるのに、時代と社会にかかわる「いま」が反映たされていなかった。山田作品は21世紀の「いま」にはっきりと斬り込んでいる。

違いが明確になるのは、鉄郎が大阪で行き倒れになる後半である。鉄郎を看取るのは民間のターミナルケア施設である。そこの入所者とスタッフ・医師たちの濃密な関係を一つのコミュニティと見立てているところに山田の面目がある。国家が格差社会を作り出し、高齢者や貧困層、ましてや行き倒れには差別的な施策で放置する現状を描くことは、山田の日本国の「いま」への懐疑の姿勢、怒りの表明でもある。競争社会からはじきとばされた鉄郎の最期をボランティア的施設に押しつける「今」は、寅さんの渥美よりもいっそう庶民的な鶴瓶だが、地である飄々とした演技を覆い隠しているかにさえみえる。山田演出が笑福亭鶴瓶の軽妙さを抑制させたのではないか。それは成功しているが、山田の内面にある鬱積したものを感じざるをえない。

冒頭に「あにいもうと」や本作の「険しさ・憎悪を含んだ愛」について触れたが、本作の重さは、明らかに現代の暗さや行き詰まり感とつながっているし、山田の内部には、元々そういった厳しさもあるということを指摘したかったからである。
だが義憤がいかに強くとも、あるいは山田がいかに現代への閉塞感をもっていたにしても、鉄郎の死のベッドにスタッフが寄り添いながら、「優しい身内に囲まれて旅立つのは幸せよ」と優しく語りかけさせるのが山田流である。人間の善意への信頼と、希望を語り続ける山田の確固たる姿勢はいつものようには明瞭である。

本作は、姉と弟の確執の激しさと対照的な、若い小春と亨のラブストーリーを配しているのがもう一つとのポイントである。二人の愛の成立は、とりわけ『男はつらいよ』でのさくらと博を彷彿とさせる。小春の離婚を、「やったー!」と亨が喜ぶ愛の表現を仰角で撮ったショットは、なんとも瑞々しい。かつて41年前、博がさくらに愛を告白するシーンも力がこもったが、本作は簡素化されてはいるが、巨匠が青春を正面から描くフレッシュな感性を持続させていることに驚く。

小春がエリート決別し「バツイチ」で庶民の街に戻り、額に汗して働く亨と結ばれることは、金持ちとの結婚を拒否して印刷工と下町に定着を決意するさくらと重なる。無理に背伸びして「上」に這い上がる生き方を拒否し続けてきた山田の信条が脈々と生きている。さくらが博と結婚しなければ、そもそも『男はつらいよ』はシリーズとして成立しなかった。さらに葛飾柴又に代わる地域社会が、本作では笹野高史と森本レオの二人に集約されている。彼らの後ろには喜怒哀楽を共にし、大きな資本が押し寄せるなかで、つましく、しかし、したたかに東京郊外に生きる人々の姿が見え隠れするのもみごとな簡略化である。むろん山田の明日への期待の表明であることを見逃してはならない。

吟子たち市井の人々が日常に戻った姿を、さりげなく温かい目で点描したラストには、『男はつらいよ』を昇華させたような到達をみることができ、小津に即(つ)かず離れずの系譜であることを如実に示すシーンともなっている。
ともあれ姉と弟の愛と別れに涙し、若い二人の再出発を祝福しようではないか。

文責:藤森弘司

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