2010年2月28日 第90回「今月の映画」
監督:クリント・イーストウッド 主演:モーガン・フリーマン(マンデラ大統領) マット・デイモン(ラグビーの主将)
●(1)映画「おとうと」は非常に良かったです。私と兄の関係(精神分析では「カインコンプレックス」といいます)に似ているので、機会がありましたら、次回にでも取り上げてみたいと思います。兄弟というのは本当に不思議なもので、皆さんの参考になるかもしれません。
さて、今回は「インビクタス」(負けざる者たち)を取り上げました。何故かと言いますと、今、開催されているオリンピックなどもそうですが、極端な状況下にあると、一部の人には驚異的な能力を発揮することがあるようです。 今、フィギュアスケートの決勝戦を放映していますが、私(藤森)は、技術はもちろんですが、大観衆の中で、広いリンクを一人で舞うことを想像するだけで、心臓が止まりそうです。しかし、一部の人は、逆に、大観衆の応援をエネルギーにして、大活躍をします。 ●(2)今回の映画「インビクタス」もそうなのです。実際にあった奇跡の物語です。同時に二つの奇跡が起きたと言っても過言ではないでしょう!!! マンデラ氏が逮捕されて27年ぶりに解放され、その4年後に大統領になることは、ほとんど奇跡ではないでしょうか。そのマンデラ大統領は、散々虐げられた白人との融和に努めます。 ●(3) それにしてもです。時代の大きな変革期には、真の英雄が登場するものですね。日本でいえば、幕末、明治維新期です。今、放映されている大河ドラマ「竜馬伝」の坂本竜馬や勝海舟、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎、岩崎弥太郎・・・・・等々。 「日本航空」の処理は、発言とブレ、迷走に次ぐ迷走をし、「八ツ場ダム」はその後どうなっているのかワケが分からず、「普天間飛行場」の移設問題は、初めから落としどころの腹案無しで、閣僚があれこれ発言し、どうやら、ほとんど元の木阿弥になりそうな雲行き。 マンデラ氏の爪の垢でも・・・と言いたくなります。今の日本はいろいろな面で「幕末」にそっくりな状況にあると、私(藤森)は思っています。特に経済的に「未曾有の危機」状態にあります。 本日(3月4日)のテレビで放映されていましたが、昨年の衆議院選挙で、8月はわずか2日の任期で1ヶ月分の歳費が出たそうです。7月に行なわれる参議院選挙の場合も、同様のことがありそうです。個別にインタビューすると、多くの議員は「おかしい」といいながら、これを法制化しようとしないいさぎよくない態度と、27年間、投獄されていながら、権力にしがみつかないマンデラ氏とは比較になりませんね。 時代が求める英雄出でよ!!!暗殺される恐れがあっても、日本再興のために、消費税を20%にしようとする政治家はいないのか???民主党が参議院でも多数を取った後に、小沢幹事長を始めとする上層部が、日本再興のために大胆な政策を出してくれば英雄なのだが、ハイパーインフレにして、国の借金をチャラにしようとするならば、果たして、いかがなものでしょうか???? |
○(4)(パンフレットより)
<ひとつの願いが、ほんとうに世界を変えた物語> <感動で世界を変える監督、クリント・イーストウッドが、奇跡で世界を変えた大統領、ネルソン・マンデラの不屈の魂を描く> <INTRODUCTION> その人の名は、ネルソン・マンデラ。南アフリカの大統領だったと言えば、遠い存在だと思うだろうか。けれども、彼の起こした“奇跡”に触れれば、あなたの中で、きっと何かが変わる・・・。 それは、1995年のこと。マンデラはラグビーのワールドカップで、“国の恥”とまで言われた南アフリカの代表チームを初出場初優勝へと導いた。そして、その勝利の瞬間、一国の歴史が永遠に変わったのだ。いったい彼はどうやって、この偉業を成し遂げたのか・・・? 27年間、監獄に囚われ、釈放されて南アフリカ初の黒人大統領になったネルソン・マンデラに扮するのは、『ショーシャンクの空に』(94)、『ミリオンダラー・ベイビー』などで知られる名優、モーガン・フリーマン。他ならぬネルソン・マンデラ本人が「彼に演じてほしい」と願い、彼もマンデラを演じることを熱望し、実現に至った。マンデラから不屈の精神を伝えられる南アフリカ代表チームの主将、フランソワ・ピナールには、『ボーン』シリーズ(02~07)などで名を馳せた、汚れなき心が内面から輝く俳優、マットン・デイモン。 誰もが驚くのは、これが実話だということ。そして、ほとんど知る人がいないこと。イースト・ウッドは、この事実に、人の進むべき明るい未来を見出した。“インビクタス”とは、マンデラが投獄中に心の支えにした詩の題名で、“征服されない”の意味。私たちの前を行くイーストウッドの背中には、この詩の一節が刻まれている。 「私は我が運命の支配者、我が魂の指揮官なのだ」 これは、遠い時代の遠い国の物語ではない。先の見えない混迷の現代でも、諦めなければ我々の手で世界を変えることができると伝えてくれる、かつてない命を震わす感動作なのだ。 |
○(5)<STORY>
<その大統領の誕生は、熱い喜びと、激しい怒りで迎えられた> 1994年、南アフリカ共和国初の黒人大統領、ネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)は、就任早々、国の最大の問題を大統領官邸で目の当たりにする。白人の職員たちが新政権の下を去るべく、荷物をまとめていたのだ。マンデラは、すぐに全職員を集めて、「“過去は過去”だ。皆さんの力が必要だ。我々が努力すれば、我が国は世界を導く光となるだろう」と語りかける。 手始めにマンデラは、黒人で固められていた新政権の大統領警護班に4人の白人を追加配属する。反発する大統領警護班責任者のジェイソンに、マンデラは「赦しが魂を自由にする」と諭す。前政権に27年間も投獄された人の言葉に、責任者のジェイソンは驚きながらも従うしかなかった。 スプリングボクスのチーム名とユニフォーム、エンブレムを変えようといきり立つ国家スポーツ評議会に対し、マンデラは自ら出向いて一同を説得した。「今は卑屈な復讐を果たす時ではない」。それがマンデラの一貫した考えだった。 ピナールの理解した通り、翌年のラグビー・ワールドカップに向けて過酷なトレーニングを続けるスプリングボクスの選手たちに、マンデラから「PRの一環として、各地の黒人地区でコーチをするように」とのお達しが出る。「そんな時間はない」と怒っていた選手たちも、子どもたちの輝く瞳と笑顔に触れ、時を忘れて懸命にラグビーの楽しさを伝えるようになっていく。 95年、遂にラグビー・ワールドカップが幕を開ける。黒人たちも、今や夢中でスプリングボクスを応援している。南アフリカの国民4300万人が見守る中、一国の、そして世界の歴史を変える“奇跡”が、始まろうとしていた・・・・・。 |
○(6)<素晴らしき英雄賛歌>(文・川本三郎、評論家)
とても熱く、まっすぐな映画だ。 なぜか。それまでの社会があまりにひどかったから。その不幸を変えるために彼らは、マンデラという英雄を必要としたことが分かってくるから。 クリント・イーストウッドというと、これまで数々のアクション映画を作ってきたから「闘う男」のイメージが強いが、この映画でイーストウッドが描くマンデラは「闘う男」というより、むしろ「和解を大事にする男」である。別のいい方をすれば、闘い方がこれまでと違ってきている。 マンデラはその考え方を国民にまさに身体を張って伝えてゆく。政治家の力は演説、つまり言葉にあるという。 旧スタッフに「協力して欲しい」という時も、国家スポーツ評議会の黒人たちに「復讐はいけない」とスピーチする時もモーガン・フリーマンのマンデラは自分の言葉で喋る。官僚があらかじめ用意した原稿を読むのではない。その場で自分の言葉を話す。 白人の主将、フランソワー・ピナールが白人としてはじめは警戒心を持ちながらマンデラに会って、いちどに心服してしまうのはマンデラの気さくさもさることながら、「敵対より和解」という信念をマンデラが自分の言葉で話していると分かったからだろう。 クリント・イーストウッドは西部劇の出身である。西部劇は一般にはガンファイトを主としたマッチョなドラマと思われがちだが、西部劇の根底には、荒々しいフロンティアの大自然のなかを自分の力で生きようとするセルフ・メイド・マン(自立した男)への共感がある。 クライマックス、約30分続くラグビー・シーンは素晴らしい。スポーツの強さ、美しさ。そしてスポーツというフェア精神にのっとった競技によって、それまで敵対していた黒人と白人が次第に一体化してゆく。国民あげて感動をわかちあう体験を持った彼らが羨ましくなってくる。競技場の外で、黒人の子供と白人の警官たちがはじめは距離を置きながら最後は抱き合って勝利を喜ぶ姿は微笑ましい。 |
○(7)<マンデラとピナールに見るリーダーシップ>(村田相互・・・7人制ラグビー日本代表監督)
“ONE FOR ALL、ALL FOR ONE.. ” これはラグビーの精神を表す言葉です。全員が全力を尽くし、ひとりの選手輝かせる・・・・・。『インビクタス/負けざる者たち』で描かれた1995年のラグビー・ワールドカップでも、この言葉が実証された気がします。この大会には僕も選手として参加したのですが、南アフリカのチームが、国全体をひとつに輝かせていく姿を目の当たりにしました。映画が描くように、南アフリカチームの主将、フランソワ・ピナールと、ネルソン・マンデラ大統領のリーダーシップが、その輝きに大きく貢献していたように思えます。 ピナールが体現するのが、ラグビーにおけるキャプテンシー(統率力)です。実際に多くの大会を通し、僕はチームがひとつになる過程を経験してきました。そして団結と平行し、主将の資質が試されます。ラグビーに限らず、主将=リーダーに向いているのは、自ら率先して行動を起こすタイプ。グラウンド内で主将がゲームを司る割合が大きいラグビーでは、この資質がとくに必要とされます。まず重要なのが、“背中で見せる”こと。黙々とボールを追いかけ、果敢にタックルする。そのひたむきさが、チームメートを鼓舞していきます。もうひとつは、言葉でチームを守り立てること。ラグビーのゲームは精神力に左右される場合が多く、ひとりでも気持ちが緩んだ選手がいると、必ずプレーに綻びが生じます。これらの資質を、映画のピナールの姿から感じとってもらいたいですね。 いっぽうマンデラ大統領からは、別のリーダーシップが伝わってきました。95年の大会で僕が目にした彼は、映画と同じ帽子とジャージ姿でしたが、目先の目標だけでなく、10年先、いや100年先の南アフリカを見据えた強い意思が感じられたのです。映画のなかで、マンデラ大統領が官邸にピナールを招待するシーンがありますが、相手に特別な思い出を作ってあげることが、リーダーとしていかに大切なのかと感銘を受けました。 さらに“諦めない”ことを伝えるのもリーダーの条件でしょう。この『インビクタス』でも、大会で日本がニュージーランドに大敗したと語られますが、まさに僕はそのゲームで9番(スクラムハーフ)を背負って出場していたのです。“大敗ゲームの9番”というレッテルを貼られたわけですが、そこまでドン底に落ちたら、あとは這い上がるしかない。スポーツですから、勝ちもあれば負けもあり、逆に大きく負ければ、這い上がる量も増えるわけです。そこで諦めないことが、“自分に勝つ”ことにつながるのではないでしょうか。 もちろんリーダーには支えが必要です。マンデラ大統領が「インビクタス」の詩をよりどころにしたように、不屈の精神を支えるものを聞かれれば、僕は「家族」と答えます。遠征先のニュージーランドや、2年間、フランスのチームに在籍した時代に、家族の大切さを実感させられました。それまでラグビー一筋だった僕ですが、家族との時間によって視野が広がり、試合とオフの切り替えができるようになったのです。 最後に、リーダーとして大切なのは、自分の原点を忘れないことです。95年の南アフリカ大会で、僕ら日本選手団も、現地の子どもたちにラグビーを教える機会がありました。映画のシーンとまったく同じで、教える僕らも彼らから元気や勇気をもらえたのです。僕にとって、あの瞬間はラグビーの原点のひとつですね。 <村田互(7人制ラグビー日本代表監督)・・・・・1985年に福岡県高校選抜主将、89年に専修大学ラグビー部主将、90年よりラグビー日本代表選手として活躍。96年~97年は7人制と10人制ラグビー日本代表主将として活躍する。その後、東芝府中から日本人として初のプロ選手として仏アビロン・バイヨンヌに移籍。2001年に帰国、ヤマハ発動機に入団し、選手として異例の40歳まで現役を貫き、08年に引退。現在、7人制ラグビー日本代表監督を務める傍ら、筑波大学大学院に入学し、スポーツ健康システムマネジメント・プロモーションを研究している。> |
○(8)<ネルソン・マンデラという人物①>
<監獄島でシーフードを楽しむ> ネルソン・マンデラは1962年8月、白人政権の転覆を企てたとして逮捕され、反逆罪で終身刑の判決を受ける。90年2月に釈放されるまで27年半の獄中生活のうち、18年を監獄島ロペン島で過ごした。 世界から孤絶した監獄島で18年間もの間、彼は何をしていたのだろうか。 ある日、囚人たちはコンブ拾いの労役を命じられた。強風が吹いた翌日は、磯にコンブが大量に打ち上げられる。それを拾い集める作業だ。肥料に日本に輸出するのだといわれた。 するとマンデラは、離れたところで昼食を食べている看守たちに「あんた方もどうだね」と声をかけたのである。彼らの昼食はぱさぱさに乾いたパンだった。マンデラが渡した熱いシーフードシチューを、看守たちもうまそうに食べた。マンデラは看守を「共犯」にしてしまった。 1973年、英国のアン王女が結婚式を挙げた。その豪華なディナーのメニューとして、ムール貝、アワビ、ロブスターが出たことを新聞で知り、監獄島の囚人たちは顔を見合わせて笑い転げたという。 <文・松本仁(ジャーナリスト)> |
○(9)<ネルソン・マンデラという人物②>
<単独政権ならば、「じつのところ、ほっとした」> 南アフリカでは、マンデラ政権の誕生をひかえた1994年半、国外に脱出する白人が月平均3000人にも上った。選挙でアパルトヘイト時代の報復が始まるのではないか・・・・・。白人社会のそんな恐怖が原因だった。 マンデラは獄中にあるころから、人種によって区分された支配に反対し続けた。1989年、獄中で書いた覚書で、彼はそれをはっきりと述べている。 1990年に釈放されてから、マンデラはアフリカ諸国を歴訪する。そのごく短期間の経験で、彼はアフリカ諸国の現実を見抜いた。 国づくりには健全な経済の確立が不可欠である。独裁はその最大の敵であり、白人の技術や経験による協力は欠かせない・・・・・。それがマンデラの「虹の国」の基本となった。 マンデラ釈放後の1993年12月、ANCと白人政府の協議に基づいて暫定憲法が成立した。①副大統領は第一党と第二党からひとりずつ出す、②5%以上の得票をした党からは閣僚を出す、という「強制連立」のルールである。ANCの一党独裁におちいるのを防ぐ目的だった。 1994年4月の総選挙で、ANCは62.6%を獲得して第一党となる。しかし3分の2には届かず、単独政権をつくることはできなかった。強制連立条項に基づいて人種強調政府ができあがった。マンデラはのちに自伝で、「じつのところ、ほっとした。3分の2以上を取っていたら、ANCだけで憲法を起草できることになる。それは南ア憲法ではなく、ANC憲法になってしまう。私は国民統一政府がほしかったのだ」と語っている。 本編中、公務を放り出してラグビーに熱中し、秘書に文句をいわれる場面が出てくる。しかしそれは、「国民強調だけが南アという国をつくることができる」というマンデラの信念をあらわすエピソードなのである。 <文・松本仁(ジャーナリスト)> |
文責:藤森弘司
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