2010年10月31日 第98回「今月の映画」
監督:マイケル・ホフマン 主演:ヘレン・ミレン クリフトファー・プラマー ジェームズ・マカヴォイ
●(1)映画「雷桜」は良かったです。
さて、今回は、映画「終着駅・トルストイ最後の旅」を取り上げました。これを取り上げた理由は3つ。1つは、著名な人の映画は欠かさず見るようにしています。例えば「ベートーベン」の映画のように。 私(藤森)が、このホームページでしばしば取り上げている「小沢氏問題」も同様です。一旦、レッテルを貼られると、何があっても、そのレッテルで判断される傾向にあります。下記の紹介をご覧いただければ、「三大悪妻」がいかに間違いであるかが理解できます。それと同様、小沢氏に貼られたレッテルも同様の部分がかなりあるように思えるので、しばしば、取り上げてきました。 歴史的に見て、間違ったレッテルが貼られているのが非常に多いのには驚かされます。詳しくご紹介するほどの情報を持っていないのが残念ですが、週刊ポストの井沢元彦氏の「逆説の日本史」を読んでいると、極端にいえば、間違いだらけといいたくなるほど、従来の認識が間違っているようです。 トルストイもそうです。この映画を見て、トルストイという人間は、そばにいて付き合うには、「嫌なやつだな!」と思いました。私には好きになれないタイプの人間です。離れていて、表面的に付き合うならば、かなり魅力的かもしれませんが、公私の両方を知る立場になると、チョット付き合いきれないように思えます。それほど、人間的に「嫌なやつ」というのが、私(藤森)の率直な感想です(じゃあ藤森、お前はどうなんだということは、ご勘弁ください。案外、私が一番、鼻持ちならないタイプかもしれません。少しはわかっていますので、そこは大目に見てください)。 自分のことを棚に上げて述べる勝手を許してもらえれば、トルストイという男はどうしようもない人間ですね。第一に、元気で活躍しているときに「聖者」と呼ばれていい気になっているのは、私のようなへそ曲がりから見ると、「おぇっ!!」とします。周りから祭り上げられて喜ぶ「能天気野郎!」といいたくなります。 この映画の評者たちは、私のように率直に述べてはいませんが、どうやら私の感想と同様のものを感じているように思えます。どのように「おぇっ」とするか、最後に詳しく感想を述べさせていただきます。 まずは、プログラムの内容を紹介しますので、トルストイの人間性をじっくりと吟味してください。 |
○(2)<プログラムより>
<悪妻について考える> 古典ギリシャの哲学者ソクラテスの妻クサンティッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェ、文豪トルストイの妻ソフィヤ・・・・・誰が、いつごろ言いだしたのかは知らないが、「世界三大悪妻」だそうだ。悪い妻であって、ソクラテスもモーツァルトもトルストイも、人生のつれ合いに手を焼いた。 「妻クサンティッペは悪妻の典型として古今に名高い」(「新潮世界文学辞典」) さしあたりモーツァルトから述べるとして、コンスタンツェ悪妻説はあきらかにまちがいである。最初にいいふらしたのはモーツァルトの父親だった。ザルツブルク大司教のおかかえ音楽家だったころ、すべて父親がとりしきっていた。25歳のとき、モーツァルトは大司教と縁を切ってウイーンへ出てきた。父親の反対を押しきってコンスタンツェと結婚。以後はフリーの音楽家として生きた。 当然、父親はおもしろくない。安定した職場を捨てるなど、もってのほか。女の入れ知恵にちがいない。家事万端おざなりで、浪費屋ときている。悪い女房につかまった。憤懣がこうじたせいかもしれないが、5年後に死去。 コンスタンツェと暮らしたのは10年たらずである。その間、6人の子供ができた。熱愛ぶりがうかがえる。病弱な妻の保養のために、モーツァルトは懸命に仕事をした。名曲のおおかたは少なからずコンスタンツェがあずかっている。それに借金したのは利口だった。モーツァルトの晩年は、フランス革命のあおりでヨーロッパ全体が急激なインフレに陥り、金銭価値が大きく下落した。 問題はあとの御両人である。ソクラテスはリアルな石こう像が残されている。老いてからのトルストイ像は写真でおなじみだ。二人は驚くほど似ていないだろうか。ハゲ上がった広い前頭部、額に走るシワ、鼻の下から顎にかけてのヒゲ。まるで双子の兄弟のようにそっくりである。たしかに深い英知をそなえた聖者の風貌かもしれないが、見ようによると、どことなくうす気味悪い。 行動様式もよく似ている。ソクラテスのまわりには、いつもプラトンをはじめとする弟子たちがいた。トルストイには、思想に感動した若いトルストイアンたちがコミューンをつくっていた。 ソクラテスの若年期のことはほとんどわかっていないが、哲学者として「人だめし」という方法をとったことは知られている。往来に出て、人に質問をあびせかけ、何一つ理解していないこと、わかっていると信じていることも、実は単なる思いこみであることを暴露する。認識の道かもしれないが、人々はつねづね、神経を逆撫でされる気がしたのではなかろうか。 トルストイが主張した「トルストイ主義」のテーゼは、ほぼすべて若いころにしたことの反対である。青年トルストイは豊かな富のもとに、放縦にあけくれた。のちにチェーホフに語った言い方によれば、「あくことを知らなかった」。身分は貴族であれ、身体は農奴のように頑健で、34歳のとき18歳のソフィアと結婚、13人の子供をつくった。トルストイアンを感動させた純潔は、放蕩無頼のはてに咲いた人工の花だった。 哲学者も文豪も、いささかも政治性をもたず、市民の倫理教育をしただけなのに、ともに既存の価値を破壊する危険分子とみなされ、ソクラテスは刑死した。トルストイは政府側の弾圧にあった。もしかすると肖像のたたえている「うす気味悪さ」を、当局はいち早く正確にとらえていたのかもしれない。 もはやおわかりだろう。クサンティッペとソフィヤ夫人は、この複雑な賢者を、もっとも身近で見ていた女性である。西洋には「王といえども召使から見れば、ただの男」ということわざがある。世に崇高化される以前の「ただの男」と生活をともにし、ふつうの妻として厄介な夫に仕えた。ただの男を浄化して賢者にもち上げるためには、「ふつうの妻」を悪妻にして一段下げなくてはならない。それに悪妻といっても「悪夫」といわないのが何よりの証拠というものだ。男社会の用語法が一段上げ下げをして、世界の悪妻をひねり出した。 |
○(3)<「家出」をめぐる愛の悲喜劇・・・トルストイの死の衝撃と日本のトルストイ読者たち>(沼野充義)
トルストイというと、はるかな昔のロシアの文豪、といったイメージがあるかも知れないが、じつは明治の日本人にとっては同じ時代を生きる「いま現在」の作家だった。トルストイとドストエフスキーは、言うまでもなく、19世紀ロシアが生みだし、いまだにそびえたつ世界文学の二大巨峰でほぼ同世代だが、1881年(明治14年)に亡くなったドストエフスキーに比べるとトルストイはずっと長生きしたからだ。 彼が亡くなったのは1910年(明治43年)、時はあたかも大逆事件(幸徳秋水事件)のあった年である。トルストイは明治時代の日本人に対して、桁外れの巨大なリアリズム小説の著者としてだけでなく、権力を恐れることなく自分の理想を貫き、日露戦争にも反対の声を大きくあげた平和思想家として大きな影響力を持っていた。小西増太郎、徳富蘇峰と蘆花の兄弟といった日本人はトルストイの領地、ヤースナヤ・ポリャーナ(映画の舞台でもある)まで彼に会いにわざわざ出かけていったし、やはりちょうど1910年に雑誌『白樺』を創刊した若き作家たちは、トルストイの小説と思想に心酔していた。 そんなわけで、1910年にその「大トルストイ」が82歳もの高齢で突如「家出」をして、田舎の駅で病に倒れ、亡くなってしまったというニュースは、世界中を駆け巡り、日本人にも大きな衝撃を与えた。マイケル・ホフマン監督の映画『終着駅・・・トルストイ最後の旅』は、まさにこの「家出」に焦点を合わせた作品である。巨大な仕事を成し遂げた大作家の長い人生を締めくくる、この異様なエピソードには、トルストイという人物の抱えていた様々な矛盾が集約されて表れているといえるだろう。 性欲を否定しながら結局13人もの子供を妻に産ませ、私有財産を放棄しようとしながら妻に反対されてなかなか果たせず、世界平和を唱えながら家庭の平和さえ実現できず、教条主義を嫌ったのに、気がつくといつのまにか自分よりも頭の固いトルストイ主義者たちに取り巻かれている・・・映画はこういったトルストイ最晩年の、人間くさい姿を生き生きと描いている。 しかし、この映画の本当の主役はむしろ、妻のソフィヤのほうだろう。ソフィヤ夫人は「世界的作家である夫の偉大さを理解できず、ついに夫を家出に追いやった」悪妻というイメージが一般には強い。日本でも1930年代に、トルストイは結局「山の神」(妻)を恐れておどおどと家を出ただけではないかと主張する正宗白鳥と、それを批判して、トルストイが人生に対して抱いていた「抽象的煩悶」の重要性を説いた小林秀雄の間に論争が起こったが(いわゆる「思想と実生活」論争)、この議論の焦点もやはり妻の役割をどう見るか、ということだった。 ところが、トルストイの秘書であったブルガーコフを初めとする周囲の様々な人々の日記や回想を丹念に読んでいくと、ソフィヤが悪妻であったなどと単純には言い切れないことがわかってくる。映画の原作となったジェイ・パリーニの小説「終着駅ートルストイ最後の旅ー」も、まさにそういった視点からトルストイと妻の関係に光を当てようとしたものだった。 映画もまた、「悪妻」と言われるソフィヤがじつは、多くの子供を育て、懸命に家庭を守ろうとした、そして誰よりも夫を愛していた、平凡ではありながらけなげな女性であったことをはっきりと示している。偉大でありながら、矛盾に満ち、ある意味では滑稽な面もあったトルストイと、平凡で卑俗でありながら輝かしい女性としての尊厳と愛らしさをあわせ持っていたソフィヤ夫人。この二人の愛の悲喜劇は、映画を観る人々の心を揺さぶらずにはおかないだろう。 |
○(4)<解説>
世界三大悪妻のひとりに数えられるトルストイ夫人ソフィヤ。 人は、幾つもの貌(かお)を使い分けて生きています。誰に対しても分け隔てなく同じ態度で接する人は、よほど人間ができているか、他人に心を閉ざしているかのどちらかでしょう。私たちは、相手に応じてさまざまな表情を見せることで、無事に社会生活を営んでいけます。だから、ひとりの人の印象が相手によって異なることはむしろ当然のことといえます。 本作品が紡ぎだすのは、「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」などの名作小説で知られる、ロシアの偉大な文豪レフ・トルストイと、ソクラテスやモーツァルトの妻と並んで“世界三大悪妻”に数え上げられている彼の妻ソフィヤとの、晩年の愛と葛藤の日々です。 理想主義的な言動によって多くの信奉者を得たトルストイは、信頼する友人チェルトコフの説得もあって、自らの作品の著作権を民衆に譲るという遺書を作成しようとします。献身的に夫を支えてきたソフィヤにとっては青天の霹靂。家族を護るためにも、夫の決断を阻止しようとする・・・・・。互いに慈しみ、愛し合いながらも、それぞれの立場と第三者の介在でよじれていく文豪と妻の姿が、くっきりと映像に焼き付けられていきます。 監督を務めるのは『恋の闇 愛の光』や『素晴らしき日』などで知られるマイケル・ホフマン。米国の作家ジェイ・パリーニが史実に基づき架空の物語として書き上げた原作小説を、自ら脚本化して挑みました。ホフマンは、トルストイ夫妻の軌跡と、トルストイに心酔して秘書になった青年ワレンチンと若い女性マーシャの恋を対比して描き出しながら、愛と結婚の実相をじっくりと紡いでいきます。トルストイの信奉者から“悪妻”のレッテルを貼られたソフィヤ、彼女が見せる様々な貌を、共感を持って切り取り、他人には計り知れない夫婦の絆、愛の形を見事に浮かび上がらせる。ユーモアをさりげなく織り込みながら、誠実な語り口で文芸映画としての香りも漂わせるあたりが真骨頂。まことに素敵な演出ぶりです。 ホフマンの演出もさることながら、本作品の最大の魅力は実力俳優を揃えたキャスティングにあります。まずソフィヤを演じるのは『クイーン』でアカデミー主演女優賞に輝いたヘレン・ミレン。『ゴスフォード・パーク』から、TVシリーズ「第一容疑者」まで、さまざまな女性像を演じてきたミレンが、ここでは夫を愛しながらもプライドと意地を通そうとするヒロインを存在感たっぷりに表現してくれます。ミレンの見せる表情のひとつひとつが説得力を持って見る者に迫ったくる。素晴らしい演技力です。 トルストイを演じるのが『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ大佐役で人気を博し、近年も『ニュー・ワールド』をはじめ数多くの作品に出演しているクリストファー・プラマー。理想を貫きたい気持ちと、妻への思いやりに引き裂かれるトルストイを人間味豊かに演じています。本作でミレン、プラマーはそれぞれアカデミー賞の主演女優賞、助演男優賞にノミネートされましたが、それも頷けるところです。 <略> <T.I.> |
○(5)<物語>
トルストイ夫妻は結婚して約半世紀。 1910年ロシア、ヤースナヤ・ポリャーナのトルストイ邸。「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」で世界的に有名な文豪レフ・トルストイは、結婚48年になる妻ソフィヤとは寝室を別にし、伯爵らしからぬ粗末な身なりで民衆のための仕事に精力を傾けている。私有財産制を否定し、“消極的抵抗”を提唱している彼は聖者と呼ばれ、友人チェルトコフとともにトルストイ主義運動を展開しているのだ。しかし、ソフィヤは家族の財産を守ろうとして、しばしば夫と衝突し、邸の前に陣取っている記者たちにゴシップのネタを提供している。 一方、政府によってモスクワに軟禁されているチェルトコフは、ソフィヤをトルストイ主義運動の最大の敵と見なし、監視役を送り込むことにする。トルストイを崇拝する23歳の青年ワレンチンだ。トルストイ協会本部でワレンチンを面接し、トルストイ協会本部でワレンチンを面接し、トルストイの秘書として雇ったチェルトコフは、ソフィヤの発言をすべて日記に書き留めるよう指示する。 チェルトコフの思惑をよそに、ワレンチンは期待に胸を膨らませて列車でモスクワを発ち、チェルトコフが運動の本拠地としてチェリャチンスクに作った“トルストイ・コミューン”に1泊。翌日、馬車で2時間かけてヤースナヤ・ポリャーナに到着する。トルストイは気さくに歓迎して、「すべての宗教に共通の真実はたったひとつ、愛だけだ」と語り、ワレンチンを感激させる。 美しい庭での優雅なお茶のテーブルで、ワレンチンはさっそく財産をめぐる夫婦喧嘩を目の当たりにする。ところが、主治医ドゥシャンがかけたトルストイの演説のレコードを、当のトルストイが「くだらん」と言って席を立ったとき、ソフィヤはすかさずオペラのレコードに替えて見事に夫をなだめてしまう。 ソフィヤは、ワレンチンを自分の味方につけようとし、「真実をありのままに書いて」と、チェルトコフと同様に日記帳を彼に贈る。かつて「戦争と平和」を6回も清書するなど夫の執筆を手伝ったソフィヤは、今では娘サーシャにその役目を奪われ、寂しい思いもしていた。純粋で世間知らずなワレンチンは、愛し合いながらも対立する夫妻に当惑し、またトルストイの語る若き日の放蕩の思い出や、コミューンで出会った女性マーシャの奔放な恋愛観にはドギマギしてしまう。マーシャは堅苦しいチェルトコフや陰気な彼の秘書セルゲーエンコとは対照的に、溌剌とした魅力に溢れていた。 やがて、チェルトコフが解放され戻ってきた。ソフィヤは、夫が彼に説得されて著作権を民衆に譲るという新しい遺書に署名するのを恐れ、なりふり構わず阻止しようとする。仮病を使って夫の気を引いたり、チェルトコフに直談判して遺書を見せるよう要求したり。あげくの果てには、夫がチェルトコフといる書斎に乱入し、醜態を演じる始末。そんな中、ワレンチンはマーシャと結ばれるが、彼女はチェルトコフの方針と相容れず、モスクワに帰ってしまう。 トルストイは結局、ソフィヤに内緒で新しい遺書に署名した。全作品の著作権が放棄されることになったのだ。そのことを後で知ったソフィヤは激怒し、発砲事件を起こす。もう限界だと悟ったトルストイは、「静かな晩年を送るために俗世を捨てる」と書いた手紙を残し、82歳にして家出を決行。ソフィヤはショックのあまり入水自殺を図るが、ワレンチンに救助される。 主治医ドゥシャンと娘サーシャ、それにソフィヤに頼まれて合流したワレンチンとともに列車で南へ向かうトルストイ。しかし、病に倒れ、アスターポヴォ駅で途中下車する。ワレンチンから報せを受けたソフィヤは特別列車で駆けつけるが、果たして夫妻は和解できるのか?また若いワレンチンとマーシャの愛の行方は? |
○(6)<プロダクション・ノート>
<略> <愛と結婚について> 「これは人間関係についての素晴らしい物語であり、古い愛と新しい愛が素敵に同時進行する」とホフマンは語る。「映画の核は、理想主義と現実の対立だ。僕たちは皆、愛はこうあるべきだという理想を抱いて人生を始めるが、それは実人生での愛の現実とは全く違う。トルストイは生ける聖者と見なされ、愛に関する究極の権威と崇められながら、自宅の居間や寝室でのトラブルを解決できない。これはとても興味深い問題だ」 製作者カーリングは語る。「トルストイとソフィヤは驚くべき人生を共に歩んできた老夫婦だ。彼らは共に仕事をし、13人の子を育てた。しかし深く愛し合っていながら、政治思想があまりにかけ離れ、一緒に暮らせなくなってしまう」 「ソフィヤはトルストイの作品に人生を捧げたのよ」と説明するのはヘレン・ミレン。「『戦争と平和』を6回も清書するなんて、どんなに大変か!彼女は彼の全作品に深く関わっていた。彼の小説は彼女のものでもあったのよ。現代なら夫婦が離婚するとき、夫は自分を支えてきた妻に対して財産の半分を渡すべきことが法律で決められているわ。ソフィヤとトルストイの場合も全く同じで、彼女は自分の報酬を求めて戦っただけなのよ」 「そんな夫婦の物語にワレンチンが加わり、彼は実人生では愛は厄介なものでしかならないらしいことを次第に理解していく」とホフマンが明かすと、「ワレンチンの目を通してトルストイ夫妻の愛を見つめるのは非常に感動的だ。彼は初めて恋に落ち、人生は理想主義と政治だけではないと気づいていくんだ」とカーリング。「恋愛を実らせる唯一の方法は、その愛に全身全霊を傾けることだとワレンチンは悟る。彼はトルストイとソフィヤの夫婦関係の危機を目の当たりにし、その彼を通して観客は夫妻の痛みを感じるんだ」 ワレンチンの物語のもうひとつの大きな要素は、マーシャとの恋愛だ。「この映画は、愛が不可能であることを描いた作品とも言える」とジェームズ・マカヴォイは語る。「彼は最初、トルストイに惹かれたのと同じ理由でマーシャに惹かれる。つまり人生における無意味なことの全てを切り抜けられる能力にね。ワレンチンとマーシャは、トルストイの唱える理想を熱烈に信奉するとともに、お互いに熱い想いを抱き合っている。しかし、彼らの愛の前途にはあらゆる障害が待ち受けているんだ」 製作者ボニー・アーノルドは、性の政治学というテーマもこの映画を現代的にしている要素のひとつだと言う。「トルストイは世間では崇拝され、メディアの寵児第1号だったけれど、1対1の関係ではトルストイとソフィヤは完全に対等だった。“あなたは作家であるだけでなく、夫であり父親でもあるのよ”と彼女が言うのは、とても勇敢だったと思うわ」 ヘレン・ミレンは語る。「ソフィヤの台詞で好きな言葉がいくつかあるの。たとえばトルストイが“もう限界だ”と言うと、彼女は“私はあなたを、あなたは私を作ったの。それが愛なのよ!”と返す。素晴らしい台詞だわ」 <略> |
●(7)トルストイという人間が、私(藤森)は、トコトン、嫌いになりました。映画「ベートーベン」の場合もそうでしたし、「親鸞」も同様ですが、今まで、わずかではありますが、私が知ることができたいわゆる著名な人で、人間性が素晴らしい人、尊敬できる人にほとんど全く出会っていません。その中の数少ない方が、私が尊敬する「曽野綾子先生」です。
例えば、私が日ごろ、自分と余りに縁遠いので嫉妬心で槍玉に上げる「ノーベル賞」なども同様ですが、際立った業績を上げた人は、私から見ると、どうも人間的な魅力に欠けるキライがあります。 <<<「王といえども召使から見れば、ただの男」>>>これが全てを言い尽くしているように思えます。 私の「理論・理屈」から言えば、それは当然のことです。何故ならば、際立った業績を上げるためには、当然、それに打ち込むわけですから、自分の持っているエネルギーの大部分をそれに費やすはずです。ということは、かなりその分野の「オタク」になる必要があります。 ノーベル賞に限りませんが、秀でた賞などを受賞すると、人格が優れているように思われますが、多くの場合、むしろその逆で、かなり人格を歪めないと受賞できるものではありません。 ●(8)禅では、「得失一如」と言い、何かを得れば、何かを失うと言います。サッカーをやれば、同時に野球をやることはできません。映画を見に行けば、同時に歌舞伎を見に行くことはできません(いつか、得失一如について詳しく掲載したいと思っています)。 ノーベル賞を受賞するほど、そのテーマに打ち込めば、どれほど他のものを失っているかです。もちろん、どちらの方が価値があるか否かを論じているのではありません。本人が好きなほうを選択すれば良いのですが、往々にして、より評価の高い賞を受賞する人は、それによって失う分野は、私の調査では、ほぼ決まっている「ある特定のもの」を喪失しています。それをトルストイで分析したいと思います。 |
●(9)上記のプログラムで紹介されているものから抜粋します。
<<<悪妻説はあきらかにまちがいである。最初にいいふらしたのはモーツァルトの父親だった。ザルツブルク大司教のおかかえ音楽家だったころ、すべて父親がとりしきっていた。>>> <<<浪費はモーツァルト当人のせいだった。着物道楽で、やたらに服を新調する。引越し好きで、のべつ転々とした。明日のことは明日にして、今日を楽しく生きるのがモットーだった。モーツァルトの音楽の軽みと一抹の哀愁は、いかにもモットーをよく示している。35歳で死んだとき、けっこうな額の借金を残していた。>>> <<<西洋には「王といえども召使から見れば、ただの男」ということわざがある。>>> <<<性欲を否定しながら結局13人もの子供を妻に産ませ、私有財産を放棄しようとしながら妻に反対されてなかなか果たせず、世界平和を唱えながら家庭の平和さえ実現できず、教条主義を嫌ったのに、気がつくといつのまにか自分よりも頭の固いトルストイ主義者たちに取り巻かれている>>> <<<人は、幾つもの貌(かお)を使い分けて生きています。誰に対しても分け隔てなく同じ態度で接する人は、よほど人間ができているか、他人に心を閉ざしているかのどちらかでしょう。私たちは、相手に応じてさまざまな表情を見せることで、無事に社会生活を営んでいけます。だから、ひとりの人の印象が相手によって異なることはむしろ当然のことといえます。>>> <<<理想主義的な言動によって多くの信奉者を得たトルストイは、信頼する友人チェルトコフの説得もあって、自らの作品の著作権を民衆に譲るという遺書を作成しようとします。献身的に夫を支えてきたソフィヤにとっては青天の霹靂。家族を護るためにも、夫の決断を阻止しようとする・・・・・。互いに慈しみ、愛し合いながらも、それぞれの立場と第三者の介在でよじれていく文豪と妻の姿が、くっきりと映像に焼き付けられていきます。>>> <<<理想を貫きたい気持ちと、妻への思いやりに引き裂かれる>>> <<<結婚48年になる妻ソフィヤとは寝室を別にし、伯爵らしからぬ粗末な身なりで民衆のための仕事に精力を傾けている。私有財産制を否定し、“消極的抵抗”を提唱している彼は聖者と呼ばれ、友人チェルトコフとともにトルストイ主義運動を展開しているのだ。しかし、ソフィヤは家族の財産を守ろうとして、しばしば夫と衝突し、邸の前に陣取っている記者たちにゴシップのネタを提供している。>>> <<<「すべての宗教に共通の真実はたったひとつ、愛だけだ」と語り、ワレンチンを感激させる。>>> <<<かつて「戦争と平和」を6回も清書するなど夫の執筆を手伝ったソフィヤは、今では娘サーシャにその役目を奪われ、寂しい思いもしていた。>>> <<<トルストイは結局、ソフィヤに内緒で新しい遺書に署名した。全作品の著作権が放棄されることになったのだ。そのことを後で知ったソフィヤは激怒し、発砲事件を起こす。もう限界だと悟ったトルストイは、「静かな晩年を送るために俗世を捨てる」と書いた手紙を残し、82歳にして家出を決行。ソフィヤはショックのあまり入水自殺を図るが、ワレンチンに救助される。>>> <<<トルストイは生ける聖者と見なされ、愛に関する究極の権威と崇められながら、自宅の居間や寝室でのトラブルを解決できない。これはとても興味深い問題だ」>>> ●(10)いかがでしょうか?こうやって、プログラムの中にある気になる文章を一覧表にしてみると、私(藤森)がとやかく述べるまでもなく、トルストイがどうしようもない「ヤツ」であることが浮き彫りになってきませんか? モーツァルトは単なるファザコンだったのですね。プロスポーツの世界でいうと、「イチロウのチチロウ」などのように、結構多いです。ステージママとかパパとか・・・・・トルストイのバカさ加減も浮き彫りになっていますね。 「世界平和を唱えながら家庭の平和さえ実現できず、教条主義を嫌ったのに、気がつくといつのまにか自分よりも頭の固いトルストイ主義者たちに取り巻かれている」・・・・・これはまさに、トルストイの「自我」の脆弱さを表しています。リーダーシップが全く発揮されていません。 「信頼する友人チェルトコフの説得もあって、自らの作品の著作権を民衆に譲るという遺書を作成しようとします。」・・・・・自分の莫大な著作権料を、いくら信頼するからといって、友人のチェルトコフに説得されるとは、どうようしもないお人よしです。こういう亭主を持った奥さんは、余程しっかりしないと、「振り込め詐欺」のような連中に根こそぎ奪われてしまいます。 トルストイさん、あなたの「平和主義」や「愛」の中に、最愛の妻「ソフィヤ」さんは含まれないのですか? しかし、次の(11)の「年譜」を見ると、トルストイの「自我の脆弱さ」がよくわかります。私のような「深層心理」を専門にする人間から見ると、トルストイとオバマ大統領は、生い立ちがソックリであり、主義主張も似ているように思われます。その大きな原因は、早期に両親を亡くしていることです。 彼のような「自我の脆弱」な人間は、理想を追わすと、非常に立派ですが、妻や子供のような現実問題に対処する能力は「皆無」に近い強い傾向があります。そして、そういうタイプの人に、優れた業績を残す傾向があります。 |
○(11)<トルストイ年譜・・・1828年~1910年>
1828年 8月28日、モスクワの南方、トゥーラ市近郊のヤースナヤ・ポリャーナに、ニコライ・イリイッチ・トルストイ伯爵の四男として誕生。フルネームはレフ・ニコラーエヴィチ・トルストイ。 |
<文責:藤森弘司>
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