2009年5月31日 第82回「今月の映画」
60歳のラブレター

監督:深川栄洋  主演:中村雅俊  原田美枝子  井上順  戸田恵子  イッセー尾形  綾戸智恵

●(1)映画「グラン・トリノ」「スラムドッグ・ミリオネア」はなかなか良かったですが、心理学や自己成長の分野としては、「60歳のラブレター」が一押しです。50才以上の方々には、是非、ご覧いただきたい映画です。

この映画は、還暦(60歳)という節目に、三組の夫婦やカップルの人生が語られています。若いときや勢いがあったときに、私たちは理想を追求したくなりますが、実は人生というのは振り返ってみれば、「理想は無い」ように思います。
もし「理想」があるとしたならば、それは「ある一時期」に、他のことを「犠牲」にして成り立つもののように思います。仮にあるときに「理想的」だと思えたことも、還暦を迎えてみると、そして「死」を強く自覚する年齢になってみると、もっともっと大切なものを「犠牲」にしてきたことに気付くのではないでしょうか。

しかし、私(藤森)自身がそうでしたが、若いときはいくら大切なことを教えられても、そのことの重要性にはなかなか思いがいたらないものです。理想を言えば「50代」ですが、少なくても、「還暦」という節目を迎えるころには、「人生」というものを本気で考えたいものです。相撲の「若・貴兄弟」が全盛のときは、「理想的な家族」と言われましたが、その後はメチャクチャになりました。これほど劇的なことは少ないかもしれませんが、良いときは目立たなくても、何かの力が衰えてきたとき・・・・・それは「経済力」かもしれませんし、「体力」や「若さ」かもしれませんが・・・・・「誇示してきた力」が衰えてきたときに、それまでに隠れていた問題が表面化してきて、悲惨な晩年になりかねません。案外、理想とはそういうもののように思えます。

●(2)過日、今回の映画で主演をした中村雅俊氏の息子さんが麻薬所持で逮捕されました。中村雅俊氏は嗚咽しながらインタビューに応じ、反省の弁を口にしていましたが、その姿を見て、私(藤森)にはやや奇異に映りました。しかし、その後この映画「60歳のラブレター」を見て、納得しました。自分が主演をしたこの映画と同様の辛く、厳しい体験をしたので、想いが強かったのではないかと合点がいきました。
人間、若さと「経済力」を身につけたならば、まずまともに生きられるものではありません。特に経済力というものは「魔物」です。よく言われることに、ボクシングで世界チャンピオンになると、今まで知らなかった人まで寄ってくるが、ただの人になると、皆去ってしまうと。

そういういろいろな「部分的魅力」と、「全人格的」なもの、「本質的に大切なもの」との区別がつきにくいものです。そうして、気がついたときは「手遅れ」になってしまいかねません。
理想は「40代、50代」、少なくても一つの節目である「還暦(60歳)」を迎えたときに、「人生とは何か?」「本質とは何か?」「死とは何か?」こういうことに目覚めて欲しいものです。
今の時代は「真に大切なもの」の実感が稀薄になっていますが、いついかなる時代になろうとも、「本質的なもの」や「真に大切なもの」は不変なはずです。それらを3組の「夫婦・カップル」の人生を通して、この映画は考えさせてくれます。
私(藤森)は若い頃「人生に破綻」して、「心理的・身体的」にも「人間関係的」にも「経済的」にも、一切合財を失ったお陰で、神様がご褒美として、「真に大切なもの」「人生の本質とは何か」を気付かせてくれました。若い頃のあの姿のまま「還暦」を迎えたならば、今頃は「塗炭の苦しみ」を味わっていたであろうことを思うと、「不足・未熟」な中にありながらも、心の安らぎが少しは得られている現在の心境が奇跡的に思えてきます。

50才を過ぎた方、特に還暦を過ぎた方々には、是非、ご覧いただきたい映画です。

○(3)<プログラムより>

<日本中で交わされた
86,441通の愛の実話、完全映画化>

本作が作られるきっかけとなったのは、
2000年よりスタートした住友信託銀行の応募企画。
夫から妻へ、妻から夫へ・・・・・
口に出しては言えない互いへの感謝の言葉を
1枚のはがきに綴るというもので、
毎年寄せられたはがきの中から
大賞が決定されています。
団塊の世代が一斉に定年退職を迎え、
第2の人生をどう生きるのかが
大きな命題となっている今、
夫婦の心の機微を映像にし、感動をつなげ、
日本に仲のいい夫婦や家族をもっと増やしたい、
そんな想いで本作は製作されました。
そして、熟年夫婦だけでなく、
これからパートナーとともに人生を歩む若い夫婦にも
「夫婦っていいね」、「家族っていいね」と思ってもらえる、
そんな心あたたまる作品が出来上がりました。

○(4)俺は橘孝平(中村雅俊)

何もない田舎で生まれた。
絵が得意だったので絵描きになろうと思ったが、
日本の画家は貧乏だと知ってやめた。
大学に進学したら学生運動真っ盛りで授業もろくになく、
くだらないので中退して建設会社にもぐり込み、
体育会系の職場でやみくもに働いていたら支社長に気に入られ、
言われるままに一人娘と結婚したら三段跳びで出世。
高度経済成長の波に乗って支社の業績を4倍にしたら、
この会社に引き抜かれた。
そして次々と都心の再開発事業を手掛けていたら、
とうとう重役になっちまった。
気がついたら60歳らしい。
会社に残るよう勧められたが、
老害の連中の仲間入りをするのはゴメンだ。
俺はいさぎよくこの道を降りることにする。
「お疲れ様」?
・・・・・人生はこれからだ。
これからは新しい人生だ。君とのね。

<藤森注・・・・・そこから勘ちがいのスタート。男の身勝手さ。私(藤森)自身を含めた
多くの男性の反省に。心が痛い。>

私は小山ちひろ(原田美枝子)

小さな建設会社を営む父の一人娘として生まれた。
いわば、とっても小さな箱入り娘。
極度の近眼で小さい頃のあだ名は「瓶底メガネ」。
内気で引っ込み思案で、小説を読むのが好きで、
現実の恋なんて一度もしたことがない。
花嫁修業だけして、
25の時に父が決めた相手と結婚した。
カレンダーの風景に憧れて、
夫と子どもの食事を作り、掃除をし、洗濯をし、
ただひたすら30年主婦をしてきただけの、
面白みもない、本当につまらない女。
でも、今から私は、生まれて初めて、本当に恋をする。

<藤森注・・・・・女性は強い!本気になったら、なかなか男は勝てない。
特に還暦を過ぎた年齢以後は、男は「濡れ落ち葉」。女は「生き生き!」
私自身の反省でもありますが、実はこの「平凡」と思われること・・・夫と子どもの
食事を作り、掃除をし、洗濯をし、ただひたすら30年主婦をしてきただけの、
面白みもない、本当につまらない女・・・本当はこれが一番貴重なものなんですが、
本当に貴重なものにはなかなか気づかないものです>

 

「ごめん」「ありがとう」
ずっと伝えられなかった言葉を今、あなたへ

○(5)私は長谷部麗子(戸田恵子)

こう見えても小さい頃の夢はかわいいお嫁さんになること。
私の家族は転勤族で、仕事人間だった父親について11回も引越しを繰り返した。
だから私には特定の親友はなく、いつも近くにいてくれたのは、
本とラジオのディスク・ジョッキーだけだった。
そのせいかも知れないが、自然と外国に憧れるようになり、
しらけ世代などと言われて腹が立ち、アメリカに留学してムキになって勉強したが、
就職した日本の会社ではお茶汲みばかり。
おまけに「女は35歳定年」と言われ、さっさと辞めた。
アルバイトで始めた翻訳の仕事がいつの間にか本職になり、
たまたま翻訳した本が売れただけなのに、
働く女性たちの憧れ、ということになってしまった。
恋なんていつでもできると思っていたが、
いつの間にか賞味期限を過ぎたらしい。
世間では夢を叶えた女と思われているようだが、
どうやら一番最初の夢だけは叶えられなかったようだ。

<藤森注・・・・・私たちは外面だけで人を判断してしまう傾向にあるようです。
相撲の若・貴兄弟が全盛のときは、理想の家族のように思われていました。
裏も表も中も外も全部見られたら、人間、そんなに違うものではないようです。
何かが得られれば、何かを失う関係性がわかってくると・・・・・。>

僕は佐伯静夫(井上順)

子どもの頃から勉強だけは優秀で、
近所では「神童」と呼ばれていた。
中学生の時、
アメリカのドラマ「ベン・ケーシー」を観て
医者になることを決意。
東京の医大に進み、医者にはなったが、
血が怖くて研修中に倒れ、外科医には向いていないと悟り、
大学では大腸の研究に没頭する毎日を送った。
女性とは無縁な生活で結婚もあきらめていたけど、
42の時お見合いで山口百恵似の美人と知り合い、
どういうわけか結婚。一子をもうけた。
一筋に打ち込んだ研究もアメリカのグループに先を越されて水泡に帰し、
出世コースからは見事に落ちこぼれたのだが、
最近では医療もののドラマや小説の監修なんてアルバイトもやっている。
気分だけはベン・ケーシーかな。

○(6)俺は松山正彦(イッセー尾形)

戦後の東京で、魚屋の一人息子として生まれ、
嘘みたいな経済復興と共に育った。
次から次に新しいものが海を渡って目の前に現われたが、
俺がはまったのはなんと言っても音楽。
プレスリーに始まって、PPM、ボブ・ディラン、もちろんビートルズ。
仲間とグループ・サウンズを結成してそれなりにファンもつき、
キャーキャー言われたこともあったが、
プロになどなれるはずもなく、、父親が倒れて実家を継いだ。
女房とふたりで小銭を稼いで何十年経ったんだか、数える気にもならない。
確かにファンの中で一番かわいい女の子に手をつけたはずだったが・・・・・
今の女房にその面影はない。

私は松山光江。旧姓は飯村光江(綾戸智恵)

大阪のある辺鄙な田舎で生まれた。
小さい頃のあだ名は、みっちゃん。
中学を出て集団就職列車に揺られて東京にやって来た、
いわゆる“金の卵”ってやつ。
働いていた繊維工場の先輩に誘われて、
来日したビートルズ見たさに武道館へ行ったのだけれど、
案の定入れず、仕方なくヒマをつぶしに近くの公園に行ったら、
ビートルズのまがいものが演奏していた。
その頃の私には東京の男の子はみんな垢抜けして見えたんやろう。
その彼が一生懸命になって歌う「ミッシェル」にときめき、
職場の先輩と熱を上げて何年も彼らを追いかけたっけ。
思い切りめかしこんで聴きに行ってたら、
そのうちボーカルの男の子に口説かれた。
今や面影もなく騙されたという思いやけど、
私には分相応の相手なのかもしれない。
この際、騙され続けて終わるのも悪くないかな、ねぇ、みっちゃん。

○(7)<隣りにいるのが当然だった。
あなたのかけがえのなさに、ようやく気づく>
   <仕事一筋の夫と、専業主婦の妻>
橘孝平(中村雅俊)とちひろ(原田美枝子)は、孝平の定年退職を機に、離婚を決めていた。孝平は、恋人の根本夏美(原沙知絵)が経営する建設事務所で、若いスタッフと共に今まで培った経験を存分に生かすつもりだ。孝平の退職の日、尾頭つきの鯛の刺身と手料理を食卓に並べ、帰りを待っていたちひろ。まもなく、身ごもった娘のマキも同棲中の八木沼等を連れ、父親の退職祝いにかけつけるが、孝平は今日も家に帰ってこない。<出世コースを外れた医者と、第一線で輝くキャリアウーマン>
医者の佐伯静夫(井上順)は、5年前に愛妻を亡くし、今は高校受験を控える娘・理花とふたり暮らし。かつて海外ドラマの「ベン・ケーシー」に憧れて医者になったものの、出世コースからは脱落。どうにも冴えない人生を送っている。
しかし、近頃は、海外医療小説の監修依頼をしてきた翻訳家・長谷部麗子と会えるのを楽しみにしている。一方の麗子も、静夫の実直さに好感をもっていた。細菌の話になると、人がかわったように熱弁を振るう静夫の姿に年甲斐もなくトキメくのだった。<青春時代にビートルズを謳歌し、今は鮮魚商を営む仲良し夫婦>
松山正彦(イッセー尾形)と光江(綾戸智恵)は正彦の糖尿病治療のため、定期的に病院に通っている。担当医の佐伯静夫の指示に従い、光江は夫の食事を厳しく管理。毎晩のウォーキングも欠かさない。
そんなある日、ウォーキングの途中に、正彦は楽器店のショーウィンドウにかの名器マーチンが飾られているのを発見。何を隠そう青春時代、ふたりはビートルズに熱中していたのだ。憧れの名器に見惚れる正彦。マーチンの値段は27万円!未だに手は届きそうにない・・・・・。

<行こう。誰に気兼ねするの?>
夫が出て行った家で、時間を持て余したちひろは一念発起、家政婦の仕事に挑戦することに。勤め先は、読書好きのちひろが憧れる翻訳家・長谷部麗子の家。高級マンションにひとり暮らし、誰に頼ることなく自立している麗子。何の取り柄もない気弱なちひろにとっては住む世界の違う遠い存在だ。やがて、ちひろの料理に惚れ込んだ麗子は、ちひろと一緒に食卓を囲むようになる。
ある日、麗子はちひろを誘い、パーティへ繰り出す。パーティの主催はミステリー作家の麻生圭一郎。麻生は美しく磨かれたちひろに惹かれ、食事に誘う。異性から誘われた経験のないちひろはただ戸惑うばかり。「あなたは今まで恋をしてこなかった」という麻生の言葉にちひろは少なからず動揺を覚えるのだった。

<はじめての挫折>
孝平は、転職の挨拶も兼ね、なじみの施工業者に受注の依頼をするが、あっさりと断わられてしまう。自分の力で築きあげてきたと思っていた人脈、キャリア。それがすべて会社の名の下にあったというのか?・・・・・自らの愚かさに落胆する孝平。疲れ果て戻ってきた事務所でも、やはり居場所がない。孝平は今までの人生で経験したことのない屈辱を味わっていた。
そんな時、娘・マキの子どもが生まれ、孝平は久しぶりに前妻・ちひろと再会する。そこには、孝平が今まで見たことのない、よく喋り、よく笑い、美しく輝くちひろがいた。病院からの帰り、空腹の孝平を見かねたちひろは、孝平のために夕食を作る。どことなく気落ちしているようにみえる孝平に、ちひろは励ましの言葉をかけるのだった。孝平に上着を着せ、鞄を持ち、玄関先から見送る自分。ちひろは30年間繰り返してきたこの習慣にどこか懐かしさを感じていた。

<ふたりを結ぶ英文のラブレター>
麗子は、監修のお礼にと、思い切って静夫と娘の理花を自宅に招待。しかし、理花は麗子に馴染もうとせず、悪態をつき、部屋から飛び出してしまう。当直のため、病院へ戻らなければならないと力なく詫びる静夫に、麗子は笑顔で「さよなら」を告げる。「やっぱり恋なんてしなければよかった・・・・・」傷つき、自己嫌悪に陥る麗子。
翌朝、静夫が1通の手紙を持って、麗子の部屋にやってくる。それは、「英語がわからないから麗子に訳してもらいたい」という理花が書いた英文のラブレターだった。

<病室に響く青春の曲>
光江の厳しい指導の甲斐があり、正彦の糖尿病は少しずつ回復。静夫からの診断結果を聞き、喜ぶふたり。しかし、今度は思いがけず光江の脳腫瘍が発覚する。突如、光江の手術を勧められ、憤る正彦。「俺より先に逝ったりしたら許さない」という正彦を残し、光江は手術室に入った。
家に戻った正彦は、見慣れない何かが押入れの中に入っている事に気づく。それはあの名器マーチン。光江への想いが溢れ、ギターをかかえ泣きじゃくる正彦。病室に戻った正彦は、回復を祈りながら夜通しふたりの思い出の曲「ミッシェル」を弾き語る。

<30年前の想い>
その頃、同じ産婦人科にマキをたずねていた孝平のもとに、北島進が現われる。かつて新婚旅行で訪れた四国の写真館で、ちひろが30年後の孝平に宛てて書いたという手紙を手渡す進む。
そこには、ちひろの、孝平への語りつくせない想いが語られていた。自分にとってかけがえのない、大切な存在にようやく気づいた孝平は、ある決意を胸に夜の街を疾走するのだった。

○(8)<主題歌「candy」・森山良子>

 私はこの映画の中に登場する主人公達と同じ
団塊の世代として生まれ育った、戦争を知らない子供達である。
戦後の物質に恵まれぬ記憶を持ちながらも
高度成長の波に呑まれながら精一杯泳ぎ
「少し休もうよ」いや「まだまだこれから!」という間で揺れている。
多くの若者達がギターを持ち、愛や平和を歌った青春。
「New Family」などという言葉が生まれ、
苦しい時代を生き抜いた父や母の世代とは違う新しい生き方を模索した。
より良い時代が、エネルギーに満ちた時代が来るのだと
期待した、そして慢心した。
しかし夢中に駆け抜けた日々を振り返ると
心の中にポツンと何かが欠けている痛みがある。
前に前にと走りながら何かを踏みつけて来てしまった痛みだ。
気にも留めなかった忘れ物が、
過ぎた時の向こうで「ここにあるよ・・・」と手を振り教えてくれている。
置き去りにした大切な宝物を今漸く取りに戻っているところ。
60歳とは、還暦とはそんなことも意味するのだろうかと考えている。
主題歌「candy」にあるようにsweetでbitterな人生はまだまだ続く。

森山良子

<文責:藤森弘司>

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