2008年7月31日 第72回「今月の映画」
&
●監督:ポール・ウェイランド 主演:パトリック・デンプシー ミシェル・モナハン ケヴィン・マクキッド
●監督:原田眞人 主演:堤真一 堺雅人 尾野真千子 山崎努
●(1)映画「告発のとき」は、現在、戦争をしているアメリカという国が、こういう映画を作れるということが凄いことだと思いました。
さて今回取り上げる映画、「近距離恋愛」(アメリカ映画)ですが、これは私(藤森)が最も言いたいこと、「禅」の悟りの精神を象徴しているように思い、取り上げました。映画の内容は、少々、ダスティン・ホフマンの「卒業」に似ているように思います。 この映画と全然違うのですが、私が言いたい共通のことがありますので、「クライマーズ・ハイ」(日本映画)も同時に取り上げることにしました。 |
○(2)(「近距離恋愛」・・・プログラムより)
<自分が決めたルールで、恋のゲームを楽しむ男、トム> 家も車も服装もすべてがリッチな彼の収入は、スターバックスから。熱いカップを持つ時に火傷しないためのカバー“スリーブ”を発明したのだ。世界中でスリーブがひとつ使われる度に、彼には10セントが入ってくる仕組み。そんなトムが大切にしているのは、大親友のハンナといっしょに過ごす日曜日のひとときだ。 <結婚の大切さを信じ、運命の相手を待つ女、ハンナ> <正反対のふたりが結んだ、固い友情の絆> <ふたりの人生を変えた、離ればなれの6週間> 結婚はしないけれど一緒に暮らしたい、都合のいい願いを抱くトムのもとに、ハンナはやっと帰ってきた。着ていく服に悩み、花を買い、まるで初デートのように待ち合わせの店へ駆けつけたトムを待っていたのは、幸せにキラキラ輝くハンナと、スコットランドのデカイ男だった。 <恋する相手の、花嫁付添い人になるなんて> |
●(3)「クライマーズ・ハイ」は、1985年に日本航空の飛行機が御巣鷹山に墜落し、1機の事故としては航空機史上最大、520人の死亡となる大惨事を取材する地方新聞社の様子を描いた映画です。 全国紙に比べて取材力が劣る地方新聞社が、地元の面子をかけた取材の総力戦や、販売部と編集部の締め切り時間についての葛藤や、経営者と編集責任者の編集方針に対する闘いなど、いろいろな人間関係を絡ませた、手に汗握る映画です。 |
●(4)さて、この2つの映画、「近距離恋愛」と「クライマーズ・ハイ」の映画の共通項をこれから抽出していきます。
まず「近距離恋愛」について述べます。この映画のモチーフは、パンフレットに英語で書いてある次の言葉ではないでしょうか? Tom is stunned to realize how empty his life is without her. 私は英語は苦手なので、うまい翻訳はできませんが、「トムは、彼女がいない自分の人生がいかに空っぽ、虚しいかということがわかって、ショックを受けた」こんなところで良いでしょうか? トムはハンナと大学時代に知り合い、それから10年。気楽に友達として付き合ってきたが、余りにも二人の関係が近すぎたので、彼女の素晴らしさに気づかず、10年間、お気楽に付き合ってきてしまいました。 ●(5)さて、ここからが私の一番言いたいことです。 ●(6)週刊ポスト、2008年8月15.22合併号<山城新伍「要介護で施設」「元妻&娘は豪邸暮らし」の熟年離婚地獄> ●(7)禅に「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があります。 意味は、「足元を見よ」です。これはある種の悟りの心境です。私たちは、運転中に現れる「逃げ水」のごとくに、いつも遠くを見、それに近づくと、目標物はさらに遠くへ行ってしまい、いつもアクセクして、今この時点での目の前にある一番大事なものを忘れがちです。 私(藤森)自身が家族を大事にしてこなかったので、決して偉そうなことを言うつもりはありませんが、同じく「禅」で、次のような話が残っています。ある僧侶が、名の聞こえた僧侶のところに問答を仕掛けに来ました。「悟りとはなんぞや?」 昔、ノーベル賞を受賞したある高名な日本の学者は、子供が夜泣きをすると、奥さんを怒鳴って外に連れ出させたとのことです。ノーベル賞を取るのは大変なことなのですね!!!今の私ならば、負け惜しみを込めて言えば、ノーベル賞よりも我が子を大事にしたいです。 そう言えば「万葉集」にこういう歌がなかったでしょうか? 銀(しろがね)も金(くがね)も玉もなにせむに ●(8)最近、親子や兄弟などの悲惨な事件が相次いでいます。こういう事件が起きてみれば、多分、ご両親は何が一番大事であったかに気づくのではないでしょうか? 私たちは、自分の価値観が絶対だと誤解していますが、実は、解釈を変えれば、いかようにでもなるのです。自分が勝手にそのように思い込んでいるだけで、その思い込みを変えれば、その価値も変わってしまいます。 |
●(9)次に「クライマーズ・ハイ」について述べます。 1985年の夏に、世界の航空機史上、最大の事故が起こりました。実に520人の方が亡くなりました。このように報道され、またこのように信じられています。しかし、本当に520人の方が亡くなられたのでしょうか?これから私(藤森)は、誤解を恐れずに、非常に奇妙なことを言います。 実は、この事故で亡くなった方は「1人」です。或いは、同じ家族の2~3人です。一家族で数人の方が亡くなったケースがあるかもしれませんが、話を進める上で、「1人」とさせていただきます。 どのご家族も、亡くなった身内の方は「1人」です。例えば、1年で交通事故で亡くなる方は、1万人近くです。しかし、ひとつひとつのケースで見れば、亡くなった方は「1人(同じ家族で数人ということもあるでしょう)」です。 これをひとまとめにしてしまうところに「誤解(認知の歪み)」が生じます。●(10)航空機での事故、例えば「気流」の影響で飛行機が大きく揺れて、シートベルトを締めていなかった方が、天井に頭をぶつけて亡くなったとします。ご家族の悲しみはいかばかりでしょう。 この悲しさ、辛さと、一度に520人が亡くなった事故の中で、1人を亡くしたご家族の悲しさは違うでしょうか?同じはずです。 ところが520人が同時に亡くなったというその瞬間、遺族の方々に違った感情が湧いてきます。こんな大事故を起こしてどうしてくれるんだ!御巣鷹山に「慰霊碑」を作れ、あれをしろ!これをしろ!と要求が厳しくなります。 その結果どうでしょうか?あんなに不便なところに「慰霊碑」を作ったお陰で、毎年、この時期になると、広島や長崎の原爆慰霊行事のように、大々的に参拝者が苦労して、山に登ります。 もうすでに23年が経ちました。残念ながら、ご遺族の中から亡くなった方が沢山いらっしゃるのではないでしょうか?足腰が弱ってしまって、行きたくても行けない方も多いのではないでしょうか? しかし、毎年、大々的に報道されれば、行けない自分を責めてしまう方もいらっしゃるかもしれません。日本の心身医学の創始者、故・池見酉次郎先生は「人は死に行く存在」だとおっしゃいました。皆、死んで行くのです、残念ながら。 520人がまとまったという大惨事ではありますが、でもそれぞれのご遺族の方々にとっては、わずか「1人」であり、それは「交通事故」かもしれないし、「水の事故」かもしれないし、「怪我」かもしれないし、「病気」かもしれません。 そうやって、私たち日本人は1億2000万人を80年で割れば、単純計算で毎年、150万人の人が亡くなっています。これは150万人が亡くなっているのではなく、「1人」が亡くなっているのです。それを総合すれば「150万人」が亡くなっているということです。 「1人」が亡くなっているのを総合すれば、「520人」になるのであって、総合して「520人」が亡くなっていようが、「1人」だけが亡くなろうとも、その悲しさ、辛さは同じです。「1人」が亡くなったのと、「520人」が亡くなったのとでは、何か違いがあるように錯覚していないでしょうか?もちろん、事故調査委員会のようなところや、航空機会社の捉え方は違うでしょうが、遺族の立場になれば、何人でも同じではないかと、私(藤森)は考えます。●(11)私の記憶では、この当時の日本航空の社長は「高木養根」という名前の方だったと思います。この方は、事故の問題を処理してから社長を退き、その後、520人のご遺族の家々を1軒1軒訪ね、焼香されたようです。それでも怒りから、焼香させてもらえない家があったと、私は記憶しています。 ご遺族の方々の気持ちはいかばかりであろうと思うと同時に、万一、何かの事故で一人の人が亡くなったならば、このような手厚い対応をしてもらえただろうかという思いもあります。 私たちは、平均すれば、毎年、150万人が亡くなります。川や海の水の事故で、毎年、多くの人が亡くなっています。工場や作業現場でも、毎年、多くの方々が亡くなっています。 うまく表現できないもどかしさを感じるのですが、「近距離恋愛」の映画のところで述べたことと同様のことを感じます。いろいろな努力も、功績も、プライドも、地位も名誉も財産も何もかも、数十年後の旅行には持参できません。 事故からもう23年が経過しました。私たちは順番に亡くなっていきます。いろいろな意味で「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」、もっともっと身近で大事なものをさらに大切にできる人間になりたいと、私(藤森)は切望している今日この頃です。 |
<文責:藤森弘司>
最近のコメント