2008年7月31日 第72回「今月の映画」
近距離恋愛 クライマーズ・ハイ

●監督:ポール・ウェイランド   主演:パトリック・デンプシー   ミシェル・モナハン   ケヴィン・マクキッド

●監督:原田眞人         主演:堤真一    堺雅人    尾野真千子    山崎努

●(1)映画「告発のとき」は、現在、戦争をしているアメリカという国が、こういう映画を作れるということが凄いことだと思いました。

さて今回取り上げる映画、「近距離恋愛」(アメリカ映画)ですが、これは私(藤森)が最も言いたいこと、「禅」の悟りの精神を象徴しているように思い、取り上げました。映画の内容は、少々、ダスティン・ホフマンの「卒業」に似ているように思います。
主演の男性は、自分勝手なルールによって恋愛を楽しむ、少々、調子の良い男ですが、最後に、非常に大事なことに気づきます。最後に気づく「大事なこと」が、私(藤森)にとって、あるいは誰にでも言える、非常に重要なことだと思い、取り上げることにしました。

この映画と全然違うのですが、私が言いたい共通のことがありますので、「クライマーズ・ハイ」(日本映画)も同時に取り上げることにしました。
まず、簡単にストーリーをご紹介して、最後に、私の考えを述べたいと思います。

○(2)(「近距離恋愛」・・・プログラムより)

<自分が決めたルールで、恋のゲームを楽しむ男、トム>
どんなにいい女でもデートは2晩続けない。電話番号をもらっても24時間は我慢する。深い関係になっても家族に紹介しない。自宅に女は入れない。誰が何と言おうと決めたルールは破らない・・・。
こんなルールに従って、次から次へと恋愛ゲームを楽しむ男、トム。しかし、彼は女を騙したりはしない。“正直に”結婚の意志がないことを表すだけ。彼にとって、愛の言葉を捧げるべき相手は女ではなく、街ですれ違う大好きな犬たちなのだ。
トムがどうしても“結婚”を信じられないのには、父トーマスの影響があるかもしれない。今は亡きトムの母親を捨てて結婚離婚を繰り返し、それでも懲りずに近々6度目の結婚を控えているのだ。

家も車も服装もすべてがリッチな彼の収入は、スターバックスから。熱いカップを持つ時に火傷しないためのカバー“スリーブ”を発明したのだ。世界中でスリーブがひとつ使われる度に、彼には10セントが入ってくる仕組み。そんなトムが大切にしているのは、大親友のハンナといっしょに過ごす日曜日のひとときだ。

<結婚の大切さを信じ、運命の相手を待つ女、ハンナ>
メトロポリタン美術館に勤めるハンナは、絵画の修復の資格も修得している堅実な努力家。許せないのは、“嘘”と動物虐待と、油っこい揚げ物。人生になくてはならないのは、甘いデザートとモディリアーニ、そして常に“愛してる”と言い合える家族や友達。
仲の良い両親に育てられ、数年前に亡くなった父の思い出を大切に胸にしまい、母ジョーンとも親友のような信頼で結ばれている。そんな彼女は、ごく自然に、結婚こそが人生で最も大切なイベントだと信じている。もうすぐ30歳のハンナは、それなりに何人かの男と付き合ってきたが、理想の相手は、まだ現れていない。どんな時も頼りにできて、心から信頼できる運命の人を密かに待ち続けているのだ。

<正反対のふたりが結んだ、固い友情の絆>
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人生の隅々まで赤裸々に語り合ってきたふたりの絆は、何よりも強い。ハンナは決してマジメなだけの女ではなくユーモアに溢れ、トムの華麗で派手な女性遍歴を呆れながらも笑って楽しんでくれる。ふたりで1つのケーキを食べ、アンティーク・ショップをひやかし、気のきいたジョークに笑い・・・・・、心地よい日曜日が永遠に続くと思っていた。ところが突然、ハンナがスコットランドへ旅立つ。名画を買い付けるため、6週間の出張に行くのだ。

<ふたりの人生を変えた、離ればなれの6週間>
スコットランドは遠かった。携帯電話の電波は届かず、やっと通じたと思えば向こうは真夜中。トムはハンナのいない日曜日を、ガールフレンドたちと過ごすが、お気に入りのアンティークをガラクタとけなされ、大人気のベーカリーに並ぶのを嫌がられ、飲茶を食べに行けば体に悪い揚げ物ばかりを注文され・・・。そうトムはやっと目覚めた。ハンナのいない人生なんて考えられないということに。

結婚はしないけれど一緒に暮らしたい、都合のいい願いを抱くトムのもとに、ハンナはやっと帰ってきた。着ていく服に悩み、花を買い、まるで初デートのように待ち合わせの店へ駆けつけたトムを待っていたのは、幸せにキラキラ輝くハンナと、スコットランドのデカイ男だった。

<恋する相手の、花嫁付添い人になるなんて>
呆然とするトムに、ドラマティックな出逢いを自慢しながら、熱い眼差しで見つめ合うハンナとデカイ男、コリン。ふたりは既に婚約、2週間後にスコットランドで挙式すると言う。今宵のサプライズはまだあった。トムは、普通は花嫁と最も親しい女性が担当する花嫁付き添い人、それも一番責任の思い“メイド・オブ・オナー”に任命されてしまったのだ。
愕然とするトムに、男友達がアドバイスする。花嫁付添い人は式の準備でずっと花嫁の側にいる。ハンナに気が変わるように仕向ける絶好のチャンスだ、と。その日から、トムの愛と名誉をかけたハンナ奪還作戦が始まった。

●(3)「クライマーズ・ハイ」は、1985年に日本航空の飛行機が御巣鷹山に墜落し、1機の事故としては航空機史上最大、520人の死亡となる大惨事を取材する地方新聞社の様子を描いた映画です。
全国紙に比べて取材力が劣る地方新聞社が、地元の面子をかけた取材の総力戦や、販売部と編集部の締め切り時間についての葛藤や、経営者と編集責任者の編集方針に対する闘いなど、いろいろな人間関係を絡ませた、手に汗握る映画です。
●(4)さて、この2つの映画、「近距離恋愛」と「クライマーズ・ハイ」の映画の共通項をこれから抽出していきます。

まず「近距離恋愛」について述べます。この映画のモチーフは、パンフレットに英語で書いてある次の言葉ではないでしょうか?

Tom is stunned to realize how empty his life is without her.

私は英語は苦手なので、うまい翻訳はできませんが、「トムは、彼女がいない自分の人生がいかに空っぽ、虚しいかということがわかって、ショックを受けた」こんなところで良いでしょうか?

トムはハンナと大学時代に知り合い、それから10年。気楽に友達として付き合ってきたが、余りにも二人の関係が近すぎたので、彼女の素晴らしさに気づかず、10年間、お気楽に付き合ってきてしまいました。
ところが、メトロポリタン美術館の仕事で、彼女はスコットランドへ名画を買いに6週間、出張してしまった。彼は6週間の空白を体験することで、初めて、彼女の存在がいかに自分にとって大きかったかということに気づきます。

●(5)さて、ここからが私の一番言いたいことです。
トムは彼女を、ちょうど幼児が母親に甘えたり、勝手なことを要求しながら、母親に対して、有り難さ、感謝の念を持っていないのと同様、彼女をまるで便利屋さんのように利用していたが、彼女の大切さに気づくことはできませんでした。
この関係は、私たち夫婦(親子、兄弟も同様)の関係に似ていませんか?特に、お気楽なトムは、まさに日本の男性陣、特に配偶者としての「夫」の姿を彷彿とさせます。
熟年離婚が増えているといいます。家庭や妻を大事にしない「夫」が増えているからでしょうか?特別に増えていなくても、女性が(当然の)権利を主張するようになったからでしょうか?
いずれにしても、離婚にせよ、死別にせよ、離れてみて初めて、妻の有り難さ、妻の仕事の大変さに気づくのではないでしょうか?一緒にいれば、人間扱いせず、挨拶も交わさない夫婦であったのに、離れてみるとその有り難さがわかる!!!
かくいう私(藤森)自身、妻の有り難さがわからない人間でしたが、この年、還暦を過ぎて、初めて、心の底から、まったき意味で、妻の有り難さがわかりました。生きているうちに心底、理解できて本当に良かったと思っています。

●(6)週刊ポスト、2008年8月15.22合併号<山城新伍「要介護で施設」「元妻&娘は豪邸暮らし」の熟年離婚地獄>

<履いた靴が左右で違った>
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そもそも山城のメディア露出が減ったのは、女優の花園ひろみ(67)と二度目の離婚をした99年頃からだった。およそ30年間連れ添った末の、熟年離婚だった。
原因は度重なる山城の女性問題といわれていた。花園の知人はこう語る。
「彼女は山城さんに何度裏切られても耐えてきたんです。女からみれば当然の決断ですよ」
さらにその後、娘で女優の南夕花が『婦人公論』(00年6月7日号)のインタビューで、
「あの人(山城)を父とは呼びたくない。嘘つきで自分勝手で無神経な人」
と絶縁宣言まで飛び出し、波紋を呼んだ。
一時は離婚後も家族で同居していたようだが、数年ほど前から山城はやもめ暮らしを始めた。周辺からは、孤独になった男の痛ましい姿が度々目撃されていた。
「昨年、ボサボサの髪型で商店街を所在なげに歩き回っている山城さんを見ました。よく見ると履いている靴が左右で違うし、口の周りがテカテカと光っていて、心ここにあらずといった感じ。スーパーでも惣菜コーナーをひとりで長い間物色したりと、声をかけられるような雰囲気ではありませんでしたね」(近隣住民)
離婚後の山城は公私両面で不遇な日々を送っていた。

●(7)禅に「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があります。
私の記憶が間違っていなければ、「昔の中国で、ある和尚が、若いお弟子さんを連れて、檀家のところに行った帰り道、提灯の火が風に吹かれて消えてしまいました。街灯などありませんから、辺りは真っ暗闇です。そこで和尚が、供のお弟子さんたちに、“さあどうする!”と問い掛けます。それぞれが答える中、三人目の若い僧侶が言った言葉がこれです。」

意味は、「足元を見よ」です。これはある種の悟りの心境です。私たちは、運転中に現れる「逃げ水」のごとくに、いつも遠くを見、それに近づくと、目標物はさらに遠くへ行ってしまい、いつもアクセクして、今この時点での目の前にある一番大事なものを忘れがちです。
例えば、ボランティア活動は非常に大切な活動です。それによって多くの人が助かることでしょう!その助かる人の中に、一番大切な奥さんやお子さんは、果たして含まれているのでしょうか?奥さんやお子さんを犠牲にして、ボランティア活動が行なわれているということはないのでしょうか?

私(藤森)自身が家族を大事にしてこなかったので、決して偉そうなことを言うつもりはありませんが、同じく「禅」で、次のような話が残っています。ある僧侶が、名の聞こえた僧侶のところに問答を仕掛けに来ました。「悟りとはなんぞや?」
名僧答えて曰く、「朝飯を食ったかね?」「もちろんです」「それならば食器を洗うことだね!」

不勉強な私ですので、多少、正確でないところはご容赦ください。禅の修行ではいかに、「今この時点ですべきことをやる」かではないかと思います。私たちは多くの場合、眼前のやるべきことをやらずに、天下国家を論じる傾向にあるように思えます。

昔、ノーベル賞を受賞したある高名な日本の学者は、子供が夜泣きをすると、奥さんを怒鳴って外に連れ出させたとのことです。ノーベル賞を取るのは大変なことなのですね!!!今の私ならば、負け惜しみを込めて言えば、ノーベル賞よりも我が子を大事にしたいです。

そう言えば「万葉集」にこういう歌がなかったでしょうか?

銀(しろがね)も金(くがね)も玉もなにせむに
まされる宝子に如(し)かめやも(山上憶良)

●(8)最近、親子や兄弟などの悲惨な事件が相次いでいます。こういう事件が起きてみれば、多分、ご両親は何が一番大事であったかに気づくのではないでしょうか?
言うまでもないことですが、「成績」でしょうか?「一流の学校」でしょうか?「いい子」になることでしょうか?「名誉や地位や財産やプライド」でしょうか?
私(藤森)自身は、これらの一切を有していない負け組みの人間ですが、いや負け組みの人間だからこそ、還暦を迎えて、人間にとって一番大事なものと、本気で向き合うことができるようになりました。
<今月の言葉>で連載していますが、<第65回「認知療法とは何か?」>の中の<(5)認知の歪みのプロセスの(b)無意識的意味>を是非、ご参照ください。さらに、<今月の映画、第69回「王妃の紋章」の中の(10)「隠れたメッセージ」をご参照ください>

私たちは、自分の価値観が絶対だと誤解していますが、実は、解釈を変えれば、いかようにでもなるのです。自分が勝手にそのように思い込んでいるだけで、その思い込みを変えれば、その価値も変わってしまいます。
ノーベル賞が一番大事だと思えば、子供が夜泣きをすれば、奥さんを怒鳴って、外に連れ出させても当然だと思うでしょう。子供は、親の思い通りになるのが当然だという「無意識的意味」を持っていれば、勉強なりスポーツなり、親の願望のままにさせようとすることは当然のことです。
ところが、子供には子供の人生があって当然であるという意味づけがなされれば、親の思い通りにさせるよりも、子供の希望を大事にするようになるのではないでしょうか。
単に自分の考え方を変えるだけのことですが、これがなかなか大変です。何十年もの間、そのように信じて来たことを変えるのは、不可能ではないかと思われるほど、一人の人格の奥深くに根を張ってしまっているものです。
このようにして、信じ切って来た人にとっては、太陽が東から昇り、西に沈むくらいに当然なことのように思われているものです。
「一番近くに居て、一番大切な人の存在」に気づきませんか!?

●(9)次に「クライマーズ・ハイ」について述べます。
1985年の夏に、世界の航空機史上、最大の事故が起こりました。実に520人の方が亡くなりました。このように報道され、またこのように信じられています。しかし、本当に520人の方が亡くなられたのでしょうか?これから私(藤森)は、誤解を恐れずに、非常に奇妙なことを言います。
実は、この事故で亡くなった方は「1人」です。或いは、同じ家族の2~3人です。一家族で数人の方が亡くなったケースがあるかもしれませんが、話を進める上で、「1人」とさせていただきます。
どのご家族も、亡くなった身内の方は「1人」です。例えば、1年で交通事故で亡くなる方は、1万人近くです。しかし、ひとつひとつのケースで見れば、亡くなった方は「1人(同じ家族で数人ということもあるでしょう)」です。
これをひとまとめにしてしまうところに「誤解(認知の歪み)」が生じます。●(10)航空機での事故、例えば「気流」の影響で飛行機が大きく揺れて、シートベルトを締めていなかった方が、天井に頭をぶつけて亡くなったとします。ご家族の悲しみはいかばかりでしょう。
この悲しさ、辛さと、一度に520人が亡くなった事故の中で、1人を亡くしたご家族の悲しさは違うでしょうか?同じはずです。
ところが520人が同時に亡くなったというその瞬間、遺族の方々に違った感情が湧いてきます。こんな大事故を起こしてどうしてくれるんだ!御巣鷹山に「慰霊碑」を作れ、あれをしろ!これをしろ!と要求が厳しくなります。
その結果どうでしょうか?あんなに不便なところに「慰霊碑」を作ったお陰で、毎年、この時期になると、広島や長崎の原爆慰霊行事のように、大々的に参拝者が苦労して、山に登ります。
もうすでに23年が経ちました。残念ながら、ご遺族の中から亡くなった方が沢山いらっしゃるのではないでしょうか?足腰が弱ってしまって、行きたくても行けない方も多いのではないでしょうか?
しかし、毎年、大々的に報道されれば、行けない自分を責めてしまう方もいらっしゃるかもしれません。日本の心身医学の創始者、故・池見酉次郎先生は「人は死に行く存在」だとおっしゃいました。皆、死んで行くのです、残念ながら。
520人がまとまったという大惨事ではありますが、でもそれぞれのご遺族の方々にとっては、わずか「1人」であり、それは「交通事故」かもしれないし、「水の事故」かもしれないし、「怪我」かもしれないし、「病気」かもしれません。
そうやって、私たち日本人は1億2000万人を80年で割れば、単純計算で毎年、150万人の人が亡くなっています。これは150万人が亡くなっているのではなく、「1人」が亡くなっているのです。それを総合すれば「150万人」が亡くなっているということです。
「1人」が亡くなっているのを総合すれば、「520人」になるのであって、総合して「520人」が亡くなっていようが、「1人」だけが亡くなろうとも、その悲しさ、辛さは同じです。「1人」が亡くなったのと、「520人」が亡くなったのとでは、何か違いがあるように錯覚していないでしょうか?もちろん、事故調査委員会のようなところや、航空機会社の捉え方は違うでしょうが、遺族の立場になれば、何人でも同じではないかと、私(藤森)は考えます。●(11)私の記憶では、この当時の日本航空の社長は「高木養根」という名前の方だったと思います。この方は、事故の問題を処理してから社長を退き、その後、520人のご遺族の家々を1軒1軒訪ね、焼香されたようです。それでも怒りから、焼香させてもらえない家があったと、私は記憶しています。
ご遺族の方々の気持ちはいかばかりであろうと思うと同時に、万一、何かの事故で一人の人が亡くなったならば、このような手厚い対応をしてもらえただろうかという思いもあります。
私たちは、平均すれば、毎年、150万人が亡くなります。川や海の水の事故で、毎年、多くの人が亡くなっています。工場や作業現場でも、毎年、多くの方々が亡くなっています。
うまく表現できないもどかしさを感じるのですが、「近距離恋愛」の映画のところで述べたことと同様のことを感じます。いろいろな努力も、功績も、プライドも、地位も名誉も財産も何もかも、数十年後の旅行には持参できません。
事故からもう23年が経過しました。私たちは順番に亡くなっていきます。いろいろな意味で「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」、もっともっと身近で大事なものをさらに大切にできる人間になりたいと、私(藤森)は切望している今日この頃です。

<文責:藤森弘司>

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