2008年4月30日第69回「今月の映画」「王妃の紋章」
投稿日 : 2018年3月12日
最終更新日時 : 2018年3月12日
投稿者 : k.fujimori
2008年4月30日 第69回「今月の映画」
監督:チャン・イーモウ 主演:チョウ・ユンファ コン・リー ジェイ・チョウ リウ・イェ リー・マン
●(1)解説の内容が良かったので、「大いなる陰謀」、これはかなり期待して見に行ったのですが、残念ながら、残念でした。テーマは良かったのですが、内容の整理が不十分で、わかりにくいところが残念でした。テーマが良い割には、客足はかなり悪いようです。
「フィクサー」も最後は良かったが、終盤に行くまでに、内容を凝りすぎてわかりにくかった。「モンゴル」もいまいち、「紀元前一万年」もいまいち、「NEXT ネクスト」は面白かったが、取り上げるような内容ではないし、それでやっと「王妃の紋章」にたどり着きました。 |
●(2)「王妃の紋章」、後半のスケールは凄かった!!日本と違って、大きい国のスケールは凄いものですね!王宮の絢爛豪華さも凄い!
人間は、上り詰めると、どこまでも欲望を追及しようとするのでしょう。私のように貧しい、小市民には想像もできない「我の欲求」、放っておくと、人間の欲望は限りないものかもしれません。
いつかまた、自分が追われる立場になるかもしれないという気持ちよりも、積み木を、より高く、より早く・・・・・まさに「積み木崩し」。だから歴史が繰り返されるのでしょう。
一代で王国を造り上げた国王の気持ちとはどんなものなのでしょう。なんでもできる、すべてが可能だという環境にいると、人間は一体どうなるのでしょう。
評論家の竹村健一氏は、テレビでしばしば、「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」とおっしゃっていましたが、こういう歴史がゴロゴロしていても、自分がその立場になるとわからないのでしょうね。
経営者も同様です。ワンマン社長、一代で会社を築き上げるが、多くの場合、一代で終わってしまう。一家の大黒柱も同じでしょうね。なかなか自分を理解し、客観視するのは難しいものです。自分だけはいいだろうと思ってしまう。あるいは、自分は違うと思ってしまう。
偉大な歴史家が言ったそうですが、「現代はなんでもわかるが、自分のことだけはわからない」と。私(藤森)はこの年になってやっと、このあたりがわかってきて本当に良かった。
先月の五行歌「喧嘩しないで・くらそじや・ないか・すゑはたかいに・このすがた」<五行歌ご参照>という心境がやっとわかってきました。●(3)先日、ある方から、「藤森さんは敵がおおいだろうなあ」と言われました。「えっ!」と思いました。
確かに私は周囲の人よりも、少し、率直にものを言う傾向があります。だからなのだろうか?
先日も、ある立派な「会」に参加しました。途中、主宰者に呼ばれて、そこの話の輪に入りました。そこで意見を求められたので、「率直に言ってもいいですか?」と許可を得て発言したのですが、どうやら、その時の相手が、後で、その主宰者に電話で「アイツは何者だ。あの意見はなんだ!」というようなことがあったらしい(?)のです。
その方は権威ある医者でしたので、私ごとき一介の素浪人みたいなヤツに反対意見を言われたのが、相当腹に据えかねたのかもしれません。私がその方の反対意見を述べたとき、その瞬間ギョッとして、彼は何も言えなかったことが相当悔しかったのかもしれません。
その後別の会合で、先の主宰者と会って一杯やりながら、その主宰者に、「藤森さんは、相当、自信があるんですね」「でも敵が多いだろうな」と言われました。
私はビックリして、「いえ、私には、敵は一人もいません」と言いました。が、私を敵のように思う人が多いのかもしれないなと思いました。●(4)反対意見があれば、その人の意見を聞くという文化が、日本にはあまり無いようですね。あるのは、「権威」があるかないか、「社会的な立場が、高いか低いか」で決まってしまうようです。ですから、この両方ともない私が、権威ある立場の人に、反対意見を言うということは、ありえないことなのかもしれません。ですからこの権威者は、驚天動地の感覚があったのかもしれません。
私にしてみれば、そんなことで真の学問を学べるのかなあと思うのですがいかがですか?
私が反対意見を述べたのには、私なりに十分な根拠がありますが、議論せずに、一刀両断、「生意気だ!」で終わりです。これで本当の学問が学べるのでしょうか?
丸山ワクチンにしても、メタボリック・シンドロームの問題にしても(平成20年4月13日、読売新聞「製薬会社から講演料5000万円」、この医師は、薬の副作用被害などを認定する副作用・感染等被害判定第二部会の委員」、こういう問題はゴロゴロしています。認知の歪み(1)~(8)ご参照)、狭い医学(だけに限りませんが)の世界で、おかしなことが沢山あるのに、違う意見に耳を傾けようとしなくてどうするのでしょう?●(5)でもやはり、「歴史に学ぶ」賢者になるのは、難しいですね。私のように完全な一匹狼になると、一切のしがらみがないので、より正しい情報を求めようとしますが、「権威」という名の建物に守られている人は、そこに居さえすれば、エサは自動的に補給されます。
しかし、一匹狼にとってエサの確保は、常に真剣勝負です。油断すれば、エサは確保できなくなります。
エサさえ確保できていれば、無駄な争いは避けて、「唯々諾々!!!」と、より権威があるとされる人の意見や、前任者の学説を大切にして、身の安全を図ることこそが、何よりも肝心なことになるのかもしれませんね、「学者」のような狭い世界では、特に。
もしそうであるならば、より権威ある世界が、案外、一番、遅れている可能性があります。
●(6)先日、私の「畏友」と話をしました。彼は、何かの縁で、いわゆる一流大学の留学生の学位論文の日本文のチェックを、個人的にヴォランティアでしています。今までに数人の留学生のお手伝いをしてきているようです。
その彼から、最近の彼の学問の成果を聞く機会がありました。別のある方が、これは「博士論文を通るほどすばらしいですね」と発言しました。
すると彼は、自分がお世話をしている「博士論文は、これより遥かにレベルが低い」と言っていました。それでも取得できているようです。「博士号」なんてこの程度なんですね。野にいる人の中には、本当に凄い実力者がいます。「象牙の塔」にいると、実力はどんどん落ちてくるようです。それでも「権威者」としていられるのは、堅固な要塞の中にいるから、単に守られているだけだからなんでしょう。
こういうことを率直に言うから「敵」が多いのかもしれませんね!
「王妃の紋章」とは大分離れてしまいました。これからパンフレットに基づいて、内容をご紹介します。 |
○(7)(パンフレットより)
<北京オリンピック総合ディレクター、巨匠、チャン・イーモウ監督が放つ、
中国史上もっとも華やかな唐王朝滅亡後の時代を舞台に描いた、史上最大の愛憎劇!>黄金の裏には決して覗いてはいけない秘密がある・・・。
贅のかぎりを尽くした宮廷で、無数の女官にかしずかれ、並ぶものなき栄華の頂点に君臨する、まばゆいばかりの王家の一族。
絶対の権力者たる王の威厳、あたりを払うような王妃の気品、真面目で心優しい皇太子、父に武力を見込まれた第二王子の逞しさ、そして、まだあどけなさの残る第三王子の無邪気な笑顔・・・それが、黄金の一族の穢れなき肖像。
しかし、その裏側で、王が企てる王妃の毒殺、それを知りながら毎日毒入りの薬を飲み続ける王妃。さらに、皇太子は王妃との不倫に苦しみ、第二王子は母の計略に引き込まれ、第三王子の心には、どす黒い闇が広がっていく・・・・・。全員がそれぞれに秘密を持ち、策謀をめぐらし、殺意を抱き合う凄まじい人間模様。絡み合う愛憎はいくつもの悲劇を生み、やがて、国を揺るがすまでの壮絶な惨事を引き起こす!
人々が見上げる高みから、国中を巻き込んで奈落の底へと堕ちていく華々しいまでの王家の崩壊。決して覗いてはいけない黄金の裏側。その禁断の秘密が、絢爛に暴かれるときが来た・・・!○(8)<中国史上歴代1位!(中国国産映画・初週&最終興行収入歴代記録更新)>
・・・・・・・・・
史上もっとも華やかな唐王朝そのままに、スクリーンに出現する壮麗な黄金の宮廷。金の円柱600本、そのすべてに施された菊花の彫刻、内部のすみずみまでを覆いつくす金箔と瑠璃。金糸・金片の18金づくしで仕立てられ、撮影後は見張り付きで金庫に保管されたという王と王妃の衣装をはじめ、フランス宮廷をも思わせる妖艶な女官の装束など豪華な衣装3000枚、延べ1キロメートルにも達する絹の絨毯、そして、1万2000平方メートルの宮廷エリアを埋め尽くす300万本の菊の花・・・・・どこをとっても息を呑むほどに壮大なビジュアルは、さらに驚愕のクライマックスにおいて、全身総毛立つほどの圧巻のシーンを創出した!
これほどのスケール、これほどの絢爛、そして、これほどの修羅・・・!それはまさにあらゆるスケールを超越したこの国でしかありえない中国版「華麗なる一族」。この桁外れの凄さを見よ! |
○(9)<ストーリー>
<<中国史上、最も栄華を極めた唐王朝後の時代、黄金の一族の裏に隠された恐るべき真実>><中国、五代十国、後唐の時代>
《菊の節句》とも称される9月9日の重陽の節句・・・・・王家の人々が一堂に集まり、永久の繁栄を祈る祝祭の日を前に、遠征に出ていた国王と、外地に赴いていた第二王子が王宮に帰ってくる。しかし、そのめでたさとは裏腹に、王宮内に渦巻いていたのは秘密の匂いと不穏な空気・・・・・。王と王妃のあいだは、とうの昔に冷え切っており、王妃は継子である皇太子と長年にわたって不義の関係を続けていた。一方、病気がちな王妃をことさらに気遣い、自ら腹心の宮廷医に命じて“特別な薬”を調合させる王。それを毎日、決められた時間に、決められた通りに飲むことが、王妃に課せられた絶対の掟。
皇太子は、王妃との関係を断ち切りたいと願いながらも叶えられず、ひそかにつきあっている宮廷医の娘と王宮から脱出することを夢見ていた。一方、久しぶりに母親と再会した第二王子は、明らかに衰弱している母の様子を気にかけながらも、病身を押してまで一心不乱に菊の刺繍を続けるその姿に不吉な予感を覚える。宮廷内に密偵を放ち、自分が飲んでいる薬の中身を突き止めてもなお、薬を飲むことをやめようとしない王妃の決意。密偵を務めたのは宮廷医の妻。彼女にも、王に恨みを抱く理由があった。
誰もが素知らぬ顔で、表面だけを取り繕い、それぞれ胸に秘めた策略を練り上げていく。それは、王家の中で唯一、汚れを知らない無邪気な存在に思えた第三王子も例外ではなかった・・・・・。 |
○(10)『王妃の紋章』を解く<加藤徹(明治大学教授)>
<隠し味としての「文学」>
「王妃の紋章」のテイストは、黒澤明の映画に似ている。かつて黒澤は、シェイクスピアの「リア王」を日本の戦国時代に移しかえ、映画「乱」(85)を撮った。チャン・イーモウ監督も、近代中国の舞台劇「雷雨」を中世に移しかえて「王妃の紋章」を撮った。一見すると娯楽映画だが、その根底には「文学」がある。「映画の形をとった演劇」であるとも言える。以下「王妃の紋章」をより深く楽しむために、いくつか基礎知識を書いておく。
<重陽の節句>
昔の中国では、奇数を「陽」の数として尊んだ。1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日は、どれも祝日として祝われた。特に、一年で最後の9月9日(旧暦。新暦では10月ごろ)の節句は、極大の「陽」数が重なる日という意味で「重陽」と呼ばれ、めでたい日とされた。3月3日は桃の節句だが、9月9日は菊の節句だった。菊の花は、漢方薬の材料として使われるほどの薬効がある。重陽の節句のときは、厄除けも兼ねて、菊の花びらをうかべた酒を飲んだり、部屋に菊の花を飾ったりした。また重陽の日には、頭に真っ赤なカワハジカミの実がついた枝をさして、家族と一緒に高い所へのぼり、遠くの景色をながめて楽しむという習慣もあった。日本人にとっての正月や西洋人にとってのクリスマスは、家族や友人といっしょに過ごす大切な日である。重陽の節句も、一家団欒を楽しむ日であった。
「王妃の紋章」の前半部の一シーン。重陽の節句を前に、国王は妻子とともに準備中の会場を見おろしつつ、王維(701年~761年)の漢詩の一節を口ずさむ。
<漢詩は略>
大意は「重陽の節句がきた。でも、ぼくは異境でひとりぼっち。ああ、遠い故郷の家族がなつかしい。きっといまごろ、ぼくの兄弟は、みな頭に赤い実の枝をさして、高いところにのぼり、ぼくのことを思っているだろう。そう、ただ一人、ぼくだけがいないのだ」
日本でも昔は重陽の節句を祝った。江戸時代の上田秋成も、重陽の節句にまつわる「菊花の契り」という怪談を「雨月物語」で書いている。
<「菊」が象徴するもの>
本作の後半は、自分が刺繍した菊花の紋をあしらった服を、無理やり皇太子に着せようとする。その瞬間、皇太子は王妃の真意をさとり、顔色を変える・・・この映画の勘所である。
なぜ王子は、急に真っ青になったのか?中国文学に出てくる「菊」には、二つのイメージがある。重陽の節句の美しい花と、血塗られた反逆者の花。王妃が刺繍していた菊の花は、実は後者のシンボルであった。そのことが、この瞬間に明かされたのである。
唐の時代の末、黄巣(こうそう、?~884年)という男がいた。彼は若いころ、高級官僚になる夢をいだいて長安の都にのぼり、科挙(かきょ)の試験を受けた。しかし結果は不合格。喜びはしゃぐ合格者たちを尻目に、黄巣は街路をとぼとぼと歩いた。明日は重陽の節句。町じゅうの菊の花のあざやかな色が、目にしみる。黄巣は思った。俺の姓は「黄」だ。菊の花は黄色だ。梅や桃は春に咲く。菊はいちばん最後に、秋に咲く。俺は、遅咲きの菊なのだ。今に見てろ。もうすぐ菊の大輪の花をさかせる。そのあかつきには、早咲きの花どもは皆殺しだ。・・・心ひそかに社会に対する復讐を誓った黄巣は、次の漢詩を詠んだ。
<漢詩は略>
大意は「待ちに待った秋、九月八日。今日は、重陽の節句の前日だ。私の花が咲くとき、他の花はみな、けちらされる。天をつくような菊のかおりは、すでに長安の都にしみわたっている。見よ、私の花はすでに首都を占領している。まるで黄金の甲冑を身につけた軍隊のように」
この言葉どおり、のちに黄巣(こうそう)は反乱を起こした。彼の軍隊は長安を占領し、三百年続いた唐王朝を事実上の滅亡に追いやった。以来「満城尽帯黄金甲」という句は、自分を認めてくれない世間に対する怨念の言葉として、引用されてきた。
本作「王妃の紋章」の中国語の現代も「満城尽帯黄金甲」である。なお中国には、日本や西洋のような家紋はない。菊の花が、王妃の実家の家紋であったというわけではない。
<五代十国という時代設定>【2007年6月30日、第59回「女帝エンペラー」参照】
「王妃の紋章」の国王や王妃は架空の人物だが、時代設定は一応、五代十国時代の後唐(こうとう、923年~936年)となっている。日本では平将門があばれていたころである。「後唐」は後世の歴史家が便宜的につけた呼称で、同時代の自称は「唐」であった。
結果的に短命に終わった王朝だが、たてまえ上は、いったん滅亡した唐王朝を復興したという形をとっていた。後唐の第二代皇帝・明宗の晩年、皇子が帝位を奪おうとして反乱を起こしたが敗死する、という事件が起きた。史実でも乱脈な王朝であった。
女性の足を小さく整形してセクシーに見せる纏足(てんそく)という淫靡な悪習も、南唐の発明とされる。「王妃の紋章」の宮廷シーンは、後唐と南唐の雰囲気をミックスして再現されている。
<隠れたメッセージ>
中国文学には「微言大義(びげんたいぎ)」という伝統がある。一見ささいな言葉や表現に、深い意味を込める、という意味である。
空前の経済発展に湧く現代中国。今年行なわれる北京オリンピックでは、この映画さながらの華やかなイベントが繰り広げられるであろう。本作のチャン・イーモウ監督は、オリンピックの開会式・閉会式でもチーフ監督を務めることになっている。中国共産党は、強力な支配力を維持している。政府は人民に対して、外国人に恥ずかしくないように「規矩(きく)」を守るように呼びかけている。だが国がどんなに豊かになっても、政府がどんなに強力でも、人間にとって最も大切なものを失ってしまえば、すべては虚飾のぬけがらにすぎなくなる。
それは家族の絆であり、人間を信頼する心だ・・・という警告が、本作の隠れたメッセージであろう。
「王妃の紋章」は娯楽映画である。観客は、豪華絢爛たる映像美や、息を呑む戦闘アクションに目を奪われる。だがこの作品を、できれば二度、三度と見直してほしい。この映画の真のみどころである役者たちの鬼気迫る演技、役者魂にも注目してほしい。見返すたびに、中国映画の底力と魅力を、新たに発見できるはずだ。 |
○(11)『プロダクションノート』
<「王妃の紋章」が描く世界>
本作は、千年以上昔の唐王朝末期を舞台とする。唐は中国史上最も華やかな、豪奢を極めた王朝期といえる。チャン・イーモウ監督は語る。「中国の古語に“外は金銀宝石。内はクズ”という言葉がある。表面は美麗だが内側は腐っているという意味だ。本作のテーマはそこにあり、描かれるのは美しく飾られた宮廷の内なる腐敗・・・機能不全に陥った家族である。これは中国宮廷のどす黒い物語だが、古い伝統にしばられた封建的な家庭の物語と見てもよい。華やかさの背後に人には言えない秘密を隠した大家族・・・・・」
本作の王と王妃は架空の人物だが、王は権力を掌握した軍人と考えられる。最初の妻と結婚したとき、彼は単にひとりの隊長に過ぎなかった。しかし、コン・リー演じる王妃は別の領地の王の娘で、彼女と結婚することで王は強力な同盟関係を得た。映画の後半で描かれる、儀式に対する王の頑なな強要は、いわば偽善行為である。彼は唐朝の栄光の日々を夢見ているが、実は後から権力を強奪した者なのだ。
<本物の王宮と同スケールのセット>
この映画で最も重要な要素のひとつがビジュアルである。“豪華”をキーワードに、あらゆるセットおよび衣装は金色を基調とし、照明にもこだわった。撮影にあたって慎重に準備を重ね、制作は綿密に進められた。監督は宮廷内外のディテールにこだわった。内部には隅々まで金が貼られ、外部も同様に贅沢豪奢な造りとなっている。
本作は主に北京、横店、天坑の3箇所で撮影されたが、中でも横店の撮影スタジオにあった故宮の建物は同規模で建て替えられた。外壁にはすべて満開の菊花が彫刻されており、その長さ延べ600メートル超にも及ぶ。本編でたびたび登場する門から窓、600本の柱に至るまですべてに菊花の彫刻が施されており、それらは金色に塗られた。瑠璃(中国のアートガラス)などの素材も選び抜いて用いられた。瑠璃は一般のガラスより透明度が高く、中国では“光の流れが異彩を放ち、高貴と豪華と美麗を体現する”と形容される。
そこで、柱、壁、窓、装飾品などに大量かつ均等に瑠璃をあしらい、照明のもとでひときわ色とりどりの彩りを呈する独特の輝きを活かしてセットの独自性と宮殿らしさを表現したのだ。王宮の床に敷かれた特性の絹織物の絨毯は、その長さ延べ1キロメートル。上面だけでなく両面に花の刺繍が入った、比類なき美しさと皇室らしい気品を備えた絨毯である。
宮門から菊花台大殿へと至る屋外の長廊には宮廷内と同じく絹の絨毯が500メートル超にも渡って敷かれた。沿道にはきらきらと透き通るような灯り皿が600個以上置かれたが、そのひとつひとつの模様が職人の手彫りによるものだ。また、本作のスケールに合わせてスタッフは300万本以上の菊花を注文し、13万平方尺(サッカーコート25面分)を越える宮廷エリアを菊で埋め尽くし、王宮全体を黄金の花の海に変えた。
こうした王宮作りには300人近い職人を総動員し、日に夜を継いで全行程に5か月間を要した。いずれ劣らぬ人力と資金が本物の王宮を作るために費やされたのだ。 |
<文責:藤森弘司>
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