2008年2月29日 第67回「今月の映画」
明日への遺言

原作:大岡昇平(「ながい旅」角川文庫)   監督:小泉尭史   共同脚本:小泉尭史・ロジャー・パルバース

主演:藤田まこと   富司純子   西村雅彦   蒼井優   田中好子   ナレーター:竹野内豊
ロバート・レッサー   フレッド・マックィーン   リチャード・ニール   主題歌(ねがい):森山良子

●(1)小泉尭史監督の作品は、偶然にも、これで4作すべてを鑑賞することになりました。
00年、山本周五郎原作の「雨あがる」、02年、「阿弥陀堂だより」、06年、「博士の愛した数式」、そして今回の「明日(あした)への遺言」。私(藤森)とは、波長が合うのかもしれません。今回は、「潜水服は蝶の夢を見る」を予定していました。この映画は、エリート編集長が交通事故で、まばたきしかできなくなり、まばたきで文字を指定しながら、事故の前に約束していた本を書き上げるまでのものでしたが、残念ながら、意外にもつまらなくて、退屈な映画でした。そのために、急遽、3月1日ロードショーのこの映画にしました。
その月の早い内に見た映画は、良い映画でも、月末では少し遅い気もするし、月末ギリギリでは、つまらない映画の場合、別の映画を探さなければならず、結構、大変なことになってしまいます。今回、この映画を取り上げたのは、私(藤森)には無い「毅然としたもの」があるためです。私は、体験だけはいろいろ、一人前のことをやってきましたが、私に一番欠けているものは、まさにこの映画の監督が一番いいたいであろう「毅然性」です。
ただ、そんな私ではありますが、せめてもの救いは、「毅然」としたいと「渇望」する精神だけは、健気にも堅持していることです。将来、死に直面したとき、「従容(しょうよう)」として迎えることができるだろうか?
私は自分の実力に比べて、望みだけ(!)は高いものがありますので、志の高い人、毅然として「善悪」を判断できる人、そういう人物を無意識のうちに求めているようです。
しかし、それは、ある種の頑固とは違います。「孤高の人」とでも言ったらいいのでしょうか?外面から判断できる活躍などではなく、内面(精神)の鍛え方です。●(2)この辺りは、案外、判断が難しいものがあります。前回の「母べえ」の主人公(戦争に反対することが、国を批判するとして罪になる時代だった)、昔の私であれば、多分、大好き人間だったと思われますが、今の私は、率直に言って、好きとも、素晴らしいとも思いません。
主人公を演じた吉永小百合さんには、大変申し訳ありません(?)が、そして、他人の生き方をとやかく言いたいわけでもありませんが、「家族を困難極まりない境遇に追いやってまで、自分の主義主張を守らなくてもいいのではないのでは?!」と言いたいのです。
「長いものには巻かれろ!」とは言いませんが、心の中に「主義主張」を大事にしておいて、それを主張できるときまで温めておいても良いのではないかと思ってしまいます。それを健気に支える日本の妻の美しさも、(吉永さんだから余計に)本当にすばらしいですが、この年まで、苦労に苦労を重ねて生きてくると、私(藤森)には、もう少し楽な生き方を模索しても良いのではないだろうかと考えるようになりました。
もっとも、こういう自己犠牲的な人たちによって、歴史が変わってくることもあるのでしょうが、でも、それにしても、たった一人で特高という公権力に立ち向かう姿は、痛々しさが強過ぎます。
私の好き嫌いは別にして、この辺りは議論の分かれるところでしょう。

上記の(1)で述べている私の魅かれるタイプは、これからプログラムに沿ってご紹介する「明日(あした)への遺言」の主人公、岡田資(たすく)中将のような人です。
今回、岡田中将の弁護人役になったアメリカ人、ロバート・レッサーには、小泉監督から、日本に来る前に読んでほしいといって送られてきた本、新渡戸稲造の「武士道」とルース・ベネディクトの「菊と刀」があったそうですが、日本には本当にすばらしい精神があり、そして、その精神は延々と引き継がれてきたように思うのですが、昨今の日本を見ると、この「日本的精神」という「貴重な遺産」を食いつぶしてしまったように思えてなりません。

曽野綾子さんの言葉を借りると、「魂の酸欠状態」<2007年5月31日・第58回・今月の映画「バベル」の中の(6)>だろうと思われます。

機会がある方は、是非、この映画をご覧ください。

○(3)(プログラムより)

<明日の日本を担う若い人々に託したい>

世界中の国々や人々を巻き込んで、多くの犠牲と荒廃をもたらした第二次世界大戦が終戦して、60有余年の歳月が流れました。敗戦国日本は、焼土から立ち直り、働き続けて再び平和で豊かな国を取り戻しました。
しかし、まるで物質的な豊かさの代償のように、人間としての美しさや心の豊かさを失ってしまったように思えます。
戦争があったことさえ忘れ、今なお世界各国で繰り返される“紛争”という名の戦争の悲劇すら、他人事のようにしか感じない平和ボケの日本。自己中心の時代の風潮が、人々を蝕み、行政や企業のリーダーさえ、責任や誇りや品格という人間としての美徳を失おうとしています。

戦争を見つめることで、平和の意味を考え、逆境の中にあって、人間としての責任を全うする・・・・・。
この映画の主人公、B級戦犯、岡田資(たすく)中将は、我々にこのことを教えてくれました。
戦争を体験した最後の世代の一人として、この岡田中将の“遺言”を明日を担う若い人々に託したいと思います。

<プロデューサー・原正人>

○(4)<小林秀雄氏は「戦争について」の中で次のように述べている。>

『過去の時代の歴史的限界性というものを認めるのはよい。
しかしその歴史的限界にも拘わらず、その時代の人々が、いかにその時代の
たった今を生き抜いたかに対する尊敬の念を忘れては駄目である。
この尊敬の念のないところには歴史の形骸があるばかりだ』

今を生きる私たちが、歴史に学ぶべく最も大切なことは、自らに与えられた運命と真っ正面から取り組み、
誠実に務めを果たしてきた人々の言葉に耳を傾けてみることではないでしょうか。
この映画の原作「ながい旅」の著者、大岡昇平氏は、
『戦後一般の虚脱状態の中で、判断力と気力に衰えを見せず、主張すべき点を堂々と主張したところに、
私は日本人を認めたい。少なくとも、そういう日本人のほかに私には興味がない。
・・・・・戦場でよく戦うものは、平和のためにもよく戦うだろうと思っている』
と、「証言その時々」に記している。

清明で剛胆な志気と清らかな深い愛情を、戦後の荒廃の時期に於いてもみることが出来たことは、
私たちの誇りであり、希望でなければなりません。
「礼記」にも『清明、躬に在れば、気志神の如とし』とあります。
この映画は、そのような日本人の一人として、久遠の平和を願った東海軍司令官、岡田資中将の
最後の姿を事実に則し、虚心に描かんとするものです。

<監督 小泉尭史>

○(5)<イラク戦争が泥沼化する中、大きな変貌を遂げたアメリカの世論
『明日への遺言』は、今なら、アメリカでも受け入れられる>
近年、日本を舞台にしたリアリティのないアメリカ映画がいくつか見られました。

しかし本作では、リアリティを大切にしています。
小泉尭史監督との共同作業が非常にスムーズに行なえたのは、岡田資中将が書かれたものや公文書、裁判の記録など、事実を描くことを大切にしたからだと思います。
60年も前のことなので、言葉遣いや仕種など、現代のものとは違うでしょう。
また、軍事用語や法律用語などは、そのままでわかりにくく、映画を理解する上での障害となる恐れがあります。
10代の顧客にも理解してもらえるよう、何よりわかりやすさを心掛けました。3年前だったら、この映画はアメリカでは公開されなかったでしょう。
9・11以降の、イラクへの攻撃を人々は支持していたからです。
しかし、アメリカが無差別爆撃という犯罪を犯したことにより、アメリカ人さえ、アメリカが正しくないという気分に襲われました。世論は、大きく変わったのです。岡田中将の主張は、日本が正しかったという主張ではありません。
一人ひとりの責任感を問うているのだと思います。搭乗員を処刑したことは、決して正しいとはいえませんが、死してその責任をとったこと、岡田中将の生き方から学ぶことは多く、アメリカ人の共感を得ると確信しています。<共同脚本 ロジャー・パルバース>
○(6)<日本人のあるべき姿>高杉良(作家)

マッカーサー元帥を最高司令官とする連合軍総司令部(GHQ)は、極東裁判(市ヶ谷)で戦勝国として、一方的に敗者を裁いた。
文官の元首相、広田弘毅さえもが絞首刑の極刑判決を受けたことにも、このことの理不尽、不条理を痛感せずにはいられない。
ところが、BC級戦犯を裁く横浜法廷では、比較的公正に戦犯裁判が進められていた。
映画『明日への遺言』で、この事実を知り得ただけでも、私は深い感動にとらわれたものだ。
第二次世界大戦の末期に、東海軍司令官だった岡田資中将は、収容先のスガモ・プリズンから、横浜法廷へ幾度となく出廷し、検事、弁護側双方から尋問を受ける。岡田は終始堂々とした態度で法戦を挑み、
戦勝国アメリカの無差別爆撃による一般市民の大量殺戮は違法である。
②無差別爆撃後パラシュートで降下し命拾いした米兵の略式手続きでの処刑は避けられなかった。
③責任のすべて司令官である自分にある、
などと主張し続けた。
責任を一身に負うことによって、前途有為な部下を救い、日本の明日の礎になる願いを込めて、岡田は「明日への遺言状」を託したのではあるまいか。

岡田は横浜法廷での論戦を通じて、フェザーストン主任弁護人との相互信頼関係を構築していく。フェザーストン主任弁護人は、米国の利益に反しても、被告人の利益となるための努力に全勢力を注ぐが、岡田の毅然とした態度、家族を想い、部下を気遣う心の温かさに胸を打たれ、岡田に対する畏敬の念を抱くまでに自身を昇華させたのではなかったろうか。判決後も、フェザーストン主任弁護人は岡田中将の助命嘆願で行動するほど、岡田の人格、人間性に魅了されていた。

また、裁判委員長のラップ大佐、バーネット主任検察官さえもが、裁判が進行するにつれて、岡田に一定の理解を示すまでになってゆく。
岡田とは対照的に、保身に汲々とする武藤少将(元法務官)、相原伍長(元東海軍経理部)、杉田中将(元陸軍省法務局長)らの証言ぶりは人間の弱さを示して余りあると言えよう。
横浜法廷のシーンが大半を占めるが、すべてのシーンが手に汗握る迫力に、圧倒される思いだった。
岡田中将役の藤田まことさんの名演技が随所で光彩を放っていた。藤田さん以外に岡田役をこなせる俳優が存在するだろうかと思えるほど、岡田資になり切っていた。感動に胸がふるえ、涙を誘われるほど見事な役者魂を発揮された藤田まことさんに、私は喝采を贈らずにはいられない。

わけてもスガモ・プリズンの風呂場で、岡田の部下たちが“故郷”の一、二番を歌うシーンと、どこかの房から漏れてくる三番を聴き入りながら、絞首刑台に赴くシーンは印象的であった。また、ラップ裁判長から「処刑は報復だったのか」と問われ、「報復ではない。処罰である」と岡田が答えるシーンも見応えがあった。
昭和20(1945)年4月に、最後の国民学校一年生になった私は、3月10日の東京大空襲をわずかながら体験している。
千葉県市川市の自宅の屋根から望見された東の空が真っ赤に染まった光景は、いまだに眼底に焼き付いている。赤くただれた空の下で、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていたことは、その後の映像などにも示されている。

東京大空襲は、無差別爆撃の最たるものであった。しかも、アメリカは無謀にも、広島と長崎に原爆を投下し、人類史上最大の大殺戮を強行したのである。
終戦を急ぐためとの言い訳は通用しない。日本はポツダム宣言を受託すると表明していたのだから。
日本人がイエローなるが故に、実験の場にされただけのことだ。被爆国日本の悲劇は、アングロサクソンの残忍性と対照的だが、一般市民への無差別爆撃の延長戦上に、広島と長崎があったというだけのことなのだろうか。極東裁判、横浜裁判が進められていた当時の日本は、GHQの意向、指示によって、すべてが決められ、主体性などは皆無に等しかった。敗戦のショックから立ち直れず、食料難にあえぎ、悪性インフレなどで、生きてゆけない人々も多数存在し、倫理観を求めることも困難だったろう。

バブル経済、拝金主義の横行などによる今日の人心の荒廃ぶりは、目を覆わんばかりである。
いまの日本人に求められているのは、心の優しさ、豊かさを取り戻すことではないだろうか。

小泉尭史監督は、『明日への遺言』の企画を15年も温めていたそうだが、絶妙のタイミングで公開されることになったのは、ご同慶の至りで、なんという幸運であろうか。
岡田資の生き方から学ぶことは、あまりにも多い。ひとりでも多くの人たちにこの映画を鑑賞してもらいたいと願わずにはいられない。

○(7)<死刑判決後の岡田資中将>

岡田資中将は、スガモ・プリズンの死刑囚を収容する五棟に移され、東海軍の部下たちと永遠の別れとなった。それでも「法戦」をやめず、私の部下には罪はないとし、大西一大佐以下、罪を軽減してほしいと請願し続けた。なお、A級戦犯としてスガモ・プリズンに収容されていた木戸幸一の言によれば「岡田中将は超然としていて、態度が最も立派であった」とある。

<文責:藤森弘司>

映画TOPへ