2008年10月31日 第75回「今月の映画」
最後の初恋

監督:ジョージ・C・ウルフ  主演:リチャード・ギア  ダイアン・レイン  ジェームズ・フランコ  スコット・グレン

●(1)今回の映画「最後の初恋」は、親子関係がこじれているご両親が、そのこじれた関係をどうしたら良いかを教えてくれる最高傑作の映画だと思います。私がこれからご紹介する視点は、おそらく監督も俳優陣もまったく予想していないであろう視点だと思います。それを、自己成長や心理学的な観点から、この映画の大切な一面を抽出して説明したいと思います。

さて、その前に、「宮廷画家ゴヤは見た」http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id331285/>は凄い映画でした。ヤフーの案内を見る限り、そのような感じをまったく受けませんでしたが、宗教の恐ろしさをまざまざと見せ付けた映画でした。
「三日月会」ではよく議論されることですが、自分の宗教を信じれば信じるほど、他宗教を迫害することが「正義」になる恐ろしさです。
この映画「宮廷画家ゴヤは見た」は、18世紀末スペイン、ゴヤは国王カルロス4世の宮廷画家に任命される。一方、権力や社会を批判する絵画も描いていた。
当時、スペインでは、邪悪な他宗教をもっと厳しく取り締まろうとある神父が提案する。そんな中で、ある裕福な商人の娘が、たまたま兄弟と一緒に居酒屋に行き、出された料理のうちの「豚肉」が好きでなかったために、豚肉を食べ残す。豚肉を食べないのは「イスラム教」だと疑われて、「異端審問所」より呼び出されます。彼女は固く否定するのですが、やがて「拷問」を受け、止む無く、ウソを供述すると、そのまま17年間、猛烈にひどい環境の牢獄に閉じ込められます。
フランス革命、ナポレオンの台頭。そんな中で、牢屋から開放された彼女は精神の異常をきたしていました。自宅に戻ると、一家は皆殺しの目にあっています。見終って、胸糞が悪くなるような感じがしました。盲信する「宗教」は「アヘン(科学なき宗教はアヘン)」だと言いますが、まさにアヘンで狂った宗教家だと思いました。それも末端の信者ならともかく、上層部がそうなのですから、一旦、強く信じた宗教は本当に怖いと思いました。
この点で日本は非常に恵まれているようです。それは織田信長のお陰だそうです。あの当時、信長は宗教を迫害したように思われていますが、実は「宗教の自由」は認めていたそうです。宗教が武器を持つことや、<政治に口出す宗教団体>を殲滅したのであって、宗教の自由を迫害したのではないそうです。
このときから「政教分離」が確立されて、今日に至っています。世界的にみても、これが確立している日本はすばらしいことで、すでに450年も前に天才・信長によって達成されています。

●(2)さて、今回の映画「最後の初恋」ですが、特殊な視点から解説しますので、まず、ヤフーに載っている案内を先にご紹介します。

下記のヤフーのホームページより
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id330885/

原題: NIGHTS IN RODANTHE
製作年度: 2008年
製作国・地域: アメリカ/オーストラリア 上映時間: 97分
allcinema ONLINE(外部リンク)

解説: 嵐が近づくノースカロライナ州の海辺の街を舞台に、運命的な出会いを果たす中年の男女を描くラブロマンス。『きみに読む物語』などで知られる人気作家ニコラス・スパークスの原作の世界を、『コットンクラブ』『運命の女』などで共演歴のあるリチャード・ギアとダイアン・レインが味わい深い演技で体現する。共演にはジェームズ・フランコ、スコット・グレン。偶然が導いた一生を左右するほどの一大ロマンスに、引き込まれる。(シネマトゥデイ)

あらすじ: 身勝手な夫や思春期の娘との関係を考え直すため、ノースカロライナ州のローダンテという海辺の小さな街にある友人の宿を手伝いにきたエイドリアン(ダイアン・レイン)だが、大きな嵐が来るという予報を聞く。そこへ宿の唯一の客となるドクター・ポール(リチャード・ギア)が到着するが、彼もまた心に問題を抱えていた。(シネマトゥデイ)
映画レポート「最後の初恋」文句のある人は帰りなさいと言わんばかりの確信に満ちた展開

波打ち際スレスレに建っている古い小さなホテルがクセ者。その佇まいは魔法使いの家そのもので、一歩足を踏み入れるとたちまち非現実的な時間に巻き込まれてしまう、ような気になる。ここにたった1人、ワケありの宿泊客が現れ、オーナーから留守番を頼まれたワケありの女がもてなす。しかも外は嵐。閉じこめられた2人が身の上話を始めたら、もう恋に落ちるっきゃないでしょう! 文句のある人は帰りなさいと言わんばかりの確信に満ちた展開、2人の過去話と現在の苦悩もあきれるほど手際良くインサートされ、熟年恋愛の状況描写に手抜かりはない。  主演はリチャード・ギアとダイアン・レインの絵になる2人。ラブシーンもほどほどに美しく、「最後の初恋」の看板に偽りはないのだけど、何故か、恋する切なさが盛り上がらない。2人があまりにベタに恋のコースを進むので、見ているほうは置いてけぼりを食った感じだ。むしろ、ギアの苦悩に絡んで登場する地元の男スコット・グレン(老けた!)が語る妻への愛がしみじみと胸に染みた。舞台はノースカロライナ州の観光地アウターバンクス。防波堤のような細長い島々が130キロも続く海の中道で、素晴らしく美しい。探したら、くだんの魔法使いハウスのようなホテルがあるかもしれない。(森山京子)(eiga.com)

[2008年09月26日 更新]http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tydt/id330885/

●(3)まさに、上記のような映画です。森山京子氏も述べているように、<「最後の初恋」文句のある人は帰りなさいと言わんばかりの確信に満ちた展開 >
です。<波打ち際スレスレに建っている古い小さなホテル>に<ワケありの宿泊客(リチャード・ギア)が現れ、オーナーから留守番を頼まれたワケありの女がもてなす。しかも外は嵐。閉じこめられた2人が身の上話を始めたら、もう恋に落ちるっきゃないでしょう!>まず、このワケありの宿泊客、リチャード・ギアは、著名な外科医です。自分が手術をした患者が亡くなりました。彼は必死になって原因を探すが、どうしても自分に落ち度があるように思えない。
最愛の妻を亡くした夫は、この外科医に詰め寄りますが、彼は妻を亡くした夫の悲しさがあまり響かないようです。それよりも名医にありがちな理詰めで説明してしまいます。
そういう父親の姿に嫌気を差した同じ医師の息子は、家出して、遠い南米(?)の僻地に医療活動に行ってしまいました。
一方、ワケありの女は、夫婦関係がうまくいかなくて、離婚か別居中の身です。このように、恋愛に発展する絵に描いたようなストーリーですが、非常に気になる場面がありましたので、それをこれからご紹介します。

●(4)リチャード・ギア扮する外科医(離婚)は、手術で妻を亡くした夫の「会いたい」という手紙で、この男が住む、この町に来て、このホテルに宿泊しました。この男と会った後、僻地で医療活動をしている息子から医薬品を送るように要請を受けていたために、飛行機で僻地に飛ぶ予定です。

一方、ワケあり女は、高校生くらいの娘と小学生くらいの息子の三人暮らしで、終末には子供たちに会いに(前)夫がやってきます。エネルギッシュなこのワケあり女は、夫に対する不満をぶつけるかのごとくに、ヤンキーな娘にガンガン、あれこれと指示をしたり干渉をします。母親も娘もこの関係に疲れ切っている感じがします。

●(5)映画は、この両者が「最後の初恋」に陥るために、<親子や夫婦関係のこじれ>を設定したのかもしれませんが、そこには実にすばらしいものが隠されていました。
ワケありの男女が熱烈な恋をして、充実した数日を過ごします。

まず、<外科医>のほうです。
彼は、ワケあり女との熱い恋をしたことで、瑞々しい人間性が回復されたのだと思われます。南米の僻地で粗末な小屋で医療活動をしている息子と会うや否や、彼の医療活動を応援して、診察を始めます。
息子は、まず父親はガミガミ、あれやこれや文句を言い始めると思っていたのに、何も言わず、診療活動を応援してくれている父親の姿に感動します。滞在中、親子関係は完全に回復し、父親は息子を心から愛し、息子は父親を心の底から信頼し、充実した日々を過ごします。
二人は、毎日、協力し、助け合い、信頼しあいながら、生き生きと診療活動を続けます。外科医は恋をした女性には、毎日、毎日、温かくも激しくもある、思いやり溢れる手紙を出します。
しかし、ある日、暴風雨に見舞われた僻地の小屋に土砂崩れがあり、外科医は犠牲になってしまいました。

●(6)次は、<ワケあり女>のほうです。
毎日のように来る外科医からの手紙に、心はウキウキ、充実した日々を送ります。しかし、突然、手紙が来なくなります。ある日、この外科医の息子が訪れてきて、土砂崩れで亡くなったことを知ります。
突然の訃報に接し、天国から地獄、奈落の底に叩き落され、魂を抜かれてしまったような人間になってしまいました。テーブルに頭を横たえ、食事もせず、ただ毎日、茫然自失、イスに座っていても、目は虚ろ。
いままで、ギャンギャン、あれこれ指図をしていたエネルギッシュな口うるさい母親が植物人間のようになってしまい、ただうろたえる娘。何もできない未熟な女の子ではあるが、親身になって母親を心配し始めます。食事を運んだり、弟をなだめたり、攻守ところを変えるとでもいいましょうか、母親と娘の立場が逆転して、娘が母親代わりになって、娘のようになってしまった母親を心の底から心配し、温かい配慮を見せます。

親子の関係が回復し始めます。娘は母親に対して、心から愛していることを自覚し始めます。本当に行き届いた配慮を示します。

●(7)私(藤森)は、自分自身が未熟であるために、ここから教訓的なことを言う資格はありませんが、親子関係を修復する非常に重要な要素が全て含まれているように思えてなりません。
私たちの日常は「認知の歪み」に満ち満ち溢れていて、愛しているはずなのに、相手、特に子供を歪ませてしまっていることが、とても多いように思います。
どうやら「信頼し合うこと」「温かく見守ること」が大事のようです。愛し合いながら、お互いが理解することができずに、悲惨なできごとや、悲惨な関係になってしまうのは、本当に残念なことです。
このホームページを作成しながら、自分自身の未熟さに涙が溢れてきます。

<文責:藤森弘司>

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