2007年9月30日 第62回「今月の映画」
HERO

監督:鈴木雅之   主演:木村拓哉  松たか子  大塚寧  阿部寛  松本幸四郎

●(1)この映画は、テレビ番組の映画化だったのですね。私(藤森)は知らなかったのですが、テレビで放送していたのでは、多分、多くの方が、内容をご存知のことだと思われます。そこで簡単に内容をご紹介して、裁判員制度についての報道の一部をご紹介します。
○(2)(プログラムより)
<これは里山さんという命の重さを知るための裁判なんです>
<・・・・・自分の利益のために事実を曲げ、犯人を庇い、嘘をつく人間がいるとしたら・・・・俺は絶対に許さない>

6年前に転勤後、再び東京地検城西支部に戻ることになった久利生(くりゅう)公平(木村拓哉)は、芝山検事が起訴した障害致死事件の裁判を任された。事件が起きたのは9月10日の夜8時40分。結婚式を数日後に控えていた里山裕一郎が、婚約者のもとへ急いでいた時、ひとりの男とぶつかり、その男が落としたタバコを踏みつけてしまった。
そのことにキレた男が、里山を殴り、腹部を蹴り飛ばす。その拍子にひっくりかえった里山は、コンクリートに頭を強打し、意識不明に。驚いた男は現場から逃走。事件を目撃した女性が救急車を呼ぶが、里山は死亡する。
その後、逮捕された容疑者は、犯行を認めたため、裁判は簡単に結審すると誰もが思っていた。ところが初公判で容疑者は犯行を全面的に否認、無罪を主張した。容疑者を弁護するのは、刑事事件無罪獲得数日本一の弁護士・蒲生一臣(松本幸四郎)。新聞にも大きく扱われなかった小さな事件を、日本最高と呼ばれる弁護士が担当したことに驚く城西支部の面々。○(3)裁判では、容疑者の犯行を裏付ける証拠をつきつける久利生を、蒲生は余裕でかわし、逆に久利生を追い詰めていく。久利生は事務官の雨宮とともに、新たな証拠を求め、容疑者が事件の翌日に処分したという車を探しにスクラップ工場を訪ねる。
それを東京地検特捜部の人間が監視している。久利生が担当する事件が、大物国会議員の賄賂事件が絡んでくる。それからいろいろなことが発生してくるという映画です。
●(4)週刊現代、2007年3月17日号「裁判所がおかしい」より

<東京高裁元判事・大久保太郎氏が警鐘「裁判員制度は“違憲のデパート”です」>
法務省と最高裁判所が躍起になってPRする「裁判員制度」は、最高裁の自らの判例に違反する、なりふり構わない強引なものであることが、2月19日の国会で暴露されました。契約書を交わして初めて国の契約は成立するとの判例があるにもかかわらず、女優の仲間由紀恵さんなどを起用したPR事業が、契約書以前から始まっていたというのです。この制度の宣伝にいかに慌てているかを示す不祥事です。

前回(本誌3月3日号)では弁護士の高山俊吉氏が、裁判員制度に対し国民の大半が「参加したくない」と思っている実情と、国民的不人気の陰に隠された制度の問題点を警告しました。
「市民参加の裁判」を標榜しながら、市民に求められているのは、結局、重大犯罪をたった1週間程度の審理で済ます拙速裁判で被告人を裁くという重い責任だけ。裁判所が市民の批判を免れるために考え出された、市民参加を「偽装」する制度であることを氏は指摘しました。

今号では、裁判官として長く刑事事件に関わった経歴をもつ、東京高等裁判所の元判事・大久保太郎氏(78歳)に、裁判官から見た「裁判員制度」の問題点を指摘していただきました。大久保氏は裁判員制度を“違憲のデパート”だと厳しく断じています。

裁判員制度をいい制度だと考えている現役裁判官は、一人もいないはずです。しかし、この制度は、最高裁が強力に推し進める司法行政上の問題ですから、率直な感想すら口にすることができないというのが実情でしょう。
私(大久保氏)は、地裁から高裁に異動になった友人がふと漏らした言葉が耳を離れません。
「高裁に移ってホッとした。地裁にいると、裁判員制度のPRのために行なわれる模擬裁判などで、一般市民に対し、『裁判は簡単ですよ』とアピールしなければならない。裁判がどれほど大変なことかもっとも知っているのはわれわれなのに・・・・・」
 “法の番人”として命を懸けて従事している職務を、素人でもできますと、宣伝しなければならないのです。私の友人は自分の本心に反する苦衷を問わず語りに話してくれたわけです。
制度導入が検討され始めた’99年以来、私は裁判員制度のような国民参加制度の憲法違反その他の問題を指摘してきました。同じ思いの現役裁判官やOBは限りなく大勢いるのですが、発言する人が少なく、私はやむにやまれず、批判の声をあげてきたのです。

では具体的に、どの点が憲法違反なのかを指摘しましょう。
憲法には「司法」という章が設けられ、きちんと「裁判官」というものを規定しています。第80条には<下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる>とあります。これに対し、裁判員法では、無作為にくじで選出された一般市民が裁判員として、裁判官とともに重大事件を裁くことになります。憲法にまったく規定されていない存在の裁判員が裁判を行なうわけです。これほど明白な憲法違反はありません。
憲法第32条には、国民の基本的権利として<何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない>とあります。この条文にある「裁判所」とは、前述した第80条等に規定された裁判官で構成される裁判所のことです。裁判員制度では、憲法の規定にない裁判員が参加する裁判ですから、「裁判所で裁判を受ける権利」が侵害されることになるのです。
また憲法第37条1項は、被告人に「公平な裁判所」の裁判を保障しています。しかし、裁判員は、憲法に根拠もなく国民から選出され、被告人には氏名も知らされず、判決書に署名もしない人たちです。このような裁判員が加わった裁判所は、とても「公平な裁判所」とはいえないのではないでしょうか。

<「自由権」も「財産権」も侵害されてしまう>
裁判員法では、無作為にくじで裁判員に選出された一般国民は、裁判所に出頭しなければなりません。そのうえ、強制的に何日間も拘束され、裁判に参加する義務を負います。憲法にまったく根拠のない義務を国民に課すことは、憲法第13条にある「自由権」を侵害するものです。第18条の<犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない>との保障にも違反することは明らかです。

裁判員になると、1日1万円程度の日当が支給されるといわれています。しかし、それ以上の収入がある国民や、裁判に従事している間に大切な仕事を放棄しなければならない国民も出てくるでしょう。しかし、裁判員がどんな経済的損失を受けようとも、その補償はありません。これは、憲法第29条にある「財産権の保障」に違反していると考えられます。
ある法学者の言葉を借りれば、裁判員制度はまさに「違憲のデパート」なのです。どうしてこんな制度が作られたかというと、作る前に議論も検討もほとんどなされなかったからです。立法に携わった者たちは、自分たちが国民に善きものを与えるのだとの前提に立ち、議論をすれば反対の声が国民の側から上がり、裁判員制度などできなくなることがわかっていたのでしょう。こんな違憲だらけの制度に「憲法の番人」である最高裁が反対しなかったことは、驚きの一語に尽きます。

司法当局は、裁判員制度は’09年5月までに始まると確言し、莫大な国費を投じて宣伝して、法廷の改造等を進めています。
しかし裁判員法附則第2条は、同法の施行には<裁判が円滑かつ適正に実施できる>状況が必要だと定めています。審理の迅速化にも限度があり、また国民の大半は参加に反対です。
’09年5月までに同法附則が定める状況が生まれる見込みなどありません。実施しても、複雑または大規模な事件を含むすべての事件の裁判が順調に行なわれる可能性ははっきりいってゼロでしょう。強引な実施は、無責任であり、同法の定めに反するため違法なのです。
裁判員法という拙速な立法は、かえって日本の刑事裁判制度に重大な危険を招いてしまいました。同法は必ず廃止されなければなりません。(この項続く)

●(5)週刊ポスト、2007年9月28日号「昼寝するお化け」(曽野綾子著)より

<或る劇場>
鳩山邦夫法務大臣という方は、週刊誌からは叩かれているようだが、新任早々から、なかなか含蓄のある事を言われる。間もなく発足する裁判員制度にしても、必ずしも強制はしない、と言われたようで、私を初めとして私の周囲の「忌避族」はほっとしているだろうと思う。もちろん私は簡単に辞退できる年令にいるので、努めなくていいことを心から安心している一人であるが、たとえ若くても、私は法の裁きを受けようとも裁判員を承諾しない。
裁判員制度については、私はうまく行くわけはない、と何度も書いて来た。個々の裁判員が、自分で調査して新しい事実を見つけてもいいのなら別だが、与えられた資料だけで判断を強いられるなら、ただ素人を利用して民主主義のパフォーマンスをしているだけなのだ、選ばれた裁判員はその茶番劇の並び大名を努めるだけだと私は思っている。

私の周囲には、裁判員に選ばれることを避けるためのいろいろな口実を考えているのがたくさんいる。もちろん今の段階では、笑い話の範囲だ。しかし内心はかなり本気でこうした判断に抵抗しようとしている人たちである。
自分は実は精神異常だ、と申告したらどうだろう、という中年もいる。「会社には隠していましたが、妄想や幻聴があるので困っています」と申し立てるのだそうである。
決定するまでに人物判定の機会があるだろうから、その時「死刑絶対反対!」とか「死刑は必要だ!」とか、つまりどっちでもいいのだが、判決に初めから予断を持っているような言葉を書いたTシャツを着て行ったらどうだろうか。命令違反をすると30万円の罰金を払わされるそうだが(嘘かほんとうか私は知らない)あらかじめ貯金しておいても自分の思想を通す。それでも収監されたら、喜んで服役して、貴重な刑務所生活を体験する。
「作家なんか一度入ってみたいと思っている人多いんでしょう。一度刑務所暮らしをしておけば、その後犯罪小説や推理小説を書く時、ずっと重みがつきますよね」
と私の顔を見た人もいた。

もし俄(にわか)採用の素人の裁判員が、判決に正しい判断を示せるなら、何であんなむずかしい法科を受験し、何度も何度も司法試験に失敗しても又再度挑戦するのか。
鳩山大臣は、最近の新司法試験の導入で、今後増え続ける弁護士人口について「将来、国民700人に弁護士が1人いることになるが、それだけ弁護士が必要な訴訟国家になったら日本の文明は破滅する。わが国の文明は和を成す文明で、何でも訴訟でやればいいというのは敵を作る文明だ。そんな文明の真似をすれば、弁護士は多ければ多いほどいいという議論になるが、私はそれにくみさない」と述べたと、9月5日づけの産経新聞は報じている。
大臣は「(弁護士の)質的低下を招く恐れがある」と言っているが、私流のはしたない表現で言えば、数をふやせばくず弁護士が増え、国民は結局そうした人たちのおろかな判断の被害者になるということだ。日本には阿吽の呼吸というものがあり、「何とかして穏便にすます」という知恵の伝統もあるはずだ。

私は一時期、必要もあって地裁に裁判の傍聴をしに通っていたことがあった。これはほんとうにおもしろい体験で、さまざまな判事、いろいろな弁護士がいるのに驚嘆した。判事には無礼なのも、態度が悪いのも、いやいややっているという感じの人もいる。一方、弁護士にも実に頭のめぐりの悪い人がいるので驚いた。関係者にたとえば春子と秋子という二人の女性がいるとすると、始終その二人の名前を性こりもなく混同して、被告に注意されたりしているのである。

裁判が始まれば、厖大な資料を読み、その中のアラと繋がりを探し、近眼も乱視もますますその度を酷使して調書を読み込まないとだめなはずである。小説家なら、推理作家でなくても、法律の専門的な勉強をしていなくても、こういう資料の扱いには馴れている。しかし普通の日常生活をしている人は、文章が示すアラや問題点を見つけることがむずかしいだろうし、それをしなくていいのなら、裁判員はお飾りなのである。
産経の記事によると、弁護士1人当たりの国民数は、平成19年には5142人だが、このまま増えつづけると、49年後の平成68年には772人になる。老齢化が今よりもっと進む時に、労働生産をしない弁護士がそんなに増えたらどうなるだろう。幸い小説家の数は、本を読まない人口の増加によって、適当に自然減少して行くと思うが、弁護士増加、医者減少なら亡国の兆しである。

とは言え、実は私は裁判を傍聴するのが大好きである。年を取って暇になったら、霞ヶ関までの定期券を買い(当時はスイカなどという便利なプリペイドカードの発想はなかった)、毎日通い詰めようとさえ思ったものである。
まず地裁の地下の食堂で、サンマ定食とか酢豚ライスなどというけっこう安くておいしいランチを食べ、それから今日はどの裁判を見ようかと決める。映画館で、どれを見ようかというのと少し似ているが、こちらは生の舞台なのだからよほどドラマチックである。
法廷は民事刑事どちらでもいいが、できるだけ人気のない裁判を選ぶ。有名な事件になると、傍聴席は抽選になることがあるからである。そこまでして聴く必要はないからだ。しかし地味な裁判だと、時には傍聴人は一人だけということさえある。

観客一人の劇場はなかなかぜいたくで気分がいい。一年中冷暖房完備。シートの座りごこちもいい。外ではデモが叫んでいても、法廷の中には快い静寂がある。ものを考えるには最高の空間だ。しかもそこに生の人生が映し出される。礼儀を正して聞いていたらいいではないか。眠くなるどころか、感動している。雑誌や本を隠し読んだりする必要もない。廷吏の中には、裁判官から見えないだろうと思われる角度を利用して文庫本を読んでいる人もいるが、もし法廷を舞台と見るならば、それもおもしろい演出の一つである。ミラノのスカラ座のオーケストラのゲネプロの日には、自分のパートが休みの時には屈んで印刷物を読んでいる不心得者もいたのだから、それがどこでも普通の人生なのだ。
傍聴人は一人切りでもいた方がいいらしい。興行はすべて観客無しより、一人でもあった方がいいのだろう。或る法廷では、終わった後で私が一礼して去ろうとすると、被告側の弁護士の一人がつかつかと傍聴席の近くまで来て、「ご親族ですか?」と関西訛で聞いた。「いいえ」どだけ答えると不思議そうな顔をした。

<文責:藤森弘司>

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