2007年5月31日 第58回「今月の言葉」
バベルBABEL

監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ   主演:ブラッド・ピット   ケイト・ブランシェット   役所公司   菊地凛子

●(1)人間の好みとは本当に面白いものです。
率直に言って、この映画や、米国の多くの映画賞にノミネートされて注目されている菊地凛子さんのこの映画の演技のどこがすばらしいのか、私(藤森)にはサッパリわかりません。
私は、決してすばらしくないと言っているのではありません。私の好みからすると、どこがすばらしいのかわからないのです。私の単なる好みを「基準」にして、勝手に言っていることですが。
同様に「パイレーツ・オブ・カリビアン」の映画のどこが良いのかもサッパリわかりません。ただ単に汚らしくて荒唐無稽なだけという感じです。「ロード・オブ・ザ・リング」や「スター・ウォーズ」なども同様に、私はまったく好きではありません。
そう言えば、文学賞なども、ケチョンケチョンに言う選考委員もいれば、同じ作品を、非常に高く評価する委員もいます。専門家でも評価が大きく分かれるのですから、単なる好み・私の好き嫌いで言うのですから、このくらい勝手なことを言わせていただいても許されるでしょう。さて、では何故、今回この映画を取り上げたのか?それは古き良き日本の味を感じたからです。それは下記の(5)で説明します。
○(2)(パンフレットより)
遠い昔、言葉は一つだった。
神に近づこうと
人間たちは天まで届く塔を建てようとした。
神は怒り、言われた。
“言葉を乱し、世界をバラバラにしよう”
やがてその街は、バベルと呼ばれた。
(旧約聖書 創世記11章)○(3)始まりは、モロッコの少年が放った、一発の銃弾
モロッコの険しい山間の村で暮らすアブドゥラはその朝、知り合いから一丁のライフルを買った。ライフルは二人の息子に手渡される。生活の糧であるヤギを襲うジャッカルを撃ち殺すのだ。兄弟には、争いがあった。
兄のアフメッドは弟のユセフが姉の裸を覗くのが許せなかった。さらにアフメッドを苛立たせたのは、ユセフの射撃の腕前だった。試し撃ちが全く当たらない兄に代わって、ユセフは眼下の山道を走るバスを狙い、一発の銃弾を放った。撃たれたのは、見失った絆を探しに来た、アメリカ人夫婦の妻
アメリカ人夫婦はその時、ユセフが狙った観光バスに乗っていた。夫のリチャードに誘われて気乗りしない旅にやって来たスーザンは、揺れる想いを抱えていた。夫婦には、葛藤があった。まだ赤ん坊だった3人目の子供が突然亡くなり、その悲しみと罪悪感に正面から向き合えずにいたのだ。なんとかこの旅で、夫婦の絆を取り戻したい、そう願うリチャードの隣で、スーザンの体に衝撃が走る。銃弾が彼女の鎖骨の上を撃ち抜いたのだ。リチャードは血まみれのスーザンを抱え、医者がいるというガイドの男の村へと走る。○(4)バベルとはアッカド語で「神の門」という意味を持つ言葉であるが、一般的にはバビロンと訳されていた。これは聖書よって悪の力の象徴バビロンこそバベル(混乱)の源ということで用いられるようになった。
有名なバベルの塔は古代世界の七不思議の一つとなっているが、七層から成り塔全体の高さは98.5メートルに及んでいたという。
そもそも塔というのは古代世界においては、人間による自己の偉大化と、神なしに人間の統一・一致を作ることができるという人間の野心・傲慢を象徴するものであった。
そこで、旧約聖書は創世記においてバベルの塔建立の意図をこう語っている。「さあ、天まで届く塔のある町を建て有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」(11章4節)

石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いる技術革新を手にした人々は塔づくりに専念する。
ところがこの傲慢つまり自らを神となさんとする高慢を神は打ち砕く。「我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」(同7節)
この結果「全地に散らされることのないようにしよう」という野心と裏腹に「主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた」という一大挫折を味わうことになる。
聖書はこの結末を「こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バベル)させ、また、主がそこから彼らを散らされたからである」と語り、バベル即ちバラル(混乱)という語呂合わせで印象的に締め括っているのだ。
そもそもこの「バベルの塔」の物語は「世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた」という平和な状況の描写から始まっている。これは同じ思い・共感し合える考え・気持ちを持っていたということを意味するのだろう。
しかし、それが自己中心、自己絶対化によりバラバラになる。人と人との心通わず、争い悩む人生と世界を招来する。これがバベル、混乱の真相であろう。

●(5)さて・・
<モロッコの少年が放った、一発の銃弾>
<銃弾が彼女の鎖骨の上を撃ち抜いたのだ。リチャードは血まみれのスーザンを抱え、医者がいるというガイドの男の村へと走る。>

ガイドの男の村は、日本で言えば過疎地のような場所です。そこでアメリカ大使館に連絡を取ったり、救急車の手配をするのですが、もちろん、簡単にはいきません。
まる一昼夜、このガイドが付きっ切りで、この夫婦の面倒を見ます。バスの他の乗客たちはテロに遭ったと思い、ここに滞在するのは危険だと思って、この夫婦やガイドを置いて、出発してしまいます。翌日、アメリカ大使館が手配した救急のヘリコプターが飛来します。重傷を負った妻をヘリコプターに乗せた夫のリチャードは、大急ぎでサイフから紙幣をまとめて取り出し、ガイドの男に渡そうとします。
この村の貧しい様子や、ガイドが一晩中、「身の回りの世話」や「通訳」をしたその貢献度などを考えれば、そのお金を、当然、受け取ってもおかしくない状況です。ましてやアメリカ大使館に交渉して、ヘリコプターを寄越させるような、どう見ても金持ち夫婦の雰囲気です。
しかし、このガイドは決して受け取ろうとはしませんでした。「自分は当然のことをしただけだ」「困難な状況にあるのはあなたのほうだ」という気持ちだったのではないでしょうか。この時、古き良き日本の姿を感じて、感動しました。
今の日本では、この当たり前のことが出来なくなっています。このことだけでも、この映画を見る価値があると思いました。
(6)週刊ポスト、2007年6月1日号「昼寝するお化け」<好評連載エッセイ、372回、曽野綾子著>より

 「魂の酸欠状態」
酸欠状態という感覚がいつからか私の頭の中にこびりついて離れないようになった。酸欠状態になると脳自体はどのように変化を来たすのか知らないのだが、何度か自覚症状の体験をしたことはある。
昔私が子供の頃の日本人の生活は素朴なものであった。窓や戸の立てつけは悪いのにすぐ室内の空気は悪くなった。暖房設備といえば、家の中で煙突もなしに熱源を直接燃やすのだから、すぐ悪いガスが室内にこもる。母は私に、火鉢の類を使う場合には、必ず換気するように教えていたが、それでも私は頭が痛くなったり、生あくびを繰り返したりした記憶がある。これが重ければ多分死ぬのである。

酸欠は高度の高いところへ行っても症状が現われる。ペルーにはあちこちに高山があるが、マチュピチュの近くとチチカカ湖の付近では、私はやはり軽い高山病に罹った。その一つの症状は引き込まれるように眠いことである。どちらの場合も私は眠りこけるわけにはいかないような仕事の最中であった。それでも私はほんの数分間眠りながら夢を見た。すばらしい夢であったと言える。私はバルト海で百十八人の乗員を載せたまま、救助を待てずに全員が死亡したロシアの潜水艦「クルスク」の乗組員の一人であった。
「大丈夫だよ。窒息というのは苦しくないんだ。ただ眠いだけなんだ」
と夢の中で誰かが言っていた。
潜水艦の遺族はもちろん、そうでない人も、酸素がなくなって死ぬのは苦しいと思っているのかもしれないが、もしかすると眠いだけなのだ、と私は実感したのである。

酸欠の話をしたのは、最近の日本には、しばしばこの酸欠状態のような異常が感じられるである。というより感ずべきことを麻薬中毒患者のように感じない人があまりに多すぎると思うのだ。
実の親で極貧の暮らしをしているのでもないのに、子供にきちんとご飯を食べさせない。給食費も払わない。道徳の基本もしつけない人は、珍しくなくなった。
新聞記者なのに、取材できる場所にいながら、その意欲を全く起こさない人に会ったこともある。
政治家なのにこういうことをしたら、国民がどう思うかを視野に入れることがない人は掃いて捨てるほどいる。
戦後六十年以上続いた平和の中でごく普通に育った人が、理想というものの存在も、自分が犠牲になることの意味も、一度も考えたことがない。これは非常に不気味なことだ。
それらは皆同じいびつな生活環境の結果ではないか、と私は思うようになった。しかしこのいびつな生活環境というものを説明するのがまた簡単ではない。
しかし敢えて一口で言えば、それは現実稀薄という形の酸欠状態の結果なのではないかと思う。
願わしくないことだが、昔は現実が人間の周囲に押し寄せ、常に牙を剥いていた。自然は全く自然のままだったから、人に優しくはなかった。人に優しい自然などというものはめったにないのだ。

まず暑さ寒さ。エアコンなどというものはないから、冬は耐え難いほど寒く、夏は自然温度が今よりは少し涼しかったかもしれないが、それなりに暑い。寝苦しい夜には人々は蚊帳の中で団扇で扇ぎながらやっと浅い眠りに就いた。
当時は生活保護などというものはない。貧乏人は、橋の上で屈辱的な乞食をするか、親戚のお情けに縋って生きるのである。
まだ抗生物質もなかった時代だから、結核も肺炎もチフスも命に関わる危険があった。単なる化膿でさえ、それが危険な状態になってもどうにもできなかった。還暦の祝いに意味があったのは、六十歳を過ぎて生きている人がそんなに多くはなかったからである。
病気や怪我をしても、苦痛や痛みを止める方法は今のようにすすんではいない。貧乏も病気も避けられないものであった。健康保険もないのだから、貧しい人は医者にかかれない。結核の父親を救うため、娘が花街に身売りしてその金で朝鮮人参を買う、という話ができるのである。
そうした現実に人々は体当たりで生きてきた。だから、というほどの意識があったかどうかはわからないが、生き抜いた時には誰にも「自分はやった」という自負があったと思う。

しかし今の人たちは、人間が動物として体験しなければならないことをすべて避けて生きられるのだ。最早、水汲みをする必要もなく、煙にむせびながら竈で火を燃やし食事の支度をする必要もない。たいていの家が空調の設備や給湯設備を持っている。暑さ寒さと戦う必要もなくなった。
だからかつての人間が実感したことのすべてを、現代人は避けて通れるようになった。自然の脅威と立ち向かうこと、食料を得ようとすること、どこかへ行くには歩くか速度の遅い乗り物で時間もかかり疲労も激しいこと、荷物を運ぶ時には力が要ること、などすべての忍耐が今や不必要となった。
生活がよくなるのはいい。しかしその結果は悲惨であった。自由放任、弱者救済、の間違った解釈の元に育った人格は、芯がない実にひ弱なものであった。

結果として現実の生活がすべてが麻薬的な架空世界に取って代わられ、現実逃避と架空世界の陶酔が日常化しても、何とか命はつなげるようになった。冒険も金儲けも世界旅行も、すべてヴァーチャル・リアリティーの中で危険負担なしに手に入る。隣の島にいる牝犬との逢瀬のために毎夜島と島との間の海を泳ぎ渡った雄犬がいたという話があるが、人間にはこういう現実との厳しい関わり合いがほとんどなくて済むようになった。
昔私たちが相対した人間はすべて強烈な実在だった。だから友情は大切で、恋も素晴らしかったし、裏切りは許し難かった。親は多くの場合、扱いに困る暴君だったが、それを足場に子供は大きくなった。先生は時には生徒の横面を引っぱたいたり、居残りや立ちん坊を命じたが、先生と生徒の間には深い人間的なつながりがあった。

食物さえ、食事という人間的な行為が軽視された結果、ただ空腹を満たすためだけの目的で考えられ「カロリーメイトとコカコーラ」で食事をしたつもりのOLは別に珍しくない。
生活のための努力は人間の宿命なのである。それをしないと魂が酸欠になる。
昔は阿片やコカインをやる中毒患者は例外だった。しかし今は精神的中毒患者、魂の酸欠状態を生きる人はどこにでもいる。社会的酸欠状態をなくすには、人間をもっと不満に満ちた厳しい生活の場に引きずり出す他はないのだが、誰もそれをしないから、日本はやがて精神から崩壊の方向に向かうのだろうと思われる。

<文責:藤森弘司>

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