2006年5月31日 第46回「今月の映画」
グッドナイト&グッドラック

監督:ジョージ・クルーニー   主演:デヴィッド・ストラザーン   ジョージ・クルーニー   ロバート・ダウニー・Jr.

○(プログラムより)マッカーシズム
アメリカ政府内部に多数の共産主義者がいる、と言明した共和党のジョセフ・マッカーシー上院議員(1908~1957年)の演説(1950年2月)に端を発する扇動的な反共キャンペーンのこと。「魔女狩り」とも呼ばれる。日本語では「赤狩り」。「赤」は共産主義者やその同調者(シンパ)を指す。

太平洋戦争に敗北した日本がまだ連合国の占領下にあった1950年、GHQの指導により、吉田茂内閣や企業が主体となって1万数千人の「赤」を排除したが、この追放措置は「レッド・パージ」と呼ばれた。
アメリカでは、マスコミも扇動に荷担したこの集団ヒステリー現象は、国民を不安と恐怖に陥れた。国政調査権を振りかざしたマッカーシーにひとたび睨まれたら、最後だといわれた。“非国民”のレッテルを貼られて職を失い、生活が破壊される。自殺者も出た。
共産主義の脅威から国を守るという大義名分のもとに人権蹂躙が日常的に行なわれる中、報復を恐れる人々は仲間を売って難を逃れ、あるいは恐怖に怯えてひたすら沈黙した。
この映画は、エド・マローが自らキャスターを務めるCBSの報道番組でマッカーシズムに対決して勝利した、1954年までの出来事が中心になっている。○忠誠の誓い(loyalty oath)
第二次世界大戦後の米ソ冷戦時代の政治的環境を背景に、トルーマン大統領は1947年に発した行政命令の中で、連邦公務員および採用候補者に対する「忠誠」を審査する制度を創設した。

もし共産主義やファシズムを信奉する団体に加盟しているという合理的な疑いのある場合は罷免または不採用とする、というものである。マッカーシズムが横行した時代、大企業や教育・研究機関のなかには、組織を防衛し政府の介入を未然に防ぐために、構成員に対して独自の「忠誠の誓い」を求める動きが広がった。
1950年、CBSはリベラルすぎるという風評を案じ、アメリカの民主主義体制に対する「忠誠の誓い」を求めた。署名を拒否するものは解雇した。映画の冒頭シーンがこれである。「シー・イット・ナウ(See It Now)」
エド・マローとフレッド・フレンドリーがCBSで制作したテレビのドキュメンタリー番組。テレビ・ジャーナリズムの可能性を示した番組として現在でも高く評価されている。

毎週1回、火曜日の夜10時30分から30分間の定時番組だった「シー・イット・ナウ」は、7年間のロングランを続け、合計200本以上の番組を放送。ニュースの速報だけではなく、政治、経済、社会、科学、医学など国内外を問わず多岐にわたる題材を毎回3~4項目を選んでリポート。
一番多いのは朝鮮戦争関連のもので、およそ30本。最も激しい議論を呼んだのが、この映画に描かれているマッカーシズムを批判した4本の番組である。
200本のリストを分析してみると、あらゆる時事問題を先取りしており、その先見性と見識には驚かされる。テレビ・ドキュメンタリーの雛型がすべて出つくしている感じがある。報道番組制作者協会(1958年10月)
耳の痛い話をします

“飼い主の手を咬むのか”と言う人もいるでしょう
異端者の危険人物を招いた責任者を、協会は問われるかも知れない
だが、テレビと広告会社と広告主の固い絆は揺るぎません
ラジオとテレビの現状を率直に語りたいと思います
内容に問題があれば、すべて私の責任です歴史は自分の手で築くものです
もし50年後か100年後の歴史家が、今のテレビ番組を1週間分見たとする
彼らの目に映るのは、おそらく今の世にはびこる退廃と現実逃避と隔絶でしょう
アメリカ人は裕福で気楽な現状に満足し、暗いニュースには拒否反応を示す
それが報道にも現れているだが、我々はテレビの現状を見極めるべきです
テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している
それに気づかなければ、スポンサーも視聴者も制作者も後悔することになる

“歴史は人間が作るもの”と言いましたが、今のままでは歴史から手痛い報復を受ける
思想や情報はもっと重視されるべきです
いつの日か日曜日の夜エド・サリヴァンの時間帯に、教育問題が語られることを夢見ましょう
スティーヴ・アレンの番組の代わりに、中東政策の徹底討論が行なわれることを

そうなったら、スポンサーのイメージは損なわれるのでしょうか?
株主から苦情が来るでしょうか?
そんなことにはならない。この国と放送業界の未来を決める問題について多くの視聴者が学ぶのだ
“私の個人的な意見だが、正しいという確証はあるのだ”と

だが、もし私の意見が間違っていたとしても、失うものは何もない
もしテレビが娯楽と逃避のためだけの道具なら、もともと何の価値もない
テレビは人間を教育し、啓発し、情報を与える可能性を秘めている
だが、それはあくまでも使い手の自覚次第だ
そうでなければ、テレビはメカの詰まった“ただの箱”だ

言葉の力で権力に挑んだニュースキャスター、エド・マローの熱き戦いを描く真実の物語
 <放送の使命を信じ、ジャーナリストとしての良心を貫いた男>

誰が支持率50%を超える政治家に真っ向から異を唱える危険を進んで冒せるだろうか?
1950年代、アメリカ・・・東西冷戦の緊張が高まり、国民は確固たる根拠もない疑惑で共産主義者を告発する“赤狩り”の恐怖に怯えていた。その先頭に立ち、共産主義の見えざる恐怖を掲げるマッカーシー上院議員を批判することは反逆罪にも問われかねない行為だ。
マッカーシーの力は大統領さえ止めることができないほど強いといわれ、マスメディアも報復を恐れて見て見ぬふりをしていた。
全米が萎縮するなかジャーナリストとしての良心を貫き、マッカーシーの暴挙に敢然と立ち向かったニュースキャスターがエド・マローだ。彼は“放送ジャーナリズムの父”“アメリカを変えた男”として、今もアメリカ人の心に生き続けている。
三大ネットワークのひとつ、CBSの報道番組「シー・イット・ナウ」のキャスターを務めていたマローは、放送の使命を信じ、職を賭してマッカーシーの虚偽と策謀の事実を報じた。原題でもある「グッドナイト&グッドラック」は、番組を締めくくるのにマローが毎回使っていた言葉である。
本作はこのマローの活躍を美しいモノクロ映像とジャズで描き、ファッションの細部にいたるまでアメリカがもっともアメリカらしかった50年代の雰囲気を再現している。
さらに、マッカーシー上院議員が登場するシーンには当時の実際のニュ-ス映像を使っている。この斬新な構成によってドキュメンタリーを見るような緊迫感、興奮が味わえるのだ。

ジョージ・クルーニーの監督としての力量を示す作品
 エド・マローはジョージ・クルーニーがすべてを賭けて描きたかった人物だ。俳優として、プロデューサーとして円熟期にさしかかろうとしているクルーニーが、今あえて社会に問題を提起する題材に挑む。

クルーニーはキャスターだった父をもち、かつては自身もジャーナリストを目指していた。マローはクルーニーにとってルーツともいえる人物なのだ。アメリカが、そして世界がテロの脅威にさらされている今だからこそ描くべき題材だと考えたというクルーニーは、この作品に「歴史はしばしば繰り返されてきた。もう二度と見えざる恐怖に怯えてはいけない」というメッセージを込めている。
情熱をかたむけ、歴史的な番組の裏にある栄光と挫折をドラマティックに描き出した本作品は、クルーニーの監督としての力量を示す作品となった。
2005年10月に公開されたアメリカでは全米興行収入トップ10にランクインするヒットを記録。プレミア上映されたヴェネチア国際映画祭を皮切りに数々の賞に輝き、アカデミー賞6部門、ゴールデン・グローブ賞主要4部門にもノミネートされた。

1953年、東西冷戦下、共産主義の脅威から国を守るという名目で、ジョセフ・マッカーシー上院議員らが先導する“赤狩り”が全米を恐怖に陥れていた。それは、報道の自由を標榜するテレビ局にも暗い影を落とし始めていた
マッカーシーの報復を恐れるマスコミが見て見ぬふりをする中、CBSのニュースキャスター、エド・マローとプロデューサーのフレッド・フレンドリーは、報道番組「シー・イット・ナウ」でその権力の横暴を取り上げることを決意する。

最初の題材は、マローがふと目に留めた、デトロイトの地方紙が報じる小さな記事。家族が共産主義者と疑われ、本人には何の問題もないのに、除隊処分されかけているという空軍予備役士官の話。
名前はマイロ・ラドゥロヴィッチ・告発の封筒は封印されたまま。真相は誰にもわからないのに、なぜ彼は解雇されねばならないのか。マローはそうキャメラに向かって問いかける。
キャメラの向こうには、“赤狩り”に苦しみ、自由が失われていることに怒りを感じていた多くの視聴者。そして、“最強の敵”マッカーシーがいた。
放送前から、CBSの経営陣もスポンサーもひるんでいた。番組の新聞広告代金の支出を拒否。それに屈することなく、マローとフレンドリーは、自費で3,000ドルを捻出して「ニューヨーク・タイムズ」紙に広告を出し、経営陣とスポンサーの反対を知りながら、番組の放送に踏み切った。

マローとマッカーシーとの対決はこうして幕を開ける。
放送後、マッカーシーの報復が始まる。CBSのジョー・ワーシュバ記者は、マッカーシーの側近から、マローが共産党のシンパだという“証拠”が入った封筒を渡され、CBS会長のペイリーのもとへも同じものが送られる。社の未来を案じるペイリーは、CBSの至宝として重用してきたマローに対して、厳しく問い質す。
それでも信念を貫き、マッカーシーと対峙しようとするマローに、「番組スタッフがコミュニストと付き合いがあってはならない。徹底的に洗え、でなければ切り捨てる」と告げる。それはマローだけでなく、CBSにとっても大きな賭けだった。
マローたちはマッカーシーに関するニュース映像やスピーチなど、ありとあらゆる素材を集め、彼を糾弾する番組の制作に取りかかり始めた。

そして1954年3月9日、アメリカの報道史において、のちのちまで伝説として語り継がれる番組が放送される。放送開始直前、ペイリーはマローに電話する。「今夜のフットボールのチケットがあるが行くか?」彼の意図を察したマローも「今夜はCBSをつぶすのに忙しくて」とユーモアで返すが、続けて「大丈夫、準備はできています」と決意を語った。その言葉にペイリーは告げる、「今夜も明日も、私は君の味方だ」。
番組の中で、マローはマッカーシーのこれまでのスピーチを取り上げ、虚偽と策謀を露にしていく。そして「アメリカは、国内の自由をないがしろにしたままで、世界における自由の旗手となることはできない」という言葉でしめくくった。
番組終了後、スタッフルームではひっきりなしに電話が鳴り続けた。その電話のほとんどは、番組を支持するものだった。マローたちが託したメッセージは、アメリカ国民の心に届いたのだ。
同じく電話の鳴り続けるCBS会長室では、ペイリーが受話器を取ろうともせずに、ひとりじっと座っていた。そしてCBS「11時のニュース」では、キャスターのドン・ホレンベックがマローを支持するコメントを述べている。歓喜に包まれ、祝杯をあげるマローたち。
翌朝の新聞各紙は、「ニューヨーク・タイムズ」を筆頭に、番組を絶賛していた、例外はハースト系の一紙「ジャーナル・アメリカン」・・・・・それは、マローの弟子であり盟友であるホレンベックを個人的に攻撃する悪意に満ちた内容だった。
マローはさらにマッカーシーを追い込むべく、翌週の放送では国防総省で働く黒人女性、アニー・リー・モスの共産党疑惑に関する公聴会の模様をリポートした。
見えざる証人の存在を振りかざし、風聞によってモス夫人を糾弾しようとするマッカーシー陣営の姿を暴き、視聴者の共感を得る。

1954年4月6日、ついにマッカーシーが反論に出る。
マローが番組内で約束した放送枠を一杯に使い、録画映像によって自己弁護とマロー攻撃を延々と続けた。事前の約束通り、マッカーシーの発言に対し、コメントは一切付けなかった。
その翌週、マローは、彼をコミュニストだと決め付けたマッカーシーに対し、抑制を利かせた言葉で、反論した。そして、マッカーシーにどのように攻撃されたとしても、真実を報道することには意義があると語った。世論はマロー支持が多数だったが、どちらが正しいとも決めかねる人々や、個人的な非難の応酬にウンザリしたという視聴者も少なからずいた。

しかし、何かが変わった。それまで口をつぐんでいた人々が堂々とマッカーシー批判をするようになる。そして、陸軍内部に共産主義者がいるとするマッカーシーの一連の言動が品位に欠けるとする件を調査するために、上院はマッカーシーを公聴会に召喚するとの声明を発表する。
流れは確実に変わっていた。その知らせに沸く「シー・イット・ナウ」のスタッフ・ルームは勝利の光に包まれていた。歓声があがる中、フレンドリーが取った一本の電話。それは、ホレンベックがガス自殺したという知らせだった。彼は、自分に対していつ果てるともなく続けられる誹謗中傷に疲れ果ててしまったのだ・・・・・。失った友を想い、ひとり暗然としてたたずむマロー。

マッカーシー対陸軍の上院公聴会が全米にテレビ中継されている。かつての横暴な姿は影をひそめ、覇気をなくしたマッカーシーの姿が映し出されるモニターを見つめているマロー。彼の勇気ある行動によりアメリカは再び自由を取り戻した。
しかし、マローが失ったものは大きかった。政府や広告主との関係を案じるCBSのペイリー会長は、次第にマローや記者たちを危険視し始める。
・・・・・何かが変わり始めていた。テレビ業界には大衆化の波がおしよせていた。報道番組より娯楽番組が優先する時代がやってきたのだ。

ある日、マローとフレンドリーはペイリーのオフィスに呼ばれる。ふたりは「シー・イット・ナウ」がスポンサーを失いつつある事、現在の火曜夜の枠がクイズ番組に替わり、番組は日曜午後の月一度の放送に変更する事を告げられる。
そして、フレンドリーには番組スタッフの削減を命じる。それは重大な方針変更を意味した。長きにわたりマローと共に歩んできたペイリーだったが、危険な存在となりつつあるマローを、経営者としてそのままにしておくわけにはいかなかったのだ。マローの前に立ちはだかった最後の、そして最強の“敵”の姿がそこにあった。

ペイリーのオフィスを後にしながら、「最後まで闘おう」というフレンドリー。軽口を叩き合い、廊下を歩いていくふたり。そばのモニターには、アイゼンハワー大統領のスピーチが流れている。「建国以来、この国ではすべての人が自由だ。ある日突然投獄されることなどなく、友人とも敵とも堂々と会うことができる。われわれには人身保護法があるのだ」。
しかし、マローが自らの信念を貫き、思う存分活躍できる自由は次第に狭められてゆく。そして、マローを支えてきたチームの面々にも、冬の時代がやってくる・・・・・。

今、問われるジャーナリストの良心と勇気・・・・原寿雄(ジャーナリスト)
野生動物が一頭走り出すと何百頭、何千頭もの群れがいっせいに同じ方向に突進する。この現象をスタンピード(stampede)と呼ぶが、世論の動きもしばしばこれに似ている。集団暴走の中で一頭が立ち止まろうと思っても、踏みつぶされてしまう。
世論の大勢が戦争に向かっているとき、「非国民」と非難される覚悟なしに、反戦を叫ぶことはできない。米国の赤狩りとの戦いを描いたこの映画で、日本の社会は改めて世論とジャーナリストのあり方を考えさせられるに違いない。

第二次世界大戦でドイツ、イタリア、日本と戦った連合軍の米ソ両国は、戦争が終わった1945年から間もなく対立を強め、冷戦時代に入った。49年にはソ連が米国に次いで原爆保有を宣言し、中国大陸には共産政権が誕生、米ではソ連封じ込め戦略が生まれた。
アメリカの世論は急速に反共産主義に傾き、議会の非米活動委員会などを中心に、各界の共産党関係者追放の動きが広まった。連邦政府職員に対する忠誠審査も進められた。50年にジョゼフ・マッカーシー上院議員が「国務省に205人の共産主義者がいる」と発表してから、赤色分子排撃ムードは一段と激しくなり、赤狩り旋風が米全土を吹き荒れた。

政府への共産主義者の就職を禁止することを目標に始まった赤狩りは、やがて同調者(シンパ)、共産主義に騙されている人から、自由主義者、人権擁護グループへと拡大された。親兄弟や友人、知人にコミュニストがいれば容赦なく追放された。とくに新聞、放送と並んでリベラル派の多いハリウッドが狙われた。
マッカーシーは共和党上院議員という権威で記者会見を開き、FBIなどから入手した「共産主義者のリスト」を発表、証拠も事実の確認もないままに大きく報道された。「容疑者」は委員会に召喚され、自己に不利な証言を拒否した者は議会侮辱罪で有罪にされた。アメリカ民主主義の根幹となってきた思想・表現の自由も「法の適正な手続き」も無視され、人々は密告の不安におびえて、恐怖と相互不信が募る暗い時代が出現した。

その結果、国務省をはじめとする政府やハリウッド関係者をはじめ、職場を追われた者は数千人に上った。自殺者も出た。「波止場」のエリア・カザン監督は元共産党員であったことを認め、コミュニスト仲間の名前を明らかにして転向を証明、主演スターのマーロン・ブランドから裏切り者と呼ばれた。チャップリンも「赤」呼ばわりされて離米した。
マッカーシーは赤狩りのヒーローとなった。各界に反発の声はくすぶり、マスコミの一部も批判したが、世論の狂気にかき消された。こういう情勢の中で、54年3月9日、CBSのエド・マローが「シー・イット・ナウ」の特別番組で正面からマッカーシー攻撃に出た。マローとその仲間は丹念な準備を重ねて対決のときに備え、そして勝った。

歴史的番組が放映される前後のシーンはこの映画の圧巻であり、とくに放送後、各方面からの支持の声に喜び合うマローとその仲間たちの姿は実に感動的である。だが、放送決断までのマローの苦渋は並々ならぬものがあったようだ。政治的トラブルを避けたいCBS首脳部は最後まで消極的で、番組広告費はマローとプロデューサーのフレンドリーが負担した。
それでも放送が実現したのは、マローとマローボーイズと呼ばれた仲間たちが、第二次世界大戦中のヨーロッパ・レポートで放送ジャーナリズムを確立し、“報道のCBS”の名声を定着させた功績と、彼らの不屈のジャーナリスト精神を無視し得なかったためと思う。放送を決断したとき、マローは「われわれの仕事は放送したものによって評価されるが、放送しなかったものによっても評価されるのだ」と語っている。このプロ意識も無視できない。

この対決に敗れればマローとその仲間だけでなく、アメリカのジャーナリズムそのものが決定的な危機に陥る。その緊迫感が、選び抜かれたマローの冷厳な言葉からひしひしと伝わってくる。モノクロの映像がそのリアリティを強め、全編がドキュメンタリーと錯覚させるほどの迫力に満ちている。
マッカーシーは上院で問責決議を採択され、アメリカ社会は徐々に正気を取り戻した。マローはテレビ・ドキュメンタリーの歴史に輝かしい金字塔を打ちたて、“放送の良心”“放送ジャーナリズムの父”と称えられた。「ライフ」誌は20世紀で最も重要な100人のアメリカ人の中に、ジャーナリスト代表としてマローを選んだ。
そのマローが58年の米報道番組制作者協会で、テレビ・ジャーナリズムの「退廃と逃避」を痛烈に批判している。映画のラストになるその講演で、マローは「テレビは人を欺き、笑わせ、現実を隠している。それに気付かなければやがて、スポンサーも視聴者も制作者も後悔することになろう」と警告した。
ジャーナリストのひとりとして私は、多くのことを考えさせられた。そのひとつは世論の怖さである。集団暴走が始まったら抑止するのは難しい。そうならない前に、多数派に対する異論の自由を常に保障する社会的なコンセンサスが必要になる。言論表現の自由とは異論の自由であることを再確認させられた。マローは人々が諦めかけていた異論の自由に、息を吹き込み、よみがえらせた。

もうひとつは、ジャーナリズムの危険性である。「権威者の発言は、たとえデマと思っても報道しないわけにはいかない。発言の事実を客観的に報道しただけだ」という米ジャーナリストの弁明を、肯定するわけにはいかない。扇動政治家の世論操作に協力したジャーナリズムの汚辱史は、現在の私たちにとって決して他人事ではない。マッカーシズムによる集団暴走の先頭を切ったジャーナリストたちの罪は深い。
さらにジャーナリストの生き方を深く考えさせられた。死んだ魚は流れのままに流される。ジャーナリストは時に、生きた魚として流れに逆らって進むべき職業人ではないか。マローはそのモデルを示した。
9.11の同時テロ以降、愛国ジャーナリズムが全米を覆って異論の自由が狭められてきた中で、この映画を作ったジョージ・クルーニーに心から拍手を送りたい。クルーニー自身もフレンドリー役として出演しているが、父は地方局のニュースキャスターだったという。
「グットナイト&グッドラック」は日本の放送人、新聞人にとって、そのまま教訓となる。政治と商業主義の圧力が増大しつつある今、ジャーナリストはいよいよ良心と勇気を問われている。
(はら・としお・・・1925年生まれ。ジャーナリスト。元共同通信社編集主幹。著書に「ジャーナリズムの思想」〔岩波新書〕、「市民社会とメディア」〔リベルタ出版〕などがある)。

<文責:藤森弘司>

映画TOPへ