2006年4月30日 第45回「今月の映画」
監督:クリスチャン・カリオン 主演:ダイアン・クルーガー ベンノ・フユルマン ギョーム・カネ
○(プログラムより)この「戦場のアリア」は、ドイツ占領下だったフランス北部出身のクリスチャン・カリオン監督が、一冊の本に偶然出会ったことから始まった。 そこには驚くべきことに、フランス北部の最前線(相対する両陣営の中間にある無人地帯)のノーマンズ・ランドで、クリスマスの夜に、敵国同士が一晩限りの<クリスマス休戦>に合意し、ドイツ人テノール歌手の歌声にフランス軍兵士が喝采を贈ったことや、戦地でクリスマスを祝うささやかな友好の様子が記されていたのだった。 監督は、大半がごく普通の青年だった兵士たちが、愛する家族と離れて迎えるクリスマスの夜に<クリスマス休戦>として敵国と友好を結んだ勇気に心を打たれ、彼らへのオマージュとしてこの史実を映画化することを強く願っていたと語っている。○戦地という極限状況の緊迫した前線の兵士たちの、一年で一番大切なクリスマスだけは家族と過ごしたいという夢は叶えられなかった。しかし、そんな兵士たちがつかの間の戦地での暖かさを味わえた<クリスマス休戦>のきっかけとなったのは、ドイツ人の歌手の素晴らしい歌声だった。 この役柄のモデルは当時、慰問公演を行なっていたドイツのテノール歌手、ヴァルター・キルヒホフである。1914年のクリスマスにドイツ軍の塹壕で歌っていたところ、100m先のフランス軍の将校が、かつてパリ・オペラ座で聞いた歌声と気づいて、拍手を送ったのだ。 そしてヴァルターが、思わずノーマンズ・ランドを横切り、賞賛者のもとに挨拶に駆け寄ったことから、他の兵士たちも塹壕から出て、敵の兵士たちと交流することになった、という得がたいエピソードが史実として残っている。 ノーマンズ・ランドの境界線は、戦争を始めたごく一部の軍部指導者間で決められていたが、音楽には境界線などなく、同じ気持ちで祖国を想う兵士達に友情の交流を生んだのである。○1914年、第一次世界大戦下。過酷極まりないフランス北部の戦場に10万本のクリスマス・ツリーが届いた。 その聖なる日、銃声は消え、境界線を超えて心に響く歌声が兵士達を包み込んでいく・・・・・。○ドイツ軍の塹壕では故郷へ帰れない兵士達のために何万本というクリスマス・ツリーが届き、キャンドルの灯が美しく輝いている。スコットランド軍の駐屯所からは、バグパイプの音色が響いてきたのに続いて、兵士達のコーラスが加わった。 そして奇跡は起こった。 テノール歌手がドイツ軍の塹壕からノーマンズ・ランドへクリスマス・ツリーを手に持ち、歩み出て、すばらしいテノールを響かせたのだ。 それからは、誰もためらう者などいなかった。バクパイプでの伴奏に乗せて、ドイツ軍とスコットランド軍の「聖しこの夜」の合唱がこだまする。それぞれの兵士達がおずおずと塹壕からノーマンズ・ランドに出てくると、偵察していたフランス軍も遅れまいと現われる。 そして、フランス軍のオードベール中尉、ドイツ軍のホルストマイヤー中尉、スコットランド軍のゴードン中尉は、3カ国の代表としてクリスマス一夜限りの休戦をすることに合意し、シャンパンで乾杯を交わすのだった。 兵士たちも銃を傍らに置き、互いに片言の外国語で挨拶をし、愛する家族の写真を見せ合い、チョコレートやウイスキーを交換し、サッカーの試合に興じる。 そして、前線司令部にいる皇太子のために来ていたテノール歌手の妻で、ソプラノ歌手のアナが「アヴェ・マリア」を寒々とした大地に響かせると、兵士達は皆聞き入り、パーマー神父のもと、あらゆる宗派を超えたミサが行なわれた。 既にそこは戦場ではなかった。明日はどうなるかわからないが、確かに心ある暖かな交流が広がっていく。 ○こうして戦場でのクリスマスは終わった。まるで家族と過ごしたような奇跡の一夜は、すぐに軍司令部のしるところになった。中尉たちは厳しい処分を受け、兵士達はいっそう過酷な任務につき、銃を手にする・・・・・・・・・・・。 ○史上最悪の塹壕戦(一番近いところでは、わずか5~6メートルで、名前を呼ぶ声が聞こえた)が5年に渡って繰り広げられた第一次世界大戦。兵士だけでも900万人という戦死者を出した忌まわしい戦争末期の惨状は、最近では自ら「第一次世界大戦オタク」を自認するジャン=ピエール・ジュネの「ロング・エンゲージメント」(第32回で紹介)によって、恐ろしいほどリアルに映像化されていたことが記憶に新しい。 開戦直後、その年のクリスマスまでには終結すると思われていた戦争は、万人の予想を裏切って膠着状態が続くことになる。 この戦場のクリスマス・ツリー、ドイツ人テノール歌手の歌声に浴びせられた敵軍兵士の喝采、サッカーの試合、敵の塹壕への訪問、手紙の交換・・・・・。まるでキリストの粋な計らいと言おうか、聖夜のファンタジーのような出来事が、事実と聞いてもにわかに信じがたいが、どれも激戦の地に残されている史実だという。 |
<文責:藤森弘司>
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