●この映画が上映される1ヶ月前、ラジオで、主演のオリビア・ハッセーが、この役を20年間待ち続けたという紹介があり、こういう映画はどんなことをしても観たいと思いました。
プログラムには、フランコ・ゼフィレッリ監督の「ロミオとジュリエット」(1968年)のジュリエットの役をオリビア・ハッセーが史上最年少で演じて、ゴールデン・グローブ賞に輝いたとあります。
同じくゼフィレッリ監督の「ナザレのイエス」(1977年)では、聖母マリアを演じ、この作品は故ヨハネ・パウロ2世のお気に入りの作品でもあったそうです。
「想像してみて。シェイクスピアのジュリエットを演じ、聖母マリアを演じ、マザー・テレサを演じることができたなんて幸運としか言いようがないわ」とオリビア・ハッセーは述べています。
1980年に布施明と結婚し、87年に離婚。この間、オリビア・フッセーと言っていたと、先のラジオで紹介されていました。
○(プログラムより)
「最も貧しい人々と共に」親を失った子供たち、ハンセン病の患者たち、路上で死を待つだけの老人たち。その苦しみの中にキリストの姿を見出した彼女は、貧困にあえぎ、病に蝕まれ、飢えにさいなまれる人々と共に暮らし、彼らの心に希望の灯をともす活動を始める。
その行く手に立ちはだかるさまざまな困難。教会からの非難、地元住民の反発、役所の圧力、寄付金と養子縁組をめぐる疑惑。
しかし、自分は神の手によって動かされていると信じるマザー・テレサは、ひとつひとつの問題に決してあきらめることなく誠意と情熱で立ち向かい、忍耐と努力を重ねながら、熱い思いで世界を変えていく。
純粋で、粘り強く、何事にもシンプルであることをモットーに生きた。
○1946年、インドのカルカッタ。カトリックの女子校で教鞭をとっていたマザー・テレサは、イスラム教徒とヒンドウ教徒の抗争に巻き込まれた負傷者を校内に入れて手当てしたことから、修道院長と対立。
その後、ダージリンへの転任命令を受け、任地に赴く途中で、行き倒れになった男と出会う。「私は渇く」という十字架の上のキリストと同じ彼の言葉の中に神の声を見出すマザー・テレサ。
無断でカルカッタに舞い戻った彼女は、自分の居場所が修道院の中ではなく、カルカッタの最も貧しい人々のところだと気づき、修道会に院外活動の許可を求める。
得られた回答は、「院外活動をしたいなら、修道女をやめて市民に戻れ」というものだったが、マザー・テレサの熱意を汲んだエクセム神父の口添えによって、決定はバチカンの判断にゆだねられることになった。
○主が望めば必ず実現すると信じるマザー・テレサは、パトナで医学と治療法の実地訓練を受けながら、バチカンからの返事をずっと待ち続けた。
やがてバチカンから送られてきたのは、院外活動の許可を伝える手紙だった。晴れて町へ出ることを許されたマザー・テレサは、新しい修道服である白地に青い線の入った木綿のサリーに身を包み、貧困にあえぐ人々が暮らすストリートでの活動を開始した。
○子供たちに配る食料を手に入れるため、市場で物乞い同然の托鉢を行なうマザー・テレサの姿に眉をひそめる修道院長。
しかし、いっぽうには、マザー・テレサの活動を応援する者たちもいた。それはかつての教え子たちだ。彼女たちボランティアの手を借りながら、マザー・テレサは、病人や孤児など社会から見放された人たちのための施設をコツコツと作り上げていく。
○4年後、マザー・テレサは、新しい修道会<神の愛の宣教者会>の設立をエクセム神父に申し出る。それに応じてバチカンからやって来たのが、セラーノ神父。
カルカッタに到着した彼は、さっそくマザー・テレサに会おうとするが、当のマザー・テレサの前にはすぐに解決しなければならない難問が山積みの状態だった。
ヒンドウ教寺院の宿泊所を改装して開設した<死を待つ人の家>に対する地元住民の猛抗議。孤児院が無許可営業であると主張し、閉鎖を求める役所の命令。
そのひとつひとつに誠意と情熱で立ち向かっていくマザー・テレサ。そんな中でセラーノ神父は、彼女と会うことができないまま、バチカンに否定的な報告を送る準備をしていた。
しかし、面談に応じたマザー・テレサの言葉に彼は心を打たれた。「私は、神が手に持つペンにすぎません」と語るマザー・テレサの無私無欲な姿勢に、深い感銘を受けるセラーノ神父。彼は、<神の愛の宣教者会>の設立を後押ししたばかりでなく、自らもカルカッタにとどまり、マザー・テレサのかたわらで同じ道を歩もうと決意する。
○1965年、マザー・テレサは、カルカッタのティタガールにハンセン病患者のための<平和の村>を建設する計画に着手する。ハンセン病患者を支える<巡回診療>などの活発な活動や宣教者会の拡大に対しては、「マザーのせいで、カルカッタに不幸と貧困のレッテルが貼られてしまった」と、インド国内から批判の声が上がったが、それが大々的にニュースとして報じられたことにより、世界各国から多くの寄付金が寄せられるようになった。
「神が望めば資金は集まる。神が望まなければあきらめるだけ」と、いつものように粘り強く、精力的に資金の調達と計画の推進に走り回るマザー・テレサ。
○書類の不備によって建設計画が頓挫しかけたとき、彼女はバチカンに乗り込み、教皇に直談判もした。その努力が実り、村の建設はようやく再開にこぎ着けたものの、完成までの道のりには予想外の困難がつきまとった。
まず、マザー・テレサ本人が狭心症の発作に見舞われたのに続き、イギリスからやって来た献身的なボランティアのアンナが、硬化症に冒されて帰国を余儀なくされた。
さらに、村の建設に多額の献金をした人物が、ダーティー・マネーを提供していたことが発覚。詐欺事件に巻き込まれたマザー・テレサは、たちまちスキャンダルの渦中の人となる。
○この事件に追い討ちをかけるように、孤児院の養子縁組をめぐるスキャンダルが持ち上がった。リヨンの里親に引き取られた少年の名前と顔写真が一致しなかったことから、マザー・テレサに人身売買の疑惑がかけられたのだ。
警察の取調べが進むなか、真実の追求に乗り出したマザー・テレサは、イギリスのアンナに電話で助けを求めた。「あなたの祈りで天国を揺さぶって」。やがてその祈りは通じ、書類の偽造は、宣教者会の元スタッフの善意によるものであったことが判明した。
警察で涙を流しながら事情を説明するその女性を、マザー・テレサは黙ってやさしく抱きしめた。
●(私見)次から次へと発生する困難な状況。それに次から次へと立ち向かうタフな精神力には脱帽します。私たちであれば、そのうちの一つでも、もうごめんなさいと言う感じです。
しかし、人間と言うのは信じきったときの「強さ・逞しさ」は凄いものがあるものです。これが「信心」なのでしょうね。逆に言えば、信じきったときは却って生きるのが楽なのかもしれません。進む道に迷いがあるときに苦しいのかもしれません。
「私は、神の愛の手のペンです。神が書こうとすることを書いているに過ぎない」このように信じて活動するマザー・テレサの姿を見て、リーダーシップについて考えました。
「神」という完璧なリーダーに疑いもなく従って動くとき、その行動は非常に有効になるのでしょう。また、自分の行動に成果が出ないとき、それはリーダーである「神」の意志に反しているからで、だから行動に結果が伴わない事にあっけらかんとしていられるのでしょう。
自分にとって大事なことは、「神」の意志に沿うことである。沿っているつもりでも、結果が伴わないときは、「神」の意志に反している事だから、結果が思うように行かないからといってがっかりすることはない。そういう「恬淡」とした姿勢が感じられます。
私たちはあまりにも結果を求めすぎていないでしょうか。
●「神が望めば資金は集まる。神が望まなければあきらめるだけ」と言ったときの「あきらめる」は、「never mind」(気にしない)だったように聞こえました。非常に楽観的というか、結果に対する「恬淡」とした姿勢は、それだけ「神」を(当然ですが)疑いもなく尊敬し、ただ「神」の意志に沿うことだけを考えて、「無私」の境地にいる爽やかさを感じます。
そこには「名誉」も「地位」も「財産」も、いわゆる世俗的なものにはまったく気にかけない「超越」した心境が見て取れます。
そして、マザー・テレサという最高のリーダーに従う多くのボランティの人たちの活動もすばらしい。おそらく、企業でもスポーツでも、その他、いろいろな団体のリーダーの取るべきリーダーシップというものの重要さを教えてくれます。
●「神が望めば資金は集まる。神が望まなければあきらめるだけ」、これは明治の宗教家・清沢満之の「天命に安んじて人事を尽くす」(多くの人は、「人事を尽くして天命を待つ」をご存知かと思います)に通じる思想だと思われます。また、吉本式内観法の創始者「吉本伊信先生」は「俺が俺がのガが強い」とよく忠告されていらっしゃいました。
私たちは多くの場合、自分自身の「私欲」から出るために、結果に対してもがき、苦しむのではないでしょうか。「自分」というものを離れれば、「天命に安んじて」行動ができるのでしょうね。
私たちの身近な例でいえば、尊敬し信頼できるリーダーに従うとき、ほぼ無条件でリーダーの指示に従うことができますが、逆に、信頼できないリーダーの指示には、いちいち逆らいたくなります。この関係に似ていないでしょうか。
●いろいろ困難が続く状況の中で、或る日の夕方、広い施設の中の一角を行ったり来たりしていたマザー・テレサ。そのすぐ側で、死を待つような老人が横たわっていて、彼女に何をしているのか尋ねます。するとマザー・テレサは答えます。
「神がいないと虚しいの!」これは非常に重要な言葉です。マザー・テレサはあまりにもすばらしい方ですし、私(藤森)はあまりにも未熟で粗野な人間ですので、これを解説するには乱暴すぎますが、マザー・テレサが狭心症であったり、心臓が弱かったりすることと関係することのように思えます(この辺りの事は、9月15日の「今月の言葉」「洗脳と自己成長」でも触れる予定です)。
まったき意味での「安心立命(あんじんりゅうめい)」というのはとてつもなく難しく、神や仏の境地なのかもしれません。
●「愛は笑顔から始まる」「小さくても愛がこもったもの」「与えることはあたえられること」「ノーベル賞受賞パーティーでのあまりに豪華な食事に、食べずに退席」「マザー・テレサの思想に共鳴して、各国に同様の施設(?)ができて、その総会に出席した彼女は、そこに出されたボトル入りの水が3ドルだと聞いて、3ドルあればインドで子供が1年間勉強ができると驚く」
●バチカンとかいう所での偉い方々よりも、現場の最先端の「最も貧しい人々と共に」生きることの崇高さを実感します。「上善水の如し」ということばがあります。水は低いほうに流れ、どのような形の器にも合わせて、一切の不満、苦情がありません。
しかし私たちは逆に、少しでも高いほうに行きたがり、自分の器の形に相手を押し込めたくなり、そして思うようにならないと不満たらたら、あたかも自分に理があるかのごとくに苦情を言ってしまいます。
マザー・テレサは「上善水の如し」を地で生きた方のように思います。まさに宗教は実践の世界であるはずが、本部や中央にいる理論家のほうが立派になってしまうのは、彼らに反省が足りないのか、そういう人に魅かれてしまう私たちの未熟さ故なのでしょうか。
○(プログラムより)自分自身は何ひとつ望まず、人に与えることに全生涯を捧げたマザー・テレサの存在は、いまも人々の心に生き続けている。
1997年9月5日にマザー・テレサが帰天した際に、インドは彼女の葬儀を建国の父マハトマ・ガンディと同様、国葬とした。つまりインドはマザー・テレサを国の母として最高の敬意をもって葬ったのである。 |
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