2005年4月30日 第33回「今月の映画」
Shall we Dance?
監督:ピーター・チェルソム  主演:リチャード・ギア (日本版:役所広司)
ジェニファー・ロペス (〃 :草刈民代)
スーザン・サランドン(〃 :原日出子)
スタンリー・トウィッチ(〃 :竹中直人)

●ご存知、日本の「シャル ウイ ダンス?」のリメークです。日本版は日本版としての良さがあり、アメリカ版はアメリカ版の良さがあり、日本版との比較は意味が無いと思いました。

●ダンスの華やかさは、やはりアメリカです。「チャチャチャ」のダンスを見ていると、あのように踊れたらなと、年令を忘れて憧れてしまいます。ダンスをするときにスーッと立ったジェニファー・ロペスの体の線の美しさに、思わず見惚れてしまいます。私の腹の出ていることを忘れて。

●私が若いころ、ダンスパーティが盛んでした。クリスマス・シーズンになると、会社でも催しましたし、色々なところでダンスパーティが盛んに行なわれていました。
毎年、毎年、このシーズンになると、付け焼刃でダンスを練習しましたが、ほとんどパーティでは役に立ちませんでした。来年こそはと思いながら、いつしかダンスパーティは下火になってしまいました。
あのころ、会社の同期の人が集中的にダンス場に通って練習し、パーティで華麗に踊るのを見て、羨ましくなりました。練習料金を尋ねたところ、20万円かかったとのことでした。当時の私の月給が3~4万円位(?)のころの20万円です。今なら150万円くらいに相当するでしょうか?私はそれで、スッカリ諦めました。

●体形的にもリズム感的にも、私は「盆踊り」系かもしれません、悔しいんですが!でも出た腹を引っ込めて、チャチャチャを華麗に踊れるようになりたいものですが、こういう雰囲気はやはり欧米人ですね。

さて、映画ですが、高級マンションに住む弁護士とデパートで働く夫婦。幸せな家庭ですが、どこか倦怠感に襲われている主人公のリチャード・ギア。通勤電車の往復に見るダンス場の看板。
不幸や波乱万丈はイヤですが、平凡もこれまた、退屈なものです。私は若いころ、平凡ほどイヤことはありませんでしたが、還暦を迎える年令になると、やはり平凡がいいですね。本当は平凡も波乱万丈も、共に有ること難い、非常に貴重な日々なんですが、それが判るようになるには、やはり年令を重ねた人生体験が必要なことかもしれません。

●昔、マスコミ界の大御所だった大宅壮一氏は「20才のときに40才の女性と結婚し、40才になったら、20才の女性と再婚」することが上手くいくというような主旨で話していました。

私は大宅壮一氏とは違う、人生2度結婚説を持っています。
私たちは若いころ、惚れたハレタの若さと勢いで結婚しますが、40才過ぎたら、改めて配偶者の人間性や来し方の世話になったこと、迷惑をかけたことなどの色々を思い出して、総決算をする。そして、人生の荒波を一緒に乗り越えてきた戦友を、改めて惚れ直したいものです。
そこには、「地位」「学歴」「経済力」「名誉」「特技」「美男・美女」などの社会的な価値観の一切を排除した「純粋・本質的な人間性」、格好よく言えば「魂の触れ合い」ができる夫婦、お互いの人間性を大切にしながら、譲り合い、助け合い、協力し合い、慈しみあえる相手として、冷静・本質的な惚れ直しをして、同じ配偶者と再婚するような生き方をしたいものです。

●さて映画ですが、平和であり、幸せに満ちた毎日ですが、でも平凡な生活に倦怠感を持った主人公が、魅力的な講師が指導する、華やかなダンスに魅かれていきます。
しかし、行動に不審を抱いた妻が、探偵を依頼し、ダンスにのめり込んでいることに気づきます。やがて魅力的なダンスの講師がイギリスにダンス留学することになる。そのお別れパーティに、欠席を決意する主人公。
靴や正装服を夫にプレゼントして、仕事に出かける妻。やがて決心して着替える主人公。花屋で一本のバラの花を買い、デパートで働く妻の職場に行き、バラをプレゼントして、一緒にサヨナラパーティに参加する。

●この場面は、私が考える「二度の結婚説」に近いように思えました。毎日の倦怠感から逃避するかのように、一時的にダンスに打ち込んでみたが、やはり長年一緒に暮らし、家庭を築いてきた妻や、平和な家庭の大切さに気付いて、妻に改めてプロポーズ(再婚)をしたように私には思えます。
夫婦というものは、いろいろ困難な状況を経て、やがて別れ難い深い愛情に芽生えて、永久(とわ)の別れを迎えるように思えます。数年前、社会党の国会議員が、奥様の介護のために議員を辞めた話が新聞に載っていましたが、今まで苦労をかけた妻のために、最後くらいは出来るだけのお世話をしたいという気持ちを、私はよく理解できます。
奥様がご存命の内に感覚できて幸せではないでしょうか。私たちはうっかりすると、全てを失ってから気がつくことがあります。

●平凡とは退屈で、やりきれない日々のように思えますが、実は一番、貴重であり、有り難い日々であることを感覚できる人間になりたいものです。

●ライブドア及び堀江貴文氏について、面白い記事がありましたので、一連の流れの最後に下記の二点をご紹介します。
①今から10日ほど前(17年4月20日ころ)、ある名簿会社が、転売禁止の契約のもと、ライブドアの子会社に名簿を販売したのに、転売されたと怒りの告発があり、訴えるというようなことでした。ライブドア側はミスであったことを認め、お詫びをし、違約金を払うとのことですが、そういう問題ではないと、名簿会社は憤懣やるかたないようでした。
次の記事を見れば、単なるミスかどうか判断できるのではないでしょうか。体質かもしれません。②17年3月3日と29日付け(と思われます)の夕刊フジによります。
ライブドアと山口県の第2地銀の「西京銀行」が、インターネット専業銀行を共同設立することになった。
ライブドアは1月、西京銀行と共同で「西京ライブドア銀行」(仮称)を設立すると発表。年内にも銀行免許を取得して立ち上げる予定で、出資比率は西京銀行が51%、ライブドア側が49%とした。
ところがライブドアが2月9日に発表した業績開示資料には、ネット銀について、こう記載されていた。
<出資比率・・・株式会社ライブドアフィナンシャルホールディングス・・・49%、株式会社西京銀行51%。ただし3年以内に当社が67%超となるような拘束新株発行契約締結>
つまり、ライブドアは3年以内に西京ライブドア銀を単独支配すると開示したのだ。そんな契約を結んだ覚えのない西京銀は当然ながら抗議。ライブドアは2月14日「ただし3年以内に当社が67%超となるような拘束新株発行契約締結」のくだりを削除する訂正を出した。
ライブドアはありもしない契約を記載した理由について「ミス」としているが、出資比率は新銀行の根幹にかかわる重大な経営事項だ。当然、ライブドアの信用は、大きな疑義を抱かれることになる。
西京銀にこの虚偽記載問題について見解を聞いたところ、「ライブドアが67%超になるような契約はしていない。向こうにはそうした(乗っ取りの)意向があるのだろうが、こちらにとっては承知できることではない」(経営戦略室)と不信感をあらわにした。・・・・・
その意図について商法に詳しい専門家は「発行済み株式の67%超というのは重要な意味をもっている。商法の規定では、議決権の3分の2超をおさえる株主は、株主総会の特別決議を単独で可決できる。特別決議が必要な事項には定款変更、減資、合併、株式分割など重要事項がすべて含まれる。ライブドアは西京ライブ銀を乗っ取り、意のままに扱うことを狙っていたということだ」と指摘する。
「ライブドアはイーバンク銀行を乗っ取ろうとしたが、経営陣と対立し失敗に終わった。ライブドア単独では信用がないため、ネット銀行の免許は下りない。そこで西京銀を前面に立て銀行免許を取得した後に、新株を引き受けて乗っ取ろうと計画したのだろうが、その狙いがバレてしまっては、信頼関係なんかあったものではない」と金融関係者はあきれる。
西京ライブドア銀は、船出の前から空中分解寸前だ。
・・・・・・・・
直後の3月4日には、業務提携の契約書とネット銀行の設立・運営合意書をライブドアと締結したのだ。・・・・西京銀の様子がどうもヘンなのだ。背景には、いったい何があるのか。複数の関係者は次のように指摘する。・・・・・
「ネット銀の設立構想を白紙に戻せば、投資ファンド代表を紹介してくれた大手リース会社の顔にドロを塗ることにもなる。西京銀としては、それはできなかったのではないか」というのが関係者の見立てだ。
最後に、西京銀の経営戦略室に堀江社長と交渉するようになった経緯について確認したが、当事者なのに「存じ上げておりません」とニベもなかった。

<文責:藤森弘司>

映画TOPへ