2005年10月31日第39回「今月の映画」「シンデレラマン②」
投稿日 : 2018年3月12日
最終更新日時 : 2018年3月12日
投稿者 : k.fujimori
2005年10月31日 第39回「今月の映画」
パート②
監督:ロン・ハワード 主演:ラッセル・クロウ(10年間この役を望んでいた!) レネー・ゼルウイガー
<アメリカの大恐慌とは・・・・・プログラムより>
○20世紀初頭、アメリカは異常な熱気に満ちていた。自動車、ラジオ放送、高速道路、高層建築など、新時代のテクノロジーが普及し、一般市民の生活が大きく変わっていった。それまで大金持ちが運転手つきで乗るものと相場が決まっていた自動車が一般市民の間に普及し、アメリカ社会は大転換期を迎える。1908年世界初の大量生産による車、T型フォードが登場し、1927年に中止されるまで1,500万台も生産される大ベストセラーになったのだ。T型フォードは映画の中でも登場しているので注意して見てみよう。
1920年代になると、アメリカ文化はますます円熟度を増す。都市部ではジャズが大流行し、女性たちは煙草を吸い始め、禁酒法が施行され、密造酒ビジネスに手を染めたギャングたちが闊歩した。ジム・ブラドックがデビューしたのはこの時代の真っ只中、1926年の事だ。
ラジオ放送が始まったのもこの時代だ。エンタテインメントといえば映画くらいしかなかった時代、ラジオはあっという間に全米に広がった。
1920年ピッツバーグで最初の商業放送が始まってから2年後には全米全土に500の放送局が出来ていた。当時のラジオは庶民の月収4~5倍はする代物で、普通の人にとっては高嶺の花だったが、それでも10年間で1,000万台以上が販売された。
娯楽の少ない時代にラジオは大変な人気で、ラジオのある家庭には近所の人々がおしかけ、最新のジャズナンバーやラジオドラマを聞いた。映画の中でも、人々が教会に集まってジムの試合の中継を聞くシーンがあるが、大きい実況中継があるときはこういう光景はよく見られたらしい。ちなみに、オーソン・ウェルズが製作したラジオドラマ「宇宙戦争」を聞いた人々が、本当に宇宙人が来襲したと勘違いし全米がパニックに陥った事件がおきたのは1938年の事である。
それまでは金持ちの家のリビングルームにしかなかったラジオが1920年代後半には一般家庭にも入り込むようになり、地方の農民の家でも自動車が荷車にとって代わるようになった。1906年にアメリカ全土で10万台しかなかった自動車は、20年には300万台以上に膨れ上がった。自動車、高層ビル、高速道路、ラジオ、ジャズ、現代アメリカの基本的な形がこの時代に出来上がったのだ。まさにアメリカの黄金期、国全土が好景気に浮かれていた。ローリング・トゥエンティと呼ばれたこの時代に人々が熱狂したものがもうひとつあった。株である。それまでは資本家と呼ばれる大金持ちが取引するものだった株式は、庶民にも手が届くような小額に分割され、普通の労働者が株を買うようになった。
株式の大ブームが起こり、とどまる事を知らないアメリカ経済の成長とともに株価は際限なく上昇した。1920年に75ドルだった米国の平均株価は1929年には375ドルを記録している。なんと5倍の値上がりだ。自動車メーカーのゼネラル・モーターズは、1921年に9ドルだった株価が1928年には229ドル、実に25倍に跳ね上がっている。こんなに儲かるものをやらないのは損とばかり、普通の人々がこぞって株を買い始める。
ニューヨークのタクシー運転手と客の会話はもっぱら株式の新情報の話題ばかりになり、ウォールストリートはワシントンを差し置いて米国の中心となった。アメリカ経済の熱狂は、80年代日本のバブル経済なんてものではなかったのだ。そして、その結末もはるかに悲惨だった。
○1929年10月24日、右肩上がりに上昇していた株式市場は、突然暴落する。世に言うブラック・サーズデーである。株は儲かるものと信じていた人々は驚き、大慌てで持っていた株を手放し始めた。これが引き金になって米国経済はその後数年続く大恐慌に突入する。
大勢の人が現金を引き出そうと銀行に押しかけ取り付け騒ぎが起こる。国中がパニックに陥り、多くの工場が作業員を解雇した。職を失ったのは労働者だけではない。仕立てのいいスーツを着たウォールストリートの株式仲買人たちも、大企業のホワイトカラーたちも失業し、職業安定所の列に並んだ。それまで続いていた豊かな時代は一夜にして崩壊してしまったのである。
人々は日銭を求めて日雇い労働者となり、工場や工場現場で働いた。ジム(この映画の主人公)がニューヨークの港で日雇い仕事にありつこうとするシーンがあったが、当時は全米のどこの都市も似たような光景が展開されていた。日本でも数年前にリストラの嵐が吹き荒れたが、当時の状況はそんな生易しいものではなかったのだ。
ジムとその家族が貧しいアパートで暮らすシーンは1933年となっているが、これは大恐慌がピークに達した年だった。当時の人々の生活がどれほど悲惨だったかを見てみよう。
1931年には700万人だった失業者は、1933年に1,400万人に跳ね上がる。チャップリンの名作『モダン・タイムス』(36)には、主人公の工場労働者チャーリーがこの時代を生き抜く様子がユーモラスに描かれているが、当時の人々にとってはあまり笑えるものではなかったに違いない。
職を失った人々はホームレスとなって街角にあふれ、その日の食べ物にも困る始末だった。主人公・ジムの妻メイが牛乳を水で薄めるシーンがあるが、これは大恐慌時代に本当にあった逸話。子供の多い家庭では、牛乳に半分以上水を入れて飲んだという。野良猫を捕まえて食べたという話も残っている。
人々は本当に飢えていた。救世軍などの慈善団体が街角で配布する無料のスープやパンにはいつも長い列ができ、人々は寒空の下凍えながら順番を待った。しかし、その数はあまりにも多く、スープはすぐにそこをつき、すきっ腹を抱えた人々は食べ物を求めて残飯を漁るようになる。
マンハッタンのアッパーイーストサイドにあったゴミの集積場にゴミを積んだトラックが入ってくると、待ち構えていた子供や主婦たちが食べ物を求めて中身を漁ったという。また、ニューヨークのセントラルパークにはかつて羊が放し飼いにされた牧場があり、草を食む羊が集まる市民や観光客の目を楽しませていたが、大恐慌時代になってからこれらの羊を食べようとする不届きものが続出、牧場は消滅してしまった。
もっと怖い話もある。自動車産業の斜陽化で一気に落ち込んだデトロイトでは、動物園を維持するだけのお金がなくなってしまった。それならいっそとばかりに、動物を殺してその肉を人々に配ったという記録が残っている。こんな状態だから、実際に飢え死にする人もたくさんいた。1930年代初頭は、ニューヨーク市だけで毎年100人以上が餓死している。全米では何人が死んだかわからない。もはや政府には正確な統計をとる予算がなかったのだ。
あまりの困窮を何とかすべく行われた政策が、映画にも出てくる”エマージェンシーリリーフ”だ。失業者に無条件でお金を貸すという大胆な施策で、要するに政府がお金をばら撒いたのである。映画の中でジムが窓口でお金をもらうところがエマージェンシーリリーフ・オフィス(連邦緊急救済局)だ。借りたお金は実質的に返済の義務はなく、多くの失業者が政府による施しを受けるために行列を作った。現代の常識では考えられない事だが、それほど救いようのない世の中だったのだ。
アパートの家賃を払えず追い出され、ホームレスになる人々も沢山いた。彼らは空き地を見つけては勝手にテントやバラックを立てて住み着いた。こういう場所はフーヴァーズ・ヴィル(Hoover’s Ville)と呼ばれた。映画の中でジムの友人が暴動に巻き込まれ、血まみれになって倒れていた場所だ。
ちなみにフーヴァーとは、不況になっても何の手も打てない無能な政治家として人々の憎しみを一身に受けていた当時の大統領、ハーバート・フーヴァーの事。フーヴァーズ・ヴィルという名前は、フーヴァー大統領のせいで出来た町、という軽蔑的な意味で付けられた。
当時、フーヴァーズ・ヴィルは全米に何千箇所とあったが、もっとも有名なのはセントラルパークのものだ。テントや木で作った有り合わせの家が雑然と立ち並んでいて、暴動も日常茶飯事だった。今では観光客で溢れかえるメジャーな観光スポットであるセントラルパークにも、こんなにひどい時代があったのだ。家を無くした人々の中には車に家財道具を積んで、仕事を求めて旅に出る人もいた。この辺の様子はスタインベックの傑作小説を映画化したヘンリー・フォンダ主演の『怒りの葡萄』(40)に描かれている。大恐慌時代に本当に追い詰められていたのはフーヴァーズ・ヴィルの住人たちで、貧しいながらもアパートに住めたジムの家族はまだ幸せな方だったのである。
当時の生活を物語る面白いトリビアをひとつ。大恐慌時代、ガラスや壁が壊れてもそれを取り替える余裕が人々にはなかった。そこで爆発的に売れたのが、ミネソタのある会社が売り出した片側にのりを付けた透明のテープ、セロテープである。ひびの入ったガラスや、壊れた壁を補修するにはもってこいのセロテープは大ヒット商品になった。他にも景気の良い業界はあった。
ストレスの多い時代に生きる人が酒やタバコに走るのは世の常。食べ物の売り上げが下がり続けていたこの時代に、タバコの売り上げは大きく伸びていた。また、1933年に禁酒法が廃止されるとウイスキーやビールの売り上げが以前にも増して急増したという。
○この時代の貧しさをイタリア系移民の立場から描いたのが、コッポラの名作『ゴッドファーザー PART II』(74)だ。ロバート・デ・ニーロ演じる若き日のコルレオーネは、貧しさゆえにギャングの道を選んだが、当時そんな若者は沢山いた。ちなみにジム・ブラドックはアイルランド系の移民。イタリア系移民とアイルランド系移民は、後から来た移民としてアメリカ社会から差別される存在で、どちらも非常に貧しかった。
しかし両者はあまり仲が良かった訳ではないらしい。住んでいる地域もそれぞれ違ったし、日雇いの仕事を取り合うライバルでもあったからだ。こういう移民同士のライバル意識はボクシングの世界にも持ち込まれ、それぞれが自分のコミュニティーの出身者を応援していた。ジムがチャンピオンシップをかけて戦ったマックス・ベアはユダヤ系だ。ユダヤ教のダビデの星がついたトランクスがトレードマークで、1933年にはヒトラーもファンだったというドイツ人ボクサー、マックス・シュメリングを打ちのめし、ニューヨークのユダヤ人のヒーローになった。ボクシングは人々の不満を解消する最高の手段だったのだ。
さて、ジムの活躍した時代がいかに凄まじかったかお分かり頂けただろうか。覚えておいてほしいのは、この時代はただ悲惨だったというのではなく、人々は貧しい中にも希望を見出して雄々しく生きていたということだ。多くのスポーツヒーローたちが現れ、その活躍に人々は飢えを忘れた。スイングジャズが大流行し、ハリウッド映画もこの時期黄金期を迎えている。困難に屈せずポジティブに戦う、というアメリカの精神がもっとも強く発揮された時代だったのだ。ジム・ブラドックが活躍したのは、そんな時代の真っ只中だった。どんな事があっても決してあきらめず、家族を守るために戦ったジム・ブラドックの生き様は、まさにアメリカ人の理想とするヒーローそのものだ。
[評論家の竹村健一氏はテレビでよく「賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ」と言っています。] |
<文責:藤森弘司>
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