2005年1月31日 第30回「今月の映画」
北の零年

監督:行定勲   主演:吉永小百合   渡辺謙   豊川悦司   柳葉敏郎   香川照之   石原さとみ

○(プログラムより)260年に渡る江戸時代が終焉し、日本が大きく変わった明治維新。徳島藩からの分離独立を主張した淡路の稲田家は、徳島藩の藩士達によって一方的な襲撃を受けた。明治3年(1870年)の庚午(こうご)事変(俗にいう稲田騒動)である。
明治政府は両者の引き離しを画策し、稲田家主従546名に北海道移住を命じる。北海道・静内での開拓は、帰る土地を失った稲田家の人々にとって後戻りのできない背水の陣であった。明治4年、稲田家の移住団は半月に及ぶ船旅の末、北海道・静内へと上陸した。○そこでは稲田家・家老や小松原英明(吉永小百合の夫)を中心とする先遣隊が、すでに荒地の開墾に取りかかっていた。
未開の地に自分達の国を作ろうと、理想と希望に燃える英明。後からやって来た妻・志乃(吉永小百合)と娘の多恵も、英明の前向きな姿勢に信頼と共感を抱いていた。○しかし、北の大地は彼らに数々の困難をもたらす。農民指導者の努力にもかかわらず、北の大地にあった稲はなかなか育たず、第二次移住団が乗った船が難破して83名が死亡。
さらに廃藩置県によって、彼らの開墾する土地は明治政府の管轄となる。○失望と絶望の中で英明や家臣たちは、自らのマゲを切ってこの地に踏み留まる決意をした。

●(私見)しかし彼らはこの後、数々の困難な体験を経ます。まるでどんでん返しのような凄い体験の連続です。一つはイナゴの襲来であり、大激動の時代の大転換・廃藩置県などなど。
これでもかこれでもかと押し寄せる困難に立ち向かいながら生き延びるエネルギーは一体何だろうと思いました。
ここは非常に重要な部分です。
困難な状況に立ち向かう勇気やエネルギーを引き出せる存在、人々のやる気や生きる勇気を湧き起こさせる存在、これこそがリーダーに求められる資質です。

●物事には、マクロとミクロの見方があります。
幕末の大動乱、その後の、例えば廃藩置県による武士階級の崩壊など。歴史的に見れば、皆必要なこと、必然性があることであろうと思われます。
しかし、歴史の大転換の影で、猛烈に割を食う、といいましょうか「犠牲」になっている人が沢山いることが、この映画で判ります。

●もの凄い苦労をして不毛の地、北海道・静内を開墾したが、廃藩置県でせっかくの開墾地は明治新政府の管轄となってしまいます。
また、やっとのことでささやかな平和が得られた彼らに、新政府は苦労して育てた農耕馬の供出を命じたり、新政府による新制度で、上下関係の立場が逆転したり、激動の時代というのはこういう矛盾をいっぱい含みながら転換していくのであろうと思いました。

●それはまさに今の時代、銀行を始めてとして、種々様々な分野で業態の大変換が行なわれていますが、そのドサクサにまぎれて、いろいろな矛盾が内包されていることでしょう。
例えば、会社の利益に最も貢献した人たちが、まだ全く利益に貢献していない若い社員たちに置き換えられて、リストラという名の首切りが行なわれています。

●不利な条件で仕事を請け負って親会社を支えてきた下請け、孫受け会社がまっ先に取引を停止されたり、合併したが、数年後には、吸収された会社の社員が一人も残っていない悲劇(住友銀行と平和相互銀行の合併)など。

●小泉改革の大まかな必要性は、多分、多くの人が理解しているものと思われます。しかし、どれだけ不平等を無くそうとしているか(公務員を減らすこと・天下りや特殊法人の問題など)、また、どれだけ弱者を意識しているかといえば、多分、お寒い状況といわざるをえないのではないでしょうか。
マクロ的には、時代の止むを得ない流れとはいえ、ミクロ的には、常に犠牲になるのは弱者です。

イラクの選挙が実施されました。瓦礫のイラク市、様々な矛盾を内包した選挙、これらも皆すべて、数年、数十年が経過した後には、結果オーライになるのかも知れません。それが歴史なのでしょう。でも何か変ですし、悲惨です。
さて、この映画は、今の時代を投影していると思われます。時代が大きく動くとき、庶民や弱者はどうなるかというものを見事に教えてくれます。とにかく一人でも多くの方にご覧になっていただきたい映画です。

吉永小百合さんや他の出演者たちが皆、とてもいいですし、最後の場面がこれまたすごくいいんです!最後の場面だけでも是非、ご覧になってください。
また、ワイドショーなどには出ない吉永小百合さんの社会的な発言や存在感には重みがあり、今の日本には貴重かつ珍しい方だと思いますがいかがでしょうか。

<文責:藤森弘司>

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