2004年7月 第24回「今月の映画」

デイ・アフタートウモロー

監督:ローランド・エメリッヒ   主演:デニス・クエイド   ジェイク・ギレンホール


 

○この映画は地球の現状に対する懸念を基に、予想されるシナリオを提出したもの。専門家の中には、二酸化炭素の排出を続けることを「史上最大の制御不能の科学実験」という人もいるくらいだ。

○アメリカ海洋大気管理局の研究員、ジャック・ホールは南極北部の巨大な棚氷が崩壊するのを目撃する。
ジャックは採取したサンプルから、急激な地球の温暖化が氷河期を招くと推論し、その説を地球温暖化会議で発表。早急に手を打つよう警告を発したが、アメリカのベッカー副大統領に、経済的な観点から批判される。

○事態は、ジャックが予想するよりも遥かに上回る速度で進展。世界中に猛烈な異常気象が発生。
ニューヨークでは、猛烈な津波に襲われマンハッタンは水没し、その後、摂氏マイナス96度の寒気をはらんだ超ど級のハリケーンが迫り、氷河期になる。

●私がこの映画をここで紹介する気持ちになったのは、メキシコに緊急避難したアメリカ大統領の次の一言からです。「我々はこの2週間で、自分たちのゴウマンに気づいた」と。

●この一言は、非常に示唆に富んでいます。
二酸化炭素による地球温暖化の問題を軽視して、経済の発展を優先させましたが、そのプラス面を破壊しつくしてしまうデメリットに配慮できませんでした。
このとてつもなく大きな問題から、私たち一個の人間に立ち返って考えてみましょう。このことが自己成長にどんな意味を発見することができるでしょうか。

●実はこれとまったく同じことが、私たち自身にも起きています。
私たちは大病を患って初めて、人生の生き方の歪みに気づきますが、本当は、それ以前から、自分の生き方に無理やおかしさがあることを、ウスウス気づいているものです。
しかしこの映画と同じで、大被害(大病)に遭遇するまでなかなかそのことを直視しません。

●なにかとてつもないことが起きないと反省するのが難しいのは、この映画だけの話ではありません。結局、私たち一個の人間に起きていることと、外界(それがたとえ地球規模であっても)で起きていることとは同じことで、これを仏教では「一即一切(いちそくいっさい)」と言います。
私自身が30才で(身体的、精神的、経済的、人間関係的に)完全に行き詰まり、それから「自己成長」の道を歩み始めたのですが、私たちは、少々の苦しみでは自己反省するのが難しく、行くところまで行って初めて、大いなる自己反省ができるもののようです。
一人一人の方々をジックリ拝見していますと、手遅れにならないことを祈るような気持ちになることが多いです。しかし、仮にアドバイスをしたとしても、そのことに本人が悩み苦しみ尽くしていないと、アドバイスは心に響かないもの(ゴウマン)で、それが誠に残念でなりません。

●新聞やテレビをみても、この行き着く所まで行ってしまって手遅れになった人たちの事件が、毎日掲載されています。もう一歩手前で気づければいいのですが。
病気であれば、生き死にに関わるような大病でなく、小さな病気の段階で、例えばウツならば、軽いウツ状態の段階で対処されること・・・竹の子の頭が地面からチョッと出ているのを発見するように、より小さな症状から、何かの警告としてより深い課題に気づければ良いのですが。
東洋医学では「未病を治す」という言葉があります。病気という明確な形になる前の段階で治療するという意味ですが、自分の体の小さな異変(例えば胸焼けとか体の一部の痛み、疲労・ストレス感、食欲不振、血圧が高くなったり、頭痛など)を、何かのサイン(氷山の一角)として大切に扱っていただきたいものです。

●それには何が大事かと言いますと、自分自身を「大切な存在」だと認識することです。私も、最近までそうでしたので、余り偉そうには言えませんが、私たちは余りにも、自分自身を「粗末」に扱い過ぎていると思います。
お互いにかけがえの無い存在です。せめてもう少し、自分を大切にしませんか。そうしますと、他者に対しても、以前よりもっと「質の良い愛」を出せるようになります。
「地球」も「一個の人間」もかけがえの無い存在です。破壊される前にもう少し大切にしたいものです。

<文責:藤森弘司>

映画TOPへ