2004年6月 第23回「今月の映画」

純愛中毒

監督:パク・ヨンフン    主演:イ・ビョンホン    イ・ミヨン    イ・オル    パク・ソニョン


 

●(私見)この映画を取り上げた理由は、「信念」について述べたかったからです。
今流行のこの韓国映画は、イ・ビョンホン(弟のテジン)とイ・オル(兄のホジン)が演じる仲の良い兄弟が、同じ女性を愛してしまうことがテーマになっています。●弟のテジンは、たまたま出会った一人の女性に強く魅かれたが、その女性が兄と結婚することになり強い衝撃を受ける。
両親を早くに亡くした兄弟は、仲良く2人で生活していたが、兄が結婚したので、同じ屋根の下で、三人が一緒に暮らすことになる。兄は家具彫刻家、弟はカーレーサー。●ある日、弟のレースを観戦するためにタクシーで急いでいた兄は、交通事故に出遭い、同時にレース中の弟も大事故に巻き込まれてしまう。
2人は昏睡状態のままで1年が経過するが、奇跡的に弟だけが意識を取り戻す。●ここからが本題で、弟であるテジンは、(兄である)ホジンだと言い始め、言うこと、なすこと全てが兄そっくり。兄の職業である家具の彫刻もやり始める。兄の奥さんに対しても、自分は夫だと言う。すべての面で完全に兄になりきっている。

●何故このようなことが起こるのでしょうか。
弟のテジンは何故、兄になりきることができたのでしょうか。
それは、①兄の奥さんに対する強い「思い・憧れ」があることと、②兄は不器用な性格であったために、妻であり、恋人であった女性への手紙などを弟が手伝っていたことから、兄の立場に対する強烈な思い入れがあったためです。
この映画の内容は、あくまで映画だからではありますが、しかし、非常に重要なことが示唆されています。

●ここからが、今回、私(藤森)がテーマにしたいことです。
「このような思い入れだけで、そこまでできるわけがない!」と、多分、多くの方が思われることと推測します。
しかし実は、できるんです。

●そのことを本当は詳しく述べたいのですが、深層心理の問題になりますので、多少、心理学をやった方でないと理解しにくいかもしれませんし、膨大な量になりますので、その辺りをどのように説明したらよいだろうかと思案中です。

●さて話は変わりますが、私たちは何故、親にそっくりなのでしょうか。親の顔かたち、立ち居振る舞い、クセ、職業的なこと、配偶者の選択、声の質、病気の種類までも含めて、ありとあらゆる面で、私たちは父や母とそっくりです。
まさにこの映画とほとんど同様です。何故でしょうか?
DNAだけで説明し切れるでしょうか?

●私たちは、乳幼児時代の「生育暦」の中で、無意識的に両親からいろいろなことが条件付けされていて、その結果、この映画と同様のことが行なわれています。
それを「交流分析」では、「脚本」(第1回の「今月の言葉」ご参照)と表現しています。

●実は私たちは、親子関係の「生育暦」の中で刷り込まれた「脚本(お芝居の台本)」に沿うという形で、無意識的にこの映画のような生き方をしています。
私たちは「個性」とか「個性的に」などと言いますが、その多くは親から刷り込まれた「脚本(台本)」の中での「個性」であって、この「脚本」から脱出することが、本来の「個性」です。

●さて、この映画のように、自分の「熱い思い(~になりたい、~ができるようになりたい)」を意識的に達成させる方法があります。それが「信念」です。「信念」の強さが、私たちの「思い」を実現させてくれます。
多くの場合、私たちの「思い」が達成できないのは、①「思い」の「質や量」が、達成に必要とする「質や量」に対して不足しているからです。

●「質量」が絶対的に「不足」しているということの他に、「思い」が達成しないもう一つの重要な側面があります。
②実は、「脚本」として刷り込まれている「無意識的条件」と、「意識的な思い」とがミスマッチしていることから、達成できない場合が多いのです。
またこのことのために、達成に必要な量、いわゆる「努力」とか「根性」とか「ガンバリ」が不足しているということもあるのです。

●私(藤森)の例で申し上げると、私の父は、何度も何度も「商売」を失敗しました(ここではひとまず、失敗と言う言葉で表現しておきます)。
その結果、私の無意識の中には「失敗の仕方」が刷り込まれました。ですから若いころは何をやってもうまくいきません。
しかし、その中から這い上がって見ますと、「失敗」したと思われたことの全ては、今、驚くほど貴重な「経験・体験」として生きているから不思議です。

●「失敗」せずにうまくやりたいというのは、意識的には強くありましたが、そのパワーよりも比較にならないほどの強さで、「無意識(脚本)」に刷り込まれたものは、失敗の仕方でした。今思うと、残念ながら「失敗」するようなやり方、生き方をしていました。
私がいくら「成功」したいと思っても、その「思い」よりもはるかに「強烈な思い」は、失敗をすることでした。

●そこで、「成功」したり、「思い」を達成させるためには、自分の無意識の中にあるもの、つまり「脚本」を知ることが第一です。
次に、いずれにしても「思い」を達成させるに足るだけの「信念」を強く持つことです。この「信念」については、いずれまた機会を見て、述べてみようと思っています。

●さて、私の話に戻してみます。
人生のいろいろなことに失敗を繰り返して、強烈な体験をしている「さらにその奥」には、失敗という体験を通して得られる「高度な精神的財産」を獲得すること、失敗を繰り返しながらも、より本質的なもの、より深いものを追い求めるという強い感情がありました。
それが私の「根本的な信念」であったように思えます。私が得ようとしたものは、成功体験からでは絶対に得られないものであると言っても過言ではありません。
私の人生で最も「欲しくて欲しくて仕方のなかったもの」が、人生の半ばになって得る(成功する)ことができました(まだ十分とはいえませんが)。
失敗に失敗を重ねたその果てに、私が求めていたものがありました。そのために「失敗」をしていたかのように!
私の欲目で見ると、父は、失敗の先にある「果実」に達することができなかっただけで、そのプロセスにあったように思えます。あるいは、親子二代の力で達成できたのかも分かりません。
(今回は、何となく、言いたいことがうまく表現できていない思いがあります。不完全燃焼的です。理解しにくい部分はお許しください)。

<文責:藤森弘司>

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