2004年2月 第19回「今月の映画」
(はんおち)
監督:佐々部清 主演:寺尾聰 原田美枝子 柴田恭平 鶴田真由 伊原剛志
○(プログラムより)私は、最愛の妻を殺しました。 「祈り」と「癒し」のラストシーンで明かされる、梶が頑なに守り通した「命の真実」とは!?○愛する妻に手をかけた、元捜査一課の敏腕警部。彼が自首するまでの「空白の2日間」の謎を追う・・・! 「半落ち」という耳慣れない警察用語。この作品は、警察というフィールドで展開されるまぎれもないヒューマン・ドラマである。 親子、夫婦の情愛。職場不倫、出世競争。そして誰にもいつか巡りくる「老い」の受け入れ・・・・・。○年齢を重ねるにつれ、人はさまざまな理不尽を呑み込んで生きていかねばならないのだとしたら。その現実に対峙し、何を、どう選ぶのか?状況に流されず、自らの生き方を選び取っていくのは容易ではない。 アルツハイマーの病状が進む妻に懇願され、嘱託殺人という重罪を犯した主人公・梶原聡一郎。その心の襞を探っていく物語は、いつしか彼を取り巻く人々の心のうちまでも照らし出していく。○アルツハイマー病に冒され、13歳で逝った息子を忘れてしまうほどに記憶も思い出も失い、壊れていく妻・啓子。「せめて息子のことを覚えているうちに、母親のままに死にたい」と泣きじゃくる妻を扼殺した梶。・・・・・ ○事件前まで警察学校で教鞭をとっていた被疑者・梶の取調べに当たる捜査一課刑事・志木は言う。「・・・・あなたを尊敬している若い巡査がいます。彼が言うには、あなたは列車事故の現場に出る教え子に『自分の親兄弟と思って遺体を取り扱うように』と訓示したそうですね」。 ○それほど篤実な、思いやり深い人間が、なぜ!?だからこそ、この優しい夫と病苦を抱える妻の「絆」の先に何が起こっていたのかを・・・・確かめたいと思うのだった。 ○人は何を支えに、何を励みに、生きるのか。人が人として、輝いて生きるための「よすが」とは・・・・。 ●<私見>今年の1月に、「認知療法を活用して」という「体験学習講座」を行いましたが、この「認知療法」そのものの映画です(「認知療法」とは、事実を前にして、それをどのように受け止めるか、どのように感じるか・・・その感じ方に多くの場合、歪み(認知の歪み)があり、その歪みに気づく方法をいいます)。 ●この事実を前にして、それをどのように解釈するか、ここに人間性といいますか、個性の違いが出ます。 ●そして私たちは、自分の下した結論を「正しい」ものと思い込む傾向にあります。ある事実を実際に見たり聞いたりして、このように感じたのだから、この感じ・この判断は正しいものだという思い込みがあります。この思い込みが恐ろしいのです。 ●例えば、ロックが好きな人は、音楽を聴けば体が自然に動くでしょうが、嫌いな人にはただうるさいだけです。 ●一つの実例を申し上げましょう。 ●1年前、この奥様のご主人が会社で倒れ、数日後に亡くなりました。それから1ヶ月くらいしたある日、その奥様が、私の妻に「あなたはこういう辛い体験を何度もしたんだね」「体を大事にしてね」と労わってくださったそうです。 ●同居していた人間を失うことの寂しさ・ぽっかりと穴が空いたような空虚感は、体験した人でないと分からないもので、たとえ親であっても、別居している人の場合とは大きな違いがあります。 ●もう一つの実例、私の恥ずかしい実例を申し上げます。 ●兄は私と比べて、割を食っていると腹を立てていた私の世話を受けるようになったので、余計、私に反発するところがあったのだと思います。その気持ちはよく理解できました。 ●聞くところによりますと、兄弟葛藤が一番難しいようです。心の葛藤の本当の強さ、深さはなんと言っても母親であり父親ですが、両親にはお世話になったことも沢山ありますが、兄弟はそういう部分が少ないので、葛藤の処理がとても難しいものです。 ●兄の目の悪さがさらに進行して、ほとんど失明状態になり、また、身体麻痺も一層進み、授産施設では無理ということになり、重度障害施設に移りました。 ●そんなときでした。ハッとしました。 ●今まででしたら、兄が癇癪を起こした瞬間から、私の「理性」が吹っ飛んでしまい、「バカの壁」を厚くしていましたが、兄の辛さが飛び込んできてからは、兄が癇癪を起こせば起こすほど、その辛さ、苦しさをなんとか理解して兄を楽にして上げたいという気持ちになり、癇癪を起こす兄の言葉に全神経を注いで聞くことができるようになりました。 ●ある日、私のこの体験を、大学2年の息子に話をすると、「俺は中学のときから、おじさんにはそのように対応していた」と言われました。そう言えば、私の姉も娘(私の姪)から、兄に対する対応の仕方に対して、しばしば注意をされていたとのことです・・・・・負うた子に教えられて浅瀬を渡る! ●人には皆、外からは分からないいろいろな事情があり、いろいろな背景・バックグラウンドがあるものです。自分の立場や経験からだけで安易に他人を判断できるものではなく、人それぞれの悩みや苦しみや辛いものを抱えながら生きているのが人間ではないでしょうか。そういうものを十分ではないまでも、少しでも理解しようとすることが「愛」かもしれません。 |
(文責:藤森弘司)
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