2004年12月31日 第29回「今月の映画」
いま、会いにゆきます

監督:土井裕泰   主演:竹内結子   中村獅童   武井証

●(プログラムより)「僕と一緒に生きてよかったって、思ってもらいたかった。
だから、もし戻ってきたら、そういう思いをさせてやりたいなって思うんです」
澪がいなくなってから一年だ。一周忌ということになるらしい。
佑司は僕に訊く。「ねえ、死んだひとはみんな、どこにいるの?」
アーカイブ星にいるよ。ママが描いた絵本にそう書いてあったじゃないか。
「ママもアーカイブ星にいるの?じゃあ、雨の季節になったら、ママは帰ってくるんだね!」●ママの絵本には、死んでも雨の季節になったら帰ってくる、と書いてある。だから、ぼくは、逆さまのてるてる坊主をつくった。家にも下げたし、学校にも下げた。怒られるかな?と思ったけど、、晶子先生は「カワイイじゃん」と言ってくれた。そうだよ。だから雨が降ったんだ。雨の季節になったんだ。
ママは約束を守ってくれた。雨が降ったら、帰ってきたんだ!
でも、ぼくのことも、たっくんのことも、おぼえていなかったけど。
ぼくは、ずーっとずーっとママと一緒にいたかったから、三人でこうしていたかったから、
いっぱいいっぱいいっぱい逆さまのてるてる坊主をつくった。

だって、雨の季節が終わったら、ママはアーカイブ星に帰ってしまうんだもん。
ママの絵本にそう書いてあるんだもん。
ぼくは知っている。どんなお話にも終わりがあることを。

●ああ、もうだめだ。晴れてきちゃった!
ぼくは授業中なのに立ち上がった。晶子先生はびっくりしてぼくを見ている。
「先生、ぼく、どうしても帰らないといけないんだ」
晶子先生がぼくの顔をじっと見た。
「わかった。行きなさい」
ぼくは走った。いっしょうけんめいいっしょうけんめい走った。
ママはまだいた。ぼくは抱きついて聞いた。
「ママ、ごめんなさい。ぼくのせいでママは死んじゃったんでしょう?」
「そんなことない。わかる?佑司は、幸せを運んできたのよ。ママを幸せにしてくれたの」
でも、その日、ママはまた消えてしまった。

○(私見)幼児の母を想う気持ちの切なさが、胸の奥底にヒシヒシと伝わる映画です。
映画そのものは幻想的なものですが、幻想的であるが故に、若い妻に先立たれた夫の後悔の念や、幼い子供の切ない気持ちが、よりリアルに表現されていて、私たち人間の心の奥底に眠っている「切なくて・悲しくて・寂ししい感情」を拾い出しています。

○私(藤森)自身、結婚したばかりの若い頃を思い出すと、穴があったら入りたい気持ちになります。若気の至りとは言え、もし、妻に離婚されていたら、一生の悔いになったことでしょう。
首の皮一枚残ったお陰で、「僕と一緒に生きてよかったって、思ってもらいたかった。だから、もし戻ってきたら、そういう思いをさせてやりたいなって思うんです」
と言う、主人公の体験をせずに済みました。

○私自身の恥ずかしい人生を振り返ってみれば、若い人たちの生き様を偉そうにとやかくいう資格は、私には全くありません。
でも判るようになった人間から見ると、心を痛める人間模様が非常に多いのには辛いものがあります。私の若いころと重ねながら、この映画を観ました。私を含めて、自己反省をしたい人、必見の映画です。

○「自己成長」とは、自己の内面に潜む「自己の感情」、「自己の本音」に気づくことです。無意識界に抑圧した自己の感情・本音を、意識している自分(自我)に統合することです。
そこにあるのは、良いも悪いもない「無分別
(1月15日、第30回「今月の言葉」ご参照)」の世界、「謙虚」な世界です。

○以前、新聞に載っていましたが、社会党のある国会議員が、奥様が寝たきりになったので、国会議員を辞めて奥様の看病に専念されたとのことでした。この映画の主人公のような心境になったからではないかと私は推測しています。
「親孝行したいときには親はなし」

最近、日本の映画がとてもすばらしい!

<文責:藤森弘司>

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