2004年11月30日 第28回「今月の映画」
草の乱

監督:神山征二郎   主演:緒形直人   藤谷美紀   杉本哲太

○(プログラムより)1884年(明治17年)11月1日、秩父郡吉田村椋神社に刀、槍、猟銃で武装した人々3千余が集まった。“天朝さまに敵対するから加勢しろ”ー明治政府に対する真っ向からの挑戦であった。
困民党を名乗る人々によるこの蜂起は9日後に軍隊と警察により壊滅させられた。
“自由自治元年”の幟(のぼり)にこめられた願いはかなわず明治政府は12名の死刑、3千余名の科刑、科罰を持ってこれに報いた。
世に言う“秩父事件”
である。
○当時、明治政府は中央集権、軍備増強を急ぎ、デフレ、増税策を推進した。世界的な不況による生糸価格の暴落と相まって養蚕農民たちは困窮していた。
そこに付け込み極端な高利をむさぼる高利貸しによって多くの農民が身代限り(現代で言う破産)となり田畑を取り上げられた。
農民たちは各地で闘いを起こした。中でもこの秩父の闘いは自由民権運動と結び合い、政府打倒を視野に入れた点において江戸時代に繰り広げられた一揆と明らかに一線を画していた。
「圧制を変じて良政に改め、自由の世界として人民を安楽ならしむべし」(田中千弥「秩父暴動雑録」より)。○彼らは、家族たちのために、苛政に痛みつけられる仲間たちのために、巨大な権力に対し自らの命をかけて立ち上がった。
あまりにも悲惨な敗北にもかかわらず、秩父事件は今も光を放つ。勝ち負けを超えて人は闘わねばならなぬ時がある。家族のために、仲間たちのために、そして自分たちの未来のために。○監督は、前作「郡上一揆」で江戸時代の農民の一揆を通してその誇り高い気概を謳いあげた神山征二郎。
映画「草の乱」は、70年代初期、神山監督が秩父事件に出会って以来、いつかはと暖めてきた企画である。そしてついに映画化実現の時を迎え、長年の監督人生をこの一作にかける。
独立プロとしては破格の4億5千万円という制作費は秩父を中核とし埼玉県、関東、日本中に広がる数百万円から数千円にいたる市民出資がほとんどをまかなった。
“許せない、我慢ならないという今の世の中に対する人々の怒りと苛立ちの反映”と指摘されるこの現象こそすでに“現代の草の乱”とも言われている。

○もう一方の主人公(?)は、およそ8千人に及ぶというエキストラの存在である。交通費は自分もち、出るのはお弁当だけという苛酷な条件にも関わらず、北は秋田から南は大牟田まで、数十人から千名におよぶ群集シーンの撮影に市民たちはボランティアで応じた。
「エキストラの迫力に圧倒された」という出演者の声にあるとおり、彼らは困民軍になりきって川を渡り、大地を駆けていった。
CG全盛の中で生の人間の圧倒的迫力がここに再現された。また吉田町による井上伝蔵邸の復元、有志団体によるロケセット建設など、制作費を超える多くの支援にも支えられた。

●(私見)明治のこの当時、日本中で困窮した生活を送っていたと思います(「女工哀史」「蟹工船」など)。
また、この当時、同様の一揆や事件が多発していたと思われます。江戸時代も同様でしょう。
また戦国時代の凄まじい戦いに、日本中で、田畑を荒らされたり惨殺されての恨みや怖れが充満していたはずです。
そしてもっと以前の時代も、あるいは、大正、昭和の時代にしても同様でしょう。
ユングのいう「集合無意識」といいましょうか、人間の根底には「DNA」レベルでの「怒りや恨みや怖れ」の沈殿があると考えたほうが正解だと思います。
そしてまた、育ってくる過程でも、様々な「心地の悪い体験(トラウマ)」を経験しているものです。
だから私たちは、人間関係において、あるいは健康において、あるいは仕事において、思ったように充実した、心地良い人生を過ごせないのであると私は思っています。

●今年は、各地で熊が出没して、民家や人間を襲う事件が多発していますが、これは(いくら食料不足とはいえ)熊のDNAレベルで、人間の怖さを知らなくなっているからだと思います(捕らえた熊は、痛い目を合わせて、人間の怖さを体験させて野に放っているようです)。

●今年の夏、北海道の富良野に行ってきました。富良野から札幌に向かう途中、道路脇で休憩をしていると、赤トンボが飛んでいました。近くの草むらに止まったので、そっと近づくと逃げません。そっと指を近づけると、なんとその指に止まりました。何ヶ所かで実験しましたが、皆、指に止まります。
公園などの鳩も同様でしょうが、いつも驚かされたり痛い目に遭っていれば、人間を見れば、すぐに逃げ出すのに、指に止まるということは、DNAレベルで恐怖心が薄いからだと思われます。

●今の日本の平和で豊かで、疫病などの怖れの少ない時代は、人類の歴史上かつて無い、逆に言えば、人類の歴史は戦や困窮した生活、疫病などによる「怒りや恨みや死の怖れ」の連続で、これらがDNAレベルに刷り込まれている可能性があります。
そういう中で自己成長に取り組むということは、多くの専門家たちが言っているような安易なものでは決してありません。
こういう背景の中で、こういう背景を背負っている両親に育てていただき、その両親は、同様の背景を背負っているそのまた両親に育てていただいているということを十分理解した上で、自己成長というものを考えることこそが重要です。

<文責:藤森弘司>

映画TOPへ