2004年10月31日第27回「今月の映画」「隠し剣 鬼の爪」
投稿日 : 2018年3月12日
最終更新日時 : 2018年3月12日
投稿者 : k.fujimori
2004年10月31日 第27回「今月の映画」
原作:藤沢周平 監督:山田洋次 主演:永瀬正敏 松たか子 田中泯 緒方拳
○(16年10月25日日刊ゲンダイ、高松啓二氏より)アーティストは古い作品を壊して新しい作品を生み出す。職人は高いレベルを保ちながら同じ作品を作り続ける。
山田洋次監督は「男はつらい」シリーズで48作すべてを同じパターン、一定レベルで作り続けたという意味では、偉大な職人と言えるだろう。02年の「たそがれ清兵衛」は寅さんと違うアプローチで高い評価を得た。今回の「隠し剣 鬼の爪」は、題名から新たなテーストかと思いきや、舞台や人物設定、物語など「たそがれ~」にソックリだ。
ハリウッドでもハワード・ホークスがほぼ同じストーリーの作品「リオ・ブラボー」と「エルドラド」をとった例がある。永瀬正敏は青年と中年の狭間で迷いをみせる役を好演。松たか子が演じる薄幸の境遇でありながらいちずに生きるヒロインも美しい。
「たそがれ~」で宮沢りえが見せた“たたずまい自体に感動を呼ぶ演技”と比べるのは酷だが、役柄がダブるので損をしている。
それでも良作であるには違いない。陶芸なら同じ形をした色違いの壷のようだ。●(私見)2年前に「たそがれ清兵衛」を取り上げましたので、「隠し剣 鬼の爪」も取り上げてみました。上記の通り、パターンは同じと考えて良いかと思います。
さて、この映画を取り上げたので、武士道精神について少々触れるつもりでした。
しかし、月末に偶然、「武士道の逆襲」という本の紹介記事を読みました。早速購入して、この本を読み始めて驚きました。このホームページをアップロードする前で本当に良かったです。
●以下は「武士道の逆襲」菅野覚明著、講談社現代新書より転載します。
・・・・・今日「武士道」という用語は、肝心の日本人の間で、極めて曖昧かつ混乱した使い方をされている。何をもって武士道と呼ぶかという核心の部分がはっきりしないまま、言葉だけが語る者の気分次第で一人歩きしているのである。
「武士道」という言葉を聞いて、今日多くの人が思い浮かべるのは、新渡戸稲造の著書『武士道』(原題は“Bushido,the soul of Japan”)であろう。学問的な研究者を除く一般の人々・・・とりわけ「武士道精神」を好んで口にする評論家、政治家といった人たち・・・の持つ武士道イメージは、その大きな部分を新渡戸稲造の著書に依っているように思われる。そして実はそのことこそが、今日における武士道概念の混乱を招いている、最も大きな原因の一つなのである。
●新渡戸『武士道』が、武士道概念を混乱させているとは、どういうことか。それは一言でいえば、新渡戸の語る武士道精神なるものが、武士道の思想とは本質的に何の関係もないということなのである。
新渡戸武士道が、当事者としての武士を全く無視した、武士とは無関係な思想であるという批判は、『武士道』の日本版が刊行された直後に、すでに歴史学者津田左右吉によってなされている。新渡戸の論が、文献的にも歴史的にも武士の実態に根ざしていないというのは、専門に研究する人たちの間では当たり前のことなのである。だから、「武士道」という用語の歴史的変遷を研究する人の中には、「今どき、新渡戸『武士道』によって武士のイメージを形作るという日本人もそう多くはあるまいし」(佐伯真一『戦場の精神史』NHKブックス)と述べる者もいるくらいなのだ。
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●佐伯氏のいうように、新渡戸『武士道』によって武士イメージを作る人は多くはいないだろう。にもかかわらず、新渡戸にもとづいて武士道イメージを形づくる人は依然として多数を占めているのである。
問題は、まさにそこにある。
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●だが、現実の武士と関係ないとすると、新渡戸のいう武士道とは、そもそも何を根拠に生まれてきた思想なのだろうか。そして、それは一体誰が、何のために担うべき思想なのであろうか。
さきに答えを言ってしまおう。新渡戸武士道は、明治国家体制を根拠として生まれた、近代思想である。それは、大日本帝国臣民を近代文明の担い手たらしめるために作為された、国民道徳思想の一つである。
このことはしかし、ひとり新渡戸武士道だけの問題なのではない。
そもそも、武士道という言葉が一般に広く知られるようになったのは、明治中期以降のことである。とくに、日清・日露という対外戦争と相前後して、軍人や言論界の中から、盛んに「武士道」の復興を叫ぶ議論が登場してくる。今日の武士道イメージの骨格を形づくっているのは、おおむねこの時期に数多く著された武士道論であり、新渡戸『武士道』もその中の一つである。
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●本書では、新渡戸武士道を含めて、明治期に盛んに鼓吹された武士道を、近代以前の武士の思想と区別して、「明治武士道」の名で呼ぶことにする。耳馴れない言葉かもしれないが、全くの新造語ではない。念頭に置いているのは、明治期に一部で用いられた「明治式武士道」という言葉である。
はっきりいえば、今日流布している武士道論の大半は、明治武士道の断片や焼き直しである。それらは、武士の武士らしさを追究した本来の武士道とは異なり、国家や国民性(明治武士道では、しばしば「武士道」と「大和魂」が同一視される)を問うところの、近代思想の一つなのである。
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●・・・・その点からすれば、「武士道」は、明治人が「武士」の名を借りて作った新しい日本精神主義のことであって、近代以前の武士たち自身の思想とは関係がない、という言い方も一応は成り立つであろう。・・・・・本書もまた、津田にならって、乱世の「武士の気象と行動」を貫く「中心的思想」を、本来の武士道の名で呼ぶことにする。武士が最も武士らしかったあり方にこそ、武士道の名はふさわしいと考えるからである。
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●武士道の道徳を儒教的概念体系で説明するようになったのは、長い武士の歴史の中の後ろ半分、徳川太平の世になってのことである。太平の世は、もはや殺伐たる戦闘者を必要としない。平和の秩序の中で、武士たちは、新たに、為政者として天下を統治することを求められるようになる。戦闘者(武士)から、為政者(士大夫)への転身が要請されたのである。
為政者としての武士のあるべきあり方を説くために用いられたのが、儒教的な概念体系である。徳川体制の秩序は、儒教的道徳の実現(人倫の道)と重ねて説明され、統治を担う武士は、道を実現する士大夫に相当するものとみなされる。武士の理念、規範を儒教道徳によって説明する議論は、一般に「士道」と呼ばれる。戦国乱世の戦闘者の思想「武士道」に対して、太平の世が新たに生み出した武士の思想。それが、儒教的な「士道」なのである。
江戸時代の武士の思想の主流は、この、儒教的な「士道」である。士道論者の多くは、儒学を学んだ知識人であり、代表的な人物としては、山鹿素行や大道寺友山の名を挙げることができる。
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●このように、武士道と士道は、同じく武士の思想でありながら、その主張はさまざまな点で対立的である。だが、それならばいっそ、二つを全く別々の思想と考えて、同列に論ずることをやめた方がよいのではないか。そのような考え方も、当然ありうるであろう。たとえば折口信夫は、次のように言う。
武士道は、此を歴史的に眺めるのには、二つに分けて考えねばならぬ。素行以後のものは、士道であって、其以前のものは、前にも言うた「野ぶし・山ぶし」に系統を持つ、「ごろつき」の道徳である(ごろつきの話)。
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●要するに、素行の士道論は、戦場における戦闘者の働きを、儒教的によって説明し直したものなのである。確かに士道論は、乱世の武士の気風のある面を厳しく批判する。しかし、乱世を生きた武士たちそのものを否定することはない。のみならず、具体的な武士の理想は、かえって乱世の武士の生きざまにあったとみなされているのである。
士道論者が、士大夫概念によって武士の役割を説明したからといって、彼らが自分たちを「武士ではないもの」とみなしていたわけではない。変わったのは説明の仕方なのであって、武士そのものではない。太平の武士たちもまた、武士であることにおいては、乱世の武士と変わることはない。
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●「死狂ひ」の中に、忠孝が「自らこもる」とは、具体的にはどのようなことをいっているのであろうか。
「顔面の皮を剥ようの事。顔を竪横に切裁、小便を仕懸、草鞋にてふみこみこくり候えば、はげ申候由、行寂和尚京都にて承り候との咄也。秘蔵の事也」
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●新田義貞軍と幕府軍の戦いの戦死者・・・相当数の頭蓋骨に顔の皮を剥いだ際に出来たと見られる削り傷があったという。山本博文は、これを、「敗戦の中で大将の首を敵に確認させないため、従者が自害した主人の顔の皮をすべて剥いだ」ものと推定している(「サラリーマン武士道」講談社現代新書)。
・・・・・・主人が討たれるような戦いは、負けいくさの場合が多いと考えられるから、なおさら戦死者を気づかっている余裕はない。おそらく自分が生き延びるだけでも精一杯という状況に違いない。その中でもなお、討死した主君や味方の首を気づかいうるというのは、その者が並々ならぬ勇猛な武士だということでもある。戦闘者なら誰しもが目指す「強さ」。その強さを持ちえている者だからこそ、主君の首が名もない雑兵の手にかかって手柄とされる恥辱を思い、切羽詰まった乱戦の中で精一杯の忠を尽くすことができる。いうまでもなく、水のないときに小便で代用するのも、戦場の常法である。戦闘者として己れを磨いた者だけが持ちうる知恵と美徳。忠孝というのも、そのことを措いてはないのだというのが、『葉隠』的な武士道の基本思想なのである。
●儒教的な士道は、戦闘者として乱世を生き抜いた武士たちの精神を、太平の世にふさわしい人倫道徳によって説明しようとした。一方で、武士道は、乱世の武士の精神そのものをとらえ、継承しようとする。
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●そういうわけで、本書では、いわゆる「葉隠」的な武士道と、儒教的士道とを、根本的には一つの「武士道」として取り扱う。もちろん、それらの間の意見の相違が問題となることもあるだろう。その場合は、違いが明らかになるようにそれなりの使い分けをすることにしよう。
本書が全く別物として考えるのは、ただ一つ、武士道(武士道・士道)と明治武士道の区別である。
《「武士道精神」については、第28回の「今月の言葉」に続きます》 |
<文責:藤森弘司>
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