2003年8月 第13回「今月の映画」

監督:ブラッド・シルバーリング   主演:ジェイク・ギレンホール   ダスティン・ホフマン


 

●(プログラムより)シルバーリング監督の実体験をもとに映画化。1989年、当時21歳のテレビ女優だった恋人レベッカをストーカーに殺されるという悲劇に見舞われたシルバーリング監督は、悲しみから立ち直る辛い過程を、その時初めて身をもって体験する。

●「この映画は自伝ではないし、僕が体験したことそのものでもない。でも、登場人物たちが立ち向かう苦しみや、複雑な感情は、まさに僕自身が直面して、乗り越えてきたもの。恋人を失った、その時の僕の気持ちは、過去の僕には想像もつかないようなものだった。それまでに僕が知っていた感情のどれとも違って、僕はどうしたらいいものかわからなかった。その体験を、他の人々と分かち合いたかったんだ」。

●(私見)四十台前半と思われる若い監督。30歳前後の実体験が裏づけされた心理描写のすばらしさに驚嘆します。
また、「卒業」以来のダスティン・ホフマンがいいです。

●さて、聞いた話ですが「盤珪和尚」という江戸時代の禅僧に、次のエピソードがあります。
ある葬儀の場所で、ある盲人の方が盤珪和尚を指してこう言います。「まこと不思議な方だ。弔いの言葉が、弔いの語感に合っている」と。表現は私流になっていますが、要するに、表現された弔いの言葉と、そこにこめられている感じが「自己一致」しているということです。

●あなたは「当たり前だ」と思いますか。そうです、本来は全く当たり前のことです。この当たり前のことができなくなっているのが、私たち人間です。
盲人の方は、目が見えないので、耳がものすごく発達しているものです。同様に、カウンセラーである私も、耳で聞く能力が発達していますが、それよりも遥かに、ある種、超能力的に発達していると思われます。その盲人の方が耳で聞いて、盤珪和尚の言葉が一点の曇りも無く、弔いの響きがあるということはスゴイことで、このように「自己一致」することは、極めて難しいことです。

●残念ながら、他人の不幸は「蜜の味」と言います。他人が「試験に落ちた」「離婚した」という話は、「可哀想に」という言葉を使いながら、実は本音の部分で、私達は結構喜んでいるものです。
同様に、他人が「宝くじに当たった」とか、「一流大学に合格」などの報には、「おめでとう」と言いながら、「チキショウ」と思ってしまうもので、残念ながらこれは本当のことです。

●実はこのことがこの映画にふんだんに出てくるのです。実の娘が殺され、両親が多くの弔問客に慰められますが、弔問客のあまりに表面的・上っ面的な言葉に、母親が切れそうになるほどウンザリして、葬儀の後からかかってくる電話に、全く出なくなります。夫が電話に出ようとするとヒステリックにわめくほど、神経質になっています。
これは私たちに対する猛烈な警鐘ですが、あなたはいかがですか?

●カウンセラーの最も大切な要素の一つとして「自己一致」があります。カウンセラーはもちろんのこと、子育てをするお父さんお母さん方、さらに人間関係を大事にしたい方々全てに、非常に示唆的な映画です。
私達は他人の悲しみを、本当に我がことのように受け止め・感じているでしょうか(8月の「今月の言葉」ご参照)。

●また、生きて触れ合っているお互いの存在を、改めて大切にしたくなる映画です。学校の成績がどうであるとか、学校に行っているかどうかとか、素直な子であるかどうかとか、そんなことはどうでもいい。生身の人間と触れ合うことができるということがどれほど嬉しくて、有難くて、感謝したくなることか。生命って本当にすばらしい!生きているって本当にすばらしい!

●私たちお互いは、生きているだけでどんなに有難くて、嬉しくて、すばらしくて、貴重・・・・・・・・!!でも、妻や子供や周囲の人たちに、ついつい腹が立ってしまう自分自身の未熟さに腹が立ちます。

 

(文責:藤森弘司)

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