2003年6月 第11回 「今月の映画」
(はだしの1500マイル)
監督:フィリップ・ノイズ 主演:エヴァーリン・サンピ(モリーの役)
●(プログラムより)「収容所のほかの子供たちは、母親のことを忘れてしまうほど幼かった。でも、私はそのとき14歳で母をよく覚えていた。家へ、母のところへ帰りたかった。」
●物語の背景となるのは1931年のオーストラリア。当時、先住民アボリジニの混血児を家族から隔離し、白人社会に適応させようとする隔離・同化政策がとられていた。 ●フェンスとは、本作の原題でもある「ラビット・プルーフ・フェンス」・・・ウサギよけフェンスのこと。 ●この居留地には脱走者を連れ戻すために、ムードゥという名の凄腕のアボリジニの追跡人がおり、絶えず子供たちを監視していた。 ●(私見)右も左もわからない3人の少女(14歳、10歳、8歳)が、狩猟能力に長けた凄腕のムードゥに追われながら逃げる過程は、はらはらドキドキ。昔、「ブッシュマン」という映画で、原住民の狩猟能力、運動能力、超能力的直感力に驚きましたが、まさに、その卓越した能力を有している「追跡人」に追われながら必死で逃げる少女たち。 ●少女たちが白人に無理やり連れて行かれるとき、そのショックで、祖母はコブシ大の石で自分の頭をゴツンゴツンと叩く場面はショックです。悩み苦しんだ時のアボリジニの習慣的行為で、悲しみや絶望を表す自然な表現だそうですが、わが身に置き換えても、その衝撃ははかり知れません。 ●仏教では、煩悩の根源を三毒・・・「貧・瞋・痴」(とん・じん・ち)といいます。詳しくは後日としまして、このうちの「痴(ち)」・・・・人間の理性が病気になって、理非の見分けのつかない心・・・・が大問題です。 ●私たちの日常を見ましても、このような「痴(無知)」からくる恐ろしいことが沢山あります。 ●また、私の専門分野の例を述べますと、親が、子供のためにと思って一生懸命やることが、子供は迷惑で苦しんでいるということが沢山あります。親が子供のために自己犠牲的にやればやるほど、子供のほうは反比例して苦しんでいるということは日常茶飯事です。 ●私たちは、自分の中にもこのような「痴」がありはしないだろうかと疑ってみるだけの「理性」を育てたいものです。そうすれば他人を責める前に、「自己反省」することの多さに気がつくかもしれません。そしてこの「自己反省」こそが「自己成長」です。 ●ですから「自己成長」を目指すということは、「自己の内部」に目を向け、自己の内部に潜む「痴」と取り組むことを意味します。 |
(文責:藤森弘司)
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