2003年4月 第9回 「今月の映画」

監督:ロマン・ポランスキー    主演:エイドリアン・ブロディ


●3月24日、アカデミー賞・・・監督賞、脚色賞、主演男優賞受賞。
2002年5月26日、カンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドール受賞。●(プログラムより)ポランスキーは幼い頃、ゲットーで過ごし、母を収容所で亡くした経験を持つ。
これまで彼は、あまりに心に深い傷を刻んだあの体験と向かい合う準備ができていないと感じ、「シンドラーのリスト」の監督をオファーされた時でさえ断っていた。そんな彼が遂に自らの原点に立ち帰った渾身の一本が本作だ
●原作はポーランドの名ピアニストで国民的作曲家W.シュピルマンが自らの奇跡的生還体験を描いた回想録。
ナチスの犠牲となった家族や仲間たちの悲劇。立場の違いを越えて命がけで彼を救った人々の闘い。
そして最後まで彼を支え続けた音楽への思い。その一瞬一瞬の恐怖、そして時にはユーモアまでもが、抑えた演出で原作に忠実に映画化されている。●1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻した時、シュピルマンはワルシャワの放送局で演奏するピアニストだった。ワルシャワ陥落後、ユダヤ人はゲットーと呼ばれる居住区に移され、飢えや無差別殺人に脅える日々を強いられる。やがて何十万ものユダヤ人が収容所へ移されるようになった頃、家族の中でたったひとり収容所行きを免れたシュピルマンは、決死の思いでゲットーを脱出する。
息をひそめて隠れ家で暮らす日々は、ワルシャワ蜂起とともに終わりを告げる。砲弾が飛び交い、街が炎に包まれ中、必死に身を隠し、食うや食わずで生き延びるシュピルマン。心の中で奏でる音楽だけが彼の唯一の希望だった。だが、ある晩彼は遂にひとりのドイツ人将校に見つかってしまう・・・・。

●本作の主人公は、ナチスに勇敢に抵抗した英雄でもなければ、収容所で抹殺された犠牲者でもない。
彼は家族を全員失った後、たったひとりで戦場をサバイバルし、奇跡的なめぐりあわせで死を免れたピアニストだ。それが他の多くのホロコースト映画との大きな違いになっている。

●さらに本作でユニークな点は、彼の命を救ったのが、同胞から憎まれ恐れられていたユダヤ人警察官や、敵兵だったという事実。加害者=ナチス、被害者=ユダヤ人という単純な図式の押し付けはここにはない。ポランスキー監督はナチス支配の恐怖を、自身の体験に基づいてリアルに再現する一方で、ナチスにも善人が、ユダヤ人にも憎むべき者がいたという原作の公平な視点を強調する。それがこの映画の新鮮な感動の原動力になっている。
何人ものユダヤ人の命をひそかに救い、自身はソ連の収容所で死を遂げたナチス将校の存在に光を当てたことでも、この映画の意義は大きい。

●(私見)ポランスキー監督は、「あまりに心に深い傷を刻んだ体験と向かい合う準備ができていない」と感じ、「シンドラーのリスト」の監督をオファーされた時でさえ断っていた、とあります。作家の五木寛之氏が同様の体験をし、同様のことを述べています(今月の映画・第3回参照)。

●私たちは、大なり小なり、誰もが「心の傷・・・トラウマ」を内包しています。心の傷にうずきながら生きている方もいれば、辛すぎて「抑圧」して生きている方もいます。いつかそのトラウマに取り組み、やがて、その傷が軽くなってきたころ、心の傷を「語る」ことができるようになることを祈りたいです。
恐らく、五木寛之氏もポランスキー監督も、過去の厳しい体験に向き合うことができる程度には、心の傷が時間とともに癒されたのかもしれません(時薬)。

●心理学を学び、広い意味での「自己成長」に取り組むお互いが、自身の体験(「脚本」<今月の言葉・第1回参照>)を「淡々」と語り合えるようになりたいものです。


(文責:藤森弘司)

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