2003年2月第7回「今月の映画」

(ケイ・ナインティーン)

監督:キャスリン・ビグロー(女性)   主演:ハリソン・フォード   リーアム・ニーソン


●(プログラムより)k-19、ソビエト連邦の弾道ミサイル原子力潜水艦,乗組員128名。
1959年に進水後、数回の度重なる事故を起こし、「ウィドーメーカー(未亡人製造艦・誰も生きては帰れない艦)」「ヒロシマ」の異名を持つ。
1961年7月4日、北大西洋で生じたk-19の原子炉事故の実話に基づいて描かれた、国家と仲間を守る為に命を賭けた男たちの戦いのドラマ。アメリカとソ連の冷戦という情勢下、28年間封印されてきた真実が解き明かされる。
「もしあの時、原子炉溶融が本当に起こっていたら、私達は今日ここに存在していなかった」(監督キャスリン・ビグロー)この物語は、ソ連崩壊までひた隠しにされてきた事実に基づくものである。ポラリス潜水艦で戦略的優位を獲得したアメリカに何とか対抗しようと、モスクワは無理やり「k-19」を出撃させようとする。
この過程で、モスクワの意思に忠実なハリソン・フォード扮する艦長と、党の意志に沿わず乗組員の安全を優先しようとしたため艦長を更迭され、その上、副長に格下げされてそのまま艦に残されるリーアム・ニーソン扮する副長との確執が主軸となっている。
厳格な新艦長よりも、信望のある元艦長の副長に対し、乗組員たちは尊敬と親しみを込めて「艦長」と呼んでいる。
艦長が副長に格下げされ、そのまま残ることは実際にはあり得ない。緊急事態だったのでこのような人事がなされたのかもしれない。●(私見)原子炉の事故に対処するための過程で、厳格な艦長に抵抗する乗組員たちが、副長を艦長にしようとするなどの葛藤の物語です。
「交流分析(TA)」という心理学的にいうならば、乗組員の安全を優先する副長が「母親的なP」で、厳格な艦長が「父親的なP」といえます。そして困難が大きければ大きいほど、「父親的なP(CP or FP)」が求められます。また、平和であればあるほど、「母親的なP(NP or MP)」が求められます。さて戦後の日本は、特に昭和35年ころより以降は、物質的に豊かで、戦争による「死」の恐れが極端に少なく、その上「結核」の克服などで、病気による「死」の恐れも極端に少なくなりました。さらに、周囲が天然の要塞である「海」に囲まれています。こういう社会では、厳格な「父性性(父性的な性質)」よりも、「母性性」が優位になりがちです。命を守るという根源的・絶対的な「価値観」が保障されているかのような社会は、命の尊さを忘れて、命の次に大切なものに「価値観」を置くようになり、厳格な父性性が極端に弱くなります。それが現代の政治家や企業経営者などの姿勢に顕著に見られます。また、父性性があまり必要でないかのような私たちの日常生活においても、実は、父性性は重要です。
父性性が家庭から失われると、母親が一家の中心的な存在になります。その結果、一人の人間の中心(バックボーン)が作られにくくなり、フニャフニャ人間が出来上がる傾向があります。

いいか悪いか、という判断はもちろん大切ですが、絶対的な指示・命令には、イヤではありますが、従うという体験はさらに大切です。幼いときに、しっかりした「父性性」がある家庭で育つ経験こそが求められています。

部下たちに尊敬されている格下げになった副長は、厳格な艦長としばしば対立しますが、絶対的なレベルでは、部下たちを抑えて艦長の命令に従います。母性性の強い人間性の中に、厳しさ・男性性・父性性を持った副長は、私が抱いている「理想的な人間」に近い人です。

私たちは往々にして、自己主張が強いと、自分の主張とは違う結論に従わなかったり、不平不満を言ったりします。あるいは、他者のいうことに従うばかりで、自己主張する部分がなかったりするものです。自己主張はするが、出された結論には潔く従う「さわやかな人間」でありたいと、私自身を反省しました。
また、原子炉の大事故になったら、米ソ戦争になりかねなかった状況で、毅然たる態度を貫いた艦長のような人間性も、私の不足する部分ですので、この映画はとても刺激的でした。


(文責:藤森弘司)

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