2003年12月 第17回「今月の映画」
監督:イザベル・コヘット 主演:サラ・ポーリー マーク・ラファロ
●(プログラム)毎日毎日、目の前のことを片付けて生きてきた。 人生はそんなものだと思っていた。 ある日突然、空から彼女をめがけて降ってきた「あと2ヶ月の命」という宣告。 そして始めた死ぬための準備が、いつの間にか生きる喜びになっていた・・・・・。 彼女は死ぬまでにする10のことを決めた。 命の期限がわかった時、 初めて人生を愛することを知った女性の感動の物語。●(私見)私たちは無意識のうちに、「一生」とは、永遠のような気がしているのではないでしょうか。 もしかしたら私たちは、自分の一生がいつ終わるのか気がついていないだけで、人間は皆、「あと何年」かが決まっているのかもしれません。また、分からないまでも、おおよその計算はできるものです。●私自身は、50才を過ぎてから、「死」というものをかなり「明確」に意識するようになりました。 私のある友人は今春、「この桜を、あと何回見ることができるのか?」と言いました。そう考えて見ますと、還暦前後の人間にとっては、桜を見る回数はそれほど多くないことに気がつきます。毎年見慣れている桜の花も、この桜を「あと何回なのか」と思うと、同じ桜が感慨深くなります。 ましてやこれが見納めという方にとっては、感無量でしょう。そういう精神を大事にする生き方をしたいものです。●私たちは、病気や怪我などで「あと何年」と「宣告」されなくても、50才なり、60才なり、そして70才なりに、残りの年数はほぼ推測できます。 しかし、しかし、現実に私たちは「自分の命がいつまでも続く」と思っているのではないかと思われるような生き方をしていないでしょうか。政治の世界を見るまでもなく、私たちの日常生活で起きるトラブルや事件などの中にも、そのように錯覚しているかのような物事が多く発見できます。●「あと2ヶ月」とはいわないまでも、そうそう長くない「余命」です。少なくとも「春の桜」をあと何回見ることができるかと考えて見ますと、大した回数ではありません。 そういう「実感」が少しでもあれば、さて今、自分は何をしようか、あるいは、何をすべきではないかが少しは見えてくるのではないでしょうか。 ●何かそういう「歯止め」が、現代は無くなってしまっているように思えます。少なくとも、薄れてしまっているように思えてなりません。 ●私たちの「人生」というのは、残念・・・・・ではなく厳然たる事実として、「死」という絶対に避けられない「終末」(それもそう長くない先)を対極に置きながら生きています。 ●私も、死ぬまでにしたいことを真剣に考えてみようと思います。毎日、生活に追われてバタバタしていますが、正月の3日間くらいはジックリ考えてみたいと、改めて感じました。 ●本日、「阿修羅のごとく」(監督:森田芳光、原作:向田邦子、主演:大竹しのぶ、他)を観ました。上記のことを意識しながら観ると、感慨はさらに深いものになると思います。「有り難いこと・有り難いもの」「余命」などについて深く感じさせられるかもしれません。 |
(文責:藤森弘司)
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