2003年1月 第6回 「今月の映画」
主演:デンゼル:ワシントン キンバリー・エリス ダニエル・E・スミス
●(プログラムより)「息子の命を救うまで、俺はここを離れない!」 最愛の息子につきつけられた死の宣告。ただ医療費を要求する矛盾した社会制度。父親の怒りが頂点に達したとき、彼は病院を占拠した。 要求はただ一つ、「息子の命を救うこと」 ジョンQの命をかけた長い1日がはじまった・・・「聞こえただろ、頼むからやってくれ。息子が死ぬのを黙って見ているとでも思っているのかっ。本気だ、これは冗談なんかじゃない!」●(私見)この映画は、生きるとか、寿命とは何かを考えさせられます。 特に、高額医療の「心臓移植」となると、数千万円の費用がかかる。お金を準備できた人間が生き延びられて、準備できない人は死。 自分の息子がこの立場になったら、私はどうしたらよいのだろうか。 いずれにしても、生きている以上、少なくても40歳を過ぎたら、「死」の心構えが必要になると、改めて思いました。 あまりにも当たり前のことですが、生あるものは必ず滅びる。人間は必ず死ぬことが分かっているのに、でも、実感として、私たちは全く分かっていない生き方をしているのではないでしょうか。もし私たちが実感として、「死」を傍らにおいて生きていたら、人間関係や親子関係は、もっともっと違ったものになるでしょう。私自身の反省ですが、物事にこだわったり、人間関係を壊すようなことはしないでしょう。「死」というものを前にしたら、あらゆるものの価値観が大幅に違ってくるはずです。 唯一絶対のレベルに「死」をおきながら、人生を生きてみたいと思わせてくれる映画です。 そうすれば私は、もう少し優しい人間になれるでしょう。悲観的になるという意味ではなく、多分、「死」というものをどれだけ「意識」しながら生きているか、否かということは、人間性がどれだけ成熟しているか、否か、と同義語ではないかと思われます。 別の言い方をすれば、自己成長するとは、「死」をどれだけ意識野に入れているか、否かということであると思います。それは単に知性的に「分かる」という意味ではありません。実感として「(深く)分かる」ことです。 また、豊富な食料のお陰で、日々の生活の中で、餓死の恐れも、極端に少なくなりました。 それが現代日本の「病巣」ではないかと思いますがいかがでしょうか。 |
(文責:藤森弘司)
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