2002年10月第3回

   主演・・・ニコラス・ケイジ

●太平洋戦争後期の1944年、場所は、日米が肉弾相打つ激戦を繰り広げたサイパン島。
肌の色も育った環境も違う男二人が戦場で出逢う。一人はナバホ族の暗号通信兵ヤージー。
もう一人はイタリア系アウトローで、歴戦の兵士エンダーズ。
兵士エンダーズは、極秘の暗号を守るため、暗号通信兵ヤージーの護衛の任務に就くが「彼が捕虜になるのは防げ、射殺せよ」という異常な命令を受けていたのだった・・・・・・。
友情と逆境の中で激しく揺れる心理。この熱い戦争ドラマが、映画史に新しい地歩を刻む。(案内より)

 
主演・・・ブルース・ウィリス

1944年のヨーロッパ戦線。
厳冬のベルギーにあるドイツ軍捕虜収容所。一人の白人アメリカ兵士の死体が発見された。犯人として逮捕されたのは、同じアメリカ人捕虜の黒人将校。
この事件をめぐって裁判が開かれることになりイェール大学で法律を学んでいたハート中尉が、告人の弁護を命じられる。
アメリカ人捕虜同士の裁判における陪審員がナチスという茶番劇の中、上官と激しく対立しながら、一歩ずつ真実に近づいていくハート。
上官の背後で進む脱走計画が浮かび上がった時、運命の評決の日が訪れる。 (案内より)さて、この映画で私が言いたいことは、ごく当たり前の「戦争は恐ろしいことだ」ということです。当たり前すぎて、面白くもなんとも無いかもしれません。しかし本当でしょうか?
戦後も57年経つと、戦争の本当の恐ろしさ、悲惨さを私たちは忘れてしまってはいないでしょうか?
その悲惨さを
上記二つの映画と同時代の、五木寛之氏の「運命の足音」という小説を紹介している夕刊フジ(14/9/4)に金田浩一呂氏が書いているので、それを下記に転載させていただくこと で、解説とします。
昭和20年(1945)敗戦の夏。満12才の著者は、北朝鮮の平壌(ピョンヤン)にいた。このとき、占領軍のソ連 兵士からひどい目に合わされ、母親を亡くしたことは、氏のエッセイなどで何度かふれられている。というより、これまでは、そのことを具体的に書けない、と書いていた。ある日の午後、著者の家に突然現れたソ連兵たちが、風呂に入っていた父親に自動小銃を突きつけ裸のまま壁際に立たせた。一人は体調をくずして寝ていた母親の布団をはぎ、ゆかたの襟元をブーツの先でこじあけ、笑いながら乳房を靴で踏みつけた。
  そのとき、死んだように目を閉じていた母親が不意に激しく吐血。さすがに驚いたらしいソ連兵は、二人がかりで敷布団を持ち上げると、縁側から庭へ放り投げた。
この日を境に母は何も口にしなくなり、全くものを言わず、間もなく亡くなった、という話である。帯に「衝撃の告白的人生録!」とあるが、頁数にして十頁足らず。あとは宗教的人生論である。著者も書いているように「軍隊の占領に、略奪や、暴行、レイプはつきもの」という認識を多くの人 が持っている。今なら、なぜ、これだけのことで、と思う人がいるかもしれない。事実、そういうことを言った知人もいる。
だが、事態を他人の目で眺めるのと、体験した本人の気持ちは違う。著者と同年代のわたし自身、母について誰にも語りたくなく、語ってこなかったことがある。

著者は手を上げたまま、何もできなかった父親と自分を許せず、その日から「私は悪人(逆転の救いもある真の悪党ではなく)ちゃちな小悪党である」と思い続けてきたという。そうした気持ちを端的に語ったエピソードが冒頭に出てくる

最近、郷里福岡で小学校の教師だった母親の教え子だった女性から、当時の母親の写真が送られてきた。白い帽子をかぶったその若い女性の写真から著者は目をそらし、二度と見られないよう机の引き出しの奥にしまいこんだ。そのとき著者が感じたのは、善意の送り主に対する、訳の分からぬ理不尽な怒りだったという。
ようやく母親のことを思い出さずにすむようになってきたとき、一枚の写真が五十七年間の心の中の努力を一瞬にして崩したのである。

“理不尽な怒り”という言葉にリアリティーがある。


文責:藤森弘司

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