2019年7月31日第198回「今月の映画」「長いお別れ」
監督:中野量太 主演:蒼井優・竹内結子・松原智恵子・山崎努

(1)「交流分析」という「心理学」があります。この「交流分析」では、一人の人間は、「P」「A」「C」という3つ部分で成り立っているとみます。簡単すぎるものではありますが、簡単にすることで、逆に、とても理解しやすいという大きなメリットがあります。

 「P」「A」「C」を簡単に説明しますと、「P」は「Parent=親」、「A」は「Adult=成人・理性」、「C」は「Child=子供」を意味します。

 もう少し詳しく説明すると、「P」は「Parent=親」で、両親の価値観や癖などが生育歴の中で刷り込まれたものが、この部分にあるという見方です。

 「A」は「Adult=成人・理性」で、学校に通ったり、読書などを通して、社会的な常識やいろいろな知識や知性・教養などが、この部分にあるという見方です。

 「C」は「Child=子供」で、幼稚園児くらいまでの「子供っぽさ」「幼稚さ」を表します。上野動物園の子供のパンダがとても可愛かったですが、本来は、あのような子供っぽさを意味します。

 さて、私たちは、本来、状況に応じて「P」「A」「C」を自由に使いこなせるはずで、これが「ダイバーシティ=多様性」ですが、生育歴の偏った刷り込みの影響で、私たちは「P・A・C」それぞれに大きな偏りが、残念ですが、誰にでもあります。

 今回の主題の「長いお別れ=認知症」は、私・藤森の見るところ、「C」の部分がほとんど欠落していて、「P」や「A」中心で、頑固一徹の人間性に多く発症するものと思っています。

 そして、こういうタイプは、本題の主人公である「頑固一徹の校長経験者」「価値観が一定というか固定された頑固タイプで“C”不足(欠落)」で長年生きてきて隠居すると、それらが使われなくなるために、私が想定している「認知症」にピッタリのタイプです。

 監督なのか作者なのか、なんとなくこういうことが推測できているのでしょうか?

(2)「INTRODUCTION」

ゆっくり記憶を失っていく父との、お別れまでの7年間。
それは、思いもよらない出来事と発見に満ちた日々。
笑って泣いて、前に進んでいく家族たちの、新たな愛の感動作!

 父の70歳の誕生日。久しぶりに帰省した娘たちに母から告げられたのは、厳格な父が認知症になったという事実だった。それぞれの人生の岐路に立たされている姉妹は、思いもよらない出来事の連続に驚きながらも、変わらない父の愛情に気付き、前に進んでいく。ゆっくり記憶を失っていく父との7年間の末に、家族が選んだ新しい未来とは・・・。

 ・・・・・

 少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかっていく・・・その様子からアメリカでは「Long Goodbye(長いお別れ)」とも表現される病、認知症。近い将来65歳以上の1/5が発症するという(出典:厚生労働省)病を父が発症したことにより、自分自身の人生と向き合う事になる家族の7年間を、あたたかな眼差しをもって優しさとユーモアたっぷりに描いた本作。

 今、最も次回作が期待される中野監督だからこそ描かれる新しい認知症映画がここに誕生しました。親子とは、夫婦とは、家族とは・・・?刻々と変化する時代に変わることのない大切なものを問う、昭和、平成、そして令和へと繋がれる愛の感動作。

(3)「Story」

 <2007年、秋>

 東京の郊外に住む東(ひがし)家の母、曜子が離れて暮らす娘たちに電話をかけている。70歳になる父、昇平の誕生日パーティーへのお誘い。

 東家の長女:麻里は夫、新(しん)の転勤で息子の崇と共にアメリカに住み、慣れない生活に戸惑っている。次女の芙美は、スーパーの総菜コーナーで働いているが、カフェ経営の夢も恋人との関係もうまくいかず、思い悩んでいる。

 今回ばかりは必ず参加してほしいという母の頼みに、娘たちは訝しみながらも帰省し、久しぶりに4人揃って食卓を囲む。そこで告げられたのは、中学校校長も務めた厳格な父、昇平が半年前に認知症になったという事実だった・・・。

 <2009年、夏>

 芙美は移動ワゴン車でランチの販売を始めたものの、売り上げが伸びず悩んでいた。変わらずアメリカに住む麻里は、夏休みを利用して崇と共に実家に帰省してくる。

 昇平の認知症は進行し、「帰る」と言って家を出て行ってしまうことが多くなっていた。いなくなった昇平を探しに出た崇は、昇平が芙美の中学校時代の同級生、道彦と共にいるところを発見する。そこに合流した芙美の移動ワゴン車を見て、「立派だ」と言い、お客を呼び込む昇平。その楽しげな様子を見た崇はガールフレンドに「おじいちゃんはたくさんの事を忘れちゃったけど、本人はそんなに悲しんでないのかもしれません。僕は今のおじいちゃんが嫌いじゃないです」とメールをする。

 昇平は生まれ育った家に帰りたがっているのでは、と考えた麻里は、両親と息子を連れて昇平の生家に向かう。そこで東京オリンピックの年に出会った父と母の思い出を聞き、夫婦とは何なのかを改めて考える麻里。

 帰りの電車。うとうとする曜子がふっと目を覚ますと、昇平がじっと見つめている。「そろそろ曜子さんを、正式に僕の両親に紹介したい。一緒に来てくれますね?」とプロポーズする昇平。記憶は失っても変わらない昇平の心に触れ、曜子は涙を流しながら「はい」と答える。

 <2011年、春>

 東日本大震災が起き、離れて暮らす両親が心配でたまらない麻里。一方、芙美は道彦と付き合い始め、結婚も意識していたが、ある時離婚した妻と楽しそうに過ごす道彦の姿を見て終わりを悟る。傷心の芙美は実家に帰り、思わず昇平に向かって辛い胸の内を明かす。「繋がらないって切ないね」と泣き出してしまう芙美に、「そうくりまるなよ。そういう時はゆーっとするんだよ」と答える昇平。もはや言葉の意味は分からないが、芙美はこれまでになく父親との深い繋がりを感じるのだった。

 ある日、再び昇平が家からいなくなってしまう。持たせていた携帯のGPSを頼りに、昇平を探しに行く曜子と娘たち。昇平はなぜか遊園地におり、知らない子どもと楽しそうにメリーゴーランドに乗っていた。その光景を見た曜子は、一度だけ家族で遊園地に来たことを思い出す。遊園地で遊んでいた3人を、雨が降りそうだからと心配して昇平が迎えにきた思い出。「お父さん、迎えにきてくれたのね。今日も」メリーゴーランドの柵には、昇平が持ってきた傘が3本かかっていた・・・。

 <2013年、秋、そして冬>

 東京オリンピックが再び開催されることが決定し、世間は歓喜に湧いている。そんな中、再びスーパーで働き始めた芙美の元に、曜子が網膜剝離になり入院が必要だと連絡が入る。留守中の昇平を心配する曜子に、自分が面倒を見ると父の介護を買って出る芙美。昇平の世話は想像以上に大変で、何年もひとりでこれをこなしてきた母親に対して、申し訳なさを感じる。曜子の手術は成功、順調に過ごしているかのように見えたある日、昇平が骨折し入院することに。

 一方麻里は、高校をさぼっている反抗期の崇や、仕事に没頭し家族の問題もどこか他人事のような新との関係に思い悩み、疲れ切っていた。入院中の昇平に向かって、スカイプで「全部自分のせいだ」と、思いを吐き出す。ほどなくして昇平の容態が悪化し、麻里は帰国することに。曜子と娘たちは、医者から人工呼吸器をつけるかどうかの選択を迫られる。そこに崇からメールが届く。「生きてる限り、生きててほしい・・・」。

 記憶をなくしていく昇平との7年間の末に、家族が選んだ新しい未来とは・・・。

(4)「映画を通して認知症の理解を深めるために」(杉山孝博・川崎幸クリニック院長)

 ドラマは遊園地のメリーゴーランドと3本の傘を持った老人の場面から始まる。元中学校の校長をしていた東昇平(山崎努)の認知症が進行していく中で、妻・曜子(松原智恵子)やふたりの娘との間に悲喜こもごものできごとが展開する。発症して4年後、行方不明になった昇平を探し当てた家族が見たものは、知らない子どもとメリーゴーランドに乗って楽しそうな表情をしている昇平であった。これを見た妻は、昔、ふたりの娘たちと遊園地で遊んでいた時、雨が降りそうだからと心配した夫が傘を届けてくれたことを思い出し、「お父さん、迎えに来てくれたのね、今日も」とつぶやくのであった。

 認知症の人が示す理解の難しい言動や、激しい感情の変化を受け入れることは誰にとっても容易ではない。しかし、認知症の特徴を正しく理解できれば、その言動は決して異常ではなく、同じ状況であれば誰もが行う言動に過ぎないと気づくことができる。

 認知症とは、記憶力・判断力・推理力といった知的機能が低下することにより生活上の混乱を起こしている状態と言うことができる。「見聞きしたことをすぐ忘れる、ひどいもの忘れをすること」、「記憶を過去に遡って失っていくこと」、「自分にとって不利なことを認めないこと」、「感情が非常に鋭敏で変わりやすいこと」、「ひとつのことにこだわり続けること」などが認知症の共通の特徴である。

 長年住んでいた自分の家が分からなくなって「家に帰る!」と言って外に出ようとしたり、妻を親に紹介すると言ったり、傘を3本持って迎えにいったりしたのも、昔にもどった人の言動と考えれば納得できる。誕生祝いの席で昇平が突然激怒して、家族の表情が凍りつくシーンがあるが、これも感情が変化しやすい認知症の特徴である。友人の通夜に出かけたにもかかわらず、亡くなったことを理解できずにちぐはぐな言動をすることもあった。このような言動を繰り返しながら、認知症は確実に進行していく。

 しかし、認知症が始まると何もかも分からなくなるわけではない。長年身につけた知識・体験はいつまでも持ち続けるし、喜怒哀楽の感情は残る。認知症になっても心は生きている。国語の教師だった昇平が難解な漢字を見事に読み上げて孫をびっくりさせるが、日常的な介護の現場ではよく見られる光景である。次女(蒼井優)の失恋の悩みをなんとなく合わせて和らげたり、長女(竹内結子)の家族の悩みを聞くことでその悩みを軽くしたりすることもできるのだ。

 この映画の最大の魅力は、ともすれば深刻になりがちな認知症のテーマが、明るくユーモラスにまとめられていることである。さらに、昇平夫婦だけでなく、娘や孫たちにもそれぞれの人生ドラマが展開し、昇平の認知症の進行に伴ってそれらのドラマが融合されていくのも魅力的だ。

 認知症が進行するにしたがって、現実や家族が遠くなっていく過程をアメリカでは「Long Goodbye(長いお別れ)」と表現するという。昇平が認知症を発症して亡くなるまでの、7年間の「長いお別れ」は、妻や娘、孫たちにとって、「悲しいお別れ」ではなく「人間味豊かなお別れ」であったと私は確信している。