2020年5月31日第208回「今月の映画」「パピヨン」 主演:チャーリー・ハナム、ラミ・マレック(ボヘミアン・ラプソディを主演) 

(1)ダスティン・ホフマンが演じたルイ・ドガ役を、ラミ・マレックが演じました。

 このラミ・マレックは、超ロングランだった映画「ボヘミアン・ラプソディ」で主役を演じた俳優です。

 さて、この「パピヨン」は、作家アンリ・シャリエールの壮絶な実体験を基にした、終身刑囚“パピヨン”の13年間に及ぶ、命をかけた脱獄劇。

 今のコロナウイルスの影響下の世界情勢みたいな世界を描いたこの映画が、体験を基にしているとは、本当に驚きです。この映画を観れば、現在の情勢などなんともありません。

(2)「COLUMN」

<自由を求めて(パピヨン)はふたたび飛び立つ!>(渡辺祥子・映画評論家)

 フランスの作家アンリ・シャリエール(1906~1973)自身の体験がもとになった小説『パピヨン』、というより、スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンが共演して映画化されたフランクリン・シャフナー監督の『パピヨン』(1973年)と言う方がわかりやすいはず。

 この映画をいま思い返すとき、脳裏に浮かぶのは、無実の罪で終身刑を宣告されたパピヨンが抱く自由への欲求の強さだ。脱獄への執着。欲求というより実際にはより強烈な願望であり、執着心の強さで、どんなことをしてでも生き延びて自由になりたい、と自由に執着してパピヨンは恐怖の脱獄を重ねる。

 映画の中でスティーブ・マックイーンが演じる“胸に蝶(パピヨン)のタトゥーがある”ところからパピヨンと呼ばれたアンリ・シャリエールをはじめて見た時、自由を求める気持ち、生きるということへの執着の強さに圧倒された。

 自由を求め、自由を一途に切望するあまり決してあきらめないし、死をも恐れない。そんな男がマックイーンにはよく似合った。考えてみれば、マックイーンには少年の日に両親を3人組のならず者に殺され、復讐の旅に出る執念の男を演じた『ネバダ・スミス』(1966年)という映画があり、執念や復讐は彼のもっとも得意とする役どころだ。

 そのシャフナー監督版の『パピヨン』から45年の歳月が過ぎて、デンマーク出身、第31回東京国際映画祭で審査員特別賞と最優秀主演男優賞を得た『氷の季節』の監督マイケル・ノア―によってリメイク作が生まれた。

 2017年製作の新『パピヨン』は、自由への欲求の強さに変わりはないが、新たにパピヨンを演じることになった『パシフィック・リム』や『キング・アーサー』で世に出たチャーリー・ハナムは、マックイーンとはまたちがったパピヨン像を想像している。

 無実の罪を着せた相手への復讐を胸に秘めてクールに現状を見極め、自由に向かって飛び立とうと脱獄の機会をじっとうかがう彼は、やみくもに脱獄して命を無駄にすることはない、とチャンスを待つ。自由を求めることの執拗さに置いてマックイーンのパピヨンと違うところはないが、その体内には彼が感じさせた熱い怒りの炎よりも、醒めた目で現実を直視する氷の炎が燃えているようが。

 このハナム=パピヨンに守ってもらうことになるルイ・ドガを演じるのは世界的大ヒット作になった『ボヘミアン・ラプソディ』のフレディ・マーキュリー役でアカデミー賞主演男優賞を受賞し、すっかり注目のスターになったラミ・マレック。

 マックイーンの『パピヨン』ではダスティン・ホフマンが演じて債券の偽造で刑務所に送られてきた。台詞の喋り方や身のこなしなどは、さすがフレディそっくりに演じたラミだけに、ダスティン・ホフマンを彷彿とさせながら、大金を隠し持ち、妻が出所させてくれると信じている男を演じる。「俺は芸術家、お前は金庫破り」とパピヨンをバカにしながら、でも、この世の果てのような刑務所では誰かに守ってもらう必要がある、と彼に頼らざるをえなかった。それでもいつか友情が芽生えて、気が付いたときにはしみじみ相手を思いやる友情が育っていることを知る。

 身に覚えのない殺人の罪を着せられ、終身犯として南米にある仏領ギアナの刑務所に収監されたパピヨンはドガの大金を目当てに彼を護る、と約束してその約束を守った。これはビジネスなのだ。非情な看守を殴って独房に入れられたパピヨンにドガは密かにココナツの実を割ったものを差し入れするがそれが所長に発覚、パピヨンはどんなに痛めつけられても差し入れた相手の名を白状しないまま2年が過ぎて独房を出る日が来た。

 このパピヨンとドガの関係を見ながら脱獄映画の名作、ティム・ロビンスとモーガン・フリーマンが共演した『ショーシャンクの空に』を思い出したりしたが、映画は昔から脱獄のテーマが好きでポール・ニューマンが脱獄囚だった『暴力脱獄』、クリント・イーストウッドが脱獄は絶対に不可能とされるアルカトラズ刑務所から脱獄する『アルカトラズからの脱出』、スティーブ・マックイーンが『パピヨン』と違ってずっと軽妙、かつひょうひょうとナチスの収容所から脱出する『大脱走』などがあって、いずれも脱獄囚は魅力的なスターと決まっている。

 そしてここにはサディスティックに囚人を痛めつける看守や所長がいる。ギアナの徒刑場に送り込まれた囚人たちを前に所長は言う、「脱獄を考えているだろう、遠慮なくやれ、喜んで撃ち殺す。脱獄1回目は2年の独房、2回目は5年の独房、さらに死ぬまで悪魔島送り、殺人を犯せば処刑される」。

 73年版でこの所長役を演じて脚本を書いたのは第2次大戦後の1940年代後半ハリウッドでピークを迎えた赤狩り(共産主義者、社会主義者の摘発を目的とする)で脚本家としての活動を禁じられ、他人名義や偽名を使って脚本を書いて生活してきた(その中に『ローマの休日』があることはあまりに有名だ)脚本家ダルトン・トランボで、新版はこのトランボにも捧げられている。

 絶対に脱獄できない、と所長が断言した悪魔島の断崖からパピヨンは激流に向かって身をひるがえす。見ている者にとって胸がときめく瞬間だ。今度こそ!

(3)「STORY」

<すべてを失っても、希望だけは奪えない・・・。>
<実話を基に壮大なスケールで描く冒険活劇!>

 <「パピヨン」と呼ばれた男>

 <1931年、パリ>「狂乱の時代」の終焉。金庫破りのアンリ・シャリエール(チャーリー・ハナム)は、胸に蝶の刺青を入れていることから“パピヨン”というあだ名で呼ばれていた。

 彼は、雇い主である暗黒街のボス・カステリ(クリストファー・フェアバンク)のために宝石類を盗み出す。仕事は上手くいったものの、彼は一つ、致命的なミスを犯してしまう。ダイヤで飾られた美しいネックレスをこっそり着服し、ガールフレンドのネネット(イヴ・ヒューソン)に贈ったのだ。

 パピヨンの裏切りに気付いたカステリは、報復として彼に殺人の濡れ衣を着せ、パピヨンは終身刑となってしまう。彼が収監されるのは、フランス領ギアナの悪名高い流刑地であり、囚人は植民地の労働力として刑期を終えた後も死ぬまで南米に留まる事を強いられるのだ。

 パピヨンの脳裏に「脱獄」の二文字が浮かぶ。しかし、自由になるには金がいる。彼は無一文だった。

 移送中、パピヨンは通貨偽造の罪で終身刑となったルイ・ドガ(ラミ・マレック)の存在を知る。大金を溜めこんでいると噂されるドガは、周囲の囚人たちから命を狙われており、パピヨンは、彼に「俺がお前の命と隠し金を守る。代わりに俺の脱獄計画に資金を供給してくれ」と持ちかける。「脱獄する気がない」とドガはその申し出を断るが、徒刑場に赴く船上で、金目当ての殺人が起こり、しぶしぶパピヨンの条件を受け入れた。

 <最初の脱獄>

 徒刑場に到着すると囚人たちの前に粋なスーツを着た刑務所長が現れ、この島で生活する上での厳格なルールを説明する。「脱獄を試みた場合、1回目は2年間の独房送り。2回目は独房に5年。そして、死ぬまで悪魔島へ送られる。殺人を犯せばギロチンで処刑だ」

 徒刑場は熱病が流行し、リンチ、強制労働、公開処刑が横行する悪夢のような場所だった。ある日、ギロチンにかけられた囚人の遺体運び役に指名されたパピヨンは、途中で看守を殴って脱獄を試みる。あらかじめ買収しておいた男からボートを譲り受けて海に出る計画だったが裏切られ、2年間の独房生活を強いられる。

 看守からのリンチと独りきりの孤独に耐え切れず、心身ともに徐々に弱っていくパピヨンだったが、ドガがこっそり差し入れたココナッツのお蔭で活力を取り戻す。独房から解放されるとドガが待っていた。ドガはパピヨンに耳打ちする。次の日曜日に所長が映画上映会を開くという。この日がチャンスだ・・・。

 彼らは再び、脱獄の計画を立てる。その中で、セリエ(ローラン・モラー)とマチュレット(ジョエル・バズマン)という二人の囚人が仲間に加わった。

 作戦決行の日は大雨だった。彼らは監視官たちに一服盛り、嵐に紛れて塀の外に降り立つと、用意していたボートに乗り込み大海原へと乗り出した。当初は順調に運ぶかと思われた航海だったが、故障により船が沈みそうになる。セリエは怪我をしたドガを殺して人員を減らそうと目論むが、揉み合ううちにドガはセリエを刺殺してしまう。

 必死の航海の末、一行はコロンビアに流れつく。土地に住むインディオに助けられ、楽園のようなビーチでひとときの憩いを得て、自由を満喫する仲間たちにパピヨンは言う。「ここは故国じゃない。俺は先に行く」。別れを告げて旅立とうとすると、パピヨンは憲兵たちに囲まれる。地元の修道女に密告されたのだ。

 <自由への飛翔>

 次の独房生活は5年だった。かつての姿は見る影もなくなったパピヨンは徒刑場“悪魔島”に移され、そこで彼を待ち続けていたドガと再会する。ドガもまた発狂した囚人たちに囲まれながら孤島の牢獄生活に耐え、絶望の中を必死に生き抜いていた。二人は互いに、まだ諦めていないことを確認し合う。どんなに打ちのめされても、彼らを生き永らえさせていたもの。すなわち・・・自由への渇望と希望。パピヨンとドガは、再び自由を獲得するための作戦を練り始める・・・。