2019年4月30日第195回「今月の映画」「バイス VICE」

(1)この映画は「実話」をもとにしている驚くべき映画です。前々回の「ヴィクトリア女王・最後の秘密」と共に、こんなことが本当にあるのかと驚きました。

 「バイス」はお分かりのことと思いますが、「バイスプレジデント(副大統領)」「Vice President」の「バイス」です。

 パパブッシュとは違って子ブッシュは人間的に、あまり評判が良くなかったように記憶しています。その子ブッシュの副大統領になって、まるで大統領の如くに政権をコントロールしたのが、バイスのチェイニーだったとは本当に驚きました。

 最後の(6)に<<なんと勇気のある映画だろうか。「バイス」を観ている間、ずっと感じ続けたのは、それだった。>>と映画ジャーナリストの猿渡由紀氏が述べているように、本当に驚く映画です。

 「9・11同時多発テロ事件」の指揮やイラク戦争などの指揮を執った史上初、空前の副大統領・チェイニーの驚くべき実話に基づいた貴重な映画ですので、資料の意味を含めて、たくさん紹介しています。

 ジックリとご覧ください。

(2)「INTRODUCTION」

 <誰も気づかぬうちにアメリカと世界の運命を変えた男
      その最強の権力者たる“悪”の謎に満ちた実像に迫る!>

 圧倒的な軍事力と経済力を誇る超大国アメリカを率いる大統領は、言わずと知れた世界最強の権力者だ。彼らが下す決断には、世界中の運命や歴史を一変させるほどの影響力がある。それゆえにハリウッドは、とりわけ人気の高いエイブラハム・リンカーンやジョン・F・ケネディから、記憶に新しいジョージ・W・ブッシュ、バラク・オバマ、現職のドナルド・トランプまで幾多の“大統領映画”を製作してきた。その系譜において『バイス』ほどセンセーショナルでぶっ飛んだ映画はないだろう。なぜなら、これは大統領ならぬ“副大統領”を主人公にした前代未聞の一作なのだ!

 よほどの政治マニアでなければ、アメリカの副大統領の言動に関心を抱く人はいないだろう。常に陰に隠れた副大統領は、大統領が死亡したり、辞任した際にその代わりとして昇格するポジションであるため、「大統領の死を待つのが仕事」などと揶揄する者もいる。しかし、もしも副大統領が目立たない地位を逆手にとって、パペットマスターのごとく大統領を操って強大な権力をふるい、そして世界中を変えてしまったら・・・。本作はそんなまさかの“影の大統領”が本当に存在したことを証明し、現代米国政治史における最も謎に包まれた人物に光をあてた野心作。その主人公の名は第46代副大統領ディック・チェイニーである。

 1960年代半ば、酒癖の悪い青年チェイニーがのちに妻となる恋人リンに尻を叩かれ、政界への道を志す。型破りな下院議員ドナルド・ラムズフェルドの元で政治の表と裏を学んだチェイニーは、次第に魔力的な権力の虜になっていく。大統領首席補佐官、国務長官の職を経て、ジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領に就任した彼は、いよいよ入念な準備のもとに“影の大統領”として振る舞い始める。2001年9月11日の同時多発テロ事件ではブッシュを差し置いて危機対応にあたり、あの悪名高きイラク戦争へと国を導いていく。法をねじ曲げることも、国民への情報操作もすべて意のままに。こうしてチェイニーは幽霊のように自らの存在感を消したまま、その後のアメリカと世界の歴史を根こそぎ塗りかえてしまったのだ。

 <『マネー・ショート 華麗なる大逆転』のチームが再結集
    これは不条理な喜劇か、政界のシェイクスピア劇か!?>

 この前例の見当たらないユニークなプロジェクトに挑んだのは、リーマン・ショックの裏側を斬新な視点で描き、アカデミー賞5部門にノミネート(脚色賞を受賞)された『マネー・ショート 華麗なる大逆転』のアダム・マッケイ監督。当初はディック・チェイニーをよく知らなかったマッケイは、この“影の大統領”を綿密にリサーチするうちに、底知れないほど深くてどす黒い人物像に魅了され、いかに彼が密かにホワイトハウスの権力を掌握し、その後の今に至る世界情勢に多大な影響を与えたかを徹底的に追求した。

 しかも驚いたことにマッケイは、誰が撮っても地味で退屈になりかねない“副大統領映画”を、ポップでキレ味も抜群のエンターテインメント大作に仕上げてみせた。ワイオミングの電気工から最強の権力者にのぼりつめた男の一代記を、得意のコメディでつちかったユーモアと風刺のセンス、深刻さと滑稽さが入り混じった人物描写、変幻自在の超絶ビジュアル&編集テクニックをフル稼働させて映像化。オリバー・ストーンやマイケル・ムーアとも異なるオリジナルな手法で、悪魔のような秘密主義者チェイニーの実像を多面的にあぶり出した。ちなみに題名の『バイス』には、バイス・プレジデント(副大統領)を指すだけでなく、“悪徳”や“邪悪”という意味もこめられている。

(3)「STORY」

 <2001年9月11日、同時多発テロ>

 アメリカ国内を飛行中の複数の旅客機が何者かにハイジャックされ、そのうち2機が世界貿易センタービルに突っ込んだ。この国家を揺るがす一大事のさなか、ホワイトハウスの大統領危機管理センターに避難して陣頭指揮に当たったのは副大統領のディック・チェイニー(クリスチャン・ベール)だった。さらなる旅客機の行方不明情報が相次ぐなか、国防長官ドナルド・ラムズフェルド(スティーヴ・カレル)からの電話で「軍の交戦規定は?」と尋ねられたチェイニーは、「いかなる航空機も脅威と見なせば撃墜できる」と答える。その場に不在のジョージ・W・ブッシュ大統領(サム・ロックウエル)にさえ確認せず、いとも平然と独断で人命に関わる重大な決定を下すチェイニーは、まさしく“影の大統領”そのものだった。普段は幽霊のようにさっぱり目立たないこの男は、いかにして米国史上類をみない強大な権力を手にしたのか・・・。

 <ろくでなしの大学生の政界入り>

 同時多発テロ事件から38年さかのぼった1963年。若きチェイニーはろくに授業にも出ない酔っぱらいの大学生だった。イェール大学を退学となり、自らが育ったワイオミング州で電気工として働き始めたが、酒癖の悪さは相変わらず。警察の世話になった彼を引き取ったのは、成績オールAの才女である恋人リン(エイミー・アダムス)だった。「もう愛想が尽きたわ!」と最大限の罵声を浴びせてくるリンに赦しを請うたチェイニーは、ぼそっと「二度と君を失望させないよ」と誓った。

 1968年、ワシントンD.C.で連邦議会のインターンシップに参加したチェイニーは、そこで運命の出会いをする。共和党の下院議員ラムズフェルドの型破りなスピーチを気に入り、彼のもとで働き始めた。ラムズフェルドはナイフの達人のごとく権力を操る男で、まもなくリチャード・ニクソン政権の大統領補佐官に就任。「口は堅く」「指示は守れ」「忠実であれ」という部下としての3か条を叩き込まれたチェイニーは、権力に身を捧げることを決意する。それは学業もスポーツも平凡な成績しか残せなかった男が、ようやく見出した自らの転職だった。ホワイトハウスに窓もない小さな仕事場を得たチェイニーは、そこから自宅で幼い娘ふたりの育児に励むリンに電話をかけ、ニクソン大統領に会ったことを自慢するのだった。

 <妻との二人三脚で出世コースへ>

 ラムズフェルドの失脚で一度は政界を離れたチェイニーだが、1974年にニクソンがウォーターゲート事件で辞任を発表。そのテレビ演説で自宅で見ていたチェイニーは、何かがひらめいたようにかつてのボス、ラムズフェルドに連絡を取り、「ホワイトハウスを乗っ取りましょう」と不敵に言い放つ。以前とは見違えるほどのしたたかさを身につけたチェイニーは、まんまとワシントンD.C.に舞い戻り、史上最年少の34歳にしてジェラルド・フォード政権の大統領首席補佐官となった。

 かくして政界の出世コースを驀進するチェイニーだったが、次の大統領選でフォードが敗れ、下院議員選挙に出馬することに。タイミング悪く心筋梗塞で倒れたチェイニーを救ったのは、またもや切れ者の妻リンだった。もともと話下手なうえに、病院で静養を余儀なくされたチェイニーに代わり、選挙キャンペーンでマイクを握ったリンは、心に響くスピーチでワイオミングの庶民を魅了。夫の勝利の女神となった。

 ロナルド・レーガン政権下の1980年代に輝かしい日々を送ったチェイニーは、その後を受けたジョージ・H・W・ブッシュ大統領のもとで国防長官に就任。ところが、同性愛者である次女メアリーの存在がネックとなり、最強の権力者たる大統領への道を断念。政界を去って巨大石油会社ハリバートンのCEOになったチェイニーは、ヴァージニア州ののどかな自然の中で、愛する家族とともに悠々自適の生活を送るようになる。それはアメリカン・ファミリーの理想を絵に描いたような麗しい光景だったが、ここでチェイニーの人生がハッピーエンドに収まることはなかった。

 <“影の大統領”の密かな野望>

 ある日突然、リンと仲むつまじく暮らすチェイニーのもとに1本の電話がかかってきた。かつて国防長官として仕えたブッシュ大統領の息子で、ひどく出来が悪いと評判のジョージが何と大統領選に出馬するというのだ。その副大統領候補になるよう要請されたチェイニーは、どうにも乗り気になれない。リンは「副大統領なんて閑職よ。大統領が死ぬのを待つだけの仕事」と吐き捨てる。

 しかし無邪気な青二才のジョージと直接面会したチェイニーの脳裡に、またしても何かがひらめいた。「どうやら君は動的なリーダーだ。物事を勘で決める。それなら私が平凡な任務を担当できるかもしれない」。そうジョージに持ちかけたチェイニーの狙いは、官僚や軍、エネルギー政策から外交政策に至るまであらゆる実権を掌握することだった。

 やがてジョージは民主党候補アル・ゴアとの史上稀に見る大接戦を制し、2001年1月20日に大統領に就任。副大統領となったチェイニーは、旧知のラムズフェルドを国防長官に迎え入れるなど思惑通りの人事を行い、“影の大統領”としての権力基盤を固めていった。

 <再び2001年9月11日、そして・・・>

 9・11の同時多発テロ発生後、チェイニーはテロとの戦いの陰で憲法や国際法を拡大解釈し、国民向けの巧妙な情報操作を行っていく。そして、いつものぼそぼそ声で「大統領はあなただ。戦争の決断はあなたが下す。権力を握っているのはあなたひとりです」とジョージの耳元でつぶやき、石油資源も豊富なイラクへの侵攻の決断を迫る。それはアメリカのみならず、世界に取り返しのつかない新たな悲劇の種をまくことになる悪魔の囁きだった・・・。

(4)「SPECIAL REPORT/DICK CHENEY」

 <CHAPTER 1.COLUMN>

 <「チェイニー政権」がオバマ後のアメリカを生んだ?>
                     (渡辺将人・政治学者/字幕監修)

 私にとってもチェイニーは忘れようがない副大統領だ。2000年大統領選挙で、私はブッシュの対立候補のゴア陣営ニューヨーク支部にいた。アジア系集票の広報戦略を練る立場だった。「ブッシュは愛嬌があるが無能。チェイニーは手強いが無愛想」と揶揄し、「父ブッシュ時代の重鎮による傀儡政権になる」と「ブッシュ王朝」批判で戦った。だが、のちに民主党も「クリントン王朝」の樹立を目指す。この節操のなさに「内輪で大統領職を回すだけか」という民衆の怒りがトランプを押し上げた。「職業政治家ではない奴を大統領にしろ」と。

 私の研究室には、在りし日の世界貿易センタービルの写真が飾ってある。ローアーマンハッタンは陣営同僚が多く住み寝食を共にした地域だった。この写真を撮影した部屋に住んでいた元上司は、9/11テロでPTSDを患い政界を去った。

 その後も私とチェイニーの不思議な因縁は続いた。「ペンタゴンも燃えている。すぐ局にあがれ」。テレビ東京虎ノ門旧本社に召集されたのは2001年9月11日夜、米東海岸は朝だった。帰国後に入社した同局で経済部WBS(ワールドビジネスサテライト)担当記者だった。報道フロアは蜂の巣を突いたような騒ぎと化し、WBSも小谷真生子キャスターのまま異例の延長放送を行なった。旧知の議会関係者に安否確認と情報収集を試みたのち、映像編集室で外電翻訳に明け暮れた。凄惨な生映像を分類し、叫び声ばかりの英語を日本語字幕にして副調整室でテロップ入力。週末の特番班に召し上げられ、ツインタワーの内部を詳解するCGを製作した。被害者の叫び声とタワー崩壊の夢をよく見た。翌年、私は政治部官邸クラブに異動し、小泉総理、安倍官房副長官の番記者、外務省キャップと一貫してブッシュ政権、もとい「チェイニー政権」外交をフォローした。9/11対応以降の対テロ戦争は事実上チェイニーが主導していた。

 本作中には「Japan」「Koizumi」は出てこない。だが、小泉・ブッシュの親しさは本物だった。ブッシュの鶴の一声で同政権は小泉訪朝を黙認した。また、ルイス・リビーという日本通がチェイニーの右腕だったことも大きい。日本を舞台にした小説の作者でもある異色の首席補佐官だ。彼を介して日本は早期に「チェイニー室」の動きを察知した。留守番役の多い副大統領だが、チェイニーは節目には訪日した。だが、当時の日本外交の最大の攻めの案件「国連安保理改革」には、この最良の日米関係も梃にできなかった。チェイニーもイラク戦争支持と引き換えに日本の常任理事国入りを後押しするほど無条件の日本贔屓ではなかった。

 現在の18歳は2001年生まれ。若者は9/11テロ後生まれの世代に突入している。なぜ今さらチェイニーなのか。本作が奇抜な構成で問題提起するように、チェイニーが副大統領を引き受けたことで世界が変わった。それはトランプ政権にも繋がっている。

 オバマ政権はイラク戦争への反動で生まれた。2008年大統領選前、米兵の犠牲増加や捕虜虐待報道で反戦論が吹き荒れ、戦争賛成の前科があるヒラリーは失速。戦争に反対していたオバマが党内で担がれた。そもそもは9/11テロ後の愛国世論がイラク侵攻を後押しし、議会もお墨付きを与えた。だからこそ物語は9/11テロから始まる。あのテロが起きていなければ、世界は違ったものになっていた。そしてオバマは大統領になっていない。

 ゴア政権になっていれば9/11は起きても、イラク侵攻はなかっただろう。だから2000年大統領選で民主票を食い、ブッシュに漁夫の利を与えた第3党「緑の党」のラルフ・ネーダーこそがイラク戦争の原因というジョークもある。ネーダー支持者はこう言い返す。「おかげで黒人大統領が誕生した」と。そしてブッシュ、オバマの2代の政権への不満を代弁したのがトランプだ。イラク戦争批判でブッシュ家の弟ジェブを潰し、海外非介入「アメリカ・ファースト」で台頭した。そして黒人大統領8年への不満も煽った。チェイニーは皮肉にも後続2代の政権の間接的な生みの親だ。「反動」の種を播いた主でもある。

 チェイニーは外交安全保障において大統領を凌ぐ権限を手に入れた。副大統領は一般的には閑職だ。しかし、ブッシュ政権では例外が起きた。2000年大統領選ではフロリダで再集計騒ぎが起きるが、これがチェイニーには福音だった。脆弱な「正統性」への負い目からブッシュ周辺は点取りに焦った。「思いやりのある保守主義」より、対テロのほうが政権浮揚にはなる。本作で繰り返しでてくる「一元的執政府論」が副大統領の権限強化に利用された。

 物語では2人の人物が鍵となる。まず妻のリン、そしてドン・ラムズフェルドだ。彼らなしには政治家チェイニーは存在しない。リンは野心を夫のチェイニーに託す。ラムズフェルドとの師弟関係、そしてアメリカの政治インターンシップ制度の特殊性も重要だ。日本の「インターン」とアメリカの政治インターンは根本的に異質だ。事務所により扱いは千差万別だが年単位の長期フルタイムが基本で「学生バイト」ではない。修士以上の専門家だと政策や法案執筆を任され、博士号取得者の知的用心棒もいる。職務は議員が恣意的に決めるので好かれると突然重用される。チェイニーがそうだった。ラムズフェルドに仕えたことで、トントン拍子にホワイトハウスに職を得る。

 チェイニーはイデオロギーに染まっていない。ラムズフェルドと同じ「保守強硬派」だが、民主主義を拡張するネオコン的信念はない。政党に無関係なままラムズフェルドの破天荒な魅力に惹かれて共和党を適当に選ぶシーンがある。同場面は演出としても、真に「保守」であったのかは怪しい。「理念なき」現実外交を仕込んだのはラムズフェルドだった。だが、「怪物」を育てた彼も、かつての部下に人事権を握られていく。持病(心臓)に加え、物語のアクセントになっているのは、チェイニーにレズビアンの娘がいる実話だ。キリスト教保守を地盤にする共和党ではLGBT容認は御法度。だからこそ民主党は同性婚への超党派支持をチェイニーの娘を例に訴えた。チェイニーは娘の同性愛受容で、リベラルによる戦争責任追及の緩和を狙ったとの意地悪な評価もある。それも含めてチェイニー夫妻が背負う十字架であり、権力という魔物に取り憑かれた人間のリアルな叙事詩である。

(5)「SPECIAL REPORT/DICK CHENEY」

 <①共和党と民主党>

 おおむね共和党が保守で民主党がリベラルとされる。しかし、保守とリベラルの意味に要注意。アメリカの保守は中央政府の介入を好まない「小さな政府」で規制緩和や減税を徹底して求める。リベラルは「大きな政府」で、ある程度の経済的再配分を認める。文化的な価値観も絡む。銃所持の権利、中絶や同性婚を認めない原理的キリスト教などは保守。環境保護、LGBTの権利重視などはリベラルだ。地域性も大きい。沿岸部や都市部はリベラルで、内陸や農村は保守的。北東部州の共和党議員より南部の民主党議員のほうが保守的だ。民主党支持の銃愛好者もいる。政党は「器」にすぎず、どの争点で「保守」「リベラル」なのか、そして地域性などが有権者の「色」を決める。チェイニーの出身地ワイオミングは保守的なカウボーイの州。演説下手なチェイニーの代わりに、連邦政府に反感を持つ地元白人の保守魂に見事に訴えかけるリン夫人の即興演説に注目だ。

 <②上院と下院>

 アメリカの内政官庁には日本の中央官庁のような強大な権限は存在しない。立法も予算も連邦議会主導だ。大統領の政党が議会で少数派になると法案が通りにくくなる。ブッシュ政権は政権末期の中間選挙まで共和党多数の議会だった。上院は連邦判事や閣僚の承認、条約の批准の権限があるが、下院には予算の先議権があるのでチェイニーは「金の蛇口」として重視した。下院議員は人口比で選出され任期は2年(定数435)。上院は各州2名の任期6年(定数100)。上院が一票の格差を度外視しているのは州の平等原則のため。アメリカの州は13植民地時代から別の「国」のような成り立ちで、死刑の有無、薬物の合法性まで、法律が州で異なり、州軍まで存在する。雇用や陳情の議会アクセスにも州格差があり、人口が少ない州は競争率が低い。野心的な高学歴者で溢れる大都市州とは正反対のワイオミングが故郷のチェイニーは有利だった。

 <③副大統領、大統領首席補佐官、国務長官、国防長官>

 副大統領は大統領に不測の事態があったときに繰り上がる以外は「閑職」で、チェイニーは例外的だ。コンビで戦う選挙中が華。就任後一転して影が霞む。ニクソン大統領の辞任劇では副大統領だったフォードが繰り上がった。ホワイトハウスの権力で重要なのは大統領との「近さ」で、執務室も大統領の隣に陣取る首席補佐官が女房役。フォード政権ではラムズフェルドとチェイニーが首席補佐官を歴任した。補佐官は議会承認が要らず大統領のコネだけで就任できる。外交担当の国務長官、軍事担当の国防長官の地位は高いが、決定権はホワイトハウスが握る。ブッシュ政権1期目は国防長官(ラムズフェルド)が国務長官(パウエル)よりも重視された。2期目に国務長官が復権したのは就任したライスが大統領と近い関係だったからだ。

 <④連邦議会インターン>

 日本の「インターン」の印象からは、ラムズフェルドの抜擢によるチェイニーの八面六臂の活躍は理解しにくい面がある。アメリカの「インターン」は日本のような就職活動の企業体験ではなく、政府機関、企業、法律事務所等で、年単位の期間、即戦力で雇われる若手実務家だ。学部生は下働きも多いが、院卒や社会経験組は若手専門家として扱われる。フルタイムが原則で履歴書では正規の職歴に書く。将来の報酬が安定した専門分野ほど成功へのパスポートの褒賞的位置づけから無給も多い。オバマ大統領はシカゴの法律事務でインターン時代にミシェル夫人の部下だった。議会は事務所により処遇が違う。映画では議会全体の「制度」として描かれているが、実際には議員の個別採用が基本。議会インターンが立法など高度な業務も担当するのは、雑用係は議会に寄宿生活する「ページ」という高校生スタッフが別途雇用されているため(下院では2011年に廃止、上院では存続)。上院よりもスタッフ数の少ない下院のほうが議員との距離は近い。ラムズフェルド事務所を選んだチェイニーの政治的嗅覚は正解だった。

 <⑤UNODIR>

 アメリカ海軍で使われている“Unless otherwise directed”の頭文字をとった用語に由来する表現。上層部の許可なしで現場の指揮官が自主的に作戦を指示することができる特別な命令権のこと。この言葉を使えば、異論がない限り作戦を遂行することができる。危機対応大統領の命令を持たないことが頻繁にあったチェイニーのお好みのフレーズだったとされる。

 <⑥一元的執政府論>

 大統領に執政の主導権があり、議会の干渉を受けずに、さまざまな行政判断を大統領が行うことができるという理論。合衆国憲法第2条が根拠になっている。アメリカの法学者の間でもこの権限を「強く」認めるか、「弱く」しか認めない解釈が割れている。ブッシュ政権期に対テロ戦争とネオコンの発言権拡大のなか、外交・安保分野に適用が拡大された。政府の権限の肥大化に懐疑的な保守派内にも適用への警戒論がある。推進派の頭脳にはのちに最高裁判事になるアントニオン・スカリア、韓国系弁護士のジョン・ユーなどがいた。

 <⑦執務室の自動録音システム>

 ニクソン大統領はケネディやジョンソンと同様に大統領執務室内の会話を録音するように指示していた。執務記録などを目的に行われていたが、ニクソンの場合は皮肉にもウォーターゲート事件の重要証拠になり辞任に追い込まれた。現在も大統領が望むときには録音されるが、トランプ政権は詳細を明かしていない。

 <⑧チェイニーのメール操作>

 ホワイトハウス内の副大統領室を司令塔にした「チェイニー班」は大統領派から動きを隠し、意思決定の証拠もデジタルで残さない慎重さもあったようだ。映画ではチェイニーと部下たちの打ち合わせで、大統領メールをBCC送受信、自動アーカイブ無効、党の専用サーバーで行なう等の会話が出てくる。

 <⑨大富豪のシンクタンクへの献金>

 共和党の「支持基盤」として、ライフル協会などは票を、保守系シンクタンクは政策を供給する。映画に登場する保守系会議「水曜会」のグローバー・ノーキストは減税派の重鎮。この種の組織やティーパーティなどの政治運動には富豪の資金も流れ込む。アメリカでは政治資金は「言論の自由」の表現と捉えられ、「正義の献金」と「悪の献金」を単純にイデオロギーで線引きできないため、むやみな献金規制にはリベラル側からも慎重論がある。

 <⑩ハリバートン社とチェイニー>

 エネルギー企業のハリバートンの関連会社はイラク戦争開始から10年の間に、アメリカ政府から395億ドルのイラク関連の受注をしたという(フィナンシャル・タイムズ紙)。単独企業の受注としては相当な規模で、チェイニーが同社CEOを務め、多額の報酬を受けていた過去から癒着が批判された。2004年の大統領選挙で争点化したが、ブッシュ再選により追及が沈静化した経緯がある。

 <⑪R・エイルズ(FOXニュース創業者)>

 1990年代にアメリカではケーブルのニュースチャンネルが多様化。1996年にはFOX NEWS Channelが放送を開始した。これをメディア王のマードックのもとで創業したのが共和党系の政治コンサルタントのエイルズだった。主流メディアが総じてリベラル偏向と揶揄されていた時代、FOXニュースは保守思想を視聴率ビジネスに取り入れた。FOXはのちにチェイニーを世論形成面で支えた。

 <⑫キッシンジャー(ニクソン、フォード政権の要人)>

 ニクソン政権で国家安全保障担当大統領補佐官、フォード政権で国務長官を務めた政治学者。ベトナム戦争後、1970年代にデタント外交を推進した。「現実主義」という国際関係論を柱にする。好戦主義のことではなく、むしろアメリカの国益に死活的に重要な国際問題にしか関与せず、国同士の「勢力均衡」で安定を目指す考え。親中派としても知られる。フォード政権では対ソ戦略で強硬派のラムズフェルドと対立した。

 <⑬大統領と副大統領の「腹心」たち>

 どの政権でも大統領と副大統領は個別のスタッフを持ち両者は対立する。アメリカでは選挙陣営の幹部スタッフが、そのまま政権や議員事務所で顧問や上級補佐官になる。「一蓮托生」の腹心を重用し、内政・外交の手綱まで握らせる。ブッシュ顧問ローブはダイレクトメール業者、オバマ顧問のアクセルロッドはテレビCM専門の広告業出身だ。しかし、理論家とのバランスも欠かせない。ブッシュは腹心であるローブ、ヒューズに加え、政治学者のライスを安保担当補佐官にした。だが、ネオコンの頭脳を手に入れたチェイニーとラムズフェルドの保守強硬派の連合には歯が立たなかった。オバマ政権にはこれに学び、副大統領の権力を抑制し、シカゴ出身の数名の腹心(4人組)に限定した運営を好んだ。

 <⑭ポール・ウォルフォウィッツ(国防副長官)>

 イラク戦争の設計者のひとりでネオコン。政権2期目に世銀総裁も務める。シカゴ大学で政治学博士号を取得。ネオコンは「現実主義」と真逆で、「国益勘定」よりも、思想やイデオロギーを重視する理想主義であり反共の介入主義。他国に干渉してでも民主主義の「正義」を拡大するという意味では、左派の人権リベラル派と情念は似ている。じっさい第一世代は左派トロツキストからの転向組が多く、元民主党。レーガン政権期にカーター政権の弱腰に幻滅して共和党に転向し、「新」保守主義と呼ばれる。

(6)「黙ってそこにいるだけだった男の悪徳をあぶり出した、勇気ある人たち」(猿渡由紀・映画ジャーナリスト)

 なんと勇気のある映画だろうか。「バイス」を観ている間、ずっと感じ続けたのは、それだった。

 アメリカにおいて、国民の税金からお給料をもらっている政治家が、笑い者にされたり、批判されたりするのは、当たり前のこと。長寿番組「サタデー・ナイト・ライブ」でも、コメディアンが大統領や閣僚、大統領候補などを演じてバカなことをしてみせるのは、昔から人気の定番ジョークだ。

 しかし、この映画はその域を大きく超えている。ユーモアもたっぷりあるとはいえ、今作は、笑うだけではすまされない。これは、衝撃の事実を暴く、強烈な問題作なのである。タイトルからも、それは明らかだ。これは副大統領(Vice President)の略であると同時に、文字どおり、“悪徳”も意味しているのである。

 勇気を裏付けるのは、政治への深い関心と、鋭い問題意識だ。ディック・チェイニーに着目すること自体が、そもそも、何よりの証拠だろう。彼が副大統領だった頃、非難の的は常に、大統領であるジョージ・W・ブッシュだった。チェイニーは黙ってそこにいるだけの男。普通の人はほとんど気にもとめない存在だったのである。彼が話題に上がったのは、映画にも出てくる射撃事故を起こした時くらい。「副大統領って、何をする人なんだろう」と思っている人は多いはずだが、チェイニーはまさに「何をしているんだろう」の代表格だった。だが、アダム・マッケイ監督は、早くからこの人物に着目をしていたのだ。今作を観れば、彼が何をしていたかわかる。そして、とても恐ろしくなる。

 こんな映画を、チェイニー本人がもちろん認めるはずはない。だから、マッケイ監督は、本人にこの企画を持ちかけることはしなかった。「彼に話を持ち込んだら、彼はアプルーバルをする法的権利を得てしまう。それでは本人が許可した伝記になってしまい、彼が入れるなと言うことは入れられなくなる。それがチェイニーの本当の歴史であると、僕らが知っていてもだ」と、マッケイ監督は筆者とのインタビューで述べている。

 そんな状況下でこれらの人物を見事に演じたキャストは、本当にすごいと思う。特に主演のクリスチャン・ベールと、妻リン役のエイミー・アダムスは、40年という長い年月にわたって、それらの人物の外見、そして内面の変化を、見事につかんでみせた。タイトルは“悪徳”だし、ベールはゴールデン・グローブの受賞スピーチで悪魔に感謝したりしたが、そんなひどい人物もやはり人間なのだと感じさせるのはさすがである。たとえば、娘がレズビアンとわかってから、政策とその事実の矛盾の間で苦悩するところなども、口数も表情も少ないまま、ベールは絶妙に表現している。

 チェイニー夫妻よりも世界の観客にずっとよく知られているブッシュを演じるサム・ロックウェルには、違った意味での至難があった。先にも述べた「サタデー・ナイト・ライブ」では、過去にウィル・フェレルが彼を演じて毎回大うけしていたし、オリバー・ストーン監督の『ブッシュ』ではジョシュ・ブローリンがなかなか良い演技をしている。今作で、ロックウェルは、これまでただ“バカ”“世間知らず”とされてきたこの人物の側面を、もう少し共感のできる形で表現してみせた。それもまた、我々が思ってきた歴史にはもっと奥があるのだと伝える役割を果たしているように思う。

 助演の顔ぶれも良い。スティーヴ・カレルもロックウェルに並んでオスカー候補になっても良かったくらいだが、コリン・パウエル役に黒人向けコメディ映画シリーズの監督として知られるタイラー・ペリーを起用したのは、非常におもしろい発想だ。ちらっとしか出ないものの、フォックスニュースチャンネルの創設者ロジャー・エイルズなども、ちゃんとニュアンスをつかんでいる。ところでこのエイルズについてのドキュメンタリーもあり、アメリカでは『バイス』と数週間違いで公開されたのも興味深い。『Divide and Conquer:The Story of Roger Ailes』というタイトルで、低予算の小規模映画ということもあり、ほとんど話題にならなかったのだが、両方合わせてみると、より多角的な方面から観られて、理解が深まる。彼は晩年、セクハラでフォックスニュースを追い出されており、それについての映画も、現在製作されている。こちらの映画では、ジョン・リスグローがエイルズを演じる。

 最後に、カメラのもっと裏にいる、制作陣にも拍手を送りたいと思う。こんな大胆な映画が実現したのも、その意義を信じ、資金集めに駆けずり回ってサポートしたプロデューサーらがいたからだ。その人たちは、ブラッド・ピットが率いるプロダクション会社プランBエンタテインメントと、ミーガン・エリソン率いる制作配給会社アンナプルナ・ピクチャーズ。このコンビは、このオスカーシーズン、今作のほかに『ビール・ストリートの恋人たち』でも大健闘した。70年代を舞台に、黒人が警察から受けたあまりに不当な扱いを語る『ビール・ストリート~』も、ピューリッツァー賞受賞作家ジェームズ・ボールドウィンが書いた小説が原作とはいえ、今日のハリウッドでは儲からないと思われてなかなか作らせてもらえないタイプの映画である。

 しかし、彼らはそんな映画をむしろ喜んで手がけ、プランBは『それでも夜は明ける』『ムーンライト』など、アンナプルナは『ゼロ・ダーク・サーティ』などで、成功を収めてきた。これこそまさに、勇気と言っていい。この大胆な映画は、恐れを知らず、信念を貫く人たちの手で生まれたのだ。これから先、彼らがまたどんなことをやって驚かせてくれるのかに、ますます期待が高まる。