2019年3月31日第194回「今月の映画」「グリーンブック・GREEN BOOK」

(1)私(藤森)の感想に近いものを発見しましたので、私の感想の代わりにご紹介します。今回の映画は「実話」に基づいている「映画」です。

 「桂春蝶の蝶々発止」(夕刊フジ、3月29日)

 先日、今年のアカデミー賞の最優秀作品賞に輝いた映画「グリーンブック」を見ました。実話から生まれた感動のバディ・ムービー(=主人公が二人一組で活躍する映画)です。1962年、大ざっぱで無教養なイタリア系用心棒と、孤高の天才黒人ピアニストが、黒人差別が色濃く残る米国南部への演奏ツアーに出る話です。

 映画では、実在したピアニスト、ドナルド・シャーリーが行く先々で信じられない差別に遭遇します。宿泊するホテルは限られ、店で買い物もできない。トイレも使えない。高級レストランでの演奏会では、何百人もの観客が食事をしているのに、彼だけが断られる。その後、その場で演奏するにも関わらずです。

 私は日本人で、人種差別的なものは、深くは知りません。正直、この映画を見て、かなりのショックを受けました。

 しかし、シャーリーはその怒りをすべてピアノという芸術に「昇華」させていきます。人種差別という最も美しくないモノを、何より美しい芸術に変えていったのです。これは簡単にできることではありませんよね?

 そこで得られるのは、多くのファンからの喝采と尊敬です。文化の力は人間の闇すら超えてゆく。

 私はこの映画を、先日引退を発表した偉大なる野球選手と重ねながら見ていました。MLBのシーズン最多記録262安打、世界記録の日米通算4367安打、日米通算3604試合出場・・・。記録については、もう何を言えばいいのか分からないほど。後にも先にも、これほどの選手はもう出てこないでしょう、イチロー選手です。

 実は、そんなイチロー選手も人種差別を受けてきたそうです。とても聞いていられないような侮辱的な言葉で罵られ、アイスクリームやコインを投げつけられた。実際、何回かはイチロー選手の頭に当たったこともあるとか。

 しかし、結果と記録を出し続けることで、いつしか差別思想のある人たちは黙ってしまった。美しい結果は、人間の心すら変えてしまうのでしょうね。

 イチロー選手の引退会見の締めくくりが、私には印象的に思えました。

 「米国に来て、外国人になった。外国人になったことで人の心をおもんばかったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れてきました。孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。しかし、その体験は、未来の自分にとって大きな支えになるだろうと思います。辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然ですが、エネルギーのあるうちにそれに立ち向かっていく。それは人として重要なことだと感じています」

 泣ける!聖人や!(笑)。
イチロー選手、あなたと同じ時代に生きているだけでも幸せを感じます。これからもわれわれの、よき指針であり続けてくださいませ!

<かつら・しゅんちょう・・・1975年、大阪府生まれ。父、二代目桂春蝶の死をきっかけに、落語家になることを決意。94年、三代目桂春団治に入門。2009年「三代目桂春蝶」襲名。明るく華のある芸風で人気。人情噺の古典から、新作までこなす。大阪市の「咲くやこの花賞」受賞>

(2)「INTRODUCTION」

 <おじさん2人の物語がまさかの世界席捲!>

 <ガサツで無教養なイタリア系用心棒が、孤高の天才黒人ピアニストの運転手に。何もかも正反対の2人がコンサートツアーへ旅立った・・・。>

 時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップはガサツで無学だが、腕っぷしはもちろんハッタリも得意で、家族や周囲から頼りにされていた。コパカバーナが改装のために閉店となった2か月間、トニーはある黒人ピアニストにコンサートツアーの運転手として雇われる。

 彼の名前はドクター・ドナルド・シャーリー、巨匠ストラヴィンスキーから“神の域の技巧”と絶賛され、ケネディ大統領のためにホワイトハウスでも演奏するほどの天才なのだが、なぜか黒人差別が色濃く残る危険な南部を目指していた。黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに2人はツアーへと出発する。

 はじめは自分の流儀を譲らず、衝突ばかりしていた2人だが、トニーはドクター・シャーリーの奏でる今まで聴いたことのない美しい音色に魅せられ、ドクター・シャーリーはどんなトラブルも解決するトニーに信頼を寄せていく。やがて2人の間に立ちはだかる壁は崩れ、笑いの絶えない楽しい旅へと変わっていく。だがツアーの最後には、重大な事件が彼らを待ち受けていた・・・。

<グリーンブックとは・・・1936年から1966年まで、ニューヨーク出身のアフリカ系アメリカ人、ヴィクター・H・グリーンにより毎年作成・出版されていた、黒人旅行者を対象としたガイドブック。

 黒人が利用できる宿や店、黒人の日没後の外出を禁止する、いわゆる「サンダウン・タウン」などの情報がまとめてあり、彼らが差別、暴力や逮捕を避け、車で移動するための欠かせないツールとなっていた。ジム・クロウ法(主に黒人の、一般公共施設の利用を制限した法律の総称)の適用が郡や州によって異なるアメリカ南部で特に重宝された。>

(3)「STORY」

 <行こうぜ、相棒。あんたにしかできないことがある>

 1962年、ニューヨークが誇るナイトクラブ、コパカバーナは今宵も大盛況。用心棒を務めるトニー・“リップ”・バレロンガ(ヴィゴ・モーテンセン)も大忙しだ。だが、改装のため明日から2か月間の閉店が決まっていた。妻のドロレス(リンダ・カーデリーニ)と2人の息子たちのためにも、トニーはすぐに別の仕事を見つけなければならない。

 「ドクターが運転手を探している」と紹介されたトニーが、指定された住所を訪ねると、そこはカーネギー・ホールだった。相手は医者ではなく、劇場の上の高級マンションに暮らす黒人ピアニスト、ドクター・ドナルド・シャーリー(マハーシャラ・アリ)。彼が求めているのは、クリスマスまでの2か月間、南部を回るコンサートツアーの運転手だ。「黒人との仕事に抵抗が?」と聞かれたトニーは、「ないね」と即答するが、それは嘘だった。イタリア系のトニーは、「俺は召使じゃない」と拒絶し、交渉は決裂する。

 だが、差別が色濃く残り、黒人にとって危険な南部へ行くのに、トニーのどんなトラブルも解決する腕がどうしても欲しかったドクター・シャーリーは、トニーの希望条件を全面的にのんで彼を雇う。出発の日、レコード会社から「グリーンブック」を渡されるトニー。南部を旅する黒人が泊まれる宿が書かれたガイドブックだ。

 運転しながら、ドロレスが作ってくれたサンドイッチを、ガツガツと頬張るトニー。後ろを振り向いて話しかけると、「手を10時と2時の位置に」と冷たく注意される。さらに、「タバコは消せ」と命じられてムッとする。それでもベラベラと話し続けると、今度は「少し静かにしてくれ」と言われてしまう。

 最初のコンサートの前に、ドクター・シャーリーから土地の上流階級の名士に紹介されるので言葉づかいを直せと諭されたトニーは、「クソ食らえ!」と返事をし、さらに本名の「バレロンガ」を発音しにくいから短くしようと提案されて、断固拒否するのだった。

 静かに怒るドクター・シャーリーから「君は表で待て」と言い渡されて、窓から会場を覗くトニー。「心理学・音楽・典礼芸術の博士号を取得。ホワイトハウスでの演奏は14か月で2回」と仰々しく紹介されたドクター・シャーリーと、チェロのオレグ、ベースのジョージのトリオの演奏が始まると、トニーはドロレスへの手紙に、「あいつは天才だ」と興奮して記し、でも「楽しそうじゃない」と書き加えるのだった。

 白人のバーに入っただけで袋叩きにされたドクター・シャーリーを助けたのをきっかけに、トニーは任務としてだけでなく、繊細で孤独な彼を守ってやりたいと思うようになる。一方、ドクター・シャーリーの方も、ガサツで無教養だが人間味あふれたトニーに信頼を寄せるようになり、ドロレスへの手紙の書き方も親切にアドバイスするのだった。

 あんなに反発し合っていた2人のツアーは、いつしか笑いの絶えない旅へと変わり、様々なトラブルを乗り越え、ついに最後の町、アラバマ州のバーミンガムへ到着する。だがそのコンサート会場は、悪名高い歴史を持つレストランだった・・・。

 果たして2人はツアーを無事に終わらせ、トニーの家族が待つニューヨークにクリスマス・イブまでに帰れるのか・・・?

(4)<グリーンブックが導いたディープサウスへの旅(町山智浩・映画評論家)

 映画『グリーンブック』は、マフィアの生き証人として知られるトニー・バレロンと、天才ピアニスト、ドン・シャアリーの知られざる友情を描いた、実録ロード・ムービーである。

 トニーは、『ゴッドファーザー』や『グッドフェローズ』などにマフィアの老幹部の役などで出演している元用心棒。ニューヨークの下町ブロンクスでイタリア移民の家に生まれたトニーは、マフィアと暴力に囲まれて育ち、兵役を終わると高級クラブ「コパカバーナ」のフロアマネージャーになった。コパカバーナはフランク・シナトラなどセレブの集まる店として知られたが、喧嘩っ早いマフィアの客も多かった。拳銃を持ち出すギャングを口だけで見事にいなすタフガイ、トニーは「リップ(口が達者)」と渾名された。

 いっぽうのドン・シャーリーは南部フロリダの黒人家庭に生まれたが、2歳でピアノを弾く天才で、9歳からソ連のレニングラードで英才教育を受け、博士号を持ち、カーネギー・ホールの上に住むエリート中のエリート。シャーリーの音楽はクラシックとジャズ、アフリカ音楽などをミックスした、「ドン・シャーリー・ミュージック」としか言いようのない唯一無二の芸術として音楽史に輝いている。

 その彼、シャーリーがアメリカ南部に演奏ツアーに行く。時代は1962年。南部ではまだ黒人に対する人種差別が合法だった。だからトニーがその度胸を買われて、シャーリーの運転手兼ボディーガードとして雇われる。

 この旅のガイドとなるのが、題名の「グリーンブック」である。正式名称を「黒人ドライバーのためのグリーン・ブック」という緑色の表紙の小冊子で、当時アメリカ南部を旅行する黒人にとって必携の書だった。

 1865年に南北戦争に敗北した南部では奴隷が解放されたが、それから100年近く立った1960年代まで、黒人差別は続いていた。アメリカ南部の各州は州法で、公立学校、公衆トイレ、バス、レストラン、ホテルなどすべてを白人用と黒人用に分けていた。

 1930年代、北部で働く黒人は自家用車を持ち、ドライブで南部を訪ねる人々も多くなったが、レストランやホテルは「白人用」と看板に掲げていない場合がほとんどで、黒人旅行者が知らずに入ると罵倒されたり、暴力を振るわれることも多かった。

 そこで、ニューヨークに生まれ育った黒人、ヴィクター・ヒューゴ・グリーンが調査をもとに1936年に自費で出版したのが、グリーン・ブックだった。グリーンは自分の苗字を書名にして表紙に緑色を使った。毎年改定版を出し、平均で1万5千部ずつ売れたという。

 ヤクザなトニーは当時の白人労働者階級らしく、黒人に対する偏見に満ちている。ヨーロッパの洗練を身につけたドンは黒人のソウル・フードであるフライド・チキンも食べたことがない。この水と油の2人の珍道中が楽しくおかしい。

 トニー役のヴィゴ・モーテンセンは『ヒストリー・オブ・バイオレンス』ではマイホーム・パパになった元マフィアの殺人マシーン、『イースタン・プロミス』では心優しいロシアン・マフィアを演じているから、用心棒演技はおてのもの。さらには今回は大食いタレントばりに食べっぷりで笑わせてくれる。

 ドン役は『ムーンライト』で主人公の父代わりになるドラッグディーラー役でアカデミー賞助演男優賞に輝いたマハーシャラ・アリ。彼自身、ニューヨーク大学で演技を学んだエリートで、ドンの貴族的品格と威厳にリアリティを与えている。

 この「おかしな2人」が南部の理不尽な人種差別に直面する。
当時、すでに黒人の人気歌手や映画スターは多かったが、南部にツアーに行くと、黒人用のレストランと安ホテルにしか入れなかった。アカデミー賞にもノミネートされた美人女優ドロシー・ダンドリッジは南部のホテルでプールに入ろうとしたらホテル側から「あなたが入ったらプールの水を全部抜かないとなりません」と言われた。「月光値千金」をミリオン・セラーにしたシンガー、ナット・キング・コールは故郷アラバマの公演でステージから引き摺り下ろされてリンチされそうになった。

 トニーとドンがミシシッピで逮捕される場面は恐ろしい。映画『ミシシッピー・バーニング』や『ゴースト・オブ・ミシシッピ』で描かれたように、1960年代当時、ミシシッピで警官や保安官が白人至上主義団体KKKと結託して、黒人の人権運動家や彼らに協力する白人を殺していたからだ。

 そんな現実を体験してトニーの侠気に火がつく。しかしドンは「暴力では勝てないこともある。尊厳で戦うんだ」と言う。それは当時、人権隔離と戦っていたマーティン・ルーサー・キング牧師の非暴力闘争を意味している。監督のピーター・ファレリーは兄弟で監督した『メリーに首ったけ』『愛しのローズマリー』『ふたりにクギづけ』などの超下品コメディで知られる。だが、彼らの下ネタ映画をよく観ると、半身不随や知能遅滞などハンディキャップを持つ人々が必ず出演している。トニーは「ドンはあんなに差別されて、よく笑顔で握手できるな」と首を傾げるが、偏見や差別と笑いで戦うのはファレリーのやり方でもある。

 キング牧師の非暴力闘争は国政を動かし、1964年に公民権法が成立、南部の人種隔離が憲法違反とされて撤廃され、1966年にグリーン・ブックもその役割を終えた。

 しかし、現在、トランプ政権によって人種間の分断が進み、ヘイトクライムや、警官による黒人への暴力事件が増加している。『グリーンブック』が描く、人種を超えた相互理解の大切さは今も変わらない。映画の最後に、本物のトニーとドンの生涯変わらぬ友情の証を見たとき、人はあふれる涙をおさえることができないだろう。

(5)「孤高の天才ピアニストが旅を通じて見つけたもの」(村尾泰郎・映画ライター)

 ドン・シャーリーが亡くなった時、ニューヨーク・タイムズは、彼のことを「a Pianist With His Own Genre(独自のジャンルを持つピアニスト)」と紹介した。確かにシャーリーの音楽をジャンル分けするのを難しい。9歳からレニングラード音楽院でクラシックの英才教育を受けたシャーリーは、1945年に18歳で名門ボストン・ポップス・オーケストラをバックにピアニストとして華々しくデビューを飾った。しかし、黒人がクラシックの世界で成功することは難しく、音楽家としてやっていくためにみずから課したのは黒人らしくすること。シャーリーはクラシックとジャズを巧みに融合させて独自のジャンルを生みだした。ピアノ、チェロ、ベースのトリオというのも、シャーリーならではのユニークな編成だ。

 しかし、クラシックをやれないことへの悔しさもあって、シャーリーはジャズに対しては愛憎入り交じった感情を抱いていたらしい。ジャズ・ミュージシャンと演奏することはほとんどなく、唯一交流を持っていたのは、シャーリーの良き理解者だった<ジャズの巨人>、デューク・エリントンのみ。シャーリーはクラシックにも、ジャズにも属することはなかった。そんな孤高の天才の才能を認めたのが、彼とは住む世界がまったく違うナイトクラブの用心棒、トニー・リップというのが面白い。NYの感性を磨いたのだろう。

 シャーリーの演奏を聴いたトニーの感想が面白い。トニーいわく「黒人ぽくなく、リベラーチェのようで、もっと上手い」。リベラーチェは当時、ナイトクラブやテレビで人気だったピアニスト。彼もシャーリー同様、子供の頃からクラシックを学んだが、食べていくためにクラシックにポップスを交えた演奏をするようになり、演奏技術の高さとサービス精神たっぷりのステージで人気者になった。また、同性愛者でもあった彼は、シャーリーと合わせ鏡のような存在だ。でも、ゴージャスな衣装を着てエンターテイナーに徹したリベラーチェに似ていると言われたら、きっとシャーリーは眉をひそめただろう。

 暮らしている環境も性格も違うシャーリーとトニーは、旅を通じて少しずつお互いを理解していく。旅をするのが南部というのも重要だ。南部は人種差別が深刻であると同時に、ゴスペル、ブルース、R&Bといった黒人音楽と、カントリーやブルーグラスなど白人音楽が発展したアメリカ音楽の故郷ともいえるエリア。そして、黒人音楽と白人音楽が混ざり合うことで、ロックンロールが生まれた。そんなさまざまな音楽が交差する土地を、人種の違う男達が旅をする。カーラジオから流れてくるのは、チャビー・チェッカー、リトル・リチャード、アレサ・フランクリンなどのR&Bナンバー。ほとんどが南部出身のアーティストだ。しかし、シャーリーは彼らの歌を聴いたことがない。「あんたのブラザーだろ?」とトニーが言うとシャーリーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。「黒人はR&Bを聴いてチキンを食べるもの」。そういう勝手なイメージの押しつけが差別の一因になっていることをトニーは気付いていない。黒人が使ったグラスを捨てるくせに、黒人音楽を楽しんでいる自分の矛盾にも。

 物語の舞台となった62年のアメリカといえば、公民権運動が力を増していた頃。前年にリベラルなジョン・F・ケネディが大統領になり、シャーリーが獄中から電話をかけるロバート・ケネディが司法長官に就任。翌63年には、キング牧師の呼びかけのもと、人種差別の撤廃を求めて20万人もの人々が参加したワシントン大行進が実行されるなど、アメリカは変わり始めていた。そういう空気は、自分の城に引きこもっているシャーリーにも伝わったのだろう。だからこそ、彼は南部をツアーでまわって自分の目で世界を見ようとしたのだ。そして彼は、給仕や農夫として白人に仕えている“ブラザー”を目撃し、彼らが生み出した音楽を聴いた。

 ジャズやR&Bは、公民権運動が広がるにつれて黒人文化の象徴として重要な役割を担うようになっていく。そんななかで、裕福な白人のためにピアノを弾いている自分に対して、シャーリーは割り切れない気持ちを抱いていたはずだ。それでも演奏が終わった後、毎回、観客に媚びた笑顔で挨拶する姿が痛々しい。しかも、シャーリーは同性愛者でセクシュアリティの面でもマイノリティだった。そんなシャーリーの孤独と勇気に気付くトニー。そして、シャーリーは、人種やセクシュアリティの壁を越えてトニーと友情を結ぶことで、自分の殻から抜け出せるようになる。ショパンやリストを学びながら「レコード会社から“黒人のクラシック・ピアニストにチャンスはない。黒人のエンターテイナーになれ”と説得された」とトニーに打ち明けたシャーリーが、安酒場でショパン「木枯らしのエチュード」を力強く弾く姿は感動的だ。そこには、音楽家としての、そして、黒人としての誇りを感じさせる。

 今回、映画のサントラを手掛け、シャーリーの演奏シーンで実際に弾いているのは黒人ピアニスト、クリス・バワーズ。子供の頃にクラシックを学んだ後、ジャズに進んだバワーズは、アメリカを代表する音楽学校、ジュリアード音楽院はじまって以来の天才と呼ばれる才能の持ち主で、その経歴はシャーリーに通じるものがある。現在バワーズは、ヒップホップ、映画音楽など多方面で活躍しているが、シャーリーも今の時代にデビューしていたなら、受け入れられ方も違っていただろう。

 ともあれ、これまでもピーター・ファレリー監督は笑いの中でマイノリティの人々を描いてきたが、本作でもその姿勢は変わらない。音楽、人種、セクシュアリティ、さまざまな面でマイノリティだったシャーリーが自分の居場所を探す旅を、円熟味を帯びた語り口で描き出している。最後に城の玉座よりも素晴らしい席がシャーリーに与えられるが、きっとそれは彼にとって最高のクリスマスプレゼントだったに違いない。