2019年1月31日第192回「今月の映画」「クリード 炎の宿敵」

主演:マイケル・B・ジョーダン、シルベスター・スタローン、テッサ・トンプソン

(1)年末年始、かなりのバタバタがあり、エネルギー不足に陥りました。そういう中でこの映画を観ましたら、かなりエネルギーを回復することができました。

 日々の生活の中で、状況々々により映画を選択することも大事だと、改めて思いました。

 2月は昔は「ニッパチ」と言い、最近は分かりませんが、2月と8月は商売が枯れる月を意味していました。

 年末年始はかなりバタバタします。かなりの出費もありますが、成人の日以後の2月は、行事も一段落し、一番寒い季節でもあります。心理的にも身体的にも、経済的にも、そして陽気的にもかなり「落ち込む月」です。

 そのために、精神的にも身体的にも、そして財布的にも「ウツ的」状態になります。それがためにこのシーズンは「抵抗力(免疫力)」が落ちてインフルエンザが流行するものと、私(藤森)は思っています。

 特に、ある特殊なことがあり、私はガス欠になりました。そこでこの映画を観たところ、見事にエネルギーが復活しました。今の所、インフルエンザにもかかっていません。

 エネルギーが不足しているなと思われる方は、好き嫌いはあるでしょうが、「クリード 炎の宿敵」の殴り合い(ボクシング)の映画を観るのも悪くないと思われます。

(2)<Story>

 亡きアポロの息子、アドニス(マイケル・ジョーダン)はMGMグランドの満員の会場で熱い注目を浴びながら、世界ヘビー級タイトルマッチのリングに立っていた。彼のセコンドには信頼するロッキー・バルボア(シルベスター・スタローン)がいる。フィラデルフィアのニューヒーローと讃えられたアドニスは、この試合に勝利し、チャンピオンベルトを手にした。幸福の只中にいるアドニスは、その夜、ホテルの部屋に戻ると恋人のビアンカ(テッサ・トンプソン)にプロポーズした。

 そんな折、アドニスとビアンカが初めてデートしたバーを訪れると、テレビではウクライナからやってきた最強のボクサー、ヴィクター・ドラゴが記者会見を開いていた。彼は、かつてアドニスの父アポロをリング上で死に追いやった旧ソ連のボクサー、イワン・ドラゴ(ドルフ・ラングレン)の息子だ。

 その会見は、ヴィクターと試合をするようアドニスに迫る挑発だった。父親の弔い合戦ともなる因縁の対決・・・このチャンピオンタイトルを懸けたふたりの試合を、確かに世界中の人が観たがっていた。

 まもなくロッキーの経営するイタリアンレストラン「エイドリアンズ」で、ロッキーとドラゴが久々の再開を果たす。 

 実はロッキーに試合で負けてからのドラゴは、つらい人生を歩んできた。妻は彼のもとを去り、彼と息子のヴィクターは国から追放された。ロッキーがアメリカのヒーローになっているあいだに、ドラゴはすべてを失っていたのだ。

 ドラゴの怒りや悔しさも、ハングリーな環境でボクシングの腕を磨いてきたヴィクターの闘志も、ロッキーには痛いほど理解できた。しかしアドニスに、この危険な試合を受けさせたくはなかった。

 一方、ある日アドニスは、ビアンカの妊娠を知らされる。今度は自分が父親となり、新しい生活が始まろうとしている。しかしそれでもアドニスは、父アポロの無念を胸に、いまや最強のボクサーと化したヴィクターと戦うことを決意していた。

 こうして全世界が注目する試合に向けて、アドニスはトレーニングを開始する。しかし、あまりにも過酷な試練が、ロッキーとアドニスを待ち受けていた・・・。

(3)<父と子のリング・・・。イワンが見せた父としての顔>
                       (TEXT:赤坂英一・スポーツライター)
 映画の冒頭で、ウクライナの首都キエフの古びた集合住宅に暮らすイワン・ドラゴが、息子のヴィクターを朝のロードワークに連れ出す場面が映し出される。『ロッキー4/炎の友情』(85・監督:シルベスター・スタローン)から30年余、かつては元世界王者アポロ・クリードを死に至らしめ、ロッキー・バルボアと凄絶な試合を演じた旧ソ連アマチュアヘビー級王者もめっきり老け込み、親子ふたりして肉体労働で日銭を稼ぐ日々。それほど困窮した生活を送りながら、父イワンはヴィクターに自分が成し遂げられなかった夢を託し、黙々と指導を重ねているのだ。 そんな親子の姿を見て、最初に私の脳裡をよぎったボクサーが辰吉丈一郎である。1991年、当時日本最速となる8戦目でWBC世界バンタム級王座を奪取。94年には薬師寺保栄と王座統一戦を戦った“浪速ののジョー”だ。その辰吉にインタビューしたとき、父・粂二にボクシングを教え込まれた郷里・岡山での日々をこう振り返っていた。 「ぼく、小さいころはイジメられっ子でね。ボクシングやってた父ちゃんにくっついて、その真似事をしてたんですよ。それが始まり。練習道具は全部手作りや。グローブやサンドバッグはもちろんダンベルのプレートも。 それで、父ちゃんに言われた通り、ぼくのオモチャを取りにきたやつを殴って、パンチが当たったら脆くも倒れたんです。それから周囲の子供に慕われるようになって、番長的になってきて、ヤンキーや暴走族ときて、最終的にいまに至る、と(笑)」 そんな辰吉は、母の顔を知らない。子供のころに両親が離婚して、母が写った写真を父がすべてアルバムから剥がしてしまったからだ。その母は結局、辰吉とは一度も会わないまま、数年前に他界したという。 映画のヴィクターも幼少期に母ルドミラが父イワンを捨てて離婚。これがヴィクターの人生に影を落とし、人格形成にも大きな影響を与えている。彼にとって、母は見返すべき仇敵である半面、自分の成長を一番認めさせたい“唯一無二の恋人”でもあるのだ。 一方、主人公アドニスの父は、イワンに生命を奪われたアポロ。彼は正妻ではなく愛人の子で、生まれたときはすでに父は死んでいた。前作『クリード チャンプを継ぐ男』(15・監督:ライアン・クーグラ)の終盤、アドニスがセコンドのロッキーに「おれが生まれたのは過ちじゃないんだ」と叫ぶ場面は非常に感動的だった。

 プロボクサーの父を持つ世界王者と言えば、長谷川穂積を忘れるわけにはいかない。辰吉からベルトを奪ったウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)を破り、当時日本人2人目の10試合連続防衛に成功。フェザー級、スーパーバンタム級王座にも果敢に挑戦して、世界3階級制覇を達成した。

 長谷川の父、大二郎は息子と同じバンタム級でデビューしたが、心臓疾患のために僅か3試合で引退。25歳で同い年の妻・裕美子との間に長男・穂積を授かると、さっそくボクシングを教え始める。練習が本格化してきた小2のころ、大二郎は息子の前で両膝をつくと、顔をグッと突き出してこう言った。
「穂積、お父さんの顔を殴ってみろ」

 長谷川が何度拳を繰り出しても、大二郎は寸前で鮮やかにかわして見せた。あの経験は強烈だった、と長谷川本人も語っている。

 「かすりもしなかったです。ぼくがパンチを出す直前、微かな肩の動きだけでどう打ってくるか、親父には見えてた。あれが、ぼくのディフェンスの原点と言っていいでしょう」

 辰吉がそうだったように、長谷川も10代の一時期、“やんちゃ”に走った。頭は茶髪、耳にはピアス、練習もせずバンドやバイクに熱中。自転車泥棒をしたからと警察官に補導され、大二郎が呼び出されたこともある。

 地元でも評判の悪ガキだった長谷川に、罪を認めて調書に指紋の押捺をするよう、警察官に要求された。だが、長谷川は放置自転車に乗っていただけで、泥棒をしたとは思っていないと訴える。大二郎は息子を信じた。
「うちの子は犯罪者と違うわい!」

 警察官を怒鳴りつけ、引きずるようにして長谷川を連れ帰った。彼が王者になる運命が定まったのはこのときかもしれない。

 それほど息子の指導に熱心だった大二郎も、長谷川の現役晩年には「親としては身体が心配。早く引退してほしい」と再三もらすようになった。それが父の本音なのだろう。

 辰吉の息子たち、寿希也と寿以輝がボクシングを始めたときも、「うれしいですか」と辰吉に聞いたら、こう言われたものだ。

「うれしいわけないやろ。自分の息子が殴られる姿を見たいと思う親がいますか。成長期に食いたい物も食えんと、日の目を見るまではファイトマネーも雀の涙やのに」

 この映画でも、復讐の鬼に見えたイワンが、父としての顔を垣間見せる場面がある。観終わったとき、気がついたらドラゴ親子を応援していた、という人は少なくないはずだ。

<PROFILE・・・1963年生まれ、広島県出身。86年に日刊現代入社。同社勤務の傍ら雑誌で人物ノンフィクションを多数執筆。2006年独立。近著に、新潮ドキュメント賞にノミネートされた「失われた甲子園 記憶をなくしたエースと1989年の球児たち」、「すごい!広島カープ」、「野球エリート 野球選手の人生は13歳で決まる」など。TBSラジオ毎週金曜「森本毅郎 スタンバイ!」に出演中。東スポ毎週火曜「赤ペン!!」、WEDGE Infinity「赤坂英一の野球丸」連載中>

(4)「BACK TO ROCKY Ⅳ」

 <父から息子へと引き継がれる因縁>

 米ソが冷戦下にあった1985年、ソビエト連邦から政府高官ニコライ・コロフ率いる使節団がケネディ国際空港に降り立った。メンバーはソ連のアマチュアボクシング・ヘビー級王者イワン・ドラゴ、その妻ルドミラ、トレーナーのマヌエル・ベガ、コーチのセルゲイ・リムスキーの計5人。記者会見を開いた彼らは、ソ連が正式にプロボクシング協会に参入したと発表。ドラゴとヘビー級王者ロッキーのエキシビションマッチを要望した。

 コロフによると、ソ連ではスポーツに科学的トレーニングを導入し、無敵の選手を育てているという。コンピュータと連動した実験室さながらの練習場を公開し、ドラゴのパンチはあらゆるものを破壊すると豪語した。

 ロッキーは事態を静観していたが、ソ連フィーバーはアポロ・クリードに火をつけた。アポロは5年前に引退していたものの、その闘争本能は少しも衰えていなかった。会見を見たアポロはロッキー宅を訪れ、自分にドラゴと試合をさせてくれと懇願。当初は無謀だと反対していたロッキーだが、気迫に押し切られ協力を約束した。 

 やがてアポロVS.ドラゴのエキシビションマッチが決定。記者会見が決定。記者会見でアポロはルドミラらを強気なトークで挑発し、対決姿勢をむき出しにした。アポロの目的は親善ではなく、ボクシングの“格”の違いをソ連に思い知らせること。しかし、それは敵陣営も同じだった。

 試合当日、アポロは派手な入場パフォーマンスで会場を沸かせたが、試合が始まると華やかな雰囲気は一変する。試合開始から間もなくドラゴは猛ラッシュ。圧倒的パワーとスピードに、アポロは第1ラウンドで血だるまにされてしまう。

 試合中止を申し出るロッキーを制し、第2ラウンドに臨むアポロ。だがドラゴの猛攻の前に、なすすべもなかった。そしてロッキーがタオル投入を躊躇している間に、最悪の事態が起きてしまう。ドラゴ渾身のパンチを受けたアポロが、リング上で意識を失いそのまま息を引き取ったのだ。

 葬儀の後、悲しみと後悔の念に駆られたロッキーはドラゴとの闘いを決意する。全米ボクシング協会が試合に反対したため、ロッキーはベルトを返上。「身の安全のため」祖国での試合を臨むドラゴに合わせ、12月25日モスクワで試合をすると発表した。

 命がけの一戦を前に、ロッキーはトレーニング場に極寒のシベリアを指定。復讐は無意味だと訴える妻エイドリアンや息子を残し、デュークらとともにソ連に飛んだ。雪原に建つ粗末な小屋を拠点にしたロッキーは、最先端の施設で科学的トレーニングを積むドラゴとは対照的に、厳しい自然を相手にトレーニングを開始した。

 エイドリアンがシベリアに駆けつけると、ロッキーのトレーニングは加速。雪道を走り、巨木を切り倒し、岩山をかけ登る・・・かつてない厳しさで肉体を追い込み、鋼のように生まれ変わったロッキーはドラゴの待つモスクワに向かった。

 各国の報道陣が詰めかけた試合会場には、書記長をはじめソ連の首脳陣も姿を見せた。激しいブーイングと罵声を浴びて入場したロッキーとは対照的に、割れんばかりの歓声を浴びて誇らしげにリングに向かうドラゴ。四面楚歌のリングでロッキーの過酷な闘いが始まった。

 ゴングとともにドラゴの猛攻にさらされるロッキー。ドラゴ優勢で試合が進むなか、ロッキーも持ち前のガッツで確実にドラゴにパンチを叩き込む。どんなに打たれても前進してくるロッキーに、ドラゴも少しずつ焦りの色を見せてゆく。

 巨大な相手に果敢に挑むロッキーの姿はしだいに観客を魅了。場内にはドラゴコールとともにロッキーコールが鳴り響いた。それを目にした貴賓席のコロフは、リングサイドに駆け寄りドラゴを叱責。怒ったドラゴはコロフを客席に投げ飛ばしてしまう。

 そして最終15ラウンド、大観衆の声援を受けたロッキーは猛ラッシュ。激しい打ち合いの末、ついにドラゴをKOする。傷だらけのロッキーは熱狂する観客に語りかけた。「あんたたちの俺への気持ちが変わり、俺の気持ちも変わった。誰でも変われるはずだ」と。コーナーで静かにそれを見つめるドラゴ。リングで星条旗をかざすロッキーに、客席、そして貴賓席の誰もが惜しみない拍手を送り続けた。

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