2018年12月31日第191回「今月の映画」「パッドマン PAD MAN」

(1)この映画は素晴らしいです。特に、後半は抜群に素晴らしく、とても感動しました。是非、ご覧ください。

 予告編が大変素晴らしかったのですが、女性のナプキン普及の映画ですので、妻に同伴してもらって鑑賞しました。

 今回は、インドの資料として貴重な内容が多いので、長文になりましたが、インドを少し理解するためにも、よろしかったら、じっくりご覧ください。

(2)<STORY>
(3)<インドのナプキン革命と『パッドマン』>
(4)<地理・・・女神信仰と結びついている河>
(5)<経済・・・活動の成果でナプキン普及率は上がっている>
(6)<宗教・・・ヒンドゥー教をはじめ多くの宗教が混在している>
(7)<女性・・・対照的なふたりのヒロイン>
(8)<結婚・・・化粧やアクセサリーから読み取れる結婚のしるし>
(9)<家族・・・家族を非常に大切にするインド人>
(10)<教育・・ゼロを発明した国」インド>

(2)<STORY>

 <He’s a crazy superhero. 彼はクレイジーなスーパーヒーロー!>

 北インドの中部マディヤ・プラデーシュ州の田舎、ナルマダ河に面した町マヘーシュワル。ラクシュミことラクシュミカント・チャウハンは、結婚式を挙げたばかり。彼は自分も共同経営者のひとりである小さな工房に勤めており、新妻ガヤトリを喜ばせようと、自動玉葱カット機を手作りしたりするアイデアマンだ。

 老母と未婚の妹ふたり、そして時折訪ねてくる既婚の長女にも家長として明るく接するラクシュミだが、妻が生理になった時に衝撃の事実を知る。生理期間中は「穢れ」期として女性は部屋の中に入れず、妹たちも廊下部屋で寝ていることは知っていたものの、妻は何と生理の処理に、清潔とは言えない古布を使っていたのだ。

 市販のナプキンは高価で、妻は使うことを拒む。妻を心配するあまり、ラクシュミは綿とモスリン布とで手作りナプキンを作るが、漏れが生じたりしてうまくいかない。あまりにも熱心な彼のナプキン研究ぶりは町に波紋を広げ、やがてラクシュミは誤解されて非難をあびることに。ガヤトリは実家に連れ戻され、ラクシュミは独り故郷を離れて、都会であるインドールへと向かう。

 インドールでも研究を続けたラクシュミは、セルロース・ファイバーの存在を知り、この素材を手に入れてナプキンを作る簡易製作機を発明する。そんな時、彼はたまたまイベント出演でインドールにやってきたデリー在住の女子大生、パリーと知り合う。

 簡易製作機で作ったナプキンの顧客第1号となったパリーは、やがて彼をデリーでの発明コンペに出場させて賞金を獲得させるなど、彼のよき協力者となっていく。パリーのおかげで農村の女性たちもナプキン販売活動に参加、製作から販売までが女性の手によって行われるようになり、彼女たちの起業へとつながっていく。そんな中、ラクシュミの草の根活動に注目した国連から、講演の依頼が舞い込んで、ラクシュミはパリーと共にニューヨークに赴く・・・。

(3)<インドのナプキン革命と『パッドマン』>
                   (高倉嘉男・インド映画研究家)
   <インドの月経問題>
 紀元前2世紀~紀元後2世紀に成立したとされるマヌ法典は、8割のインド人が信仰するヒンドゥー教の重要な法典のひとつである。カースト制度や婚姻制度などを規定する他、月経・妊娠・出産などを「不浄」とし、女性を男性よりも下等な存在に位置づけている。月経中の女性は不可触民や死体と同等とされ、触れたり話したりしてはいけない。月経をタブー視するこの因習は宗教の垣根を越えてインド社会の隅々に浸透し、女性もそれを受け容れてしまっている。 よって、月経中の女性は専用の部屋に籠ったり、家畜小屋や屋外で過ごしたりする。さらに、ぼろ切れ、新聞紙、砂、おがくず、葉、灰などを使っての不衛生な経血処理が伝統的に行われ、生殖系疾患の原因ともなってきた。

 一方、生理用ナプキンは、「着けると目が潰れる」などの迷信が付きまとう上に、庶民にとっては気軽に買えないほど高価なため、最近までほとんど普及してこなかった。
 もっとも、都市部の学校では性教育が進んでいる。女子は10歳頃に生理についての講習を受け、生理用ナプキンの使い方を学び、12歳頃に男女とも理科の時間に月経の仕組みについて習う。だが、農村部では月経は学校で習うものではない。第一情報源はどうしても母親など家族内の女性になる。 そのため、月経をタブー視し、生理用ナプキンを忌避する風潮は社会全体からなかなか一掃されない。インドでは生理用ナプキン使用者の割合は現在でも2割に達していない。農村部の男性に至っては、結婚するまで月経について全く知らないことも少なくない。

 月経問題そのものが教育の後れも引き起こしている。インドの初等教育の就学率は現在9割を超えているが、中途退学率が高く、10歳までに4割の児童が何らかの理由で学校を辞める。特に農村部の女子の中途退学率が高いのだが、そのひとつの要因として、生理用品を使用しないために、初潮を迎えることで月経期間に学校を休むようになり、授業に付いていけなくなって退学に至ることが挙げられる。

 現代ではさらに、月経についての正確な知識の欠如や生理用ナプキンの普及の後れにより、教育の機会が失われ、女性の社会的地位向上が妨げられる悪循環に陥っている。

 <パッドマンの業績>
『パッドマン』のモデルであるアルナーチャラム・ムルガナンダム氏は、結婚を機に、妻をはじめとするインド人女性が抱える深刻な月経問題を初めて知り、彼女らに安価で衛生的な生理用ナプキンを届けるべく挑戦を始める。
 彼の業績は大きく、発明家の側面と起業家の側面のふたつに分けられる。
彼は市販の生理用ナプキンを研究し、試作を繰り返す。実験台が必要だったが、家の内外の女性たちから拒絶されたため、人造の「子宮」を作り、自作の生理用ナプキンを自ら装着して、その性能を試す。

 周囲からの理解と協力が得られず、なかなか成功しないが、やがて市販の生理用ナプキンの主要要素が綿ではなくセルロース・ファイバーであることを突き止め、海外から何とかそれを取り寄せる。

 また、セルロース・ファイバーから生理用ナプキンを製造する機械も調べ上げたが、あまりに高価だったため、木材やその他の手に入る部品を組み合わせて自作する。これらの努力により、十分な効果のある生理用ナプキンを安価に製造する機械を発明した。

 機械の値段は1台65,000ルピー、1日の生産量は250個で、ナプキン1個あたりの値段は2.5ルピー。これは、従来品の1/2から1/3の値段である。「あり合わせの物で何とかする」ことをインドの言葉で「ジュガール」と言うが、ムルガナンダ氏の発明はまさにジュガールの賜物であった。彼の発明は2006年に国立発明基金の「草の根テクノロジー発明賞」を受賞した。

 ムルガナンダ氏は、インド人女性の大半が抱えるもうひとつの問題にも気づく。それは、常に夫の暴力に身をさらされる、女性の地位の低さであった。その根本的な原因は、教育の後れ、さらには雇用の不足から、女性たちが経済的に自立できないことであった。

 ムルガナンダ氏自身の母親も夫を交通事故で亡くしてから生活に苦労してきた。彼が14歳で学校を辞めなければならなかったのも、結局は、女性の経済的自立問題が原因であった。

 彼は、「草の根テクノロジー発明賞」の賞金を資本金としてジャヤシュリー・インダストリー社を設立し、インドの村々に、生理用ナプキンを製造する小さな工場の創設を支援する。村の女性たちは、マイクロクレジットによる融資で同社から機械を購入し、自分たちで生理用ナプキンを製造して販売する。収益金は労働者間で山分けにし、生活費の足しにする。生理用ナプキンの普及と女性の経済的自立の両方を実現する一挙両得のアイデアであった。

 ムルガナンダ氏が発明した手動の生理用ナプキン製造機械は1台あたり10人の雇用を生む。現在、インド各地で2,000以上の工場が稼働しており、2万人以上の女性たちが食い扶持を得ている。これらの功績から、彼は2012年にTED(世界規模の講演会)のスピーカーに選ばれ、2014年にタイム誌の「世界で最も影響力のある100人」の1人となり、2016年にインドの文民勲章のひとつであるパドマシュリを受勲した。現在もムルガナンダ氏は精力的に活動しており、インド国外にもこの安価な生理用ナプキン製造機を広めるべく、努力奮闘している。

 <映画が社会を動かす>
 映画が娯楽の王様として君臨しているインドでは、1本の映画が社会を変え、政治を動かすことがある。インドでは2017年に全国一律で物品サービス税(日本の消費税のような間接税)が施行された。この物品サービス税には軽減税率制度が導入されており、生活に必要な商品やサービスから税率が順に0%、5%、12%、18%、28%の5段階で設定されている。

 当初、生理用品は「贅沢品」の一種とされ、12%の課税だった。ところが2018年7月、生理用品は課税率0%、つまり免税品に改定された。活動家たちによる署名運動が展開されてきた結果の改定だが、インド本国で2018年2月に公開された『パッドマン』の効果も少なからずあったのではなかろうか。
『パッドマン』公開を機に、生理用ナプキン普及の重要性に共感した映画スターたちが、生理用ナプキンを手に持った自撮り写真をSNSに上げる「パッドマン・チャレンジ」キャンペーンに次々に参加し、インド人の意識改革に一役買ったことも特筆すべきである。

 日本でも、つい半世紀前までは、インドと同様に月経は禁忌であり、生理用ナプキンは日の目を浴びる代物ではなかった。現代においても、「生理があるから女性は外で仕事するのに向かない」「生理で情緒が不安定な女性は管理職に向かない」など、多くの誤った言説が時々顔を出す。『パッドマン』が日本で劇場一般公開されることにより、日本においても改めて月経問題がクローズアップされることになれば、インド映画が国境を越えて社会に一石を投じた一例となるだろう。

<PROFILE・・・TAKAKURA YOSHIO 2001年~2013年までインドの首都ニューデリーに在住。ジャワーハルラール・ネルー大学でヒンディー語博士号取得。インド映画情報満載のWebサイト「これでインディア」「バハードゥルシャー勝」の管理人。インド映画出演歴あり。>

(4)<現代インド事情>(松岡環・アジア映画研究者)

 <地理・・・女神信仰と結びついている河>

 本作の主人公ラクシュミのモデルとなったアルナーチャラム・ムルガナンダ氏が住んでいるのは、南インドのタミル・ナードゥ州コインバトール、つまりタミル語地域。映画はヒンディー語での製作となったため、舞台は北インドのマディヤ・プラデーシュ州に移された。 

 MP州とも略されるこの州は、マディヤ(中央)・プラデーシュ(州)の名の通りインドのほぼ真ん中にある。州都はボーパールで、その西南にあるのがMP州で最大の人口204万人を擁するインドール市。映画の後半の舞台は主としてインドール市で、前半は、さらにその西南に位置するマヘーシュワルという、人口約3万人の町が舞台である。

 古い歴史を持つマヘーシュワルはナルマダ(ナルマダー)河の北辺に広がっていて、信仰の対象ともなっているナルマダ河の岸辺にはガート(沐浴場)が連なる。インドの河川は女神信仰と結びついていて、ガンジス河(ガンガー女神)を筆頭に、ヤムナー河、ゴーダーヴァリー河など、それぞれが女神として崇められている。そんな聖なる河を動物の血で汚した、というので、ラクシュミに対する人々の怒りもハンパではなかったのである。

 ラクシュミが自転車を走らせるのがナルマダ河のガートで、その時に彼が地元の人と交わす挨拶も、「ナルマデー・ハル(聖なるナルマダー河よ/ナルマダー河を讃えよ)」というもの。また、最後のシーンでラクシュミとムルガナンダ氏が立っているのは、18世紀にこの町に遷都したホールカル王家の女当主アヒリヤー・バーイー・ホールカルが建設した、ホールカル・フォートの入り口である。

<面積>328万7,469㎢<人口>12億1057万人(2011年)
<人口増加率>17.68%<首都>デリー
<言語>連邦公用語はヒンディー語、他に憲法で公認されている州の言語が21<宗教>ヒンドゥー教徒79.8%、イスラム教徒14.2%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%
<為替レート>1ルピー=1.55円=0.0137ドル(2018年10月25日、
1ルピーは100パイサ)

<PROFILE・・・MATUOKA TAMAKI 大阪外国大学インド・パキスタン語科卒業。1976年よりインド映画の紹介を始め、日本初のインド映画祭も開催。インド映画研究の先駆者。本作をはじめインド映画の字幕も多数手がける。主な作品は『ムトゥ 踊るマハラジャ』(95)、『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(07)、『きっと、うまくいく』(09)など。>

 <経済・・・活動の成果でナプキン普及率は上がっている>

 ラクシュミが生理用ナプキンを作るきっかけとなったのが、「1袋55ルピーのナプキン」。この価格は、映画の年代設定である2001年のインドでは、どのくらいの物価感覚だったのだろうか。

 2001年当時のインド世帯の年収比率を見ると、9万(当時のレートで234,000円)以下が71.9%、9万~20万ルピー(同52万円)が21.9%となっており、前者が都市の庶民層ならびに地方在住者、後者が都市中流層に該当するといえる。それにより上の数%が、スーパーリッチの富裕層である。

 当時のラクシュミの年収を9万ルピーと仮定すると、月収に直せば7,500ルピー。55ルピーはその0.73%なので、今の日本の月収20万円の若い女性にとっては、その0.73%、つまり1460円のナプキンを買うことになる。これはやはり高い。

 インドは1991年の経済改革によって、それまで制限されていた外国からの直接投資が可能になり、外国企業がどっと進出した。また、その頃アメリカのIT産業のアウトソーシング先としてインドが注目を浴び、国内のIT産業が急速に発達したことなどで、インドは21世紀に入って著しい経済成長を遂げた。IT産業以外にも、自動車産業や製薬業などのバイオ産業が経済発展を牽引し、都市を中心に消費生活は大きく変貌した。本作の中で、最初12%と言われていたナプキン普及率が、ラクシュミの国連演説では18%になったのは、彼らの活動の成果であると同時に、経済発展が後押ししたと言えるだろう。

 2017年9月のある経済記事には、現在のナプキン普及率は24%と記述されている。この記事では、2018年には普及率が42%に拡大する見込み、と書いてあるが、インド政府が2018年7月からナプキンに対する消費税を、これまでの12%からゼロ、つまり無税にしたことから、この普及率も現実味をおびてきた。

 現在のナプキンの値段は、形状によっても違うが、シンプルな形のものなら小袋20個入りで80ルピー、あるいは小袋8つ入りで35ルピーと、小袋ひとつが4ルピーほどである。ムルガナンダ氏のジャヤシュリー社のナプキンは今でも小袋8つ入りで16ルピーと、ひとつ2ルピーのまま。P&Gの「ウイスパー」やジョンソン&ジョンソンの「ステイフリー」といった大手に対抗し、健闘を続けている。

 <インドのナプキンはこんなに高い!!>
<ナプキン(1パック20個入り)>217円(1個11円)
<ランチorディナー>平均93円<ジャガイモ>1kg23円<リンゴ47円
<コーヒー>1杯39円<水(1ℓ)>31円
<お米(1kg)>31円

<インドのタミル・ナードゥ州の物価。1ルピー=1.55円で換算。資料提供:日印国際産業振興協会>

 <宗教・・・ヒンドゥー教をはじめ多くの宗教が混在している>

 インドの宗教別人口は、外務省のHPによると、ヒンドゥー教徒79.8%、イスラ-ム教徒14.2%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.7%、仏教徒0.7%、ジャイナ教徒0.4%となっている。その他、パールシー教徒と呼ばれる、8世紀に現在のイランからインドに移住して来た人たちをルーツに持つ拝火教徒の人などもいる。

 本作の登場人物は、ラクシュミの一家をはじめほとんどがヒンドゥー教徒だが、パリーの父親はターバンをかぶり、髭を生やしていることからシク教徒だとわかる。また、ラクシュミの親友バブルーは、食肉業者なのでおそらくイスラ-ム教徒だろう。他にも、ラクシュミが新しいナプキンを試してもらおうと協力者を探すシーンで、黒いブルカをかぶったイスラ-ム教徒の女性たちと、キリスト教徒の女性たちと、キリスト教徒のシスターたちが登場する。こんな風に、様々な宗教の人を登場させる目配りは、最近のインド映画では珍しくなくなってきた。

 ヒンドゥー教は多神教で、ヒンドゥー教徒は皆それぞれに自分の信仰する神様を持つが、中でも人気があるのがシヴァ神とその息子の象神ガネーシャ、美男のクリシュナ神、古代叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公ラーマなどだ。本作では、からくりを使った神様礼拝所というおもしろい宗教装置が登場するが、最初に登場するのは「ラーマーヤナ」でラーマを助ける猿の武将ハヌマーンである。

 「ラーマーヤナ」は桃太郎伝説のルーツとも言われ、後半部では主人公ラーマ王子が、魔王ラーヴァナにさらわれた妻シーター姫を奪還しようと、猿の軍隊と共にラーヴァナの本拠地ランカー島に攻め入る。勇猛なハヌマーンはラーマを助け、囚われのシーター姫と連絡を取ったり、傷ついたラーマの弟ラクシュマナのためにヒマラヤ山中に薬草を採りに行ったりと大活躍。こうしてハヌマーンは神様ではないものの、多くの人から信仰されており、特に体を鍛えようとするマッチョ志向の男性陣に人気がある。

 次のからくり神様礼拝に登場するのがクリシュナ神で、こちらはヒンドゥー教三大神中のヴィシュヌ神の化身(「アヴァタール」と言い、ネット用語「アバター」の語源である)だ。ヴィシュヌ神は青黒い肌を持っているとされ、クリシュナやラーマも肌の色を青黒く表現する。ラクシュミの名前の元になっているラクシュミー女神はヴィシュヌ神の妻で、富と幸運、美と豊穣の女神である。こんな風に、ヒンドゥー教の神々に関する知識が増えると、インド映画はさらに面白くなる。

 ヒンドゥー教・・・Hinduの語源は、サンスクリットでインダス川を意味し、河川崇拝が強い。不殺生を旨とし菜食主義の人が多く、菜食でない場合も牛、特に瘤牛は神話に出てくる聖獣で絶対に食べない。

 <女性・・・対照的なふたりのヒロイン>

 本作には、対照的なふたりのヒロインが登場する。ラクシュミの妻であるガヤトリと、ラクシュミのビジネ・パートナーといえるパリーだ。

 ガヤトリはすでに両親がなく、家長である兄が決めた結婚相手ラクシュミに嫁ぎ、家事に従事する。いつもサリー姿で過ごし、生理の時は穢れが家の中に入り込まないよう、廊下部分で寝起きすることに何の疑問も持たない。自分のためにナプキンを作るという夫のとっぴな行動に驚くものの、何とか彼の役に立とうとするが、「夫に従う妻」の域を出ない意識のため、やがて周囲によって引き離されてしまう。

 このガヤトリは、インド女性の大半を代表するキャラクターといえ、都市に住む高学歴の女性で、意識的に男女平等や女性の自立を追求している人以外は、たとえ大卒の女性であってもこういう保守的な部分を抱えていることが多い。そのほうがインド社会では、周りと軋轢を起こさず、快適に生きていけるからだ。大学時代の恋愛は卒業するとジ・エンド、あとは親が選んだ相手と結婚する、というケースが多いのもそのためだ。

 ただ、ガヤトリは夫と引き離されたあとも、頑固に夫を信じる。兄が示した離婚というレールには乗らず、結婚の印であるマンガルスートラ(「結婚」の項参照)を絶対にはずさない。マンガルスートラのトップをサリーブラウスの下に隠しているところは、彼女の複雑な気持ちが表れているとも言えるが、その甲斐あって、ガヤトリは最後に夫を取り戻す。

 一方パリーは、大学を出てさらにMBAのコースで学んでいる女性だ。首都デリーに住み、大学教授であるリベラルな父親に育てられたパリーは、常に自分が正しいと思った道を選び取り、大企業の就職試験に合格していながら、それを蹴ってラクシュミの草の根事業を手伝っていく。服装も、サルワール・カミーズかクルター・パジャマという、インドの伝統衣装でありながら行動的なものだ。最後の国連演説の場では絹のサリー姿を披露しているが、典型的な自立する女性である。主人公ラクシュミは最後には妻の元に戻るが、観客には魅力的なパリーがいつまでも印象に残ることだろう。

 さらには本作には、第三のヒロインといえる存在がいる。自らナプキンを作り、それを販売して自立していく農村の女性たちだ。パリーの提案で彼女たちが銀行から受ける融資は「マイクロ・クレジット(小規模融資)」と呼ばれるもので、現在、インド各地で女性対象の開発プログラムの一環として実施されている。女性に融資すると返済率が高いと評価されており、所得創出活動や教育普及活動とならんで、女性の自立を促す重要なプログラムのひとつだ。本作のような、興行収入トップ10に入る作品で描かれると、こういったプログラムの認知度もあがっていく。

 <結婚・・・化粧やアクセサリーから読み取れる結婚のしるし>

 本作のオープニングは、ラクシュミとガヤトリの結婚式。そのシーンでいくつかの点に注目してみよう。

①シャヘナーイ・・・冒頭に鳴り響く管楽器がシャヘナーイで、チャルメラのような音がする。結婚式や祝い事には欠かせない楽器で、「シャヘナーイーの音」と言えば結婚式の代名詞になっている。

②赤いサリーと赤いターバン・・・ほとんどの地域で、花嫁は赤いサリーを着る。あるいは、ガーグラー・チョーリーという、ロングスカートとブラウスにベールという3点セットを着ることもある。色は赤である。ただし、緑色のサリーを着たり、白に金のボーダーが入ったサリーを着る地方もある。北インドの花婿は、白いクルター(丈の長いシャツ)とドーティー(腰布)姿で、赤いターバンをかぶるが、今は背広姿でターバンだけをかぶる花婿も多い。

③マンガルスートラ・・・結婚式では、花婿と花嫁が互いに花輪を首に掛け、その後両者の衣服の端と端を結び合わせて、僧侶が燃やす火の周りを7回周ると結婚が成立する。花婿は花嫁にマンガルスートラと呼ばれる金と黒ビーズでできた首飾りを贈り、花嫁は夫が存命である間はこれを常に身につける。マンガルスートラには、金のトップが付いている。マンガルスートラは北インドの風習で、南インドではターリというターメリックで黄色く染めた紐にトップを通したものを身につける。

④シンドゥール・・・結婚式では、花婿が花嫁の髪の分け目に、シンドゥールと呼ばれる赤い粉を付ける儀式もある。花嫁はジューマルと呼ばれる髪飾りをつけ、頭頂部から髪飾りをつけ、頭頂部から髪の分け目に沿って額へと、鎖などの飾りが下がっているが、それを持ち上げてシンドゥールをつける。以後花嫁は、夫の存命中は毎朝シャワーのあとの髪の分け目にシンドゥールを付けるのを忘れない。マンガルスートラと共に、結婚指輪と同じ役目を果たすのである。

⑤ノーズリング・・・花嫁は鼻の左側にピアス穴を開け、大きなノーズリングをすることが多い。そのため、それまで耳にしか穴を開けていなかった女性が、結婚を控えて大慌ててノーズリングの穴を開け、化膿させてしまって当日に困ることもあるという。ガヤトリは小さな鼻ピアスをしているだけで、結婚後もそのピアスをつけている。

 <家族・・・家族を非常に大切にするインド人>

 インド人は家族を非常に大切にする。その家族が大事という思いは、コミュニティが大事、やがては自国が大事という気持ちへと広がって、愛国精神へとつながっていく。

 インドは伝統的には大家族制で、財産の分割を避けるために兄弟が結婚しても父母と同じ家に暮らす、という形が多かったが、現在では核家族も多くなってきた。とはいえ、家族、親族の絆は強く、ことあるごとに皆が集まる、というのがインド人は好きである。その最大の機会は結婚式と祭りで、家族に関する祭りも、本作に出てきた「ラクシャー・バンダン」のほか、夫の息災を妻が祈る「カルワー・チョウト」など、いくつか存在する。

 「ラクシャー(守護)・バンダン(縛るもの)」の祭りは年によって日付が違ってくるが、大体8月になることが多い(2018年は8月26日)。これは、姉妹、またはそのような関係にある女性が、兄弟、またはそれと同等と思われる人にラーキー(結び紐)を贈ってその手に結び、自分を守ってほしいと祈る祭りだ。お祭り自体を「ラーキー」と呼ぶこともあり、この時期になると色とりどりの結び紐が町のあちこちで売られる。ミサンガのようなものと思えばよいが、紐の途中にきれいな金属の飾りを挟んだり、豪華な造花を付けたりと、凝ったものが多い。直接相手の手に結ぶのがベストだが、遠く離れて暮らしている人には郵送することもあり、この時期はインド国内のみならず、インドと諸外国を結ぶ郵便ルートに乗って、ラーキーが世界の空を飛び交う。ヒンドゥー教徒のお祭りだが、他宗教の人も祝うことがある。

 「ラクシャー・バンダン」のほかに「バーイー・ドゥージ(兄弟の第2日)」という北インドやネパールで行われるお祭りもあり、こちらは10月頃のお祭りシーズンに重なる。また、「夫婦祭」とでも呼びたくなる「カルワー・チョゥト」も同じ頃で、満月に向かってざるをかざし、続いてそのざるを通して夫の顔を見る、という、ちょっとおもしろい家庭内のお祭りである。西洋から入ってきた母の日や父の日も祝われ、常に家族を意識するのがインドの暮らしだ。

 家庭内のゴタゴタを抱える家も多いが、当初のラクシュミの一家は、嫁は姑を立て、反対に姑は嫁を大事にし、妹たちは兄嫁になついているなど、理想的な家庭として描かれる。それだけに、中盤の家庭崩壊が胸に迫るが、最後には収まるべきところに収まって、家族の絆がより深まる結末になっている。

 <教育・・・「ゼロを発明した国」インド>

 インドの教育制度は、初等教育が第1学年から第5学年(6~10歳)、前期中等教育が第6学年から第8学年(11~13歳)、後期中等教育が第9学年から第12学年(14~17歳)、その後は専門学校や大学による高等教育(18~22歳)となる。本作の中で、ラクシュミの作業所で働く男が「ラクシュミは8年生終了だろ。俺は2年で落第だ」というシーンがあるが、ラクシュミは日本の小学校と中学校に当たる初等教育と前期中等教育を終えている、というわけである。一方この男は、小学校に2年間行っただけでドロップアウトしてしまったようだ。その背景には、家庭の事情があったのかも知れない。

 就学率をちょっと見てみると、2013年の統計では、初等教育が92・26%、中等教育が61・76%、高等教育が23・89%となっており、大学にまで行ける人は全体の4分の1ほどだ。とはいえ、インド全体では73%(2011年)の識字率は、15~24歳だと89・66%(2015年)とアップする、という報告もあり、確実に教育効果が上がっているのが見て取れる。

 ラクシュミは高等学校に当たる後期中等教育までは受けられず、働き始めたようだが、この後期中等教育の途中、10年生を終了して「Board Exam(全国共通試験)」を受けると、高等教育、つまり大学に行く道が開ける。本作にも大学がいくつか登場しており、ラクシュミがナプキンを試してもらおうとする女子医科大学、セルロース・ファイバーの知識を得ようとして、ついにはある教授の家の使用人となって教員宿舎に住み込んでしまうインドールの工科大学、そして、パリーの父親が勤務するデリーの工科大学が画面に出てくる。

 最後のデリーの工科大学がIIT(Indian Institute of Technology)、つまりインド工科大学で、「マサチューセッツ工科大学(MIT)に入るより難しい」と言われている最難関の大学だ。インド工科大学は国立のチェーン校で、インド全土の23か所に設置されている。インドは「ゼロを発明した国」として知られるように、理数系に優れた人材を数多く輩出している。日本でも一時期「インド式数学」が話題になって、2桁のかけ算をすらすらとやってしまうインドの小学生に注目が集まったりしたが、そういった理数系の頂点に立つのがインド工科大学なのである。こういう大学だからこそ、ラクシュミがクライマックスの国連演説で言う「自分は工科大(IIT)に行っていない、工科大がうちに(学びに)くる、賞もくれる」という発言が効いてくるのである。

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