2023年4月30日第243回「今月の映画」「THE FIRST SLAM DUNK」
監督:井上雄彦 <声の出演>仲村宗悟 笠間淳 神尾晋一郎 木村昴 三宅健太 武内駿輔
(1)今回の映画「スラムダンク」は、ボールをゴールにシュートするときの迫力が素晴らしい。かなり人気があるようで、映画の観客がいつも多いのにも驚かされる。
さて、雑談です。今まで購入した映画のパンフレットは全て、800円から900円だったが、この映画のパンフレットは、初めて千円を超え、1150円でした!!!
**「本紙・中本裕己の『エンタなう!』」(夕刊フジ、2023年3月5日) <映画「スラダン」> あまりにも評判がいいので、ずっと気になっていた映画「THE FIRST SLAM DANK」(公開中)をようやく見た。現在30~40代の方がスラムダンク世代で、その子供たちも影響を受けている。59歳で、バスケにさほど興味がなかった私も、冒頭のシーンから「これはスゴイ」と思った。 舞台の湘北高校バスケ部は、無名ながら全国大会に進出。優れた指導者の下、クセの強い問題児たちが強豪に立ち向かう。その対戦シーンは、格闘技のような臨場感とF1レースのような疾走感で、ほとばしる汗がスクリーンから飛んでくるようだ。 <刺さる「好きなことに没頭できる尊さ」> CGアニメのテクニックだけに頼らず、原作・脚本・監督の井上雄彦が描きたかった魂をひとコマひとコマに込めている。スポーツ観戦ではありえないアングルから猛者たちの動きをとらえ、まるで“6人目”のプレーヤーとしてコートの真ん中に立たされている気分になる。緩急自在の爆音ロックとボールが風を切る音がシンクロするのも映画ならではだ。 原作の破天荒な主人公、桜木花道を厚く描きながらも、映画ではあえて切り込み隊長の宮城リョータにスポットを当てた。そのことで124分間の少年の成長ドラマとしても“胸アツ”で、「好きなことに没頭できる尊さ」が世代を違わず刺さった。 スラダンを通って来なかった私は、ビートルズを知らない音楽ファンが初めて曲を聴いて感激するような気分を味わっている。 |
(2)「『スラダン』中国公開」(東京新聞、2023年4月21日、夕刊)
<事前販売「すずめ」超え> 【上海=共同】人気バスケットボール漫画「スラムダンク」の映画「THE FIRST SLAM DUNK」が20日、中国本土で公開された。中国でもスラムダンクのアニメが1990年代にテレビ放映され、一部で絶大な人気を誇る。 インターネットメディア、澎湃(ほうはい)新聞によると、事前のチケット販売額が19日深夜に約1億1560万元(約22億6000万円)を突破。中国で3月に公開された新海誠監督のアニメ映画「すずめの戸締まり」を超え、中国で公開された海外アニメの最高額を記録した。 |
(3)<パンフレットより>
「週刊少年ジャンプ」(集英社)に1990年42号から1996年27号まで連載された、井上雄彦による少年漫画。高校バスケを題材に選手たちの人間的成長を描き、国内におけるシリーズ累計発行部数は1億2000万部を超える。 その影響からバスケを始める少年少女が続出した。連載修了から26年。今作の原作・脚本・監督を井上雄彦自らが担当。 誰も見たことのない、まったく新しい『SLAM DUNK』が誕生した。
** <パンフレットより> 父を亡くし、幼くして宮城家の大黒柱となったソータ。リョータと妹のアンナだけでなく、母・カオルの支えにもなっていたソータだが、海釣りに向かったまま帰らぬ人となってしまう。家族の中にポッカリと空いた喪失感は埋まらないまま、カオルは沖縄から離れることを決意。リョータもまた、ソータの死を受け入れられず苦しみながらも、兄との唯一のつながりであるバスケだけは続けていた・・・。」 そして、インターハイ2回戦。リョータは亡き兄・ソータの夢と共に、最強・山王工業に挑む! |
(4)「INTERVIEW」(井上雄彦・原作・脚本・監督)
<「こんな『SLAM DUNK』は初めて観た」という体験を> ☆『THE FIRST SLAM DUNK』の制作は、どのように始まったのでしょうか? オファーは10年以上前からいただいていました。そのときにパイロットフィルムを作ってきてくださったんですけど、僕が思うものとは違うなと思って、お断りしていたんです。ただ、短いとはいえ映像を作るって本当に大変で、それを何度も作って持ってきてくださる制作サイドの熱意は感じていました。 ☆最終的にGOを出したのはいつですか? 2014年です。決め手はそのときのパイロットフィルムの「顔」でした。作られた方の魂が入った、まっすぐ訴えかけてくる感じがしました。 ☆技術的な面や映像のクオリティよりも、熱意や魂といった感情的な部分が大きかったと。 そうですね。僕はアニメーション映像の技術のことは詳しくないですし、それはあくまで手段であると思っています。例えば今回バスケシーンにCGを使ったのも、10人がコート上にバラバラに動くのを描くうえで、CGなしでは無理だろうなと思いましたし、手段として採り入れたという感じです。 ☆制作にGOを出した時点で、ご自身で監督や脚本まで担当されるつもりでしたか? そうではなかったのですが、ただ「やりましょう」と答えた時点で、何らかの形で自分が関わることまではセットで考えていました。そうしないと、自分が納得できないと思いました。たとえば、パイロットフィルムを見て、「ここはこうしたいな」とか僕自身が観客としていろいろと感じていたので。そうなると『SLAM DUNK』を映画化するなら自分が少しでも関わったほうが良いものになるんじゃないか、そのほうが作品のためにもなるし、読者の皆さんが喜んでくれるんじゃないかというのが、大きかったですね。 ☆とはいえ「何かしら関わる」のと「監督をやる」のでは、だいぶ違いますよね。 そうです(笑)。そこは様々な経緯があってたどりついた結果ですけど、映画づくりのド素人である自分が「監督をやる」まで踏み切れたのは、これまでの活動で多少は度胸がついていたおかげかもしれません。例えば「最後のマンガ展」みたいなことをやるときに、今回と同じように展覧会のド素人として現場に入るわけですよ。しかも、ド素人なのに中心人物として関わることになる。そういう経験が何度かあったのが、少しは後押しになったかなと思います。 <やるからには原作をただなぞるより 新しい視点でやりたかった> ☆「井上雄彦の絵がそのまま動いている」かのような映像が印象的な本作ですが、これはどう実現していったのでしょうか? 僕の中には「こんな感じにしたい」というイメージはあっても、その経験や知識がありません。「こんな感じ」としか言いようのないふわっとしたイメージを提示して、それを経験豊かなスタッフたちが「こうなんじゃないか」と解釈したり、「こうしてみたんですが」と打ち返してきてくれて。最初から明確に「ここがゴールですよ」という一点へ向かって全員で突き進んだという感じではなく、そうしたやりとりを積み重ねながら最終的に「ああ、たどりついた」みたいな感覚です。 今回監督をやって痛感したのは、たくさんの人の手を借りて映画を作る以上、100%僕が思った通りのものにはならないことです。漫画なら「結局は自分が描くしかない」ということができるけど、映画は自分だけで作るあげることはできない。そこが全然違ったし、同時にそれこそが映画をやる意味なのかなとも思います。その中で、僕が「これは違うな」という部分はできる限りなくしていきつつ、逆に「ああ、こんなふうに良くしてくれるんだ」と感じたところはどんどん活かしていきながら、作り上げていきました。 ☆リアルなバスケの表現も本作の大きな特長ですが、試合シーンを描くうえで、特に大切にしたポイントはなんでしょう? すごく細かいところですが足の踏み方や、ボールをもらった瞬間の身体の反応、シュートに行くときのちょっとしたタイミングなど、僕自身が体感として覚えている「バスケらしさ」をそのまま表現することですね。 スタッフが全員バスケ経験者なわけじゃないから、そのへんのニュアンスをどこまで伝えられるか懸念もあったのですが、制作スタッフの方々が実際にバスケを習いに行ってまずは自分でプレイしてみたいと聞いて、すごいなと思いました。願わくは、今もまだバスケを好きでいてほしいですね。今回の作業がしんどくて「もうバスケは見たくない」とか思ってないといいなって(笑)。 ☆原作では試合の所々に入っていたモノローグやギャグは大胆に削られていますね。 これもやってみて痛感したことですが、原作の細かいギャグなんかはどうしても入らなかったです。漫画だと細かいギャグは、小さいコマや字でこそっと入れられるじゃないですか。でも映画はスクリーンのサイズがずっと一定で、その隅っこに小さくギャグを入れても気付かれませんし、大画面でやるのも違うので。そこの違いは大きかったですね。 それは自分の未熟さなのかもしれないけれども、漫画ならコマの割り方やコマの中でコントロールできるけど、映画でそうする方法を僕が見つけられなかった。ただ、そこにいつまでも拘りすぎてしまうより、漫画は漫画、映画は映画、それぞれの楽しみ方があるはずだと割り切って、今回は「バスケらしさ」のほうを優先する判断をしたということです。 ☆主人公が桜木でなくリョータという点には、驚いたファンも多いかと思います。 原作をただなぞって同じものを作ることに、僕はあまりそそられなくて。もう1回『SLAM DUNK』をやるからには新しい視点でやりたかったし、リョータは連載中に、もっと描きたいキャラクターでもありました。3年生はゴリが中心にいて、三井にもドラマがあるし、桜木と流川は1年生のライバル同士。2年生のリョータは間に挟まれていた。そこで今回はリョータを描くことにしました。 ☆原作でキャラクターの家族の話はあまり描かれていませんが、今作では宮城家のエピソードが、かなり深く描き込まれています。 連載時、僕は20代だったから高校生側の視点のほうが得意というか、それしか知らなかったんです。そこから年をとって視野が広がり、描きたいものが広がってきた。『SLAM DUNK』の後、『バガボンド』や『リアル』を描いてきたことも影響しているので、自然な流れだと思います。 原作で描いた価値観はすごくシンプルなものだけど、今の自分が関わる以上は、原作以降に獲得した「価値観はひとつじゃないし、いくつもその人なりの正解があっていい」という視点は入れずにいられませんでした。 <次の(5)に続く> |
(5)<彼らが普通の高校生である感じを一番大事にしたかった>
☆今作のキャストを決めるにあたり、特に重視したポイントはなんでしょうか? 声質ですね。漫画を描くときキャラクターの声が自分の中ではっきり聞こえるわけではないんですが、声のツヤっぽさ、高さ低さ、ちょっと嗄れているとか、太くて芯があるとか、そういう「質感」だけはぼんやりとあるんです。それに合う人を選びました。 ☆アフレコ時にはどういったディレクションをされましたか? いわゆるアニメっぽいお芝居よりも、彼ら(キャラクター)は普通の高校生ですから、普通な感じを一番大事にしたかったんですね。声優さんには「コイツはこういうヤツです」というキャラクターの説明はしたうえで、あとは「なるべくご自身のいつものトーンに近い感じでお願いします」とお伝えしました。 アフレコを通して、僕の中でも発見が合って。漫画を描くときキャラの声は聞こえてないけれど、フキダシに文字を入れながら、文字の大きさやフキダシの形、置く場所などで、しゃべる間や声の大小を無意識に漫画の中に込めていたんだなということに気付きました。声優さんに「ここはこうしてください」と具体的なお願いをするときには、それが僕の中での拠り所になっていましたね。 ☆アフレコを終えてのご感想は? いやあ、感動しましたね。声優さんと現場で一緒にお仕事させていただくのは初めてでしたが、ふらっと一人でスタジオに来られて、一人でブースに入られて(*コロナ禍対策で収録は個別に行われた)、背中を僕らにずっと見られながらお芝居されて、終わったら、「どうもー」と帰っていく。その手ぶら感というと失礼かもしれませんけど、身ひとつで来て声だけで勝負して帰る感じが、剣一本で戦う剣士のようでかっこいいんですよ。 もちろん手軽にサッと済ますとかではなくて、皆さん「どうコイツを演じようか」とすごく考えて臨んでくださいました。前回の収録から次までの間に格段に良くなっていたりするのを聞くと、きっと持ち帰って色々と試行錯誤してくださったんだろうなと思って、本当にありがたかったですね。 ☆主題歌をThe Birthdayと10-FEETにオファーした経緯は? オープニングでは、一つの音から始まってだんだん音が増えていく、ちょっと不穏な雰囲気の長めのイントロが欲しいイメージが最初からあったんです。The Birthdayはずっとファンだったので、ぜひこの人たちに頼みたいと思っていました。 10-FEETは今回、エンディングや劇伴に大変な労力をつぎ込んでくださって。元々いいデモをたくさん出してくれて、こちらが「もっとこういう感じでもいいですかね」と言えばまた別の提案を返してくれるし、そこから何回も細かく直す作業も厭わずにやっていただけて・・・本当に頭が下がりました。 ☆監督から楽曲について、具体的なリクエストはされたのでしょうか? 基本的にはさっきの絵の話と同じで、こちらからは「こういう感じが欲しいです」というイメージだけ提示して、あとはやりとりの中で進めましたね。試合のSE(効果音)は別として、楽曲に関しては「この音が正解」というゴールが僕の中でも見えていたわけではなかったので。たまに「これは少し違うかな」と思ったときには、そうお伝えしましたが、上がってきたものを聴くたびに「音の力ってすごいな」と唸らされました。 ☆スタッフの方は「監督のジャッジの正確さに驚いた」そうです。ほんのわずかしか違わない音源でも「こっちは○で、こっちはX」とブレずに判断できる、と。 どうなんでしょう・・・だとしたら、それは僕が慣れてないからかもしれないですね。自分の中に「これはこういうものだ」という定型がないから、よく言えば「先入観がない分フラットに判断できた」のかもしれないし、悪く言えば「僕も初めてで何が正解か分からないので、自分の感覚を総動員して全部1から考えるしかなかった」ともいえます。 そのせいで無駄なことも随分いっぱいあっただろうし、音にしろ絵にしろ今回の全部がそうだった気がするんですよ。「ここで力を出せばいいから、こっちはセーブしておこう」みたいな経験やノウハウが僕にないせいで、本来セーブできる人たちも回り道に付き合わせてしまったというか。みんな相当大変だったと思いますし、それでも辛抱強く付き合ってくれながら、ベストな道を一緒に模索し続けてくれたスタッフの方々には本当に感謝しています。 <全ての経験が一本の道となり いい漫画を描くことにつながる> ☆井上監督はこれまでも常に挑戦を続けてきた方だと感じます。本作も新たな挑戦づくしでしたが、その原動力はなんでしょうか? それは漫画ですね。外からは漫画以外のことを色々やっているように見えるでしょうけど、自分の中では一本の道なんですよ。全部に漫画家として向き合ったいるし、全部の経験が漫画家としての自分に返ってくるんです。美術館の展示にしても、イラストの仕事も、今回の映画も、僕にとっては全部「漫画はこういうこともできるんだ」という足場でやっています。様々な経験を積んで自分を太くすることが、結局は全部いい漫画を描くことにつながっていくと思っています。 ☆最後に『SLAM DUNK』ファンの皆さんへ、メッセージをお願いします。 新しい視点、新しい角度から見た『SLAM DUNK』を作りました。漫画は漫画としてあって、TVアニメも変わらず見ることができるし、映画は映画で、「新しいひとつの命」として作った作品です。根っこはすべて同じものですが、「『SLAM DUNK』は知っていたけど、こんな『SLAM DUNK』は初めて観たな」という感じを体験してもらえたらうれしいですね。 ≪≪PROFILE いのうえ たけひこ・・・1967年生まれ、漫画家。1988年に『楓パープル』でデビューし、1990~96年連載の『SLAM DUNK』が社会現象に。以降『バガボンド』『リアル』の連載、「最後のマンガ展」の開催、高校生を対象に「スラムダンク奨学金」の創設など多岐にわたり活動している。今作が初のアニメーション監督作となる。≫≫ |
最近のコメント