2023年3月31日第242回「今月の映画」「(9.11テロ) WORTH 命の値段」

(1)今回の映画は9.11テロ後の「被害者の遺族」に、どのように政府が補償金を支払うかという難しい問題に取り組んだ映画です。

 が、私・藤森は、「9.11同時多発テロ」と、大量破壊兵器を保有していると決め付けて攻撃した「イラク戦争」とは、不自然な関連性があるように推測しています。最後の(5)で今年の3月19日の「東京新聞」を併せてご覧ください。

 

**2001年9月11日に発生したアメリカの「同時多発テロ」。私は偶然、この事件に興味を抱きました。そして、その2~3年後くらいだったでしょうか、飛行機がビルに激突する瞬間などが撮影されているビデオテープを購入しましたが、飛行機が激突する瞬間など、不自然さが感じられます。

 今、このビデオテープ「911ボーイングを探せ」のテープカバーを見ると、次のように書かれています。

≪≪航空機は証言する・911は世界を変えた・このビデオは911を変える

「ボーイング757型機の残骸はどこにあるのだろう?」

2001年9月11日、アメリカ国防総省(ペンタゴン)に突っ込み大炎上したはずのボーイング757型機。しかし、現場には機体が残した跡も胴体や翼などの残骸も見当たりません。なぜでしょうか?

 このドキュメンタリーを制作し、自ら解説しているのは、アメリカ・ミズーリ州にある小さなラジオ局『ザ・パワー・アワー』のパーソナリティーを務めるデイヴ・ヴォンクライスト氏。彼も当初は911事件に関する政府発表を何ら疑ってはいませんでした。ある日インターネットで「ペンタゴンに激突したのは旅客機ではない」と主張するサイトに出会いました。「そんなバカな!」。反論を試みようと彼は、ニュース映像、市販のDVD、関連書籍などを集め調査を始めました。しかし、そこに浮かび上がってくるのは不可解な事実の数々・・・。政府発表は何だったのか?ニュース報道はなんだったのか?

 さまざまな疑問を、すでにマスコミや軍が公表した映像・写真をもとに検証していきます。≫≫

イラク武装解除問題(イラクぶそうかいじょもんだい)とは、湾岸戦争停戦に際して、停戦条件として国際連合安全保障理事会によって大量破壊兵器の破棄を義務付けられたイラクと、他の諸国の間に生まれた緊張関係を指す。この記事では湾岸戦争停戦後の1991年からイラク戦争が勃発する2003年までの事件を記す。

2001年1月20日にジョージ・W・ブッシュが新たな大統領に就任した。大統領就任直後の2001年2月16日には防空網を備えつつあったイラクの軍事施設を空爆した。アメリカは「イラク・石油・食糧・交換計画」に緩みが発生し、イラクが不法な石油輸出で軍備を増強していると警戒していた

6月、アメリカとイギリスは新たな制裁案である「スマート・サンクション」の導入を安保理で提案した。これは軍事物資ないし軍事用に転用可能な品をイラクに対する輸出禁止品目リストとして明文化して掲載するものであり、フランスとロシアは反対した。禁止品目を減少させることでフランスは同意したが、ロシアの強硬な反対で成立しなかった。

9月11日、アメリカのニューヨークワシントンにおいて同時多発テロ事件が発生した。イラク国営放送のコメンテーターは第一報として対米テロ攻撃を「アメリカのカウボーイがこれまで犯してきた人道に対する犯罪に対する果実だ」と論評した。10月20日になって、フセイン大統領はアメリカ市民に対する弔意をはじめて示した。このためアメリカ政権内でイラクの関与を疑う声がそお<藤森注・この2文字が意味不明>この事件は直後から国際テロ組織「アルカーイダ」が関与したと言われたが、事件から2日後の閣僚会議では、すでにイラク攻撃が発言されている。<後略>≫≫

(2)「INTRODUCTION」

 <「あなたの命の値段はいくらですか?」驚くべき実話を基に≪命の重み≫を問う・・・>

<9.11テロ被害者と遺族、約7000人への補償・国家的事業に挑んだ人々の苦闘の軌跡>

 2001年9月11日、アメリカを襲った同時多発テロ。この未曾有の大惨事の直後、途方もない仕事に挑んだ人々がいた。それは約7000人ものテロ被害者とその遺族に補償金を分配するという国家的事業。しかし、このプログラムを束ねる弁護士ケン(ケネス)・ファインバーグは、すぐさま答えの見つからない難題に直面した。年齢も職種もバラバラの被害者たちの“値段”を、どうやって算出するのか。そもそも誰もが等しいはずの“命の値段”を計算することは、道義的に許されるのか・・・?全米の道徳観をゆさぶったこの知られざる実話は、被害者の遺族それぞれの苦悩と向き合い、不可能とも言える使命に立ち向かった弁護士チームの物語。彼らの2年間にわたる驚くべき軌跡を映画化したヒューマン・ドラマである。

<オバマ夫妻も惚れ込んだ、実力派キャストが挑むセンセーショナルな題材>

 主演とプロデューサーに『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』の名優マイケル・キートンが名乗りを上げた本作。実在の主人公ファインバーグは、数多くの補償問題に関わってきた高名な弁護士であり、原案となった回想録「What is Life Worth?(原題)」の著者である。監督は2018年サンダンス映画祭監督賞受賞作『キンダーガーテン・ティーチャー』で注目されたサラ・コランジェロ。脚本は『GODZILLA  ゴジラ』『キングコング:髑髏島の巨神』のマックス・ボレンスタイン。2人の新鋭のもと、キートンはもとより、アカデミー賞ノミネートのスタンリー・トゥッチ(『スポットライト 世紀のスクープ』)、エイミー・ライアン(『ゴーン・ベイビー・ゴーン』)ら実力派キャストが集まり、“計算マシン”と呼ばれた実務家の男が、より多くの人々を救うための道を模索していく姿と、彼と共に苦闘する人々の静かな闘いのドラマが描き出される。

 本作は、2020年サンダンス映画祭でお披露目されるや「通常じゃなく感動的」(New York Times)と絶賛を浴び、熱狂的な映画ファンとして知られるバラク・オバマ元大統領と妻ミシェルが創設した製作会社ハイヤー・グラウンド・プロダクションズがいち早く配給権を獲得したことも話題となった。

 政府や経済界が求める合理的なルールと多様なヒューマニズムに根ざした正義という異なる視点を描く本作は、私たちに「あなたの命はいくら?」という問いを投げかけるだろう。

(3)「story」

 <救うべき人たちのために・・・>

 ある大学の授業風景・・・教授が学生に質問する。「人生はいくらに換算できる?ここは哲学のコースじゃない。だからこの問いには答えがでる。数字を出すこと、それが私の仕事だ」。教授は、首都ワシントンD.C.に事務所を構える敏腕弁護士ケン・ファインバーグ(マイケル・キートン)。

 2001年9月11日。アメリカのニューヨークとワシントンD.C.近くのバージニア州にある国防総省で同時多発テロが発生する。未曾有の大惨事の余波が広がる同月22日、ファインバーグは政府の司法委員会に召喚される。テロ被害者とその遺族に補償金を分配する基金を創設するにあたり、その国家的な大事業への協力を要請されたのだ。しかし数千人におよぶであろう対象者への補償のみならず、航空会社が破綻しかねない損害賠償の提訴を回避することも目的とするこのプログラムは、容易には引き受け手が見つからない“汚れ仕事”だった。

 後日、司法長官と直接対面したファインバーグは、プログラムを束ねる特別管理人の職務を無報酬で請け負うことを申し出る。調停のプロとして豊富な経験を持つファインバーグには、揺るぎない自信があった。11月26日、事務所の共同パートナーのカミール(エイミー・ライアン)、ファインバーグの元教え子である新人のプリヤ(シュノリ・ラーマナータン)らで構成されるチームは本格的に始動する。このプログラムの最終的な目標は、全対象者のうち80%の参加申請者を獲得すること。申請の期限は約2年後の2003年12月22日に決定した。

 ところが「9.11被害者補償基金プログラム」の出発点となるマンハッタンでの説明会は、散々な結果となった。年齢も職業もバラバラの対象者たちの補償金額を、独自の計算式に則って算出するファインバーグの方針に猛反発した出席者が、「人を何だと思ってる!「ゲームのつもりか?」と罵声を浴びせたのだ。出席者のひとり、チャールズ・ウルフ(スタンリー・トゥッチ)がその場をなだめたことで説明会は続行されたが、ウルフもまたファインバーグの方針に反対を表明し、プログラムに修正を求めるサイトを立ち上げたと告げる。

 手分けして個別面談を開始したチームは、さらなる難題に直面した。さまざまな事情を抱えた対象者たちの喪失感や悲しみに接するうちに、カミールとプリヤはいくつもの矛盾にぶち当たる。シビル婚を控えていた同性の恋人を亡くした男性を救済する手段はないのか。夫を亡くしてガンと闘う女性を、より手厚く補償すべきではないのか・・・。計算式の適用にこだわるファインバーグは「私情は禁物だ。ルールと期限を厳守しなくては」とたしなめるが、彼自身も「夫の命は数字に換えられない」と涙ながらに訴える消防士の妻を前にして言葉に詰まってしまう。

 2002年12月。プログラムへの申請を済ませた参加者は12%にとどまり、チームの作業は行き詰まっていた。一方、プログラム反対派のウルフの活動は、幅広い層の対象者の支持を集めていた。プリヤに促され、事務所にウルフを招いたファインバーグは、厳格なルールに基づくプログラムへの理解を求めるが、ウルフは理路整然とルールの不備を指摘して譲らない。「個々の問題ごとにルールは曲げられない」「今、7000人があなたに敬意を求めている。人間として扱われたいと」。両者の主張は平行線をたどり、会談は物別れに終わった。

 2003年の半ばになってもプログラムへの参加率は一向に上がらず、政治的なプレッシャーにもさらされたファインバーグは、いっそう厳しい立場に追い込まれていく。そんなある日、9.11の犠牲者を悼むコンサートの会場で再びウルフと顔を合わせたファインバーグは、苦しい胸の内を打ち明ける。「確かにこの基金は完璧じゃない。我々が定めた規則では、救えない人々もいる。それは承知だ・・・正直、どうしていいかわからない」。するとウルフはプログラムの道義的な問題を改めて指摘し、すべての裁量権を持つファインバーグに「変えられる点はある。それを探すんだ」という助言を与えるのだった。

 深夜の事務所でひとり自問自答し、プログラム未参加の対象者たちのファイルを洗い直したファインバーグは、翌朝出勤してきたカミールとプリヤに重大な決断を伝える。「きついが、やるしかない。中途半端は駄目だ。ひとりひとりの話を聞く。相手が来られないなら、こっちから会いに行くんだ」。それは合理的な計算式にこだわり、頑として例外を容認しなかったファインバーグが、ルールを撤回して対象者それぞれの事情を尊重する、新たな方針への転換だった。

 こうして一丸となって再出発したチームは、寸暇を惜しんで真摯に個別面談を重ねていく。申請期限まで残り3週間の2003年12月1日、この時点で参加率は目標に遠く及ばない。それでもファインバーグは「申請希望者を全力で支援する。人望ある君の力を借りたい。過ちを正すために」とウルフに語りかけ、最後の説得を試みる。はたしてファインバーグとチームの熱意は、プログラムへの参加を迷う人々の心を動かせるのだろうか・・・。

(4)「column」

<配分の仕方~あなたならどう考える?>(山形浩生氏・評論家・翻訳家・開発コンサルタント)

 9.11同時多発テロの犠牲者遺族に対し、救済基金を割り振るという困難な仕事を引き受けた弁護士。初めは、血の通わない冷酷な数式で金額算定をしようとしたが、やがて人間の価値は数式では計れないことを次第に悟る。そして遺族の話を直接聞くうちに人間的な個別性のある対応へと向かう・・・これが映画のあらすじだ。

 さて、これはとても感動的な話ではある。が・・・

 ぼくは、人命の価値も含めた各種の数式をもとに、高速道路や発電所の建設や災害対応に巨額の税金を使う根拠を説明する、というのが本業だ。その立場からすると、人命の価値算定の発端でここまでもめること自体どうよ、と思えてしまうのだ。式はベースとなる考え方の表現でしかない。その考え方がまずかったんでは?

 この仕事は70億ドル超、つまりざっと1兆円ほどの基金を、9.11テロの被害者5500人ほどに配る、というものだ。その算定式の基本的な方針としては、その人がその後の一生で得たはずの収入を積み上げて、それをベースに(さらには扶養家族を考慮して)算定式を作り、支給額を決める、というもの。

 その結果として映画の中で移民労働者への提示では、ベース金額が20万ドル、つまり3000万円弱だ。マイケル・キートンが見ている表では、皿洗いの人が得る金額は350K、つまり4500万円ほど。年収1億円の金持ち重役の支給額は14.2M、18億円ほど。40倍もの差だ。収入に基づく傾斜がそれなりにきつい算定式だったらしい。これをいきなり見せられたら、怒る人も出るのは仕方ないのでは?

 じゃあぼくならどうするだろうか?

 この映画での考え方は基本、損害賠償と所得補償の発想だ。主人公/(映画のもととなった回顧録の)著者は損害賠償の弁護士なので、このやり方を採ったのではないか。でも別に9.11テロはアメリカ政府が直接的に引き起こした事故ではない。だから政府が賠償する義理はそもそもない。

 映画の説明を受け入れるなら、まずこれは、訴訟をしないでね、という示談金だ。そしてもう一つ、9.11が米国民にとって特別な大事件だった点も重要だ。だって同じ日に、他の場所で、交通事故や病気で死んだ人もいる。その人たちの命の価値が劣るはずはない。でも国からお金が出たりしない。この基金はあのショッキングな同時多発テロの犠牲になった不幸を米国民が悼むからこそ出されたお見舞いと位置づけるほうがよかったのでは?それが正しいというのではない。が、そういう考え方もできるということだ。そして、算定式もそれに応じたものにできたかもしれない。

 そういう話なら、この基金も米国民のお気持ちとしてほぼ一律同額にすればいい。単純計算で、一人2億円弱。経済的損失に基づくという法律の文言を反映するにしても、きわめて傾斜を緩くして、最高額と最低額でせいぜい5倍程度の差・・・それでいけたのでは、と思う。年収1億円の金融重役は文句を言ったかもしれない。でも八割がサインすればいいのだ。大金持ち千人ほどは無視してかまわなかったはず。個別事情の勘案だって楽になったのでは?感動的な映画にはならなかったかもしれないが、ずっとすばやくすっきりと片付いたのでは・・・

 が、もちろんこれは後知恵だし、本当に成功する保証があるわけでもない。映画には描かれない事情もあっただろう。ただ、全体の考え方として別の枠組みもあったのでは、と思うのだ。

 他にも考え方はいくらでもある。高所得者なんか資産も生命保険もあるんだから、むしろ低所得者に篤くすべきだ、という考え方もあるだろう。特別に重視すべき費目を設けるべきだ、という主張もできる。

 さらに実務屋としては、みんなの話を聞いて個別的に対応を行おうと決意するまでの主人公の苦悩は痛いほどわかる一方で、本当の苦労はその先だ。言いなりで何でも出すわけにはいかない。何らかの基準や(みんなの嫌いな)評価式はあったはず。州法に基づき、一部の同性愛カップルにはお金は出なかったという。また不倫の隠し子がいた人に支給額を増やすべきか?難色を示す人は当然出るはず。そして結果として支給額がどのくらい変わったのか(そしてその分どこを削ったか)・・・

 こうして具体的に考え始めると、主人公が直面した難問の規模も実感されようというものだ。どんな人も、しょせんは一人の人間という一般性があり、一方で一人一人の個別性もある。それをどうすりあわせるべきだろうか。これを読んでいるみなさんなら、どんな基準で人々にこの基金を分配するだろうか?この映画を観ることで、みなさんが少しでもそんなことに思いを馳せてくれて、現場の苦労を理解してくだされば、とこの実務屋は心から願うものだ。

(5)「社説 戦争は終わったのか」(東京新聞、2023年3月19日)

 <週のはじめに考える>

 米軍中心の有志連合軍によるイラク戦争の開戦から20日で20年になります。英国に本拠を置く非政府組織(NGO)「イラク・ボディー・カウント」によると、2011年暮れまでの犠牲者は16万2千人。約8割がイラクの民間人でした。

 戦争はイラクの首都バグダッドへの空爆で幕を開けました。しかし、いつ終結したのか。区切りの記憶がはっきりとしません。

 開戦から間もなくイラクのフセイン独裁体制は崩壊し、03年5月、当時のブッシュ米大統領は「主要な戦闘の終結」を宣言します。でも、直後にイラクは内戦に突入し、米軍もそのドラ沼にはまります。後任のオバマ大統領は11年12月に戦争終結を表明し、米軍を撤退させますが、14年に再派遣。「イラク軍支援」の名目で駐留を続けています。

 <先制攻撃戦略の野蛮さ>

 終結の不鮮明さは米軍の駐留とともに、この戦争の性格と関係しているように思えます。従来と比べ、イラク戦争は異質でした。戦争は元来、野蛮なものですが、その程度が突出していたのです。

 その野蛮さ、乱暴さはブッシュ政権の中枢を操っていたネオコンサバティブ(新保守主義派)という集団の思想性に起因します。

 「国連という腐敗し、弱く効果もない機関を信頼する外交官らは非現実的な、ただの愚か者だ」

 ネオコンの一人で国防総省国防政策諮問委員長だったリチャード・パール氏の言葉です。ネオコンの力の論理、野蛮さは「先制攻撃戦略」に集約されていました。

 それは切迫した脅威がなくても「怪しげなら殴る」という戦略です。戦後の国際社会は2度の大戦の反省から、武力行使は他国による武力攻撃への自衛権の発動か、国連安全保障理事会決議に基づく集団安全保障に限定することを誓いました。だが、彼らはそうした規範を無視し、侵攻しました。

 まだあります。開戦理由の捏造です。「イラクは大量破壊兵器を保有している」「(国際テロ組織の)アルカイダとフセインは協力している」などがそれです。

 戦前から国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)の査察官はイラクの大量破壊兵器保有に否定的で、開戦後の調査でも見つかりませんでした。アルカイダとの関係も誤情報と分かっていたのに、事実は封じられました。

 そして、乱暴な占領戦略。<後略>