2023年1月31日第240回「今月の映画」「すずめの戸締まり」
(1)「Dr.コトー診療所」は、下記の映画の案内にあるように、主人公の吉岡秀隆が、孤島の診療所での島民への対応にホッとする、温かくて、心豊かになる内容を期待していました。
ところが後半は、嵐で崖崩れがあり、診療所が患者で溢れる中、人手不足にもかかわらず、大きな手術はする、主人公の医師が大病を抱えていてフラフラになったり、歩きながら倒れたりする。まるでウクライナのような戦場の診療所みたいになってしまい、私・藤森の心臓がバクバクしてヘトヘト、残念ながら私にとっては、見ない方が良かった最右翼の映画です。 ≪≪日本の西端にある孤島・志木那島。19年前に東京からこの島にやって来たコトーこと五島健助は、島にたった1人の医師として島民たちの命を背負ってきた。島民とコトーには信頼関係があり、コトーは島にとってかけがえのない存在。コトーは数年前に看護師の星野彩佳と結婚し、2人の間にはもうすぐ子どもが誕生する。しかし診療所の平穏な日常に、変化が忍び寄っていた……吉岡秀隆/柴咲コウ/≫≫ そんな訳で、少しホッとする映画を、と思って観た映画が「すずめの戸締まり」です。(5)で「新海誠監督」の紹介がありますが、新海誠監督の各映画が極めて高く評価されているのには驚きました。メディアでの評判も最高という訳で、さらに期待して観た映画ですが、大事な場面を油断していたようで、私・藤森のコメントは省略します(!?!?)
*映画評論家の垣井道弘氏が厳選し見どころを紹介する。(夕刊フジ、2023年1月1日で、トップに紹介されました) いまや邦画はアニメを抜きに語れない。11月公開でロケット・スタートの「すずめの戸締まり」(新海誠監督)は、年末年始も突っ走る。女子高生の鈴芽が日本各地を旅して災害を防ぐための≪≪扉≫≫に鍵をかける。深海ワールドならではの独創的な物語と映像に魅了される。
*「ベルリン映画祭コンペ部門『すずめの戸締まり』選出」(夕刊フジ、1月26日) 2月16日に開幕する第73回ベルリン国際映画祭で、最高賞の金熊賞などを競うコンペティション部門に、新海誠監督の長編アニメーション映画「すずめの戸締まり」などが選出された。 日本のアニメ映画が同部門に選出されるのは、金熊賞を獲得した宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」以来21年ぶり。 「すずめの戸締まり」は昨年11月に日本で公開され、現在も上映中だ。九州で暮らす17歳の高校生・鈴芽が災いを呼ぶ扉を閉めるため、仲間とともに全国各地を旅する物語。 新海監督は「私たちの創作が外部からはどのように見えるのか。それを自身の耳目で確かめる好機をいただけた」とコメントした。会期は2月26日まで。 |
(2)「INTRODUCTION」
国境や世代の垣根を越え、世界中を魅了し続けるアニメーション監督・新海誠。全世界が待ち望む最新作『すずめの戸締まり』は、日本各地の廃墟を舞台に、災いの元となる“扉”を閉めていく少女・鈴芽の解放と成長を描く現代の冒険物語だ。 鈴芽の声に命を吹き込むのは、1700人を超えるオーディションから新海誠が探し出した、たったひとりの才能・原菜乃華。溢れ出る感情を声にのせるみずみずしい原石に、物語のヒロインを託す。扉を閉める旅を続ける「閉じ師」の青年・草太役には、新海誠が「内面の豊かさ」をオーディションで見出した松村北斗。椅子に姿を変えられてしまう青年という難役を真摯な姿勢で乗り越え、見事に演じきった。 そしてふたりを支える、鈴芽の叔母・環役に深津絵里、草太の祖父・羊朗役に松本白鸚。さらには染谷将太、伊藤沙莉、花瀬琴音、花澤香菜、神木隆之介という精鋭キャストが集結。鈴芽の旅を鮮やかに彩る。 音楽には、新海誠作品3度目のタッグになるRADWIMPS.共作として、日米の映画やアニメシリーズで活躍する映画音楽作曲家・陣内一真が参加し、本作でしか成しえない最強の布陣で、壮大かつ繊細な冒険映画の機微を表現する。また、主題歌「すずめ」を唄うのは次世代の逸材・十明。唯一無二の歌声で、物語の昂りを奏でる。 鈴芽が歩む道の先で待つのは、見たこともない風景。人々との出会いと別れ。驚きと困難の数々。それでも前に進む彼女たちの冒険は、不安や不自由さと隣り合わせの日常を生きる我々の旅路にも、一筋の光をもたらす。 過去と現在と未来をつなぐ、“戸締まり”の物語。 その景色は、永遠に胸に刻まれる。 |
(3)「STORY」
<扉の向こうには、すべての時間があった・・・・・> 九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽(すずめ)は、「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。 彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。 なにかに引き寄せられるように、鈴芽は扉に手を伸ばすが・・・・・。 扉の向こう側からは災いが訪れてしまうため、草太は扉を閉めて鍵をかける「閉じ師」として旅をつづけているという。 すると、ふたりの前に突如、謎の猫・ダイジンが現われる。 「すずめ すき」「おまえは じゃま」 ダイジンがしゃべり出した次の瞬間、草太はなんと、椅子に姿を変えられてしまう・・・・! それは鈴芽が幼い頃に使っていた、足が1本欠けた小さな椅子。 逃げるダイジンを捕まえようと3本脚の椅子の姿で走り出した草太を、鈴芽は慌てて追いかける。 やがて、日本各地で次々に開き始める扉。 不思議な扉と小さな猫に導かれ、九州、四国、関西、そして東京と、日本列島を巻き込んでいく鈴芽の“戸締まりの旅”。 旅先での出会いに助けられながらたどりついたその場所で鈴芽を待っていたのは、忘れられてしまったある真実だった。 |
(4)「新海誠 <原作・脚本・監督>」(このインタビューは映画の結末にふれています。ご鑑賞後にお読みください。)
<自分の中に残り続けた課題に、触れるならば今しかないと思った> ・・・タイトルにもなっている閉めるべき戸=扉というモチーフはどこから出てきたものだったんでしょうか? 最初にあったのは、「場所を悼む」物語にしたいということでした。かつて栄えていた場所や街が、人が減って疲れていったり、災害で風景が失われてしまったり。最近そういう場所が日本中に増えているなという実感があったんです。そういう「場所」を悼んだり鎮魂したりする物語ができないかとイメージしたとき、自ずと出てきた作品舞台が、人のいなくなった寂しい場所、つまり、廃墟だったんです。そしてその出入り口ということで、扉がいいんじゃないか、というのが起点でした。そしてそこに、もうひとつアイディアとしてあった「少女と異形の者が旅をする」話というイメージが重なり、これは映画になるかもしれないと思えたんです。扉を探しながら少女が異形の者と旅をしていくことになるわけですが、最初に考えていたのは、そのパートナーがどんどん怪物に変わっていってしまうというようなストーリーでした。 ただ具体的な絵をイメージしてみると、廃墟と怪物という組み合わせはどうもはまりすぎるというか、しっくりと馴染みすぎるような気がして。見栄えの良いビジュアルにはなるかもしれないけれど、どうも重すぎるし、おもしろみに欠ける。廃墟と合わせるのならば逆にもうちょっと可愛らしいものの方がうまくいくかもしれないと思い直して、そこから一緒に旅するパートナーとして椅子というアイディアが出てきました。 ・・・椅子も印象的なモチーフですが、そちらはどういう発想からだったんですか? きっかけはいくつかあるんですが、ひとつはたまたま目にしたバス停の椅子でした。2020年の正月、ちょうど企画書を考え始めていた時期に長野の実家に帰省したときに、人のいない田舎道のバス停にポツンと椅子が置いてあるのを見かけたんです。ベンチとかじゃなくて、家の中で使うような普通の木造りの、ひとり掛け用の椅子。誰かが持ち込んで置いていったんでしょうね。そのときはただ眺めて通り過ぎただけだったんですが、その風景が妙に頭に残って、その椅子が発想のひとつになった気がします。 ・・・可愛らしい椅子と悼むべき場所。一見、調和しないものでありながら、どこか融和するものでもありますよね。鈴芽の椅子は母親・椿芽の形見で、震災で遺されたものでもありますが、今作は、2011年の東日本大震災に触れているというのも大きな点だと思います。 場所を悼んで旅をする話にしようと思って物語を組み立てていったときに、自然に行き着いた場所が東北でした。今になって振り返ってみると、最初から考えていたのはそのことだったのかもしれないです。 ・・・創作者でなくても、この時代を生きる人たちは皆そうなのかもしれないですが、どこかで常に意識し続けていたものではあったんですね。 震災以降、ずっとそのことは頭にあって『君の名は。』(16)にしてもそれを考えながら作った映画ではありました。ただ、当時は東日本大震災そのものを映画の中で扱うことは非常に難しいものではないかという感覚があって、それは今でもそうなんですが、とにかく『君の名は。』は震災をどこか迂回しながらも遠回しに触れていたような映画でした。それはきっと、同じ年に公開された『シン・ゴジラ』(16)もそうだったと思うんです。きっと2016年とうのは、物語としてだったらエンターテイメント業界にいる自分たちでも震災のことをある程度は考えることができる、という時期だった気がします。 でも、それで何かが消化できたわけでも、自分の中で気がすんだわけでもなかったんです。ずっとわだかまりというか、課題のようなものは自分の中に残り続けていた。描くべきことを描けないままにしてしまっているような気分が残っていた。そこにはもう一度手を触れるべきではないのか、触れるならばもう今しかないのではないか、今作はそう思いながら作った映画でもあります。 これが震災の映画であることに気づかない人ですら、今の若い観客の中には少なくないはずですから。それに僕自身はやはりどうも、起きた出来事を物語の形にしないとうまく考えられないんです。そうやって何とか整理していく。でもそれは映画制作に限らず、人間が昔話のころからずっと続けてきた行為のような気もします。 <必死に普通に生きてきた12年間という時間が鈴芽自身を救う話にしたかった> ・・・設定についてもうかがいます。物語の世界では自然現象としての科学的な地震と、ミミズによる地震が混在して起こっているということなんでしょうか? 現実だと、地震の起きるメカニズムというのは科学的にわかってますよね。プレートの運動によって地震は起きるわけですが、『すずめの戸締まり』はそれとミミズによって起きる地震が同時に存在している世界ではなくて、日本列島の地下にある構造線のようなもの、そこに溜まるエネルギー、それ自体がミミズなんだという世界です。「目的も意志もなく、歪みが溜まればただ暴れて土地を揺るがす」と草太は言っていますが、彼や鈴芽の目には、その歪みといったエネルギーそのものがミミズのような生き物に見えている。そんなつもりで描写しています。 ・・・雨宿りのシーンで鈴芽が草太について聞かれたときに、それについてうまく語れないと言っています。鈴芽は震災の記憶を失くしてしまっているのか、あくまでうまく語れないだけなのか。 鈴芽が震災に遭ったのは4歳のときなので、4歳なりの記憶しかないということです。記憶喪失のようなつもりでは描いていないですね。鈴芽は震災に遭って、孤児になってしまったわけですが、それから12年間、彼女は彼女なりに必死に普通に生きてきたと思うんですよ。トラウマもあるかもしれないけれど、その中で笑ったり泣いたりしながら、12年間成長してきた。最終的に鈴芽を救うものがあるとしたら、その12年間分の時間そのものです。ですから、封印してしまった自分の記憶を取り戻すというトーンにはしていません。 ・・・震災を踏まえつつ、旅を通じてまさに少女が成長していく物語となっていますが、動画コンテンツの“新海誠x上白石萌得音x森七菜『すずめの戸締まり』製作発表会見の舞台裏~The First Door~”(You Tube・東宝MOVIEチャンネル)で、同じく少女の成長物語である宮崎駿監督の『魔女の宅急便』(89)の影響を強く受けていると話されていましたよね。 最初に『すずめの戸締まり』という作品を作ろうと思ったときに、今回は恋愛ではない映画にしたいというのがありました。もちろん今回もボーイ・ミーツ・ガールの要素はあって、鈴芽は草太に憧れを抱き惹きつけられたりもしますが、草太のほうはどうなんでしょうね・・・。いや、実際のところは僕もわからなくて(笑)、たぶん観ていただいたお客さんの中にある答えが正解だと思うんです。ただ、お互い強い好意はあるにしても、恋人関係というよりは戦友みたいなものだと思いながら描きました。共に戦った相棒ですよね。 ・・・映画におけるふたりはコンビでもあって、バディものといったところもありますよね。 そうなんだと思います。最初は少女と旅する相手を男性じゃなく、同性にしようかと思ったりもしていたんですよ。それはそれで自分がやってこなかったものが描けるかなと考えていたんですが、バランスを考えながら物語を形にしていく中で草太というキャラクターが出てきて、やっぱりパートナーは草太であるべきだったと今では思います。それで、少女が旅に出て成長する物語にしようと思っていたときに、最初に先行作品として思い浮かんだのは、やはり『魔女の宅急便』でした。観返しても驚くくらい古びていないというか、むしろ今観ても新しいというか。 ・・・なるほど、成長物語であるのに加えて、恋愛ものではない物語である、と。 トンボという少年が出てきて、デートみたいなことはするけれども、恋愛の物語ではない。しかも、少女がさまざまな女性たちを見ながら成長していく話なんですよね。それはもしかしたら自分自身が少し成長した姿かもしれないし、いろいろな年代の自分自身に出会うような物語じゃないですか。この作品を作りはじめたときに、そういうことをやりたい、今ならすこしは形にできるんじゃないかという気持ちがあったんです。それで意図的に鈴芽が旅先で出会う人たちを女性にして、年齢の幅を取って配置するということをやりました。それが『魔女の宅急便』からストレートに影響を受けているところです。 ・・・ルミはそれこそ『魔女の宅急便』のおソノさんの雰囲気ですよね。ちなみに原作のトンボは将来的に教師になっていて、奇しくも教師を目指している草太と重なります。 それは知らなかったですね。草太が教師を目指しているという設定は、「閉じ師」というのがフィクションの職業なので、もうすこし観客と繋がるような体験要素が彼には必要だと考えて入れました。アパートに住んでいて、大学生で、他にも目指してるものがあって。必ずしも使命に身を尽くしているだけではない、迷いも抱えた普通の青年としての面を入れたかったんです。 ・・・もうひとつ『魔女の宅急便』でいうと、まさにそれを連想させる楽曲が使われていて、芹澤のセリフでもそれにそれに言及していますよね!? 「ルージュの伝言」(荒井由実/75)が流れるシーンですよね(笑)。あれは、まずドライブシーンに何かポップスを流したいというのがあったんです。東北への旅路はどうしても重い展開になっていってしまって、もちろん鈴芽の心情としてはシリアスなんですが、その重さに観客をずっと付き合わせるのは難しい気がしたんですよ。だから芹澤みたいなキャラクターを同席させて、無神経に明るい曲をかけるっていうのをやってもらうことにしました。 そこで選曲をどうしようかなって考えていったときに、昭和歌謡みたいなものが楽しいかなと。みんなどこかで聴いたことがあるような曲にしたら、どの世代にも楽しんでもらえるんじゃないかと思ったんです。その中で自然と最初に出てきたのが、あの曲でした。設定的には、車でかかる曲は芹澤が環に合わせて選んだものなんですけど、実は環の世代よりもちょっと古い曲が多いんです。芹澤は気をきかせたつもりなんだけど、大人の年齢をよくわかってないんですよね(笑)。そんな気分で聴いてもらえればいいかなと思っています。 ・・・神戸のスナックのカラオケでも昭和歌謡が流れますが、懐メロと悼むということ、失われていくものや再発見していくものというのがリンクしていますね。 確かにそうですね。「SWEET MEMORIES」(松田聖子/83)にしても、そういうトーンがあって、今思えば、東北に向かっていくシーンは、少し懐かしくて、サウンドとしては明るい曲が旅のパートナーとして必要な場面だったんだと思います。劇伴や劇中音楽だけだったら、ちょっと成立しにくいシーンだったかもしれないですね。≪≪(5)に続く≫≫ |
(5)≪≪上記(4)の続き≫≫
<今まで自分が作ったものの中でいちばん優しい映画なんじゃないかと思います> ・・・今、名前の挙がった環もまさに女性で、そこも叔父ではなく叔母なんですよね。 プロット段階では、叔父さんで考えていたこともあったんです。環は年齢的にも自分自身にいちばん近くて、僕は鈴芽や草太には自分を同一化できないけれど、環の心情はいちばん想像しやすいんですよね。その意味では叔父さんであったほうがさらに自分としては書きやすかったはずなんですが、でもそれではやりたいこととズレてしまうと思って、やはり意図的に女性の物語にしました。あともうひとつ、自分の代弁者じゃないキャラクターたちの映画にしたいという気持ちもあったような気がします。例えば『君の名は。』の瀧やテッシー、『天気の子』(19)の帆高や須賀はどこか僕自身の言葉をしゃべらせてもいたんですが、そうじゃないものを描いてみたかった。そこも挑戦のようなものではありました。 ・・・今作は12年間生きてきた鈴芽が自分を救う話だ、ということを先ほどおっしゃっていましたよね。これまでの作品では出会った相手に救われていた。そこもまた大きな違いだと思います。 他者に救ってもらう物語となると、まず救ってくれる他人と出会わなければいけないわけです。でも本当に自分を救ってくれるような他者が存在するのかどうか、わかりませんよね。誰もが『君の名は。』の瀧に出会えるわけでも、『天気の子』の陽菜に出会えるわけでもない。でも、誰でも少なくとも自分自身には出会えるじゃないですか。子ども時代の鈴芽のことを制作現場では皆「小すずめ」と呼んでいるんですが、鈴芽が子すずめにかけた言葉は、ごく当たり前の言葉ばかりです。「あなたはちゃんと大きくなる」、それは誰の身にも起きるごく当然の現象です。ですから今作は、自分が今まで作ったものの中でいちばん優しい映画なんじゃないかと僕自身は思っています。 ・・・鈴芽が子すずめに語りかける言葉は、すごく等身大なのに深いものでもありますよね。 鈴芽と子すずめとの会話、ああいう自分同士でのフィードバックのループみたいなことを、僕たちは実は無意識に日常の中でやっているんだと思うんですよ。例えば、数年後の自分に期待を託したり、あるいは数年前の自分に語りかけたりもしている。それこそが、人間が生きていくための大事で特別な能力だと思います。自分は、今を乗り越えることができる。なぜならば、未来には今を乗り越えた自分がいるから。 亡くなってしまった人に再会したり、誰かに出会って救われる話ではなくて、自分で自分を救う話。鈴芽は子すずめに「あなたは大人になっていく」と言葉をかけますが、立派な人になると言っているわけではない。ちゃんと大きくなるというのは、それは誰でもそうですよね。当たり前だからこそ、そこには嘘がない。鈴芽のあの言葉を観客にも「そうだよね」って感じてさえもらえたら、観て良かったと思ってもらえるような映画になるんじゃないか。そこだけは確信を持って作り続けてきました。それ以外はいっぱい迷ったりしましたけどね(笑)。 ≪≪SHINKAI MAKOTO・・・1973年生まれ、長野県出身。2002年、個人で制作した短編作品「ほしのこえ」で商業デビュー。以降、発表される作品は高く評価され、2004年公開の初の長編映画『雲のむこう、約束の場所』で第59回毎日映画コンクール「アニメーション映画祭」を、2007年公開の『秒速5センチメートル』でアジアパシフィック映画祭「最優秀アニメ賞」を、2011年に公開された『星を追う子ども』で第8回中国国際動漫節「金?賞」優秀賞を受賞し、2013年公開の『言の葉の庭』では、ドイツのシュトゥットガルト国際アニメーション映画祭にて長編アニメーション部門のグランプリに輝いた。 2016年公開の『君の名は。』は歴史的な大ヒットとなり、第40回日本アカデミー賞でアニメーション作品では初となる」「優秀監督賞、「最優秀脚本賞」を受賞。海外においても第42回ロサンゼルス映画批評家協会賞「アニメ映画祭」に輝くなど、国内外で数々の映画賞を受賞した。2019年公開の『天気の子』は、第92回米国アカデミー賞国際長編映画賞部門の日本代表に選出され、さらにインドでは本作の劇場公開を希望する5万人以上の署名が集まり、その声に応える形で、日本のオリジナルアニメーション映画としては初となるインドでの劇場一般公開が実現した。≫≫ |
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