2022年5月31日第232回「今月の映画」「この世界の片隅に」
脚本・監督:片渕須直 声の出演・のん 細谷佳正 小野大輔 尾身美詞 稲葉葉月
(1)このアニメーション映画は広島県が中心ですが、当時の広島の街並みがとても素敵に描かれています。また、映画全体の絵がとても美しく描かれています。
そういう美しい街に原爆が投下される恐ろしさを目の当たりして、ウクライナの現実があるだけに、戦争の恐ろしさが強烈です。
「イントロダクション」 ≪≪「どうしても、この映画が観たい」日本中が完成を夢見た、待望のフィルム≫≫ インターネット上で一般の人から制作資金を調達する「クラウドファンディング」によって、全国から3374人、3912万1920円もの支援を集めた『この世界の片隅に』が、6年の歳月を経て完成した。原作は、『夕凪の街 桜の国』などで知られるこうの史代が、2007年~2009年、「漫画アクション」誌に連載した同名マンガ。戦時下、見知らぬ土地に嫁いだ少女の毎日の営みを丹念に綴る、自他ともに認める彼女の代表作である。 『マイマイ新子と千年の魔法』(09)の片渕須直監督がこの原作を見初めたのは、2010年の夏。すぐさま劇場用アニメ化への熱い想いを手紙にしたため、こうのに宛てた。一方のこうのは、片渕が監督したTVシリーズ『名犬ラッシー』(96)を偶然にも見ていたという。「大きな事件は起こらず、飼い主ジョンとラッシーが遊ぶ日々が続く。自分もいつかこんな物語を描きたいと思っていた」とは、こうのの弁。まさに運命の出会いだった。 こうのからアニメ化の快諾を得た片渕は、戦前戦中の広島や呉についての文献や写真資料を読み漁り、調べ尽くし、何度も現地に赴く。当時の街並みや建物を完全再現すべく、当時広島に住んでいた人からの記憶も頼りにした。 片渕の熱意は周囲を感化し、広島を中心にアニメ化を望む声はどんどん高まっていったが、制作資金調達のめどはいっこうに立たない。その打開策となったのが、2015年3月に実施したクラウドファンディングだ。作品への出資企業を募るためのパイロットフィルム(試験的な短い映像)制作費用として、支援金額別に6コースを設定。目標金額は2000万円と高かったが、開始から8日と15時間あまりで、みごと目標金額を突破する。本稿冒頭の最終的な支援者数・支援金額は、映画ジャンルにおける当時の国内クラウドファンディングプロジェクト中、最高人数・最高額だった。 主人公・すず役のキャストに女優のんが決定したのは、公開まで4ヶ月を切った2016年7月。のんは、すずのセリフについて研究を重ね、片渕に何度となく質問を繰り返して、絵に魂を吹き込んだ。 そして9月、完成披露試写会の舞台挨拶でのんが発した言葉は、作品の本質をたった一言で表していた。 「生きるっていうことだけで涙がぼろぼろあふれてくる、素敵な作品です」 今、アニメーション映画の新しい歴史が動き出す。 |
(2)「ストーリー」
≪≪太平洋戦争中の広島・呉(くれ)に18歳の少女、すずが嫁ぐ・・・≫≫ 昭和8(1933)年、広島市内の江波(えば)。絵を描くのが好きな8歳の少女・浦野すずは、兄の要一と妹のすみに囲まれ、家業を手伝いながら毎日を過ごしていた。 昭和19(1944)年、18歳になったすずに、突如縁談の話が持ち上がる。相手は江波から20キロ離れた軍港の街、呉に住む海軍勤務の文官・北条周作。すずは周囲に言われるがまま祝言をあげ、北条家に嫁いでいく。 北条家には周作のほかに、脚の悪い周作の母・サン、海軍の工場に勤める周作の父・円太郎がおり、夫を亡くした周作の姉・径子が娘の晴美とともに出入りしていた。周作は寡黙ながらすずに優しかったが、径子はすずに辛く当たる。しかし晴美はすずになついていた。 戦時で物資が欠乏するなか、すずは生活の切り盛りに奮闘する。粗末な食材も工夫して料理することで食卓を彩り、着物を仕立て直してモンペをこしらえる。生活は決して楽ではなかったが、そこには日々積み重ねられる営みの輝きがあった。 呉での生活は、すずを様々な想いで揺らしていく。道に迷って遊郭で出会ったリンは、すずに親切だったが、ここにはもう来ないほうがよいと告げる。 ある時、巡洋艦「青葉」の水兵となった同級生の水原哲が北条家を訪れる。幼なじみ同士、親しげに会話する哲とすずを、複雑な想いで見つめる周作。すずはその夜、哲の前で感情を露わにするのだった。 戦況が悪化の一途をたどっていた昭和20(1945)年6月、すずと晴美は入院中の円太郎を見舞うが、その帰り道で空襲に遭遇。ふたりは防空壕でしのいだものの、埋まっていた時限爆弾の爆発に巻き込まれ、晴美は還らぬ人となってしまう。すずはかろうじて一命をとりとめたが、大切な右手を失った。 失意の中、それでも懸命に毎日を生きようとするすずだが、右手を失い、径子に責められ、自分の居場所をどうしても北条家に見いだせない。ますます激しくなる空襲のなか、すずの心は、故郷に帰りたいと叫んでいた。 8月6日の朝、江波への出発準備をするすず。その時、雷のような光と、激しい振動が一帯を襲った。午前8時15分、広島に新型爆弾が投下されたのだ。 8月15日、玉音放送で知らされたあっけない終戦の報に、激しく憤り、嗚咽するすず。しかし、それでも毎日はやってくる。すずはこの世界に、自分の居場所を見つけられるのだろうか? |
(3)「劇中用語解説」
**「アッパッパ」・・・夏物のワンピースのこと。簡易服とも呼ばれる。大正末期頃に誕生した。 **「海兵団(かいへいだん)」・・・新しく入営した兵士の教育訓練をつかさどる海軍の部隊。各鎮守府に配置されている。 **「玉音放送(ぎょくおんほうそう)」・・・天皇の肉声を放送すること。一般的には、1945(昭和20)年8月15日正午にNHKから録音音源でラジオ放送された昭和天皇による終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)を指す。当時の内閣情報局総裁・下村宏が「謹みて天皇陛下の玉音放送を終わります」と締めくくった。 **「呉(くれ)」・・・広島県西部にある軍港都市。船艦「大和」を生み、日本海軍の要・東洋一の軍港として知られていた。灰ヶ峰など9つの嶺があるため、「九嶺(くれ)」と呼ばれるようになったという説がある。 **「工廠(こうしょう)」・・・軍直属の軍需工場。兵器・弾薬などを製造した。 **「純綿(じゅんめん)」・・・混ざりのない木綿。1938(昭和13)年以降、綿糸や絹織物は「ステープル・ファイバー(略称スフ)」との混用が義務づけられた。スフは粗悪な化学繊維だったため、純綿製品は貴重とされた。 **「女子挺身隊(じょし・ていしんたい)」・・・戦地に行った男性の代わりに、労働力として動員された女性たちのこと。1943(昭和18)年頃から各地で結成され、未婚・非学生・非就職者の女性が軍需工場などで働いていた。 **「千人針(せんにんばり)」・・・武運長久を願って出征する兵士に贈られた、女性千人が一針ずつ糸を通し結びこぶをつけた布。これを身につけると弾に当たらないと言われていた。「虎は千里行って千里帰る」ことから、寅年生まれの女性は年齢の数だけ刺してもよいとされていた。 **「鎮守府(ちんじゅふ)」・・・旧日本海軍で、所属海軍区を統括した機関。呉のほか、横須賀、佐世保、舞鶴の4港に置かれた。 **「伝単(でんたん)」・・・米軍が空からまいた宣伝ビラ。爆撃を予告したり、日本軍が各地で負けたことを知らせたり、降伏を呼びかけたりした。拾った場合は、読まずに届け出なければならなかった。 **「楠公飯(なんこうめし)」・・・炒った玄米を三倍の水に一晩浸けてから炊いたご飯のこと。鎌倉時代から南北朝時代に活躍した武将・楠木正成の発明によるものとされる。節米料理のひとつとして推奨されたが、流行らなかった。 **「入湯上陸(にゅうとう・じょうりく)」・・・軍艦の乗員は、艦が港に停泊中は数日ごとに外泊が許可されていた。これを「入湯上陸」と呼ぶ。 **「配給(はいきゅう)」・・・戦時中、米や砂糖など不足しがちな物資を公平に分けるためにできた制度。家族の人数によって量が決められていた。配給を受け取るには、専用の切符か通帳と現金が必要だった。 **「ミルクキャラメル」・・・森永が発売するミルクキャラメルは、100年以上の歴史がある。1899(明治32)年にキャラメルの販売を開始し、1913(大正2)年に現在の形となった。幼いすずが買った当時は、「10粒入り5銭」のものと、「20粒入り10銭」のものが発売されていた。 **「迷彩塗粧(めいさいとしょう)」・・・敵の標的にならないよう、建物の白壁を黒く塗ってカモフラージュすること。当時はデパートや民間の住宅までもが迷彩塗粧を施した。 **「モガ」・・・モダン・ガールの略。大正から昭和にかけて使われた言葉で、流行最先端の女性のことを指した。ボブカットや引眉、クローシェ(釣鐘型の帽子)が特徴として挙げられる。男性はモボ(モダン・ボーイの略)と呼ばれた。 **「大和(やまと)」・・・1941(昭和16)年に竣工、排水量6万4000トンを誇る、旧日本海軍の超大型戦艦。当時では世界最大級の戦艦だった。沖縄に出撃途中、米軍の攻撃を受け撃沈されたが、この情報は国民に発表されなかった。 **「隣保班(りんぽはん)」・・・1940(昭和15)年につくられた地域組織。隣組ともいう。連帯責任制のもと、常会を開いて回覧板を回し、政府の通達や生活必需品の配給などを行なっていた。 **「録事(ろくじ)」・・・軍人や軍属を裁く特別裁判所の書記にあたる文官で、周作の役務。 |
(4)「原作・・・こうの史代(ふみよ)」
1968年広島県出身。1995年『街角花だより』でデビュー。2004年に発表した『夕凪の街 桜の国』で第8回文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞と第9回手塚治虫文化賞新生賞を受賞。同作は07年に田中麗奈主演で実写映画化された。「漫画アクション」(双葉社)に連載された『この世界の片隅に』(07~09)は、第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。その他の主な作品に『長い道』『ぴっぴら帳』『こっこさん』『さんさん録』『ぼおるぺん古事記』『日の鳥』など。 |
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