2022年3月31日第230回「今月の映画」「国境の夜想曲」

(1)3年以上の歳月をかけて、イラク、シリア、レバノン、クルディスタンの国境地帯で撮影された映画です。この地域は2001年の9・11米同時多発テロ、2010年のアラブの春に端を発し、2021年8月のアフガニスタンからのアメリカ軍撤退とそれに伴う悲劇に至るまで、現在と地続きで、侵略、圧政、テロリズムが数多くの人々を犠牲にしている。そんな幾多の痛みに満ちた地をロージ監督は通訳を伴わずに旅をし、そこに残された者たちの声に耳を傾け続ける映画です。

 映画というよりも、資料・情報としてご覧ください。

 

『国境の夜想曲』を読み解くためのキーワード」

 ≪≪舞台となる国と地域≫≫

シリア(シリア・アラブ共和国)
首都:ダマスカス|主な言語:アラビア語|主な宗教:イスラム教が大半(スンニ派が多く、その他アラウィー派、ドゥルーズ派など)、キリスト教。

イラク(イラク共和国)
首都:バグタード(バグダット)|主な言語:アラビア語、クルド語など|主な宗教:イスラム教(スンニ派、シーア派)、キリスト教など。

レバノン(レバノン共和国)
首都:ベイルート|主な言語:アラビア語|主な宗教:キリスト教(マロン派、ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック、ローマ・カトリック、アルメニア正教)、イスラム教(シーア派、スンニ派、ドゥルーズ派)など。

クルディスタン
トルコ、シリア、イラク、イランの国境にまたがる山岳地域。クルド族の居住地。北西イランのマハーバードでは1946年にクルド人民共和国が樹立されたがイラン軍によって解体された。国連安全保障理事会はイラク北部北緯36度以北の地域をクルド人のための安全地帯と定め、多国籍軍が監視している。

≪≪宗教・宗派≫≫

ジハード
「全力を尽くして努力する」「真実を知るための努力」などの意味のアラビア語。イスラム教の文脈のなかで、イスラム過激派の解釈では神の道のために異教徒と戦う
「聖戦」という限定的な意味も持つ。「ジハーディスト」は9.11米同時多発テロ以降、イスラム過激派のテロ実行者を指す造語として欧米で使われるようになった。

スンニ派
イスラム教の多数派を指し、シーア派と対比して用いられる呼称。スンニはアラビア語のスンナ(範例)の形容詞形。彼らは「スンナと共同体の民」と自らを呼ぶが、その意味はムスリム共同体全体に伝えられた範例に従う者の意である。

シーア派
スンニ派とともにイスラム教を二分する諸分派の総称。スンニ派に比しその数は圧倒的に少ない。スンニ派と大きく異なる点として、イスラム世界の指導者はムハンマド預言者の子孫であるべきと主張。

ヤジディ教(ヤズィーディー、ヤズディ教)
イラク北部などに住むクルド人の一部で信じられている民族宗教。居住区はイラク北部に広がり、周辺の宗教勢力、武装勢力との対抗上、イスラム過激派武装勢力の攻撃対象となる。

≪≪武装集団と過激派≫≫

タリバン
アフガニスタンの公用語、パシュート語で「学生たち」を意味する。1979~89年のソ連のアフガニスタン侵攻に抵抗したムジャヒディン(イスラム・ゲリラ組織の戦士)によって形成された。
タリバンは、2001年9月11日の米同時多発テロが起きるまで、長年にわたって国際テロ組織アルカイダをかくまっていたとされる。2001年10月、アルカイダの撲滅を目指すアメリカ主導の有志連合軍が、アフガニスタンへの攻撃を開始。タリバンを権力の座から追放した。

アルカイダ
2001年9月の米同時多発テロの首謀者とされるサウジアラビア人のビンラディン容疑者が結成した国際テロ組織。旧ソ連のアフガニスタン侵攻と戦うイスラム戦士を支援するために1988年ごろ結成された。91年の湾岸戦争で米軍がサウジアラビアに駐留すると、対アメリカ聖戦に転換し、98年のタンザニア・ケニア米大使館同時爆破事件など複数の大規模テロを行なった。11年5月にパキスタンで米軍特殊部隊の攻撃によりビンラディン容疑者は殺害された。

ISIS(イスラム国)
イスラム教スンニ派の過激派組織。Islamic State of Iraq and Syria の略称(諸説あり)。一時、シリアやイラクにまたがる地域を支配し、2014年6月、イスラム法の過激な解釈に基づいた「国家」の樹立を一方的に宣言した。国際テロ組織「アルカイダ」を母体とするが、アルカイダの命令に従わず、「破門」にされた経緯がある。
イスラム教の預言者ムハンマドの後継者「カリフ」が全世界のイスラム教徒を指導するとした「カリフ制」の再興と、植民地として中東で人為的に引かれた国境線の廃止などを目指している。「ジハード(聖戦)」を呼びかけ、異教徒や外国人、支配を拒否する現地住民などに対する残虐な行為で知られる。前指導者・アルバグダディは、2019年にアメリカ軍の作戦によりシリア北西部で殺害したとアメリカ政府が発表。

ムジャヒディン軍
イラク・フセイン政権崩壊後の2004年11月に結成されたスンニ派武力勢力。イラクに駐留する多国籍軍の排除などを掲げてきたが、2011年12月の駐留米軍撤退後は、政府の打倒に重点を置き、主に北部・キルクーク県や西部・アンバール県で治安部隊などに対する攻撃を行なってきたとされる。

ペシュメルガ
イラク北部クルド自治政府の治安部隊。クルド語で「死と対峙(たいじ)する者」を意味し、強力な装備と練度の高さから、戦闘力は一国の軍隊に匹敵するとされる。兵力は約22万人で、クルド自治区の治安維持を担う。クルド独立を目指す戦闘集団として組織され、一時は内戦で分裂。

クルド女性防衛部隊(Women‘s Protection Units <略称YPJ>)
2012年に左翼民兵クルド人民防衛隊(YPG)の女性旅団として設立された、武装集団。YPGとYPJは、ロジャヴァと呼ばれるシリア北部から北東部の事実上クルド人自治区の武装部門である。

<[参考文献]「中東から世界が見える イラク戦争から『アラブの春へ』」(酒井啓子・岩波ジュニア新書・岩波書店)/「イスラーム国の衝撃」(池内恵・文春新書・文藝春秋)/「ジャスミンの残り香・『アラブの春』が変えたもの」(田原牧」・集英社)/朝日新聞/毎日新聞/日本経済新聞/時事通信/Wikipedia/ニューズウィーク日本版/PRESIDENT Online/NHK NEWS WEB 中東解体新書/WIRED/withnews>

(2)「どんな場所でも、どんな夜でも、かならず朝は来る」

<9.11から20年、戦争に翻弄され、分断された世界、しかしそこには、
夜の暗闇から一条の光を待ちわびる人々のささやかな営みがあった>

 『国境の夜想曲』は、ドキュメンタリー映画の名匠ジャンフランコ・ロージの最新作だ。第77回ヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門に選出され、第93回アカデミー賞作品賞、最優秀監督賞、最優秀主演女優を受賞した『ノマドランド』(クロエ・ジャオ監督)や『スパイの妻』(黒沢清監督)と共に金獅子賞を争い、ユニセフ賞、ヤング・シネマ賞 最優秀イタリア映画賞、ソッリーゾ・ディベルソ賞 最優秀イタリア映画賞の3冠を獲得した。

 本作は3年以上の歳月をかけて、イラク、シリア、レバノン、クルディスタンの国境地帯で撮影された。この地域は2001年の9・11米同時多発テロ、2010年のアラブの春に端を発し、2021年8月のアフガニスタンからのアメリカ軍撤退とそれに伴う悲劇に至るまで、現在と地続きで、侵略、圧政、テロリズムが数多くの人々を犠牲にしている。そんな幾多の痛みに満ちた地をロージ監督は通訳を伴わずに旅をし、そこに残された者たちの声に耳を傾け続ける。

 戦争で息子を失った母親たちの死を悼む哀悼歌、ISIS(イスラム国)の侵略により癒えることのない痛みを抱えた子供たち、精神病院の患者たちによる政治風刺劇、シリアに連れ去られた娘からの音声メッセージの声を何度も聞き続ける母親。夜も明けぬうちから家族の生活のため、草原に漁師をガイドする少年。

 平和な日常に生きる我々からは想像もできない。夜の闇のような絶望に満ちた生活。しかしそこに暮らしているからこそ感じられる一条の希望と、懸命に生きようとする人々の姿が確かに見えてくるはずだ・・・。

 <ベルリン、ベネチアをドキュメンタリー映画で初めて制した名匠ジャンフランコ・ロージが美しくも詩情豊かな映像とともに照らし出す、痛みとその先にある希望>

 ジャンフランコ・ロージは、2013年度ヴェネチア国際映画祭金獅子賞『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』では、ローマを囲む環状高速道路の周辺につつましく暮らす市井の人々、続く『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』では、イタリア最南端にあるランペドゥーサ島の島民と、その島に中東やアフリカから命懸けで辿り着いた難民や移民の姿とを対比して描いた。

 ロージ監督はインタビューやナレーション、テロップなど通常のドキュメンタリー映画で使用される手法を一切用いず、その場所で暮らす人々や、風景の中にカメラを構え、話を聞き、ただ静かに彼らを見つめる。そこに腰を据え、彼ら自身が語り始めるのを待って、はじめて紡がれる真実の言葉。テレビやインターネットで毎日流されるニュースでは決して報道されることのないその地を生きる人々の日々の営み。悲しみの中でも輝きを放つ“生”を映し出したその映像の詩的な美しさに誰もが圧倒されるだろう。

 本作の原題『NOTTURNO』は、「夜想曲」あるいは「夜」を意味するイタリア語である。「『国境の夜想曲』は光の映画であり、暗闇の映画ではありません、人々の驚くべき、生きる力を物語っています。この映画は戦争の闇に陥った人間への頒歌です」とロージ監督は言う。その眼差しの先にある、夜明け前の朝の光。ニュースで報道されるような題材を扱いつつも、そこで描かれるのは美しくも詩情豊かな映像。それこそが本作を唯一無二の至高の作品と至らしめる理由だ。

(3)「STORY」

 明け方、整列し掛け声を発しながらランニングする兵隊たちが、まだほの暗い闇の中に消えていく。

哀悼歌
茶色い壁がそびえ立つ広大な建物。
スカーフを被った女性たちが回廊をねり歩き、階段を下り、がらんとした空間を徘徊する。
かつて牢獄として使われたであろう小部屋の中、女性たちは亡き家族の痕跡を探し、嘆き悲しむ。
「かわいそうな息子よ。お前の気配を感じる。窓にも、壁の中にもお前がいる」
廃墟と化し、瓦礫が散乱した建物の中で、老婆が写真を眺める。
そこに写っていたのは息子の無残な姿だった。
壁をなでながら老婆は呟く「もう気配は感じられない・・・。」

ハンター
バイクで一本道を走る男性。遠くで油田の炎が燃えている。
茂みの中にバイクを停め、浅瀬から小舟に乗り越えた男は川をくだる。
日が落ち、暗くなっても船を漕ぎ続ける。
かすかに銃声が聞こえる。

恋人たち
活気溢れる夜の街。夜景が見える場所で、シーシャ(水たばこ)を嗜みながら乾杯するカップル。
部屋に戻り、イスラムの正装に着替えた男性は太鼓を片手に歌いながら、一人夜の街をねり歩く。

ペシュメルガ
廃墟となった村を走る1台の装甲車。
任務からもどった女性兵士たちは、1台のストーブを囲み、手をかざして暖をとる。
銃をかまえ丘の上から広大な土地を見張る。

精神病棟での演劇
中東で起きた過去の戦争の映像がステージ上のスクリーンに流れる。
6人の精神科病棟患者たちが舞台上に集められ、祖国を描いた演劇の台本を手渡される。
セリフを覚えるため、ベッドに寝転びながら台本を朗読する患者たち。

少年アリ
真っ暗で何も見えない明け方、進んでいく船の先端にアリが座っている。
仕掛けた網を黙々と引き上げるアリ。
家の中では母親が寝具を片付け朝食を作っている。
漁に出ていたアリが帰宅し、疲れたのかソファに横になり眠りにつく。
父親の姿は見えない。
雨の中、荷物を積んだ大きなトラックが川に架けられた浮き橋を渡っている。
アメリカ国旗を掲げた米軍車列が並んでいる。
地面がぬかるみ、風で屋根がたなびく難民キャンプでは子供の声が飛び交い、今日もまた、ある家族が荷物を台車で押してやってきた。

精神病棟での演劇
精神科病棟の薄暗い廊下では、
患者たちが演劇の練習に精を出す。
「我々は祖国を売らない」

少年アリ
家の中で、銃の手入れをするアリ。外では風が吹き荒れ、木が音を立てて揺れている。 銃を傍らに木の根元に座る。
雷鳴が響き、雨が降り出す中、揺れる枝葉を見つめながら、何かをじっと待っているようだ。
雨が止むと、アリは歩き出し空に向け銃を構える。
人気のない街に自転車で帰宅したアリは、台所で仕留めた鳥の羽をむしる。
ソファに横になるアリ。居間では5人の子供たちが床で宿題なのか書き物をしている。
母親が作った食事を子供たちが食べている。アリの表情はどこか浮かない。
懐中電灯を片手に、夜の廃墟を捜索する兵士たち。
無残に散らかった衣服や空になったクローゼット、割れた窓から照らし出されると兵士は無線で報告する。「異常なし」

子供たちの記憶
子供たちに優しく問いかけるカウンセラー。
まだ幼い少年少女らが語るのはISISに襲われた時の悲惨なエピソード。
暴力を振るわれた辛い記憶。
壁に貼られた絵からは、彼らが見た無残な光景が浮かび上がる。

囚人たち
オレンジ色の囚人服を身にまとった男たちが刑務所の広場に放たれる。
看守らが見張る中、1列に並ばされた囚人たちは列をなしたまま暗い部屋の中に入れられ、折り重なるように身をひそめる。
たくさんの人と車を乗せた渡し船が川を行き交う。
エンジン音と人の声が飛び交う中、人々はどこへ向かうのだろうか。

精神病棟での演劇
精神病棟内の劇場。ステージ場でリハーサルする患者たち。
再び過去の戦争のモノクロ映像がステージ場に流れる。

少年アリ
車道沿いにぽつんと立って何かを待つアリ。数台の車が目の前を通り過ぎたあと、1台の車が停車する。
「1日5ドルでどう?」「それでいい」車中の男性と簡単なやりとりを済ませると、アリはその車に乗り込む。
少し車を走らせた後、車を停め、ふたりは銃を片手に歩き出す。
獲物に気づいたアリが空を指差すと、男はその方向に向かって3発発砲する。
落下した鳥を拾い、アリが戻ってくる。男の狩りを手助けすることで小銭を稼いでいるようだ。
家に帰宅すると家族は寝る支度をしていた。床一面に毛布を広げ、川の字になって眠る子供たち。
夜から日が昇るまで、兵士たちが国境を見張っている。赤い旗が風にたなびいている。
太陽の光を浴びきらめく川の浅瀬、今にも崩れそうな崖のすぐ近くを大量の車が行き交っている。

ペシュメルガ
装甲車の中、機関銃を握りしめる兵士。
雨の中難民キャンプの近くを走り、廃墟と化したモスクの横を通り過ぎる。
ふたりの兵士がストーブを挟んで会話している。
「背中がいたい」「機関銃のせいだ」
暗くなっても静かに見張りを続ける兵士たち。
「我々ペシュメルガはつねに、警戒と準備を怠ってはいけない」
「ISISを徹底的に壊滅させなければ、状況は2014年に戻ってしまう」

娘のメッセージ
爆撃により崩れた建物が並ぶ村。娘が残した音声メッセージを聞いている女性。
その声からISISの監視下に置かれた娘の緊迫した状況が伝わってくる。
恐怖に震える娘の声を聴きながら、母親は自分の涙を拭うことができない。

ハンター
遠くに銃声が響き、油田の炎が夜空を燃やすようにオレンジに染めている。
男は淡々と鴨を獲る仕掛けを河に放り投げ、川をくだっていく。

精神病棟での演劇
ステージ上でのリハーサルが行なわれる。演劇の稽古も佳境を迎えて来たようだ。
精神科病棟の廊下で立ち尽くす老人たち。演劇に出演する患者たちが映像に見入っている。
映写された光がその顔を照らし出す。

少年アリ
母親に叩き起こされたアリは、また早朝から小遣い稼ぎの猟に行くようだ。

(4)「INTERVIEW」

戦うことでしか、戦いを終えることのできない人間の愚かさと、それでも生き続けていく人間の意志。(小松由佳・ドキュメンタリーフォトグラファー)

・・・本作をご覧になって、小松さんご自身の経験と照らし合わせていかがでしたでしょうか。

 まず、全体を覆う重苦しい雰囲気に圧倒されました。複雑な情勢下にあらねばならない苦しみ、不条理。しかしそれでもそこに生きていかなければいけないという静かな意思を、彼らの日常が物語っていました。

・・・どのシーンが最も印象に残りましたか?

 遠くの街で油田が燃え、空が赤く染まっている。どこからか銃声も聞こえるなかで、男性が一人、湿地帯を小さな舟で漕いでゆくところです。穏やかではない人間の所業と、それでも風土のなかに生きてゆく人間の姿がありました。

・・・シリアから逃れてきた子供たちに話を聞いたときのことを教えてください。

 2015年に、シリア・トルコ国境の街レイハンルで、シリア難民の子供の学校を取材しました。そこでは8歳の子供たちが、本作と同じように故郷の絵を描いていました。描かれたのは、爆弾を落とす戦闘機や、燃える家々。路上に倒れている人や、血を流す子を抱いて泣く母親の姿など、恐ろしい戦禍の光景でした。

 教師が言うには、ほとんどの子供は、目の前で誰かが亡くなるのをシリアで目にしている。そのため心に大きな傷を負っている。だから勉強を教えるより、子供たちの心をケアすることを意識しているとのこと。そして子供たちが、“過去ではなく、未来に心を向けられるよう”、いつも気を配っているとのことでした。

 しかし最後に教師はこう語りました。「私たちは教師として、この先に希望を持つことを子供に教えなければいけません。しかし実際、私たちも希望を持てないでいます。“希望を持つ”ということが、私たち難民にとって最も難しいことなのです。」

 やがて2016年以降、シリア難民の子供もトルコの公立学校に入学が許可されるようになり、トルコ人と同じ教育を受けるようになりました。あの学校も今はなく、あの子供たちも大きくなりましたが、あのときの彼らのどこか無気力な表情を、今も忘れることができません。本作に登場する、狩猟の手伝いをする少年の表情に、その子供たちの表情が重なりました。現実への深い絶望感、癒やされることのない心の傷、それでも過ぎてゆく日常を生きなければいけない・・・そうしたら彼らの状況が生々しく思い出されました。

・・・なぜシリア内戦や難民をテーマに写真を撮るようになったのでしょうか。

 シリアを撮影し始めたのは2008年からです。当初は、シリア中部の都市パルミラ郊外の砂漠の暮らしを取材していました。しかし2011年からシリアが内戦状態となると、それまでお世話になっていた人々が、生活を失っていきました。民主化運動に参加して逮捕されたり、体制から逃れるため難民となったり、警察や軍隊からの弾圧で死亡したりしました。そうした光景を目の当たりにし、市井の人々がどのような状況にあり、どのように難民となっていくのかが、報道から抜け落ちていることを感じ、2012年からシリア難民の取材を始めました。おりしも2008年に撮影で出会い、2013年にヨルダンで結婚した夫(パルミラ出身)もシリア難民となり、彼の家族もIS侵攻などを受けてシリア各地を流転し、難民となりました。こうした身近な家族の姿からも、難民となっていく人々の悲しみや苦しみを知り、現在の活動へとつながっています。

・・・本作の地域は紛争に巻き込まれた場所に見えますが、そこに暮らす人たちの日常はどう見えますか?

 国境という、人間が作りだした境界線によって、そこに暮らす人間の人生は大きく変わります。シリア・トルコ国境では、シリア側から逃れてくる難民を毎年取材していますが、一本の国境によっていかに人間そのものが分断されるかを感じてきました。

 最近(2022年1月現在)では、シリアからトルコへの越境は、密入国業者に支払う金額として、一人当たり約1000ドル近くが必要とされます。高額であるばかりでなく、越境は非常に危険であり、もしトルコ軍に見つかれば、銃撃されて命を落とす可能性もあります。それでもシリアから逃れてくる人々はあとをたちません。人々は、人生を変えるため、国境を越えてくるのです。

 私が2015年から取材しているトルコ南部ハタイ県レイハンルも、国境の街としての政治的な緊張にある街です。しかしそこでは、少なくともシリアでは手に入らなかった安全を手にした安堵感を、人々から感じられます。

 本作の素晴らしい点は、彼らが誰であり、どこに生きているのか、背景にある情勢や政治についての具体的な部分を語ることなく、ただ目の前に存在している人間の姿を圧倒的リアリティで映し出している点です。そうした点で、例え人々が政治やイデオロギー、民族によって分断されていても、カメラが捉えた人々はカテゴライズで分断されることなく、あるがままの人間として私たちに迫ってくるのです。

 本作はいくつかのストーリーによって構成されていますが、それらが最後には全体として結びつき、分断と圧力と不安定さに覆われた国境地域の匂いを彷彿とさせます。それも、特別な事件やセンセーショナルな心の動きからではなく、そこで起きていることを淡々と捉え、叙情詩のような見せ方で伝えています。

 一貫してノーナレーションだからこそ、私たちは作中に深く入り込み、その世界に浸ることができます。作品全体を覆っているのは、人間の苦悩であるように感じられました。しかしそこには、この先へと続くだろう、日常の営みがありました。

 戦うことでしか、戦いを終えることのできない人間の愚かさと、それでも生き続けていく人間の意志。光と陰とを印象的に捉えた美しい映像からは、人間という存在についての根源的な問いがあふれていました。

≪≪こまつ・ゆか・・・ドキュメンタリーフォトグラファー。1982年、秋田県生まれ。山に魅せられ、2006年、世界第二の高峰K2(8611m/パキスタン)に日本人女性として初めて登頂。植村直己冒険賞受賞。やがて風土に生きる人間の暮らしに惹かれ、草原や砂漠を旅しながらフォトグラファーを志す。12年からシリア内戦・難民をテーマに撮影。著書に『人間の土地へ』(20/集英社インターナショナル)など。21年5月、第8回山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞≫≫

(5)「国と国のはざまで」(ナジーブ・エルカシュ・シリア生まれ)

 <映画の冒頭にこの文章が出てくる>

≪≪オスマン帝国の没落と第一次世界大戦後・・・宗主国は中東に新たな国境を引いた。その後、数十年間権力への欲がクーデターや腐敗政権、独裁者や外国の干渉を生んだ。≫≫

 頭の中にまず浮かんだのは、「クルディスタンは国ではないのに、なぜ“クルディスタンの国境”と言うのか」だ。「監督は欧米人であり、これはもしかして正に宗主国が中東に新たな国境を引いているのではないか」と感情的に思った。次に、「その地域の国境付近の深刻な状態を語るなら、レバノンまで渡ったのに、なぜパレスチナの話をしないのか?」と考えた。でも「なぜこれを写していないのか?」という考えは、芸術作品を評論するときにするべきことではない。でも、この作品が描く地域にまとわりつく深刻な複雑さからそういう気持ちが生まれたのである。

 人間はどんなとき国境を気にするのだろうか。おそらく、自分のコミュニティーの存在が縮む恐れがある時、そして逆にそのコミュニティーが広がる好機がある時の二つだと思う。私はこの作品を観て、アラブ人として、クルディスタンの拡大、そしてイスラエルの拡大によって縮みつつあるアラブ民族の地域のことが素直に気になった。

 映画『国境の夜想曲』の撮影地である南西アジア地域では様々な国が膨らんだり萎んだりしている。南西アジア地域という呼称は、欧米が世界の中心であるという植民地時代的な発想から続いている「中東」という用語を避けたいために使っている。日本や中国を示す「極東」は、現在、「東アジア」又は「北東アジア」という言い方に変わっているが、南西アジア・北アフリカに関しては「中東」の使用は続いている。私も説明するのがややこしくて「中東」と言うときもある。そんな時、自分自身に「南西アジア・北アフリカでは植民地時代が続いているから、中東がふさわしいのではないか」と言い訳をする。

 若い頃に、政治家でアラブ国家主義の親戚から、クルド民族が独立のためにする手段について聞かされた。クルド独立のため、“ヤツラ”はアメリカやイスラエルと手を組むと。当時は納得したけど、今は納得いかない。今、私の中ではアメリカやイスラエルと手を組む“ヤツラ”とは民族を問わず南西アジア・北アフリカのほとんどのリーダーも含む。「中東」では植民地時代が続いているが、それはアメリカによるイラクやアフガニスタンへの占領、そしてイスラエルのパレスチナへの占領だけではなく、それぞれの国の政府による市民への占領も“植民地時代”と感じるようになった。

 『国境の夜想曲』二出てくる精神病院の中の演劇で「アラブの春」が悪夢に変わったという話が出てくるが、私は「アラブの春」が嗅がせてくれた香りを忘れない。「アラブの春」のおかげで初めて「アーザーディ」や「アルタッモ」というクルドの文脈の言葉を知った。2011年にシリアの民主化運動が始まり、民主化デモは様々な宗教や民族が互いにラブレターのようなものを送る場になった。アラブの主要都市のデモでは、クルド語で「自由」を意味する「アーザーディ」のプラカードや青年たちのエールが流行った。そして、ミッシェル・アルタッモというクルド人の著名な政治家がシリアの民主化運動に参加し、クルド・アラブの連隊を両民族の利益に至る唯一の道として唱えた。2011年後半にはアルタッモ氏が暗殺され、デモに参加した人々やその都市が滅ぼされ始めたが、それは大昔ではなく、たった10年前のことである。

 経済の「ゼロ・サム・ゲーム」という発想では「全ての参加者の得点の合計は常にゼロであり、一者が得点すると必ず他者が失点する」という。『国境の夜想曲』は自分の存在と他者の存在をゼロ・サム・ゲームとする思想や行為が生む哀愁で溢れる余波を詩的に描く。私はその悲しくて美しい映像に圧倒された。そしてロージ監督はどうやってあんな極めてプライベートな場面を撮影することに成功したのか、どうやって収容所の跡で亡き息子を嘆く母の目の前でカメラの三脚を置けたのかと不思議に思い、地域の人から得た信頼に驚いた。固定されたカメラ、動かないフレームの中で悲しくて寂しい場面が流れ、観客の息を止める力がある。映像の美しさと内容の凄まじさの間にあるギャップは私たちの地域の矛盾そのものだ。最後の場面では、人間の現実と希望の間の痛ましい矛盾が、登場人物の顔の肌のシワの形に見えると感じ、感激した。涙もろい私だが、この映画を観ても泣くことはなかった。ただその場面が終わりクレジットロールの始まった瞬間、涙が流れ始めた。

<ナジーブ・エルカシュ・・・1973年シリア生まれ。ジャーナリスト。レバノンのベイルートアメリカン大学卒業(心理学専攻)。英国のロンドンフィルムアカデミーで映画制作を学び、1997年に来日。東京大学大学院、名古屋大学大学院にて映画理論を研究。製作会社リサーラ・メディアの代表として1998年から日本や北東アジアを取材し、ドバイテレビなどアラブ諸国やヨーロッパのメディアに取材を配信。東日本大震災依頼、東北地方を取材し続け、最近は絵本の翻訳を通じて東北の子供とシリアやアラブの難民の子供をつなげる活動を開始。東京アラブ映画祭などアラブ・東アジアの間の文化交流の事業に関わっている。>